記・国民B(2019.12.17)
■人民は何を理解しなければ圧政からの脱出はできないのか~世界金融資本の支配の執念と、改良主義に陥らない思想

◆改良主義では根本的な解決は得られない。現在の支配者の圧制が継続されるだけだ

 暗黒安倍による国会は、民が焦眉する問題について何の解決も出さぬまま終えた。憲法改悪の論議ができなかっただけいいのだが、安倍一味がなした税金私用である「桜を見る会」の追及はうやむやにされた。それも、安倍らが領収書、名簿、隠ぺい、破棄、シュレッダー、政治規制法違反といった目の前での犯罪行為の政治的な証拠があるのにもかかわらずだ。
 内閣不信任で安倍が「じゃ、辞めた」とでもいうのを求めたのかもしれないが、そんなことは起こりえない。先の話題であったモリトモ犯罪でも同じだった。安倍一味は消費税を10%に上げて、老齢者への医療費負担を上げ、ダブル・トリプルの圧政をしいている。
 国会でおしゃべりをしておきながら、ちゃんと国際金融資本が緊急として安倍に命令したことは実現した。それは「日米FTA貿易交渉結果」の安倍一味多数派での強行採決だ。
 日本としての主権などそもそもない。右派も左派も口をそろえて安倍を「売国奴」※とののしっている。それは、水道民営化で民の水が、種子法廃止で民の食物が、農地改正法で農地が、漁業改正で海が、高プロ制度で労働、マイナンバーで個人情報が、安倍のボスである世界金融資本にささげたからだ。安倍政権の7年間で、日本は国際金融資本のただの手先に追い落とされた。
 重要なことは国会では話さない。安倍ファッショ内閣は閣議決定で大事なことは決めるのだ。自衛隊の中東への派兵は閣議決定で、即1月に送り出す予定だ。
 このように民のためのことは何もしない。悪事はちゃくちゃくと実現していく。これが安倍の役回りだ。
 これにたいして、民の声はむなしい。仮に安倍が辞めても、おそらくヤツらは安倍2号政権を打ち立てるだけである。何も変わらない。日本ではたいした街頭でのデモもおこらないから、安倍らは何の心配もなく悪事ができる。

 このような状態は、実は日本だけではない。世界中の人民が陥っている悩みである。根底にある重要なことを人民が失ってしまっているからだ。
 日本で報道されるいくつかの記事を追ってみる。実際には各国各地で、連日さまざまなことが起こっているのだが、ヤツらの情報操作、思考誘導で、事実が報道されることは少ないからだ。
 香港でのデモは報じられた。半年以上続く。フランスでの「黄色いベスト運動」も報じられた。山は越しているが今も続いている。イラク、ボリビア、レバノン、チリ、エクアドル等々の場所で熱い街頭での抗議行動が現在進行形だ。
 さらにアルジェリアでの起こっており、これが新聞では比較的大きく掲載された。大統領選挙が行われ、各地で暴動化している。選挙は旧腐敗政権が民の反感をかってなされたのだが、特徴的なのは、民の期待に反して立候補したのが、民から悪のレッテルが張られた連中だけだったからだ。
 20年も続いた悪徳大統領が民の抗議デモで今年辞めさせられ、希望と期待に満ちた選挙だったのが、立候補した連中を見て、怒りがさらに増大したのだ。
 つまり、誰を選んでも極悪の悪徳政権しか生まれない。民はここで選挙に失望したのだ。この構図に注目してほしい。

 安倍が辞めた(とする)。次にできる政権がもっと悪というパターン。香港でデモが燃える。ヤツらは世界金融資本が本土の共産党政権をこの機会に打倒したかったのだが、香港の中央政治すら変えられない。中国国内でもウイグルで比較的大きな騒動があったが、結局多数の逮捕者、負傷者がでたが、中央政権が制覇した。
 イラク、ボリビア、レバノン、チリ、エクアドルの騒乱も同じである。CIAが猛烈なあおりをする。投入されたカネも半端ではない。デモの激化は火炎ビンですまない。街の破壊ばかりか、機銃まで与える。結果はデモが、もともとの要求とはまったく別の、街頭の破壊、公共施設の破壊という印象を民に残す。
 一時的に民の累積したうっぷんは解放されるかもしれないが、それだけ、いや「被害」まで負うことになる。誰も弁償などしない。被害損に終わる。
 地球支配者にしてみれば、民がカオスの中でますます政治がわからなくなり、思考が停止する。それを意図的に作り出し、ヤツらの考える一極支配の体制を固めていくのだ。

 世界中で起こっている共通の病は、冷静に見れば誰にでもわかる。これこそ、改良主義への幻想である。民主主義、議会主義、証拠主義、紳士主義、依存症、思考停止である。
 地球支配者が導入した「民主主義と議会主義」のだましをすっかり信用し、依存症という他力主義に完全に没頭した姿だ。
 安倍を辞めさせるのは大事だ。だが、その何倍も重要なことは、民自身がヤツらのとってかわる自らの権力であることを失念している。
 誰かが、自分ではない専門家が、民の意をくみ上げる能力ある政治家が、アルジェの大統領に立候補して欲しいという依存症だ。政権についても悪事をなさない、清廉潔白な「誰か」が中央政治をやってくれるはずだという、救いようのない思考だ。
 モリカケをみても、桜を見る会をみても、総理のお仲間に利益誘導するようなことのない、私利私欲に走らない政治家にやってほしい。だがそれは自分ではないという考えだ。
 これが「なせる範囲で、なせることをやり、できる範囲で改良していけばいい」とする官僚主義と同じなのである。

 地球支配者の日本に対する位置づけは、イエスズ会のザビエルが種子島に来た時点から、一貫している。東から太平洋を制覇し、アジア・ユーラシア大陸を東西から挟み撃ちする東の足場をつくることだ。
 ペリーが力で日本を開国させ、第二次世界大戦で「反共の砦」にした。現在の「極東の不沈空母」だ。日本のカイライは一貫してこの強化のために動いてきた。安倍らカイライ一味の策動の真因をみつめて、追い詰める必要がある。
 ヤツらは中国を「世界の生産組立工場」などとぬけぬけと位置づけて利用するように、戦略としての位置づけを明確にして、ぐいぐいと進める。
 安倍一味はいよいよ最後の実現課題である憲法改悪だけを残す。もちろん、安倍らへの命令者は今、歴史的な窮地にあるゆえに、安倍へのさらなる過酷な命令は次々と出てくるであろうが、今では「憲法改悪」が課題だ。
 これを直前の国会で論議もできなかった。そこで焦る安倍は、年明けに再度国会を解散して選挙に持ち込むという気配もある。
 改良主義の野党も、改良主義の頭で必至だ。つまり連中は頭に「民主主義と議会主義」しかないから、選挙で「多数」を得ることが、唯一の改善の道だと信じ込んでいる。そのために「野党がバラバラでは安倍には勝てない」という、愚の骨頂のような結論に至る。
 今頃、何をいっているのか。逆に今までそんなこと、知らなかったのか。百も承知でそのように夢中でやってきたのだろう。だが「できなかった」のだろう。その実現できなかった事実を、今、完全な、健忘症にかかって、今発見した英知のようにいう。
 立憲民主党に集まる、寄ろうという。共産党も組織は一体にならないまでも、全面的な選挙協力関係でやるというのだ。野党が分断すると、結局安倍与党が勝ってしまうというのだ。
 だが、こんな手は野党が考える以前に、与党側が前から万全に用意している。そもそも与党の公明党。それに維新だとかさまざまな事実上の安倍支持党を組織し、現野党から引き抜きをやっている。もちろん、投票数の操作という究極の手まで持っている。
 単純に考えても、議会ですら安倍ファシズムを変えるだけの野党の力にはならない。
 民に安倍ファシズムにとってかわる権力思想がないから、野党が一時的に湯気抜きで政権を握っても、蔓延し、支配するのは「民主主義と議会主義」、改良主義に過ぎない。つまり、地球支配者たる国際金融資本の支配下から少しも離れない。ヤツらの手のひらの上で泳がされているだけ。
 一方の現在の権力者、つまり大なり小なり、その国の中央政治を世界金融資本のカイライとして握っている「与党」は、民の支配の実行者としての豊富な経験保持者で、現在の野党や民と、支配・統治への姿勢が異なる。ゆえに、権力を手放す羞恥心・支配欲望の度合いが天と地ほど違う。
 民が圧制から抜け出し、人民の人民による政治を手にするというのは、現在の支配者の並々ならない支配欲※をはるかに超えた決意と戦略をもたねばならないということ。

 世界金融資本の展開する、資本主義、グローバリズム、新自由主義等々の民をだまし、民を犯罪(支配の維持)に加担させる思想。そればかりではない。その思想を背骨にした、国と国、経済、エネルギー、医療、食糧、文化といった諸問題にたいして、民の現在と未来をみこした明確な対決するビジョンを持たなければならない。
 それを前面に掲げ、民自身が、どこでも、誰でも、国際金融資本と安倍らカイライが、善、正義、民の利益と宣伝する嘘の政策に否・NOと明確にいえるようになることだ。
 民の生活圏と労働の現場で、民同士がこのことを避けずに(現在は周囲に忖度して逃げている)語り合い、対置する意見を持っていくことである。現在の「民主主義」下の政治屋は世の主人である民の下からの声を聞くことはない。常に命令者という上からの声に忠実なだけだ。

 ロシアではソ連時代に民は自らの権力をソビエトという組織で保持していた。だが、地球支配者による猛烈な戦争攻撃で、ソビエトは成長できずに内部から瓦解した。中国では民の国家が成立し、その後ソ連の轍を踏むまいと文革を毛沢東は起こす。だが、民の打ち立てた権力の整備と発展にはつなげられなかった。
 人民の人民による人民のための政治というものを実現し、世界金融資本のような支配者に、権力を奪われない道を明確にすることが、毛沢東時代にできなかった。当然のごとく、内部から資本主義の道への復帰をしてしまった。
 歴史的な試練である。人民にとっては貴重な体験だった。だが、現在地球を覆う人民の苦難は永遠ではない。地球支配者の邪悪な統治も永遠ではない。ロシアと中国の経験は必ず、再度、人民の強力な思想的武器となって再構築される。人民権力の思想はひとつである。絶えない戦争と貧困で、世界中ばらばらに人民がされている状態はいつまでも続かない。
 支配しているものが一つである。このことに気づけば、ばらばらで立ち向かえるわけがない。
 だが、旧共産圏のロシアや中国の現在の政治的な立ち位置を勘違いしてはならない。左派右派違いなく一部にロシアや中国こそが、地球支配者の手先でNWOの本流だとまでいうものがいる。
 ロシアも中国も革命自体が地球支配者の目論見で、資金を与えられて実現したのだという。米国を中心に実現してきた「自由・民主主義陣営」は、決して本流ではなく「独裁・共産主義陣営」と競わせるために用意したものに過ぎないと。
 しかもこの論者の一部には、米国民主党=いままで米国の中央政治に就いていた連中こそが、隠れ「独裁・共産主義陣営」なのだ、と無茶苦茶な論を展開する。この対立はそのままロスチャイルドとロックフェラー派の対立だとも。
 ロシアや中国をこそ警戒しろ、といいたいようだ。だが、現在のロシアや中国は少なくとも国際金融資本のNWO計画には賛同していない。プーチンはロシア内で暗躍した国際金融資本の手先を全面追放した。中国はヤツらがもくろむ経済支配体制の柱である、米石油国際通貨機軸体制に甘んじていない。
 事実上の経済大国となり、一歩も引かずに米国を通じた貿易戦争や経済制裁と向き合っている。そのうえに、BRICS/AIIB銀行/一帯一路のアジア・ユーラシア大陸の独自の経済圏構想を推し進めている。
 地球支配者の911以来推し進めるあまりにも露骨で強引なやりかたに、ロシアや中国といった国々も、ヤツらの武力として働いてきた米軍、諜報組織までもが、内部から抵抗を始めている。そうした流れとロシア・中国は呼応して地球支配者を追い詰めている。
 ロシアと中国は一元的な地球支配者の構想にたいして、別の対置軸を用意している状態だ。その対置軸が、世界人民の利益に帰すものか、それとも地球支配者の野望を支えるものに利用されていくのかは、現時点でわからない。
 すべては、世界の人民の権力の力にかかっている。

※1:売国奴
 国の利益を売る者。自国を他国の利益に従属させるスパイ。にっくき裏切り者、ということだが、この言葉は考えて使うべきだ。
 どんな国とどんなヤツに渡すのか。日本の左右の人たちが、安倍らを売国奴と指摘するのは、米国への貢ぎをもっていうようだ。だが、米国がすでに一つではないし、地球支配者のカイライ国家に過ぎないことを知れば、米国へ貢ぐのは、まぎれもなく米国を支配している国際金融資本への貢ぎだ。
 だが、安倍一味がその国際金融資本のカイライなのだから、その行為は当然のことで、安倍一味は一から十まですべてが貢ぎの行為をしている。
 少なくとも安倍政権は日本の人民の利益のために何かしたことは、かけらもない。
 同様に国際金融資本の最大のカイライである米国の政治屋と詐欺師連中は、米国民の所有物をかたっぱしから貢いでいる。いっぽう、米国内でのトランプ側は単純な貢をしているわけではない。
 TPPから脱出、この度はヤツらの私営国際貿易裁判所たるIMFのその機構を無力化した。ヤツらが手下の米国軍を世界中に配置して、世界の憲兵をやらせていたが、トランプがこのたくらみを破壊していっている。それは、国際金融資本が今まで構築してきた支配の制度の切り崩しなのだ。グローバリズムの悪事と対決している。
 米国民、日本国民という民の利益を究極的に守るのであれば、主敵である国際金融資本に向けて、民が団結してあたることである。
 自国に配置されたカイライを主敵の手先として追い詰めることだ。この記事の主題でもあるが、人民側の権力、すなわち人民の国家が微弱で弱すぎる。安倍らが「日本国」といっている国家など、民の本当の国家権力ではないが、見かけは存在している。
 だが、その安倍の言う「日本国」など、売ろうが破壊されようが、それに専念する安倍をこのままにして、売国奴とののしることは無力、無意味であろう。倒産しか未来がない「米国KK」も同じだ。こんな国などつぶれたほうがいい。世界人民に必要なのは、人民の国家だからだ。
 人民の国家は、安倍らカイライの自由から完全に切り離され、干渉など絶対にされないものだ。その構築なくして、売国奴の根絶は考えられない。

※2:ロシアと中国の経験
 現在は受難の時代で、ロシア革命や中国革命の資料を追うものは少ない。革命を勝利させた時期を研究し、そこから何が勝因だったのか、何をこれからの勝利のために学ぶべきなのかを明らかにするの苦難である。そもそも、当時の資料がどんどん散逸していっている。
 後年の研究はさらに難しい。ロシアはスターリンが悪者にされているからだ。ヒトラーに並ぶ恐ろしい独裁者とされている。その反動でソ連は崩壊したとまで非難される対象だ。
 中国も同じような扱いが多く、特に毛沢東の起こした文化大革命とそれに連動した悲劇を指摘する。文革前までは人民の国家だったとまでいう。文革の反動で資本主義になってしまったともいう。
 多くの社会主義者はロシアと中国の姿をみて、自己喪失の陥り、理論戦線は全滅した。これ以来、社会主義革命を口にする者はいなくなった。世界金融資本が、旧共産圏に向けて発する「一党独裁政権」「人権否定の反民主主義政権」として目の敵にするときに、それに一言も反論できなくなってしまった。
 スターリンの独裁で後年何十万人どころか何千万人死に追いやられたと。毛沢東のせいで数百万人が餓死に追いやられたと。かつての英雄は、ヒトラーどころではない、超悪人にさせられたのだ。
 現在の時点で振り返ると、その時点での民の熱狂は、本当に民のものまでなっていなかったといえる。つまり、敵からの猛烈な思想攻撃に、民自身が正面からの明確な反撃をしていないことだ。
 その時点で中央政治を行っているトップがスターリンであり毛沢東だった。その周囲に多数の政治家がいて、党と国家の実務(内政、経済、軍事、文化等)を担当していた。民はその下の組織で動いていた。特に戦争中は上からの指令で動く体制だった。
 このあたりについて、当時の資料はいくつも残されている。その後にまとめられたものもある。
 今そうした文献で調べてみると、わかることがある。
 それは、民を思想で動員していないことだ。せいぜいスローガンだ。全体としてのソ連や中国の政治は、民を本当に思想で動員していない。
 ソ連では、スターリンが、首相のだれだれが、軍のだれだれが、何に対して、いつ、だれに指示をどうだした、といったことは残っているが、それが「なぜに、そういう方向になるのか、という思想」が、ほとんど語られていない。まして、戦争という緊急事態で民は創造的に考えるというより、命令で動いている。同時に反対すると、告発だとか反人民だとかいわれ、十分な審査などなしに処刑までされる。とうぜん、思考の萎縮が支配する。
 中国での文化大革命。日本でも全容を知るものが少ない。当時は国交もなく、ほとんど鎖国状態。後年になって研究者は、現地との交流で公になった細かい関係者の著作を得ることができた程度だ。
 中国内でも多くの著作は文革を否定した人たちのものだ。日本でも文革肯定者の研究結果はほとんどない。あるのは否定者の著作で、結果的に反中国・反革命・反文革・反も沢東の役割を果たす。
 こうした文献でも、みてみると、ソ連のものと同じで、とうとつに毛沢東が文革を発動、やんややんやの大騒動が起こる。毛沢東が、周恩来が、林彪が、江青が、といった中央政治の関係者がどう動いたかということが詳細に語られている。だが、ここでも「なぜ」ということには、まったく触れられていない。
 記述したものが、いくら中国研究者とはいえ、文革の精神を基本的に否定する方向からというのは簡単。実際に中国で、その当時毛沢東をはじめ、文革発動の意義と精神について明確に発言していない節がある。多くの旧革命家がいうように、そんな反共雑文は学に値しないと寄せ付けない。しかし、そうした人々も、文革の核心を語っていない。
 冷静に文革の経緯を追っても、劉少奇や鄧小平が「走資派だ」、それが思想的に、理論的に、実際に、何がどうしてという箇所が出てこない。つまり、安倍ではないが、私的な閥と利権で、相手方の勢力に意地悪し、レッテルはって攻撃し、追放する根拠と理由について、紅衛兵たちにも説明がないのだ。
 「資本主義復活を狙う党内での実権派」「毛主席の最高指示」という言葉だけが走り回る。
 毛沢東はどこまで「継続革命」を理論化していたのだろうか。少なくとも毛にはヒラメキはあり、そのことへの確信は死ぬまで離さなかった。実現した中国革命がソ連のように内部から修正主義(マルクス・レーニン主義を改良主義に修正する)で瓦解しないようにするするにはどうするか、というヒラメキは、毛の頭のなかでも、文革派の幹部にも整理されなかったのだといえる。
 けっきょく、レーニンやスターリンの課題も、毛沢東の課題も、歴史的に次の代に課されることになったといえる。

※3:ロシアと中国の人民権力の思想的な弱点
 レーニンは「国家と革命」という名著を残した。当時の政治的な必要性から書かれた。帝国主義の活発な覇権の拡大の時代だ。だから、革命は人民を支配する道具である国家の問題で、人民自身の国家権力を実現することだと説いた。
 まさにその通り。だが、これにどキモを抜かれた地球支配者にとっては、人民自身の権力など絶対に許しえない。すべての英知を投入して破壊消滅する必要があると、即対処した。
 それは、支配の根幹である「戦争と貧困」政策を、スキを与えずに徹底したことだ。生まれたばかりの人民国家は予想できない敵の攻撃に、全部が受け身で対応するだけの、劣勢の連続。
 「人民自らの国家を守る」という守りの立場は弱い。攻勢に立てない。「国を守る」ということは、そのままソ連を守る、ソ連という国の存続を守るとなってしまった。
 つまり、国という形を守ることだという観念にとらわれてしまったことだ。毛沢東の文化大革命は、人民中国という国を守るだけの革命に違和感を抱いていた。当時猛烈な文革への反動が起こり、文革推進派は一時追い詰められる。そのとき毛は「そこまで反対するなら、もう一度山村に退避する。そこから出直してでも革命はやる」と決意をみなぎらした。
 だが、惜しいかな、生まれたばかりの人民自らの国家を、本当に「守る」ということへの解決は十分にみいだされないまま世を去った。残された四人組も同じだ。毛の死後ただちに逮捕された。そればかりか「文革は誤りだった。国家に大きな損害を与えた」と、毛の後を継いだ鄧小平らに「歴史的決議」までされた。
 しかし、今なら解答は分かる。「人民自らの国家を守る」とは「人民が自らの末端からの人民権力で人民思想を固めていく」ということだったのだ。
 資本主義だろうが、生まれたばかりの社会主義だろうが、人民の足元からの権力が構築されていなければ、生まれたものも覆り、崩壊し、負ける。レーニンも毛沢東も「資本主義がこの世で存在する限り、人民のたかかいは中断されることなく続くもの」とは指摘している。
 だが、そのたたかいが、形としての国家がすべてとなってしまった。人民の足場に国家があるのなら、自ずと上部組織としての国単位の国家は生きてくる。その逆ではない。
 世界が地球支配者の一元管理という強力なベクトルが作用して動いていることは事実だが、人民からしてみれば自らの権力を考え、構築することがもっとも価値あることだ。
 なのに、表の「国家間の微妙な力関係で世界が動いている。戦争などもその対立から起こる」ような論調に、ついうなずくような状態がある。これは地球支配者の支配を自覚していない。ロシアと中国の教訓を半端に理解する状態での結論だ。ヤツらの思考誘導機関であるマスコミは徹底している。あくまでも人民が主敵に目を向けさせないためだ。
 人民の目をくもらせないためには、次の五項目の視点にたって物事をみるだけでいい。ロシアや中国が克服できなかったことがこの教訓にまとめられている。
 第一、ひとへ迷惑をかけない。第二、カネとモノのとりこにならない。第三、地球と未来に負荷をかけない。第四、戦争の根絶、安寧な生活の実現、第五、人民としての誇りと尊厳を貫く。

※4:支配者の並々ならない支配欲
 地球支配者の支配欲の深さは、人智を越えたものであって、エイリアンやみみずの考えていることが理解できないのと同じ。
 ただ人民にしてみれば降ってくる災い。防御側に立つのは腹も立とうが、目の前に立ち向かうのだから、地球支配者からの圧政にはたたかうしかない。
 ヤツらの人民いじめは完全に常軌を逸している。人民が苦しむときに発する負のエネルギーを、ヤツらは自身の生命のエネルギーなのだという人もいるほどだ。少なくとも、人民をいたぶることに興奮と満足感をもっているようだ。
 ヤツら地球支配をもくろむ連中は「カザール・マフィア」ともくくられている。根底にあるのは悪魔教だという。神の上位の悪魔に魂をささげていると。超選民主義で自称ユダヤ人以外はアリンコと変わらぬ虫けらだと。しかも聖書への原理主義でアルマゲドンの実現に血道をほんきであげているという。
 実にけしからんことだが、人民への圧政をゲームのように楽しんでいる。支配をしているくせに、支配の本体を何重にも複雑にして表に出さない。その策謀は芸術に匹敵するほど巧みで老獪だ。
 360日、24時間、邪悪な策謀に明け暮れている。プロだ。これに対して人民は生活があるため、対応するのに全力を当てられない。端から圧倒的な差がある。ちょうどオレオレ詐欺(特殊詐欺)をやっているプロと一般人の差だ。
 いくら防止策を話題にしても減らない道理だ。支配の根幹は「戦争と貧困」。いずれも思考が歪むことが目的。もちろん、作為的な格差で起こす貧困は、被支配者を常にきゅうきゅうとさせておくことで、考える余裕を与えないことだ。
 この鉄則は企業が部下や下請けを動かすのにも有効か手として使われる。貧困の逆には裕福がる。その差は収入と財産、別に表現すれば扱えるカネの量にあらわれる。
 使えるカネの量の大きさで上下ができ、多い方は少ない方を自在にできる。これは民を支配するのにそのまま利用する。社会的に無数の量の格差を作り、上級が下級を支配する構造だ。だから、上下はカネで測れる。カネが下を操る餌になる。
 上級は下級にカネという餌を与えて、より下級を支配する。カネという餌はそのまま権限、利権の大きさを伴う。
 このカネを下を従わせる餌として使うには、拝金思想が必要だ。資本主義は格差を生むのが本来から持つ目的。生産物を所有し、配分することで、カネを手にし、それを支配の道具として使っていく。
 誰でも生活を維持するのに、消費物を得るのに最小限のカネが必要だ。その必要性と、財産欲・利権欲をたくみに混同させ「カネはいくらあってもあるだけ得」と信じさせるのが拝金主義だ。
 多くはこのだましを信じる。あげくは子供に「金持ちになるんだよ」と拝金教を信じさせるようになる。無意識に拝金主義に陥っている。それが支配に利用されていることなど知る由もない。
 ヤツらが何かをしかけるときに、必ずカネと利権が動く。これを餌に与えたものを動かす。拝金主義を意識しないものでも、カネと利権とを交換に、命令を実行する。実行する「内容」が、命令者の目的にどのように作用しているかなどに関心を持たない。
 拝金主義で民をカネの亡者にしておくことで、たやすく民を共犯者にできる。悪魔の手先に陥れるのはカネと利権とエプステインのやり口だ。カネはローマ教会が深く関与している。中央政治の政治屋や詐欺師には百億円単位のカネを黙って与える。あとは弱みを握り死の脅迫で動かしている。
 この作用原理は資本主義では、会社が社員という専有物を意のまま動かすのにも使われる。社員が仕事をすることが、そのまま「支配という犯罪」の共犯者にするシステム。
 資本主義の完成形が現代の資本主義。それが世界金融資本によって、新自由主義、グローバリズムとして、ほどんど人間としての考えを越えた魔物として機能している。
 民が生きるのに、支配者の犯罪に加担し、ときには主犯の阻喪を自主的にカバーする(ボーナスが得られる)ことまで、支配されている民がする。これが到達した資本主義だ。
 このような高度に進化をとげた地球支配者の支配は、留まることをしない。近年は5GとかAIとか量子コンピュータなどという、民が絶対に人智で知りえないモノを登場させている。
 支配のシステムをより完璧にするためだ。
 悪事をはたらくもの、詐欺師・政治屋は、例えば「妖怪、宇宙人、超能力、気」等、すっきりした解釈を提示できないものを利用する。その延長にあるといってよい。
 上記に述べたことは、人が人を支配するという犯罪の根幹だ。考え方の解明だ。だからある程度、ヤツらの支配のやり口についての法則がわかる。世界の動き、日本の動きも、地球支配者のこれまでなしてきた行為から判別できる。
 だが、ヤツらの悪事の個々の行為となると、政治的な判断は可能だが、証拠主義的な立件はそうとう難しい。
 ケネディ暗殺。911。311等々。ヤツらは実際に事件を起こし、それでヤツらの野望の推進に貢献させた。一元支配の野望は進められたのは事実だ。
 だが、それらの事件は、どういった動機で、いかなる組織を動かし、誰にどういった役割を果たさせ、コトを成したかは、絶対に明らかにしない。膨大な「調査結果」は提出されるが、それはすべて、真実を語っていない。
 安倍一味のモリカケ、桜を見る会一つ見ても明らかだ。傍からの解明は追いつかないように仕組んである。
 つまり、支配者の悪魔のような執念だけがわかる。
 それらひとつひとつの事件に、どれほど多くの人間がからんでいるか、何年たっても計り知れない。そのうち時の経過とともに、歴史の闇に消える。
 数えきれない人間が関与しているにもかかわらずだ。多くは、日常的には良きパパママ、つまり普通の民が関与しながらも、彼らは関与を口にしないまま、生涯を終えるのだ。地球支配者の完全勝利である。
 日本では例えば、朝鮮戦争前に三鷹事件・松川事件・下山事件というのがあった。推理作家の松本清張は「日本の黒い霧」を残した。911の前だがオウム事件、国松長官狙撃事件があった。
 これらの謎も公式な発表では何もわからない。膨大な数の研究書があるが、皆上っ面を撫でているだけだ。地球支配者が何かを起こす。政治的にはヤツらがやったことは判断できる。だが、その実態は世が知らないのだ。
 そこに支配の執念の深さがある。民を支配するシステムは人類の歴史で、徐々に完成度を高めてきている。巧妙になってきている。
 ヤツらの支配を覆そうとしている人民側は、少なくてもそうしたヤツらの支配の執念の底知れなさを認識しなければならない。ここの詳細はそれなりに大事だが、知るべきはそれよりヤツらの支配への執念だ。
 わかりにくいテーマに触れた。そうした闇をえぐっている研究者は何人もいるが、下山事件を追求した柴田哲孝著「下山事件最後の証言」などは、参考になる。事件は確かに起こされている。それが何の目的で誰によって計画され、どのような機関が動いて起こったのか。膨大な組織が関与し動いたことがわかる。それだけ、重要な目的があり、成果を生み、同時に闇に葬ったかの一端を知ることができる。

※5:「戦争は誰かが儲けるためにする」という論の注意
 戦争は誰が何のためにするのか。これは民が解明するべき最重要級の課題。「貧困・格差はなぜ起こるのか」と同等の課題。いずれも、地球支配者=国際金融資本が民を支配する道具として、起こしているもの。戦争と貧困により、支配する民を常に萎縮させ正常な思考を歪めさせておく、というのが解答。
 だが、そうした支配の真実を民に気づかせないために、紛らわしい答えをマスコミは流す。それを真に受ける人が多い。確かに見かけは、戦争で膨大な利潤を受けているものがいる。それは産軍複合体だ。世界金融資本が抱えている巨大な国際的な「死の商人」たちだ。
 世界各国の税金から各国は軍事費を取る。これが全部「死の商人」に流れる。「死の商人」たちの企業で働くもの、その家族、幾重にも途中で利益を抜くたかり屋どもの人数は、驚くべき数にのぼるだろう。地上の人間と財産を破壊する産業に巣くっているのだ。
 戦争が地上から消えればこの連中は新たな行き場を探さねばならない。戦争はだから中断しない。常に大小の戦争・紛争を継続することでしか、巨大な集団を維持していけない。
 この事態は過去人間の歴史とともに存在して現在に至るが、地上から消えるみこみは見いだせない。人間が作り出した、あまりにも醜い支配システムである。
 だからといって「戦争は誰かが儲けるためにする」というだけの主張は、一面を表現していても、真実とは言えない。逆に民の真実への理解の障壁となる。
 正しい民の理解の障壁の要素になっているのは「儲ける」という言葉だ。利益を得る、カネを稼ぐということの土台にある金権思想だ。
 地球支配者が戦争という人間世界で最大の犯罪をする行為をとどめられないのは、民がその犯罪にカネを餌にされて、それに食いつき、自ら共犯者になっているからである。
 人間が生きるのに、戦争への加担などせずとも道はある。にもかかわらず、ヤツらの犯罪の世界に身を置くことは、すでにカネに目をくらまされているからだ。戦争関連に身を置くのは、単純にだまされている(被害者?)だけではない。生活を盾に無理やり押しやられている(被害者?)だけではない。少なくとも民としての魂を売ったことになる。
 人間を効果的に殺害する技術を開発する。人を殺すときの罪悪感を薄める技術を開発する。直接兵士として相手を殺害などしなくても、戦争という大作戦では無数の関係した仕事や役割がある。枯葉剤を撒くとか、戦場での兵士の食事を研究するとか、負傷兵を救う医療を研究するとか、瞬時に位置情報や指令を妨害されない伝達を研究するなどになると、犯罪に加担している意識が薄くなるが、本質は変わらない。
 ハゲタカ・ファンドというのも軍部の裏で動く犯罪集団だ。連中は狙った国に謀略分子を送り込み混乱を起こし、すでに借金地獄になった国の紙くず同然の債券をかすめとる。ヤツらの国際・国内裁判で争い、買値の何桁も上のカネ・資産を強奪するのだ。合法と称して。
 つまり、戦争犯罪行為に末端で働くものも多数いるが、そうした人たちを支持して動かすものが、上位に何層もいる。役割に応じてカネが払われる。給料、報酬、裏金、工作費だ。
 つまり、人を殺す戦争という犯罪を実行可能にしているのは、拝金主義に目がくらんだ人間をカネで動かしているのである。
 だから、地球支配者が戦争をして儲けるためではない。地球支配者が戦争加担者を使うのにカネが必要なのだ。地球支配者にしてみれば、カネは儲ける必要などない。餌、道具にすぎない。
 感違いがあるのは、カネは地球支配者にとって、無限にあるからだ。カネは100%、最初から自分のものであり、奪うことも、作ることもいらない。
 地球支配者から、指示され、そそのかされ、だまされ、カネを欲しがって、それを得て、戦争を実行するヤツらこそが、カネの亡者として利用されるのである。
 社会には凶悪な傷害事件や詐欺事件が多発している。みれは多くは目先のカネだ。ほとんどはカネの盲者だ。支配者やマスコミに踊らされて、他人に迷惑をかける犯罪者になっている。カネに惑わされてヤツらに利用され、民に迷惑をかけるというのは、民として許されない最低の犯罪である。
 戦争は実行する人間がいなければ実行できない。カネという餌に食いつくものがいなければ遂行は不可能だ。そのために金権主義というマインド・コントロール下に置く。世には「ビジネス・チャンス」とかいう名での落とし穴が、無数に用意されている。ひっかかる人が常にいるからヤツらにとって、支配は継続できる。
 ゆえに、民は絶対に金権思想を信じてはならないのである。
 では、すでに共犯者、死の商人のもとで動いている人はどうしたらいいのだろうか。人民の敵として地獄に行くだけで、抜け出ることは人民が許さないのだろうか。
 これも、結論から先に示そう。今からでも遅くはない。共犯者の世界から、脱せられる立場にいるものは、さっさと脱出して、別の生きる道を探すことである。これができるものは躊躇してはならない。
 だが、多くは地球支配者からがんじがらめの縛りを受けているのがほとんどだ。借金、別の犯罪、家族の弱み、等々で、気持ちでは理解していても、行動では今は身動きができない、というのが実態だ。
 支配者のやり口は巧妙である。いったん共犯者にしたら、抜けることは死と同じだ。まして身近な人が戦争犯罪の要人であるばあいなど、脱出は身内に殺されると同じになる。
 そうした場に置かれてる人は、時が来るのを待てばいい。時は必ず来る。ヤツらの支配のカラクリは必ず人民が知り、ヤツらを追放する情勢が熟してくる。
 第一に、ヤツら自身の内部から統制が壊れ、命令が末端に届かなくなる。第二に、民が支配者の腐敗に目を閉じたままでなく、多くがヤツらの支配を許さないという気持ちに満ちていくこと。第三、決定的なのはいたるところに人民の足元からの権力機構が育っていること。
 ヤツらの支配にへきへきした人民の人民による支配がとってかわれるほど育った時点が到達する。ゼネストという最大の力が、世界的にヤツらに鉄槌を下す情勢が熟成される。
 現在、がんじがらめの拘束にあっている戦争犯罪への協力者は、この時の到来を準備して待つことだ。ゼネストが発生したら、権力内部の軍人、警官らが、人民弾圧に向ける銃口を、逆にヤツらに一斉に向けなおす。このときがくる。
 それまで、面従腹背し、忍従することである。