支配者が被支配者である人民を恐怖で支配する。
その究極の手段が、生涯に一度は戦争を実体験させること。
そのような地球支配者の明確な計画とスケジュールに沿って、新型コロナウイルス戦争は開始された。
明治維新があった。300年近い徳川政府を終わらせ、鎖国をとかせ、西欧の属国となった。
地球支配者は双方に資金を提供し、幕府派、討幕派と武士階級は分裂、実際に戦った。この戦いでは一般庶民は直接武器を持ったわけではない。その後、日清戦争、日露戦争があった。
この時期に歴史的に不可解ともいえる巨大、大量の戦艦建設がなされた。単純に、西欧の権力者が特別な思い入れを持って、空前の資金を投入したのだ。
やがて、第一次世界大戦に突入する。民間から徴兵された。民はこのとき直接に「日本を世界的な存在感のある国」とするため参加した。日本が進出した国ぐにからすると、日本はれっきとした「侵略国」「覇権国」となった。
勝利国となり、日本はかつてない高揚感を体験し、傍若無人な野蛮国の一員になることを「誇り」に思った。絶頂におだて挙げられて、その後に始まる第二次世界大戦でどん底に突き落とされる。
明治維新から日本の民は、生涯で一度以上確実に戦争の体験をした。第二次世界大戦での「敗北」は、民が根底から生活が破壊された。鬼畜米英を実践しなければ自分が死ぬと思い込まされた。
自分の国である日本を、潰そうとする悪い国とヤツらから、現人神の国である日本を命をかけて守るのを至上とさせられた。
2発も核爆弾が落とされた。進駐軍が駐留してGHQによる全面支配が実行された。朝鮮戦争、ベトナム戦争が起こり、自由主義世界を守るためなら犠牲は当然という価値観を強要された。
だが地球支配者の計画遂行を阻害する課題が出る。戦争に次ぐ戦争は、民に懐疑心を生ませた。
民は戦争を理由に同じ民の殺人にかり出され、恐怖とストレスを常時持たせることが、ヤツらの目的なのではないかと。実はまさに、それが戦争の核心なのである。
冷戦においても、朝鮮でも、ベトナムでも、中東でも、人類が消滅するような大規模な戦争にはなっていない。各国は依然として存在している。各国のトップは、それぞれが同じ誰かに指示されて、合意のもとに、定期的に争いをしているのではないか。
つまり、地球支配者と各国のトップはグルで、壊滅の危機を煽り立てて、支配の継続をはかっているという結論が浮かび上がる。
被支配者の人民は、ただただ翻弄されている。
2001年の911で世界は、露骨な紛争の事態に突入する。国と国の対立という見せかけの構図から、テロリストが政治屋が支配する都市を襲う。それに各国のトップが連合して戦うという構図に変えた。
つまり、世界人民をテロリストにし、各国のトップが連合して世界人民と戦うのだ。2010年の新型コロナウイルス戦争の勃発によって、地球支配者の恐怖政治の段階は、世界人民一まとめで対決するようになったのである。
もちろん、地球支配者は各国の政治のトップに命令して、同時に行っている戦争だ。各国の政治のトップは、その国に住む民からすれば、敵には違いないが、各国トップに一元的に命令を下しているものに目を向けなければならない。それこそ主敵だ。
新型コロナウイルスは、自然発生のものなのか、それとも人口的に作られたのもなのか、という論議は当初からあった。
この記事では明確に地球支配者が全世界の人民を対象にした、生物兵器だと言ってきた。
トランプは「中国が武漢で作ったもので、中国政府がテロの兵器として漏らした」と言った。地球支配者がとはでなく、矛先を中国にそらしたのは罪である。
これに対して、WHOやマスメディアは「自然発生」を主張してきた。だが、最近に、武漢で関係者が数名激しい症状にまみれて、研究所を閉鎖したこと、その研究所にファウチやソロスが莫大な資金を出してきたことを、当事者が認めた。
これを受けて、ニューヨークタイムズなどは「研究所で作られた」と人工説に姿勢を変えてきている。
この流れは、中国共産党がではなく、そのまま地球支配者が作ったということではないか。
だがヤツらは「未来のためにウイルスにいろいろ手を加えて実験はしていたが、けっしてそれが世界中をこれほど騒がすものとは考えていなかった」と言い訳するだろう。
それなら、何故に世界同時にロックダウン(緊急事態宣言=戒厳令)し、同時に対策はワクチン以外にないといった方向を打ち出しているのか、である。
飲むだけで絶大な効果を持つ、実績あるアビガンやイベルメクチンの承認をしないのか。ただ民を脅かすだけでない悪意を感じる。
治験もしない、異変種に効く保証もなく、危険が多すぎる副作用・副反応のワクチンを、特別承認して使おうとしているのか。ワクチン接種を唯一の選択しとし、ワクチン・パスポートまで出して、選別を強制しようとしているのか。
ワクチンは従来のワクチンと異なる。ワクチンを打てばその人の3%程度が自己免疫暴走で犠牲になる。スーパース・プレッターとなって、さらに感染を広げる。ウイルスは数か月単位で次つぎと変異するので、全人類がワクチンを生涯打ち続けることになる。その過程で、ウイルスに「何か」を支配者側が入れる危険があると危惧されている。だが、そうした疑惑を解明する余裕を与えない速度で、現在実践されている。
テレビをつければ、ワクチンへ、一刻も早く接種を、遅れてはならない、と猛烈にあおっている。日本では、先日からワクチン接種が実施された。数百万人に接種された。すでに85人の犠牲者、厚労省へは数万人の副反応が出たいわれる。だが、マスメディアは決して触れない。各自が確かめてみたらいい。
この動きは、支配者の意図ではないのか。ないという方が、異常であり、おかしいに決まっている。冷静ならだれでもわかる。
ワクチン製造にかかわった医療専門家から、今回のワクチンだけは認められないと声が出されている。理由はワクチンが、ヒトが持つ自然治癒力を不機能にして、逆に症状を悪化させるというもの。そればかりか、学者によっては「打てば2年後にみな死ぬ」からというものまでいる。
過去の例もなく、まだ2年先は未来で誰も確かめられないところが不気味なのだ。
日本では先の戦争以来、大きな戦争はなかった。民の人生で、戦争未経験のまま生涯を終える人も出てきている。支配者にしてみれば、戦争を体験させる時期が今なのだ。ヤツらは本気である。
今回の戦争では、民に判断する時間を与えない。お上を信じてワクチンを打つか、否かである。何が入っているか知れないのに、それがすべて治療と予防のためというお上を信じるしかないのだ。それも自己責任で。
つまり、民の選別を行っている。お上を信じて、従順に従うものと、信じない者を、踏み絵で判断しているということを、十分に心して欲しい。
今回の戦争の空恐ろしさ、不気味さはここにある。「こいつは、お上に従わないもの」と判断されたものは、次にどうされるのか。
ちなみに2020東京五輪をヤツらはこの時期に及んでも「中止」を言わない。世界中の8割は中止すべきという見方にもかかわらずである。
これは五輪開催を理由に、ワクチン接種を急がせたいという意志だ。中止してしまえば、めどなくずるずるの対策になるからだ。
敵を絞り込むときに、戦後、特に911以降では、新たな特質を理解しなければいけない。それは現代の「支配」の特質である「民のひとりひとりが敵の支配システムの歯車に組み込まれている」点である。
民のひとりひとり、つまり、自分自身も支配の一角に組み込まれ、知らず知らずのうちに、自動的にヤツらの手先にされている点である。
民は生活のために必ず働かざるを得ない。企業や行政や末端の事業体だ。生産工場にしても、サービス業にしても、小さな商店でやるにしても、①利益をあげるため、②社会をより快適にするためという根底的な課題に縛られている。
利潤を得るのも、サービスもそこには競合があり、一定のレベルを守らないと、事業として存続できない。淘汰される。
このルールの守り手、実行の現場に、否が応でも民は加担して生活のカテを得ている。
例えば、ここ1年を振り返ってみれば、コロナを理由にさまざまなことが、お上の決定、指示、指導として民の中に徹底されてきた。
「コロナウイルスは存在が確認されていない」と厚労省は正式に発言している。これはロシア政府が発言して話題になったが、世界の50以上の国や機関が認めていることだ。厚労省に正せば(直に問い合わせている映像も流れている)それを認める。では、現在のマスク着用とか、三密を避けるとか、ワクチンを打とうというのは、根拠はないではないかと問われる。
「だが、あるとみなしてすべて対応している。決まったことなので」と返答している。完全におかしなことだが、それにはこれ以上逆らえないし、行動上でこれ以外に選択肢はないのだという。
「惰性」で緊急事態宣言は、おかしな話だ。だが、これは現実だ。驚くべきことに、世界各国が同じ状態だ。上から命令した上司も、それに従って行動するものの、皆そこに職を得ている民なのである。拒否できるか。できない。まして戦時下で、公務を拒否したら解雇という暴力措置にあうしかない。
公務員も大小企業も、上意下達のお達しは同じである。末端の八百屋でも魚屋でも、社会の中でその時にできる空気、流れを敏感に得て、それに沿うように動かざるを得ない。
どの戦争でも、真逆のことをお上は言う。アリバイ作りもあるだろうが、主題は民を混乱させることである。相対立することを目の前にだして、冷静な判断で正しい結論をださせないためだ。
個人的に考えて持つ信条はあっても、それを貫き通せない。通せば事実上のマスク警察、ワクチン警察、村八分にあうことになる。
市役所の窓口では、コロナは存在し、それに感染しないように注意書きを出し、体温計測機や除染スプレーを用意する。接する民には、その方向に沿って話しをする。ここに現場職員の個人的な心情を表に出すことは、絶対的なタブーである。
医療の現場でも同じであろう。ワクチンが速く欲しいと欲する民に、ワクチン接種を肯定した上での説明はしても、否定するような姿勢は許されない。また、ワクチンは打つべきでないという民がいても、それに賛同するような言動はできない。
すべてが「WHOの指し示す方向」に沿っているか否かとなっている。政府の方針なるものは、WHOの指針がすべてなのだ。ビッグテックが、ワクチンを批判する映像、画像、発言を検閲削除するときに、WHOの指針を否定するものは表に出せないという理由をあげているが、まさにそれだ。
WHOなる機関が公式に各国を指示している。ビッグテックはWHO指針に依存して検閲をしている。そのWHOに各国は加盟はしているが、それは国連などと同じ、ただの地球支配者の私的世界機構にすぎないのだ。国連=UNしかり。横道にそれるが、サッカーの世界機構はもとより、今話題のIOCなるものも同じだ。
民が誰一人としてその機構にそのような権限、権威を与えたわけではない。その機関の経費を賄っているものこそ、地球支配者たちだ。WHOの最大の資金源はあのビルゲイツである。
現代において、表舞台でカネを動かしている代表はビルゲイツとソロスだ。ロスチャイルド家やロックフェラー家は実質上中心におりながら、ビルゲイツとソロスが顔になったようだ。
話を戻そう。
新型コロナウイルス戦争において、それを企んだのは地球支配者だが、遂行しているのは手先である。その手先に民がかかわり、手をくだしている。そして、ターゲットにされているのは、同胞である民という関係である。
地球支配者は、手先として民を加害者にして民を敵にしている。これが、現代の支配構造での特別な側面である。
コロナ禍を戦争としてえぐるときに、戦う敵を明確にし、同時に支配の特殊な側面を見抜いていかないと、民同士の対立となってしまいかねない。
マルクスは民の目の前の事象を階級対立と規定した。ブルジョアジーとプロレタリアートを対置した。帝国主義戦争の時代を迎え、レーニンは敵の世界戦線の最も弱い輪の一点をロシア革命で突破した。地球一元支配に対し、人民国家を各国に樹立し、インターナショナルの精神での団結をめざした。
支配者と被支配者の対立は、敵が武装をしている状態では武力衝突が必須の戦争が避けられないとし、その戦争に人民権力はどう立ち向かうのか。レーニンの時代、そこで問題になったのは社会民主主義の日和見だ。
大政翼賛会の宣伝にやすやすと乗り、お国の言う「敵」を民の敵と同じだとして、お上と一緒に戦うとした。つまりいざ戦争がはじまると、敵であったはずのお上は味方になり、同胞である相手国の民を敵にしてしまった。自国の民を戦争にかり出すよう煽り、民を戦争の手先にし、敵の政策に加担した。
戦争を経て、民の主敵を守る立場にたった社会民主主義をレーニンは、手厳しく批判した。人民は「戦争を内乱に転嫁する」という名言を残した。
現在の、特に911以降の戦争ではどうだろう。表の政治舞台の茶番とも言える議会制民主主義と選挙への幻想にあげくれる勢力にたいして、同じように議会主義として社会民主主義は生きている。
支配の見せかけの道具である議会主義で人民の権力はできない。人民権力は、ヤツらの手のひらである議会主義からは生まれない。権力は「ヤツらの権力を奪取」するのではなく、たたかいの中で、足元から自分の権力を構築するものだからだ。
マルクスやレーニンが戦いの中で残した、この教訓を思い起こさなければならない。
ヤツら支配者も教訓を得ている。それは、人民を支配の手先に組み込んで、民を支配の共犯者にして、民を支配するシステムを構築したことだ。
民を民が支配する。己が己を支配する。これこそ、究極の支配の姿である。民が支配にメスを入れるとしたら、相手が民、つまり自分自身になる。同僚や友人、家族、仲間が敵となる。主敵である地球支配者は、すっかり姿を隠せる。
「自発的隷従」が現実になっている。この現実を認識することである。これを正確にえぐりきる以外に、主敵に打撃を与えられない時代が到来している。
安倍という日本の現代政治で稀に見る悪質なカイライ政治屋がいた。地球支配者という命令者から、言われるまま悪政を行い、人民の生活を破壊した男だ。海外派兵、戦争法、共謀罪、秘密法等々を次つぎと成立した。
安倍政権がモリカケという悪事を遂行するときに、文科省次官だったものがクビになった。彼が取った姿勢が「面従腹背」だ。
文科省の現場のトップだった。安倍らが閣議で決めて下す指示は、常に民を苦しめ、現場官公庁の望みに反することだった。それに対して、明確な反対の考え、意志を堅持しながら、行動上ではお上の指示に従った。
これが面従腹背である。公の顔としては上意下達に従う。それは全面的に反撃するには周囲の力がないからだ。社会的にも、足元の職場の仲間の力も、正面から抵抗するだけの力に至っていない。従うのは止むをえないのだ。
だが、同時に、この提起されている問題については、徹底的に仲間と論議し、誤りを明確にし、お上の狙いを内部に広めていく。そうしたなかで、力を蓄えていく。
この考えの重要さを知る必要がある。上意下達の行為は確かに心苦しい。だが、それを周囲と仲間で十分に分かりあっている。ある意味では裏切りのような行動だが、仲間、人民の権力内では、取るべき必要な行動であるということだ。ただ、あくまで人民権力下での確認事項であった、安易に敵の前にその意図をさらしてはならない。
原発問題をみてみよう。日本ばかりではなく、米国、ロシア、中国でも多数の原発を稼働しており、地球全体としての廃止の動きにはなっていない。
日本でも同じだ。311で全機中止をしたものの、現在は数基が再稼働していて、政府は本来廃止の40年を迎えたものも再開する動きにでている。
大規模な原発は早く廃止の決断をするべきだ。理由は、実際に動かしてみて、明らかに現在の技術で管理できないものに手を付けていることが分かったことだ。「40年後には聡明な人類は必ず解決する道を見つける」などという詐欺師の言に騙されたのだ。このままでは、未来の人民と地球環境に、責任を持てない。つまり打撃を与えるということが明らかである。
これは廃絶するしかない。
「夢のエネルギー」ではない。核爆弾にせよ、人類を危機にさらしている。地球支配の恐怖管理の道具として利用されている。
エネルギー問題は重大な課題だ。だが、原発に頼らずとも、安心で安価な解決策はいくつもある。フリーエネルギーも含めて改めて考えるべきだ。
こうした原発にかかわる課題があることと、原発の現場労働者であるということは、一体で考える必要がない。「明るい未来」「民の必須のエネルギー産業」と言われれば、そこに夢を持ち、やりがいを追求しようというのは当然である。
そう感じて原発の理論を学び、原発に関与した仕事に就いたのも、決して悪いことではない。どんな仕事であろうとも、同じように魅力と感じて、そうした職場を求めたものだ。
だが、同時にそこで仕事を続ける中で、自分のしている仕事が、民全体の利益として、どうかかわっているのかを考える。最初の思ったことと違う実態であることもままある。
そもそも前項で触れたように、いかなる種類の仕事であっても、現代においては、例外なく、民の支配の歯車としての機能から逃げられないようになっている。
今自分が働いている職場、職種が「問題ある」と感じて、別の職場に就いても、そこが「問題ない」職場であるわけがないのである。多少の「問題の大きさ」の差はあるだろうが、どの職場も同じ社会構造になっている。
だから、職場を脱出するということは、離職するということではない。自分の職場の問題を、職場を基礎にして変えていくことである。支配の歯車に自分が嚙んでいることの実態をえぐり出すことになる。日常的には面従腹背を続けながら、足元に同じテーマを話せる仲間を発見し、広め、人民権力を作っていくことである。
原発の職場なら、仲間と原発廃絶を論議できるように、自分が行動していくことである。
現在、原発の労働に携わっている人達の労働組合は、原発の廃絶を掲げていない。会社、企業側と同じく、原発を再開して、エネルギー供給をしていくという、同じ立場を取っている。
立憲民主党が原発廃絶を口にしていたが、国民民主党との合同話で、いつも話題になるのはこのことだ。政党であるくせに、現場に明確な廃絶の道を語れない。現場の労働者は、自分の職場は会社と一丸で守る、原発廃絶などとんでもない、と自己保身と目先の経済主義を声高に言う。原発廃絶を主張する政党は支持しないと。
政党も組合も「問題」は認めるが、踏み込めないという、情けない現状である。
原発労働の現場で、どうどうと原発廃絶を論ずるべきである。労働組合は現場の声として廃絶を強く主張すべきである。へっぴり腰の政党に廃絶を突き付けるべきである。原発労働者は失職することなどない。彼らが持つ高度な知識は不要になることなどないばかりか、廃絶という遠い道のりで必ず役に立つ技術だからだ。人民から声援が送られるだろう。