◆実際は大負けのバイデン-ハリス政権の発足の背景
◆表の世界での合法的な戦いが人民革命に必要な理由
◆たやすく作られる偽の写真、偽の映像、偽の音声によるフェイク・ニュースの日常
◆ヤツらの分断支配、いがみ合いのそそのかしに乗るのか、拒否するのか
米国の表の政治の世界では、昨年の大統領選挙で、誰でも分かるような派手な不正選挙であったが、2月に正式にバイデン政権はスタートした。
派手な不正選挙というのは、第一にあり得ないバイデンの8100万票という得票数だが、それを認めると、90%から100%を超える投票率になってしまうということ。60%台であったことが公表されているのにだ。
5月になって米国税庁は有権者の実際の数を公表した。そこで少なくとも400万票が投票数より多いと指摘している。それがそのままバイデンに加算され、さらにトランプから票がバイデン票になった。
この暴挙に対して憤慨したのはトランプへの投票者だ。予想でも、開票日当日の集計の成り行きでも、トランプの圧勝は間違いなかった。しかし深夜を迎え、その日の集計作業が中断し、翌朝まで休憩に入っているときだ。深夜テレビで誰もが見つめているなかで、いわゆる「バイデン・ジャンプ」といわれる奇妙な現象が見られたのだ。
劣勢のバイデン票が突然数十万票追加され、トランプ票がほぼ同数削減され、優劣が一気に逆転した。世界中が大騒ぎになる。
疑惑の開票所では、深夜誰も働いていないところに、トラックが横付けされ大量の票が持ち込まれたり、4つのスーツケースがら不審な票がバイデンに追加されるのが監視カメラに記録、公開されている。
追及される集計所の運営側は「郵便投票による票が持ち込まれた」と不服に応えたりするが、そもそも、業務休憩のときだ。投票用紙が入る封筒が一緒でない。
投票用紙の署名と投票者が届けているサインとの照合がなされていない。州務長官が憲法の規定に反し「投票者の所在確認や署名確認をしなくてもいい」という命令をだしているところまである。不審に思った有権者が、集計所での作業をチェックすることができないように排除するところまで続出した。
トランプ支持者が怒ったのは、追及したことのことごとくが、憲法で決められて選挙のルールが守られていなかったことだ。その上に、疑惑が増幅したのは、集計機疑惑である。集計機が作業時間外の深夜に、現場の何者かに不正操作されていることだ。そればかりか、外部からネット経由で操作されていた。
外部と接続は禁止されている。いくつもの集計機は明らかに外部に接続されていた。しかも、その機械のほとんどはドミニオン社のもので、海外の反米政権の選挙をCIAが遠隔で、不正に操作する目的で使用された経歴があったものだ。
しかもドミニオン社には、バイデン派の民主党幹部が多数かかわっている。ソロスとかビルゲイツといったものたちがカネでつながっている。つまり、選挙結果を自在に改ざんして、政財界に都合の良いように関与する犯罪性が浮上してきた。
だが、CIAが海外からキーになるいくつかの集計機を操作していたという話になると、一般の有権者には、その犯罪の詳細を掌握できないということになる。つまり、犯罪者の行為を実証できる形で暴けないという壁に突き当たる。
実際にドミニオン社は逃げた。
問題がさらに大きく膨れ上がるのは、法を監視する司法省という政府機関が、無責任を通したことだ。法廷に持ち込まれれた訴訟の数は膨大になる。州レベルの裁判所では判決は難しく、ほとんどが連邦の最高裁に持ち込まれる。
この度の選挙では7つの州が共同で原告になり、不正選挙の追及訴訟を起こした。これに対し、最高裁は「原告の資格がない」という、筋違いの理由で、内容を予備的に審査することもせずに、却下したのだ。
最高裁が自ら行うべき仕事を完全に放棄したという事態で、連邦国会は選挙の「結果」にもとづいて選出された「投票人」を認めてしまい、バイデン-ハリス政権が始動するに至ったのである。
表での流れはこれに留まらなかった。不正を訴えたトランプ側は、選挙はバイデン派に盗まれたとして、100万人規模の集会やデモを行った。あろうことかトランプ自身が「支持者に国会乱入をそそのかした」として、大統領弾劾まで議題にした。バイデン派はそれでも腹の虫が治まらず、トランプが将来も二度と選挙に出られないようにする議案まで打ち出した。いずれも否決された。
この過程で共和党の幾人かの議員がバイデン派に同調し、トランプ支持をする議員や有権者と、バイデン支持をとる者との決定的な分断が深刻になっていった。
米国がトランプ派とバイデン派で二分する。南北戦争以来の分断が再現した。これに伴い米国の軍や諜報機関、武装機関が二分した。表の世界では、トランプ派が行動で一歩引くことで、現在武力での内戦勃発が留まっている。
トランプ政権として軍内で一枚岩的な行動をとってきた軍は、1月14日、8人の司令官が「日付記載」のないメモを、下部に通達した。「バイデン就任後はバイデンの指示に従う」と、トランプ派の支持での行動が予定されていた戒厳令の発行はされないことになったのである。
ただこのときの将軍らの判断は、あくまでバイデン政権発足に反発するトランプ派の軍事行動、特に軍が公然と戒厳令を発し「バイデン政権は違法で認めない。米政権はあくまでトランプ政権が継続する」というもので、事実上米国が軍令下に移るという行動の中止だった。いったん軍事政権が発令されれば、バイデンを押す地球支配者側は必ず自派で決起する。内戦は必定だ。これを避けるということで、生まれた妥協に過ぎなかった。
マーク・ミリー陸軍参謀本部長はこのときの行動をバイデン派に評価されて、任務の継続を再任された。米軍内の多数派であるトランプ派は、バイデン派の発足に満足をしない。常に逆転の機会をうかがっている。ミリー将軍は4月14日に再度8名の将軍たちを招集して「いつまでも中途半端な状態を続けられない。あらためて、全員が正式に選挙で選ばれ就任したバイデンへの忠誠を、正式に発令したい」と求めた。ホカンソン州兵局長が強く同調した。
だが他の将軍は冗談ではない、その行動こそが憲法違反であるとし、あらかじめ当日を予想して軍令違反とした逮捕状を準備していた。ミリーとホカンソンはその場で逮捕され、軍のトップはトランプ派で押さえられた。
表の政治の世界での行動は今まで以上に活発に行っている。その中心は、先の大統領選挙における不正を、法が示しているルールを徹底的に利用して、暴き出していこうというものである。
トランプを支持した民衆の力は絶大だが、表の政治の世界では依然として地球支配者の顔であるバイデンが大統領として振る舞っている。つまり、表の世界での支配の力関係は、まだ地球支配者側にある。なによりも、世界的な規模でみたときに、その力の優劣は明確だ。
米国に限れば軍は抑えられたが、表の政治や経済や文化といった分野での力関係はいまだにヤツらが優位で動いている。この表の分野での力関係を、可能な限り無血で変える必要がある。軍を押さえたからと言って、安易に軍を表にしてしまえば、せっかくのこれまで得た偉大な歴史的成果も、危機に瀕するリスクを持つ。
米国内の民衆を確実に納得させることができ、表の世界での勝利をも実現できれば、それは必ず世界に及ぶ。人道に反することは許しえない。民を犠牲にしてカネと利権を追及することは許しえない。憲法で保障された人間としての権利と自由を否定することは許しえない。このような基本的な考えは普遍的なもので、人民はそうした立場に立つのだ。これに違反しているものとの正面からの戦いなのだ。このことを明確にする戦いを展開しているのだということを民衆が自覚するためである。
こうした意識で民が現在の運動に参加した時に、初めて運動は革命に変化する。
連邦の最高裁が示した無能、機能停止を、合法的に地道に、有権者の権利行動として、再び実現していこうということだ。
現在アリゾナで、票の再集計がなされている。
バイデンが大統領に就任したことで、それまでの訴訟はいったんクリアされた。仕切り直しで、改めて不正選挙を追求する訴訟が運動として始まった。投票結果を覆すに十分なのだが、それを掲げれば、ある意味では明確な現政権の転覆運動ととられる。ゆえに「結果をくつがえすのではない。あくまで、不正が実際にどうなされたのか、なされなかったのか」を争うとした。
3月22日にアリゾナの最大の郡で210万票を再集計することを州議会として決定した。手作業で行う。集計に関係するすべてのことを調査する。その専門家と機器を使う。
州の知事、議会、裁判所などの内部の力関係が微妙に対立する。米国の民主党や財界も及ぼす結果が軽視できない。やった不正が本当に明らかになれば、恐ろしい事態になりかねない。100名を超す弁護士集団を投入して阻止しようとした。だが議会の決定を覆すための100万ドル(約1億円)の賠償金は支払えず、州最高裁は他の停止要求も却下した。
選挙が公正に運営されたのであれば、そもそも民主党側には抗議する意味はない。逆に公正を証明することで、訴えた側を不利に持ち込める。だが、バイデン派の抵抗はあの手この手で続いている。
「選挙制度が必要」であるならば、その実施は難しいわけではない。
素直に小中学生にでもやり方を考えさせて、その通りの実施を大人が見守れば、ほぼ完璧だ。だから、手作業で、複数の人の目、複数の回数を時間がかかってもすれば結論は出る。
ややこしくして、人の目、監視が行き届かなくしているのは、公正な選挙をさせずに、見つけられないようにして行う行動を容認する方式を「法律」で合法化したためだ。
第一に、投票された投票所の票が、いったん集計所に集められる。そのまま確実に集計所に移送されないようなスキをつくり、入れ替えたり、水増ししたりして集計所に持ち込むこと。
第二に、集計作業を行う作業員に悪意があり、複数の目、複数のチェックをごまかせるスキをつくる。票をまとめる、束ねる、重ねる、数えるといういくつかの工程に人為がはいるようにすること。
第三に、作業の速度を上げる、作業の精度を上げるなどの、もっともな理由で機械を導入すること。この機械をブラックボックスにしたり、専門的高度化することである。あとはその機械を誰が所有するかで、いくらでも操作が可能になる。
第四に、選挙を取り仕切る工程のすべて、あるいは一部を「コストを下げる」として、外注することで民間私企業に委託することある。
いずれも「まっとうさ」より、支配者の支配という意志が貫徹されてしまうもので、導入してはならないものである。公正な選挙は、これを導入したら確実にそこなわれる。
2020年の米大統領選挙では、上記のような欠陥に加えて、コロナ禍を理由に郵便による投票の方式を、それも憲法違反の方法(州務長官の命令)で実施した。そのために、やろうとすればいくらでも可能な不正選挙の穴を用意して行われたのだった。
バイデンは投票前に恒例のキャンペーンはほとんどしなかった。そればかりか「誰も投票しなくても確実に勝つ、史上最大の不正選挙のシステムを構築した」と公言した。トランプ派の選挙キャンペーンは、これも史上なかったほど活発なものだった。支持者の数はどの会場をも溢れさせた。選挙前に人気の勝敗は決まっていたようなものだ。
アリゾナ州の再集計は4月23日に始まった。5月半ばまでかかる予定だ。果たしてどのような不正の事実が報告されるのか、それとも妨害によってされないのか。9台のカメラ24時間体制で開票は世界に中継されている。
この選挙では投票用紙に不正なものが使用されたときのことを予想し、確認する工夫がなされていたという。透かしである。これを判別する専門家も投入された。予想をはるかに超えたと言われるのは郵便投票だ。ただし、投票用紙がほんとうに有権者が書いた正当なものかはまだ分からない。署名を突き合わせ、用紙が不正でないか、複数回使われていないかなどを、すべて明確にしなければならないからだ。
先の集計でのドミニオン機の読み取りスキャン(用紙をいったん集計機がスキャンする。読み込んだ画像の定位置として共通の位置から、特定の位置にあるマークを読み取って、どの候補者にマークをして投票したかを決める)工程でのエラーが、とてつもなく多かったのがわかっている。機会を使用するうえで容認されているのはわずか数パーセントだが、報告ではそれを遥かに超え90%近いのまであるというからあきれる。
用紙が不正に用意されたものだったのか、そもそも機械が酷いのか。いずれもだろう。それほど、異常だった。だから、作業員が目で判断して、誰に入れたのかを決めたと言われるが、そこに不正はなかったのかということだが、そもそも不正を実現する目的で、読み取りのエラーを起こしたのではと疑われている。
日本ではムサシという一企業に選挙行為を全部委託している。この企業が選挙にかかわるすべてを外注し、それをあたかも選挙管理委員会がやっているように誰もが信じている。ムサシはかつて安倍晋三の父親の資本下にあったが、現在はソフトバンクの資本になっているという。いずれにしても地球支配者のダイレクト支配下にある企業に、選挙のすべてが委ねられている。票、総務省のサーバーまで預けているのだから、自在に操作できるのは明らかだ。NHKが開票前に当確を出すことができる理由でもある。
アリゾナの現在進行中の再集計は、その結果で米国を動かす問題が提起されるかもしれない。トランプは新たに開始した専用の発信サイト「大統領の机から」で発言している。「不正は必ず明らかになる」と。
民から見たときに、アリゾナで結果が出て、他の州でも同じように再集計が実行されていったときに、誰も信じて疑わなかった民主主義=選挙が、ただの支配の手段に過ぎなかったことに気づく。
結果はどうでも、選挙のシステムをぐちゃぐちゃにし、民の目から遠ざけるための細工が無数にある。難雑な実態を実感することになる。
これが表の政治をつかんでいくうえで重要なのである。
選挙は政治への民の信頼がなければ意味がない。
「選挙で信頼を得る」などというおバカな政治屋が絶えない日本だが、地球支配者の独裁政治下では、政治屋への信頼はしょせん存在していない。そこをテーマにしないで、政治への信頼などないし、選挙が不正でないわけがない。
地球支配者のもとでは、選挙は「誰が人民の抑圧者としての顔になるのかを、数年に一度選ぶ行事に過ぎない」。自分たちをいじめ倒すお代官様を、自分で選ぶことで、選んだお代官のするいじめを、合法化するばかりか、受け入ている。しかも、それが「民主主義だ」「政治への参加だ」「貴重な一票だ」と、ありがたいものと拝んで行っているのだ。
表の政治に関与している面々のするべきことは「民への奉仕」しかない。
それを、民を支配する特権を合法的に得たと、勝手に認識し、いったん手に入れた利権をまもり、拡大するために日夜奮闘する。それが政治だと、勝手に思うようになる。そのような政治をしていて、行われる選挙は、自分たちのカネと利権にとって有利にするための道具としかならない。道理である。民は、この腐った政治屋と、選挙で結託することが、己の未来のカネと利権につながるものと誤解する。
つまり、選挙の前に民と政治のあいだにあるべき信頼が存在しなければ、選挙をいくら取り上げても、選挙自身に意味はない。
地球支配者が現在鬼の首でも取ったように非難攻撃する「中国の一党独裁」「プーチンの独裁」をいうが、現場の実態は異なる。そこには例え幻想であれ、民はお国の政治にある程度の信頼を実現している。その上でなされる中国やロシアの選挙はある。例え「形式」と非難されようとも、結果は政治への民の信頼のレベルを表している。
欧米の民主主義国家を自称する国の選挙を論議するなら、まず、中国やロシアが行っている政治の民との関係を学ぶ必要がある。
ほんとうの人民民主主義国家であれば、選挙についての認識は明確である。民の足元から構築される人民権力機構が、民主主義を表現している。選挙をするしないと無関係に、日常的に民の意を反映して動いている。民と密着して政治を行っている。選挙する以前に、民主主義的な信頼を実現している。
このときには民の基本的なモラルとして、カネと利権のとりこになったり、それをお求めるようなレベルを卒業している。人民社会への奉仕、世界人民への貢献という人としての自覚が普通になっている。逆に言えば、人民が地球支配者から操られてなっているカネと利権の奴隷根性を排して、本来の意識を持つようにならなければ、人民革命は到来しないということだ。
バイデン政権としては表では「発足」したとは言われているが、現実にはほとんど動いていないのが実態だ。
バイデン自身の痴ほう症が激しく、記者会見はいまだにまともにできず、記者からの質問には直解答が周囲から禁じられていると暴露されている。先日リン・ウッドがホワイトハウスを訪ねた。誰もいない留守状態だった。つまり、バイデンの姿がときどきテレビに移されるが、少なくともワシントンDCのホワイトハウスではない。知る人ぞ知るように、ハリウッドをかわきりに何か所かにある映画撮影用の場所で撮ったものだ。
バイデン側は、政権を「バイデン単独で呼ばずに、バイデン-ハリス政権と呼べ」といった。ハリスがバイデンに替って外国と話をしたり、国内外の問題について見解を出すのだが、それも不評ばかりをかっている。最近に何か月ぶりで施政演説をしたが、独自性はまったく、打ち出せていないばかりか、トランプ政権が実現したことを自分の成果のように話しているだけだ。
不人気のレベルは半端じゃない。彼の演説や発言はホワイトハウス名でyoutubeにでるが、演説前からいきなりbadが一万を超える。何をしてもそうだ。
バイデン政権は何かしているふりをするために、仕組んだのが日本の菅との会見だ。これは結論から言えば、実行されていない。流れたニュース映像はフェイクだ。最近の国際的な会議もそうだが、コロナ禍を理由に映像での参加だが、これのやや複雑版が菅との会見だった。菅は公式でもバイデンとの接触時間は数分だろう。互いに好きでない昼食もハンバーグでお笑いだが、手も付けていない。
報道された写真を見れば、バレバレの加工したものである。鏡の前におりながら姿が移っていないのは決定的だろう。会談の中身はといえば、今までわずか数日しか経過していないのに、おそらく、世界中、当事者も含めて誰も忘れただろう。互いに敬意を持ってもいない。
やがてはバレるだろうが、これほどみじめで、中身のない、薄っぺらな日米会談はなかった。
バイデンはすでに亡くなっていて、複数の人間が演じていると言われている。それは真実だろう。実際に、表の世界の政治家の写真を並べて見てみると、似てはいるが明らかな別人が、入れ替わり、立ち替わり演じているのがわかる。バイデンについては大変分かり易い。
ただ、バイデンのこれをあれこれ言うのは、別の問題があることを指摘したい。
実は、地球支配者が支配する時代の、表の政治の世界において、トップの顔を演じるものが、一人だということ自身が、信じていいことではないからである。あくまで、地球支配者の顔として振る舞って欲しいのだが、その当事者である者が、生きた人間としてぶれもあり、肉体的にも常に絶えられるとは言えない。民が映像や写真をみて、トップの姿をみて「やってるな」と安心をすればいいだけだからだ。
米国のトップだけではない。中国の習近平も、ロシアのプーチンも、北のジョンウンも同じだ。数人の影武者が演じているというのが普通のできごとだ。
実際には亡くなっていても、必要であれば生きていてもらう。民から見たら、選挙で合法的に選び、政治を委ねたトップだと思っているが、地球支配者から見れば違う。日本の首相や大臣ではあるまいし、数か月や数年でコロコロ変わるようでは、それだけ政策が不安定で一貫していないということである。地球支配者は短期でも数十年、長ければ百年、千年の単位で動かしているのが実態である。
ロシアの例ではプーチンを見ればわかる。現在の表にいるプーチンは数人いるというし、あと何十年も、つまり永久にプーチンが統治するような法まで決めた。つまり、トップで演じるのは誰であるかではなく、何を政治として一貫して実行するかということなのである。
ソ連時代を築いたスターリンがいた。近年ロシアでは公式にスターリンの影武者なる人物を実名で紹介して、そうした仕組みを暴露している。
過去からの写真を並べてみて、骨格、顔の中の目鼻口のバランス、特に耳の形などを比較すれば容易にわかると言われている。違いがあるのは確か、つまり複数の人によって演じられていること自身は、かなり以前からの当たり前のことと思っていい。
地球支配者は壮大な実験をしている。被支配者である民に、住んでいる社会はこんな状況なのだよと、音、絵、映像で示して教え込んでいる。真実もあるが、ときどき、大きな偽ごとを世界に流して、一喜一憂させている。以前にも指摘したが、ケネディ暗殺、アポロの月着陸、火星映像、911の飛行機突入によるWTC崩壊、ビンラディン暗殺などの映像は疑っていい。
大きな事件ほど信じられる。世界中が見ているのだし、まさかそこまでやるまい。やるなら何故だと。だが地球支配者はやる。実験する。
911にアラブ・テロリストが乗っ取った旅客機を突入させたシーンは、世界中がリアルタイムで観ていて、頭に焼き付いている。だが、あれから20年経過して思い起こしてみると、あの映像はCGによるフェイクだ。
先日米国で強盗をした青年が逮捕された。監視カメラに写っていたのは眼鏡をかけた白人青年だが、なんと黒人青年がゴムを被っての犯罪だったことが分かった。こういった行為が頻発しているのだという。監視カメラの映像で安易に顔だけで判断するのはダメだということである。実際には、コロナかでマスクに眼鏡に深い帽子は当たり前になっている。歩く特徴などで総合的に判断する。個人がそこで携帯などから発信する情報と合わせて判断するのが常識になっている。
表の世界で、民が選んだ人がそのまま政治をしているなどと思わないことである。どうせ、今の時代はフェイクの時代なのだ。地球支配者が政治、経済、文化のすべてを掌握し、マスメディアとビッグテクというものを通じて、民に報じている。民は一方的にそれを真実だと信じ込まされている。
トランプの登場は、表の世界でのこのようなフェイクがまかり通るのに、終止符をうとうとした動きでもあった。地球支配者のフェイク支配は、人民の人民による人民のための政治とは完全に反する。このままでいいのか、それとも本来の姿に戻すのか、それが人民の意識の歴史に、大きく浮上してきたということである。
地球支配者は、被支配者である民に、洪水のように、とめどなく、何重にも情報をぶっかける。個人レベルで情報の正確な整理や掌握は絶対にできない量で溺れさせる。特に、戦時下という異様な事態のもとでは、皆が変性意識下になり、何が起こっても「有り」の状態になる。
革命はこうした状況下で実行される。
現在の新型コロナウイルス戦争においては、地球支配者は圧倒的な数の感染の恐怖を演出し、ワクチンが唯一の人類の対処策だという方向へ導いている。完全なる誘導だ。
そのワクチンは他のワクチンと違い治験は十分にされていない。ウイルスの変異種が増加していて効果があるか分からない。一番分かり易いのは、この治療というか投与あるいは接種に、必ず付いている「注意書き=承認書」の内容だ。
それはおそらくほとんどの人は見ないし、読まないだろうが、接種してこれから発症するかもしれない作用について、膨大、大量のリスクが記載されていることだ。
その結果はすべて自己責任で、製薬会社も、医療機関も、政府も責任は持たないということが明記されている。
コロナ禍を冷静になって常識的な判断をするなら、絶対に受けいれないものだ。だが、マインドコントロール下にある被支配者の脳は逆になっていて、お上の要請を受け入れる。自ら競って先に欲しがる。まんまと、支配者の意図で動く。
先の戦争の例では「一億総〇〇」というスローガンに踊らされて、まんまと大政翼賛会として、戦争に自らを投じていったのと同じことだ。
放牧して育てている牛や羊。牧場主は犬を使う。羊を自在に動かす。
人間社会では、牧場主は地球支配者の直下の手下で、犬はヤツらにむらがる民の一部が担っている。
民の自由や権利が奪われる構図は常に同じだ。戦争では、双方の国民が同じ主敵によってそそのかされて、戦わされ、命が失われる。コロナ戦争では、民がワクチンを接種して、自ら毒に侵され命を落とす。
地球支配者は、2001年の911で狼煙をあげ、5億人に間引きすることを実行に移している。本気だ。
あまりにも卑劣で邪悪なこのヤツらのたくらみの実行に、公然と立ち向かうものはいないのか。それが現在の戦時下では、トランプ派であり、プーチンや習近平らの、反地球支配者の戦いだと言っていい。ただし、彼らは今まで、表の世界で名を上げてきた人たちだ。地球支配者のカイライとして動く機関の中で浮かび上がってきた人たちだ。
この人たちが、今になって、実は地球支配者と戦っていると言われても、多くの疑い深い人民は、素直に納得し難いだろう。その視点はあながち間違いではないのだが、ここは戦う民は、はっきりと認識を持たなければならない。
地球支配者の支配から抜けようと戦う人民は、あらゆる「現象」をとらえて、そこの背後に存在する「対立」を見抜く必要がある。その対立というのは、双方が絶対に妥協できない性質のものだ。階級的な対立もいう。支配階級と被支配階級には、絶対的な対立はあっても、共通の利益などはないからである。
この対立を人民が仲間で話し、解明することで、主敵を浮き彫りにし、そこへの己の関与を認め、断ち切っていくことが戦いであり、運動であるからだ。階級闘争と呼ぶ戦いの本質はここにある。人民権力というのはこの運動体のことである。
現象に潜む対立を明らかにするときには、表の世界も裏の世界もない。すべての現象を、支配の解明、人民の結びつきの強化につなげていくのだ。現象と対立を人民は利用するのである。表の世界での対立には、必ず階級的な利害がある。それを解明する。
表の舞台での対立は、必ず「中途半端」なものといってよい。例えば、トランプは裕福な階級の出身であり、民が呻吟している喜怒哀楽の感情をリアルに理解しているのか、というと、それはありえないだろう。またその必要もないし、求めるのも無意味だ。だから、中途半端さは避けられない。
また、民は長年の被支配の現実に慣れ過ぎており、何かへの依存症になっている。主体的な民の力への絶対的な信頼感を失っている。この「支配慣れ」は奴隷根性でもあるのだが、この状態では表の世界の指導者を求める。インテリゲンチャで民の実態を理解し、理論的に解明する能力を持ったものを求める。民の半端さを埋めるインテリゲンチャという指導者を求める。
このインテリゲンチャ、指導者が人民そのものかと言えば、イエスでもありノーでもある。人民が自らの完全な力で、この溝を埋める力がない限り、この隙間は存在する。だから、従来の概念でいう「労働者階級とインテリゲンチャ」というくくりではなく、主敵に立ち向かう「人民」としてのくくりで団結することが重要になる。
この視点で見れば、地球支配者と世界人民の対立構造があり、そこには中途半端さが伴っている。それが現代社会のありのままの姿であることがわかる。
表の世界のトランプ派の戦いの背後にあるものは、まさに地球支配者のNWO完成とその破壊ではなかったのか。戦いや分析の半端さは、人民の団結内の至らなさであり、不十分さであり、解決すべき課題そのものではなかったのか。
つまり、表舞台におけるトランプ派の戦いの中途半端さは、彼らの課題でもあるが、それ以上に、戦う人民自身の内部の、優先して解決すべきテーマであることがわかろう。
民が自らの力を構築していない状態で、評論するのは勝手だが、それでは駄目なのだ。評論は無責任だ。人民に必要なのは階級的な視点での、現象の解明であり、それを足元から民の自覚にする運動とつなげることだ。
何かをみて「間違いだ」というのはたやすい。それが、階級的な絶対的な利害の対立という視点から分析して、どう間違いなのか、どう理解して、どう行動することが必要なのかを、解かなければならない。評論から人民権力のプラスになることは生まれない。むしろ、足を引っ張るだけだ。
そのように見れば、トランプ派の行動に依存する必要もない。期待し過ぎて、結果に落胆することもない。何より大事なのは、自らの人民自身の力しか、依存しあてにできることはないないからである。
ヤツらは逆に、被支配者が常に分断されいがみ合っていることを望む。おバカな民が小利口なインテリゲンチャと結びつき団結するなど、もってのほかだ。常に争っているように仕向ける。
仲間である民の意識が、本来的に団結しなければならない仲間と「争う」方向で動いているのか「団結する」方向で動いているのかというのは大事な視点である。現在、多くは争う方向で動いている。これは皆、地球支配者の分断支配のそそのかしに乗っている結果と見て間違いない。
被支配者であれば、すべての階層は、一致し協力する視点で物事をみて判断するのが正しい。世界の人民は、国境や民族、宗教の分断支配の道具で、ヤツらにそそのかされて、対立を考えるのか、それとも共通の敵に対して一致する方向で考えるのかということである。
当記事では、人民生活と思考の5原則として、下記の5点を常に掲示しているが、このまま現象にあてはめて考えれば間違いない。ヤツらの支配の網の目が浮き彫りになる。
①人に迷惑をかけない
②カネとモノ、利権のとりこにならない
③地球と未来に負荷をかけない
④戦争の根絶、安寧な生活
⑤人間としての誇りと尊厳