記・国民B(20211218)
■戦時下2年で年を越そうとしている。再度人民権力の道を提起する

  《中見出し》
◆戦時下、人民への分断工作は深刻化している。悪魔の選択の強制
◆大政翼賛会が再炎している「憲法改定」の全世界人民に対する大罪
◆人民の「分断」攻撃を撃破するのは、唯一「人民権力」思想しかない
◆現代における人民闘争の戦術は面従腹背、一歩前進二歩後退である
◆地球支配者は本質的に世界人民に巣くった寄生虫である
◆戦時下、人民への分断工作は深刻化している。悪魔の選択の強制

 焦眉はワクチン・パスポートをめぐる踏み絵である。ヤツらが予定しているのは、第6次、あるいは第7次の、新型コロナウイルスの異変種による巨大感染拡大のピークだ。
 デルタ株で世界中を恐怖させた第5次の、倍以上大きな波を作ろうとしている。現在はその入口。日本ではまだ感染者がわずかだが、世界的にはじわじわと感染者を増しているオミクロン株だが、状況によっては更なる別株を登場させるだろう。
 戦時下では、恐怖をあおるのはヤツらの基本中の基本だ。テレビでは「関東沈没・日本沈没」を流す。各局が特番で「首都直下型地震」「南海トラフ地震」「富士山噴火」を取り上げる。もちろん、天災は忘れたころにやってくる。だが、現在のキャンペーンはそれらが同時に発生するという恐れだ。
 沖縄戦の後期、兵も民も洞窟や崖に追いやられて、米軍の火炎砲火銃を使って追い詰められた。すでに日本兵は機能を失い、いかに「死ぬか」、恥を忍んで投降するか、崖から身を投じて自害するかを迫られた。絶体絶命である。泣く子の口を母が閉ざす。周囲は重傷でもだえるものばかり。食料も尽きた。究極の理不尽である。
 戦時、しかも敗戦国の人民となると、どこでも同じ状況になった。現在の戦争でも本質は同じである。どの国も鎖国状態にして、外国との交流を止めた。異変種株にたいする「水際防衛策」としてだ。
 飛行機が飛ばないのは環境対策としてはいいのだが、外国に食糧や生活物資、工業材料を依存している日本では、深刻な物資不足に陥っている。自動車工場、電気機器工場の稼働の停止が進んでいる。
 つまり、単純に経済が回らない状態だ。マスメディアは、このような実態を、戦時下だからというわけではなく、ヤツらの戦術として、けっして民に知らせることをしない。
 ガソリンは上がっているは誰も知るが、食料や日常生活に必須の商品が品不足を起こしつつあり、かつてのトイレット買い占め騒動直前の状態になっている。
 緊急事態宣言はなされていないが、実態において旅行も含めた国内での移動も、自粛がすすんでいる。未成年への10万円配布が話題だが、勤め人の減収は広がっている。いくつかの救済策としての貸出制度は存在するとして、お上は全国民を対象とした給付は実行する気がない。
 異変種への対応として、ブースターとかの言葉を使って、3回目以上のワクチン接種を、猛烈に進めている。さらに、子供への接取も進めている。異変種なるウイルスが、ワクチン接種者に効かなかったにもかかわらず「効果があるはず、重症化を防げるはず」という専門家の声を繰り返している。だが、医療機関の専門家の間ではもめていて「今までのワクチンは実質的に、効果がなかった」といっている。オミクロンについては、ワクチンパスコートを得て、観戦した人たちの中で「空気感染した」とまで告白している。
 医療機関、公共機関、関係企業で働く者にとっては、WHOの方針を実行するのは絶対だ。労働者が個人的に、ウイルスについて、ワクチンについて疑問を持っていても、それを口にする出せない。出せばクビだからだ。こうした情勢下で、公然と口を開いているのだから、いかに混乱しているかが分かろう。
 一般に人にとっても同じだ。家族やご近所、職場の仲間や、友人知人との話の中で、保育園や幼稚園や学校に通う子供にワクチンを打たせるかどうか、自分の態度が問われる。
 一言間違えば、仲間外れにされる。勤めていても、勤めていなくても、日常の会話でウイルスやワクチンの話は避けられない。そこで、いつまでも、あいまいな態度は続けられない。
 まさに、沖縄戦における悪魔の選択が社会的に強要されている。同じ民に対する加害者になるのか、被害者になるのか。どちらでもあるのだが。

 民の分断である。戦時中にお上の言い分に異なる意見を出すと「非国民」と呼ばれた。現在は、ワクチンに反対するのは、しばらくしたら「非国民」と呼ばれるようになる。
 ワクチンを打つ打たないは「個人の選択の自由」といわれてスタートしたのだが、事実上は社会的な強制になっていく。戦争反対=ワクチン反対のような構図だ。
 ベトナムではワクチン・パスポート無しでは買い物ができなくなっているという。ギリシャではワクチンを打たなきゃ5万円の罰金。オーストラリアではワクチン・パスポートを示さなければ5キロメートル以内しか行動できない。シンガポールでは会社に出勤ができない、イタリアでは強制が法で決まった。グレート・リセットをすると宣言していたダボス会議では、最近「ワクチン・パスポート強制」を決めたといわれる。スペインは暴動寸前だ、等々の状況まで進んでいる。
 米軍ではいったん提出された強制接取は、反対多数でキャンセルとなった。西欧では大きな反対デモが展開されている。ワクチン反対派は数多く存在する。
 最初に指摘した、感染者数の巨大な波は、現在まだ反対派が存在する状況を一掃しようという目的だ。ヤツらは本気である。

◆大政翼賛会が再炎している「憲法改定」の全世界人民に対する大罪

 あの見るだけで胸糞悪くなる安倍が、自民党安倍派の頭目となり、テレビ・新聞への露出が多くなってきている。台湾に対して中国が激しくゆさぶりをしている。米日は団結して台湾を防衛する、などと発言している。改憲は今こそするべきだ、と。
 前回も指摘したが、安倍チルドレンの高市についても同じである。世界的に関心が新型コロナウイルスに関心が集まっているなかで、どさくさ紛れに「改憲」を通そうとしている。与党自民党を先頭に、現在では野党の多くが「改憲」を叫んでいる。
 いまなら、深い討議も不要で「国民投票」まで持っていけると考えている。
 現在来年度の国家予算編成作業が進んでいて、防衛費を8千億円近くまで、かつてない増額を通す気だ。岸田は所信表明で「敵基地攻撃能力を現実的に検討する時だ」と発言した。
 そのために、日本のマスコミは「戦争の危機」を吹聴するのに躍起である。中国の南シナ海での動き、北朝鮮の新型のミサイル実験、ウクライナをめぐるロシアとNATOの緊張を連日報じる。バイデンは米国でウイグル自治区からの輸入を禁止した。日本では高市が、今こそ人権を掲げた反中国・反人権の決議をするべきだと訴えた。
 目的は「防衛費」の大アップである。同時に「敵地への先行攻撃の是非」とかに話題を拡大してきている。
 ヤツらの悪意は深刻である。
 どんなでたらめを作文してでも、中国、北朝鮮、ロシアを、凶暴な覇権主義者に仕立てたい。明日にでも日本に攻めてくるかも知れない危機が増していると演出する。
 実際は、そんな事態にはない。
 日本の敵は、そうしたでたらめを吹聴するオマエだ。地球支配者だ。その手下である安倍とか中央政治の寄生虫どもだ。敵は、中国、北朝鮮、ロシアなどではない。
 地球支配者が各国の手下を使って、戦争をしているのだ。新型コロナウイル戦争も、火器を使った戦争も、主敵は地球支配者だ。
 ヤツらの言う敵国の人民は、カイライの寄生虫の騙しの策動に乗ってはならない。日本の人民は、ヤツらの言う敵国の人民と憎しみあったり、死滅戦をする理由はかけらもない。団結して、怒りの矛先をヤツらに向けるのだ。
 だから、安倍や高市などの主張する「憲法に自衛隊を明記」「敵基地への先制攻撃権明記」などということを、かけらも認めるわけにはいかない。
 「自衛隊を国軍とする。オレは侵略者だ」と憲法に書くことは、どれほど狂ったものの思想かを、冷静に判断してほしい。戦時下での緊張とストレスは、人民の思考を低下させることだ。うっかりでも、ヤツらの主張を認めてはならない。
 ヤツらの改憲は、他国に侵略する行為を、憲法に明記して「合法化」しようということだ。人民に対する最大の犯罪である戦争を、合法化することに賛成など絶対にできない。戦争のための軍隊についても同じである。軍隊を持つことを、合法化するというのは、そのまま戦争を承認することだ。
 つまり、安倍や高市、こいつらに同調して改憲をいうヤツらは、与党野党にかかわらず、世界人民に対する敵対行動をしているのである。
 こう言うと、いつも出てくる話がある。「もしも、中国が攻めてきたら、武器をとって戦うことが間違いだというのか」である。
 第一に攻め手など来ない。もし来たら戦うに決まっている。憲法に書かれているかどうかとは関係ない。人民の当然の行動だ。ただし、敵国の人民に対して、侵入してきた兵にたいして、日本人民はこぞって提起する。人民同士の戦いはすぐにやめろ。矛先を地球支配者と、各国のカイライどもに向けるのだと。
 質問を出してきた人に言いたい。実際に無駄な戦闘が始まる前に。攻めてくるかもしれない危機などないのだ。そのように主張しているのは、中央政治にすくうカイライだけた。誰もが納得できる根拠を示せ。そして、「敵国」に対して、戦争する理由がないこと、戦争に持っていこうとする寄生虫どもに対して、そそのかしに乗らず、団結して戦おうと。
 人民の戦争に対する態度は不変だ。「戦争を内乱に転嫁する」である。

◆「人民権力思想」だけが人民の未来をひらく

 第一野党であつ立憲民主党に対する攻撃もすごい。「政権に反対するだけの姿勢を改めよ」と。先の選挙後、マスメディアは一斉に口を大にしている。自公の半藤政権を変えようなどというのは、もってのほかだ。自公にどう協力するかを考えろというわけだ。
 共産党についても同様だ。共産党は野党連合を訴えて選挙を戦ったのだが、結果は立憲も共産党自身も当選者を減らした。これについて、共産党自身が反省の態度をしめした。「野党としての共産党はいいけど、政権にかかわったら不安だ、という国民の思いを軽視した」という。
 野党の立憲に対して「お前らは、批判ばかりしていないで、一体で政権を運営するように考えろ」と恫喝し、ましてや「共産党が政権にかかわるなど、論外だ」というのが、自公、つまり、地球支配者の明確な意思だ、
 立憲も共産も、選挙でなぜ負けたという自問にたいして、国民の総意を受けて活動しながらやがて政権に就く、という方向での反省をしているというのだ、
 現代、戦時下の情勢を象徴的に表現したものだ。地球支配者やそのカイライどもは、現在「国民」に求めているのは大政翼賛会だ。それに大きくなびいたのが野党だ。

 かつての左派はずるずると権力になびいている。かつて社会民主主義とくくった改良主義で一本化していいる。単純に世界人民の根本的な要求である、奴隷支配からの脱出という課題をすっかり放棄したということだ。
 革命的な党以外の野党は、本質的に改良主義である。労働組合が結成され活動する自分の目標は、基本的に経済闘争であり改良主義だ。それは本来の姿であり、それ自身はあれこれ言っても仕方ない。
 だが、決定的なことは、政権に対して常に声を上げて批判し、自由や権利を守り、力関係で目前の経済的利益を実現することである。そのためには、権力への批判を忘れて協力にまわったら、自らの活動をすら放棄し、政権への協力を宣言したようなものである。
 それは、まさに、革命党の存在がないのが理由だ。社会民主主義的な野党や組合活動を、ただの経済主義的な成果に終わらせずに、人民の中に革命的な思想を実現していくことが求められるのである。
 改良主義は人民の思考としては当然に芽生えるものである。それはどの世であっても、普遍的にあるものである。生活をより良く、改善して快適にする素朴な思考であり、誰も否定するものではない。
 ただ、地球支配者によって支配されているような状況では、支配からの脱出という当然の最も大事な要求がある。改良主義を重ねれば、脱出が可能であるかのように考えられそうな妄想を生むのも事実である。
 特に、支配者と人民が正面から衝突するのは「人民のためにならない」という、対決を避ける、暴力を避ける、人民の身に危険が及ぶのをイヤがるのが民の願いでもあるとう者の意見が登場する。それが戦うまっとうなありかただ、とするのが社会民主主義者だ。
 支配者側はこの腰抜けというか、日和見主義者の思考を支配の道具として重視する。それは、被支配者である人民が、改良の戦いを永遠に続けても、絶対に奴隷からの脱出というゴールに近づくことさえできないことを、理解しているからだ。
 考えてもみよ。改良を積み重ねて人民の解放など得られるか。得られるはずはない。だから、支配者は、積極的に社会民主主義=改良主義者を育成する。そして、現実に戦争を起こしたときなど、社会民主主義者がこぞって大政翼賛会実現に貢献した。

 一般大衆がいて、支配者と対決する人民がいて、支配から革命的に、つまり完全に開放を求める先進的なグループがいる。革命家による革命党が存在し、現在の社会システムの中で大小さまざまな改良闘争を行う。
 改良闘争そのものは、体制内での改善が目先の目標だ。賃上げだったり、労働の中にスキあれば入り込む人権無視、パワハラ、労基法違反、偽装や隠ぺいなどの社会的犯罪行為などが戦いのテーマになる。
 この当面の課題で、人民側が勝つか負けるかは、そのときの相対的な力関係で決まる。仮に、勝つことが連続しても、支配者がすべていなくなるようなパラダイム・シフトを実現することはありえない。
 つまり、改良主義的な性格の限界を打ち破ることを戦いの目標にすることは、一般的にできない。だから、一般的には、多少勝利が続いても、性格上の限界がある。改良主義の戦いの限界である。
 だが、目先の、改良主義の戦いは絶対的に必要である。この戦いを展開する中で、人民の中の思想と思考を革命的にしていくことが、階級的な究極の課題だからである。
 一般大衆を戦う活動のさまざまなレベルに引き入れ、目先の課題を革命家が、階級的に掘り下げて話をしていくことから始まる。目先の課題の背後にある階級的な、双方が相い入れない対立を明確にするのである。
 これは、生活や労働の中に組み込まれている、支配と被支配があり、そこに人民自身が歯車として深く関与している事実を暴くことである。民の一人一人が敵の手先に組み込まれ、加害者になり、同時に被害者になっているという、認めがたい、恐るべき真実を知ることである。
 ワクチンがウイルス防御とはおよそ無関係な、人体の免疫を低下させる恐ろしい兵器であることを、知る知らないにかかわらず、職務として、同じ民の仲間に、接取をすすめ、打たせる。いずれに民にも悪魔の選択が強要されている、まさにこの状態を、しっかりと知ることから始まる。
 苦痛で逃げ出すものもいるだろう。だが、現実を冷静に知ることは、戦いのスタート点として、どうしても克服しなければならない。一般大衆から、人民になる人が必ず出てくる。
 そして、すべての改良主義的課題は、支配者の放逐というパラダイムシフトの実現以外に解決しないことがわかってくる。それは人民から革命家になることである。
 そのような改良主義的な戦いの中で、同じ志を持つ仲間を作っていくこと。ここに、現代の闘争における「勝利」がある。これが人民権力の構築ということである。

◆現代における人民闘争の戦術は面従腹背、一歩前進二歩後退である

 生活すること、仕事をすることの中に、同じ民への加害者になったり、敵の手先になったりしているという現実は、戦いの形態が単純ではない。組合が経営者と団交で対決する姿。地域住民が市当局と対峙するという姿。それ自身は同じ形態で続くのだが、一般大衆と戦う人民の思想と思考の問題となると、複雑な課題を抱える。
 それは「ワクチン接種など、同じ民であるものに、進められない」という思考や意識になれば、それを表立った行動に出してしまうことである。そのまま職場で主張し、仕事を拒否したなら、クビになるのは目に見えている。路頭に迷うことになり、新たな課題が出てくる。
 家族や子供、社会的な生活で、より厳しい状況に追い込まれる。別の仕事に就こうにも、あらゆる仕事に支配の歯車がまわっていて、敵の手先、加害者になることと無縁な仕事など、存在していないからである。
 地球支配者の支配のもとでは、これから人民がとる戦術は「面従腹背」と「一歩前進二歩後退」だ。つまり、革命にとって最も大事なことが、人民権力を末端にしっかり構築することであるなら、力関係を正確に見据えて、行動上は今までと同様にすることだ。
 職場での上司の命令・指示には、行動で従うのである。いつもと同じように「手下」をよそおい、仲間である民への「犯罪」を続けるのだ。ここに、胸を締め付ける苦渋がある。
 だが、職場や足元に人民権力が構築され、仲間が増えていくなら、自ずと職場での力関係が少しずつ変わっていく。上司の命令があまりに理不尽であれば、仲間と合意した上での統一的な反対意見を示すことができる。場合によっては撤回も可能となる。
 人民の敵は地球支配者と、各国に配置されたカイライである。同時に地球支配の一角を加味し各国の中央政治をを動かすグローバル企業のオーナーと経営陣だ。
 ヤツらの力を革命的人民は侮ってはならない。現在戦時下で分かるように、ヤツらは命令一下、世界中で新型コロナ禍を演出できるのだ。誰から選ばれたわけでもない国連、WHOなの世界機構、製薬企業、政治形態の相違など無関係に各国政府を統一的に動かすだけの力があるのだ。マスクの強要、ワクチン接種の強要、ワクチンパスポートの強要などである。
 多少ヤツらが弱ったのは事実だが、数千年の歴史を持つヤツらのアジェンダを遂行する力は、厳然としている。
 これに対して、人民が足元で局地的に打撃を与えても、全面的な勝利にはほど遠い。全面的な勝利を得るという戦略を実現するには、これから長期の戦いの隅重ねが必要なのだ。それまでは、一歩前進二歩後退の、過酷な忍耐が人民に求められる。
 忍耐、そして忍耐である。それでも、戦うたびに、世界中に無数に人民権力が広がっていけば、それだけ、決戦の日が近づく。
 革命闘争の木たるべき決戦は、歴史的に人民の犠牲を最小かゼロを目指すべきである。半端な、現実的でない蜂起は、大きな犠牲を呼び、打撃は計り知れない。革命の再構築に、さらなる時間と犠牲をさくことになる。
 決して焦らず、むやみな蜂起、決戦をしないことである。我慢、我慢の面従腹背戦術を重ねる必要がある。人民権力同士のインターナショナルができる。インターナショナルは、世界中の全人民に計り知れない勇気と希望と誇りを与える。
 全世界的な蜂起がベストである。だが、おそらく、地球支配者内部にも様々な弱点が存在し、その鎖がどこかで、いつか断ち切られるような状況が起こりえる。そこでは、かつての歴史的なロシア革命や中国革命が起こったように、早々と人民権力の国家が登場しえる。
 もしこれが実現すれば、世界的な革命闘争の拠点となる。革命闘争の拠点があるとないとでは、天と地ほどの戦いを取り巻く状況が変わる。人民闘争を大きくステージ・アップする。だが、そのようなヤツらの鎖の弱い環を絶ち切る戦いにおいても、面従腹背、一歩前進二歩後退の戦術は同じである。

◆地球支配者は本質的に世界人民に巣くった寄生虫である

 世界人民の主敵である地球支配者は、いくつかの組織を動かしている。それは世界金融資本であり、その融資先のグローバル巨大企業群、軍産複合体が中核に存在しる。バチカンをトップに置く宗教組織と王政である。
 各国に配置された中央政治のカイライは、地球支配者の手下といってよい。近年トランプが口にしたことから、誰でも知る言葉になった「ディープ・ステート」はコアにいる主敵と政治カイライとごっちゃにした呼び方だ。
 世界は各国のさまざまな思惑で対立しているように、見えるが、それは違う。実態は主犯のコアにいるヤツらの思惑ひとつで動いており、その周囲の企業や軍は無数のシンクタンクを抱えながら、各国政府を動かしているのが実態だ。
 米国大統領だ、安倍だ、岸田だというのは、下っ端のカイライである。
 このカイライどもに、すり寄るものがいる。それは人民の、すなわち被支配者の一角をしめる、いわば民の仲間だ。その連中の頭にテコでも剥がせないほど強固にくっついているのが「カネだけ、今だけ、自分だけ」という強欲思想である。
 仲間である民を裏切ってでも、犠牲にしても、自分さえよければという思考が、権力ににねじより、利権を得て、己だけの利益を得ることが、人生至上の価値だと考えているものどもだ。
 この思考は地球支配者が意図的に作ったものである。手下を作るためだ。自分は虫けらと思っている奴隷の人民の前には登場しない。常に、寄って来た手下にやらせる。「カネだけ、今だけ、自分だけ」という思考が被支配者にあるかぎり、すり寄ってくる手下は絶えない。
 手下どもは、何の罪悪も感じずに、むしろ優越感をもって、仲間の民を支配することに、率先して動く。

 この構図は「人民が人民支配の実行者になる」「人民が支配されている構造に気づかない」という、ヤツらからしてみれば、理想の支配体制である。
 人民の革命というのは、この構造を粉砕することだ。現代の革命目標として、このことを忘れてはならない。ゆえに、現代革命の複雑さ、困難さが生まれているのである。人民と言っても、その人民の中に深く根ざした、ヤツらが植え付けた、本来あってはならない狂った思考を放棄する戦いだからだ。
 だが、不必要に混乱する必要はない。「人民生活と思考の5原則」というものを提唱している。
 それは、①人に迷惑をかけない ②カネとモノ、利権のとりこにならない ③地球と未来に負荷をかけない ④戦争の根絶、安寧な生活 ⑤人間としての誇りと尊厳、という、誰も人民なら否定しえないものだ。
 これを「カネだけ、今だけ、自分だけ」と比較したらいい。完全に相いれない思考だ。
 人民のなかに、この五原則を打ち立てることができれば、「カネだけ、今だけ、自分だけ」は浮き上がって、存在できずに、消えることしかできない。
 人民はイメージしてほしい。人民の中に五原則が打ち立てられたら、人民の中から、ヤツらの手下になるやつがいなくなるのだ。そうすれば、地球支配者は子分がいなくなる。つまり、支配機構がくずれて、ヤツらの最大のテーマである「人民支配」が崩壊する。
 これが革命だ。

 よく見れば、人民に巣くう寄生虫を、宿主である人民が巣くう寄生虫との共存をやめることだとわかる。はやりの表現で言えば「ウイズ寄生虫」をやめることだ。
 「ウイズ寄生虫」をやめることが、人民権力の構築ということである。人民の本来の思考である「人民生活と思考の5原則」が、人民の中に思考として定着することと等しい。
 生活と職場にヤツらの支配が及び、犯罪者、加害者にさせられているということだが、生活と仕事の中に深くしみ込んでいるヤツらの意思を、人民自身が暴きだすことの重要さがここにある。
 人民は生活と仕事のなかの支配構造を暴き出せば、それだけ人民の意識は変わる。「カネだけ、今だけ、自分だけ」を克服できれば、もはや「ウイズ寄生虫」で生活したり、仕事を遂行することはできなくなる。
 インターナショナルの連携で、ウイズ寄生虫をかかげた一斉蜂起をする環境が整ってくる。
 コアの組織の中にも人民権力はできていく。宗教組織や軍隊の中にもできていく。革命の情勢が到来するというのは、蜂起のときに、軍が人民弾圧に向かうのではなく、持つ兵器の矛先をヤツらに向けるだけの力を人民権力が得たときである。
 ロシア革命では、ロシア国軍がボリシェビキの蜂起のときに、革命を支持した。人民自身も赤軍を結成して、革命を守ったゆえに、革命は勝利した。蜂起の情勢には、欠かせない命題である。
 世界人民は、支配慣れから目覚める必要がある。誰かに依存する、誰かのせいにする、長いものにまかれろ、ではない。それはヤツらのマインド・コントロールで作られた、間違った思考だ。社会生活と職場運営の主人公であることを忘れてはならない。

 バイデンのおバカな「民主主義サミット」については、前回に話した通りだが、民主主義というのは人民権力の中で、人民が真剣に信頼と正義の目的で論議することをいう。その中にだけ本当の民主主義がある。
 地球支配者の偽の騙しの空虚が民主主義など、どこにも民主主義はない。バイデンのどこに民主主義がある。ミャンマーのスーチーのどこに民主主義がある。マスコミがでっち上げている民主主義など無意味だ。何が本当の民主主義かは、人民が戦いの中で日々論議する中にある。人民への信頼の上に立ったものだ。
 そこでは、どのような意見も尊重される。例え間違っていても、五原則にそって論議を深めれば、必ず正しい結論に行き着く。