安倍政権は内閣改造をした。世界金融資本の地球支配の意図を体現したシンクタンクISCS直轄の小泉進次郎を内閣に入れた。安倍が自ら憲法違反の改憲、それもファシズムを実現する緊急事態法を受け入れる改憲という最終課題を遂行する組閣をやった。
ドイツのワイマール憲法下でヒトラーがファシズムに世を変えたのは、国家緊急事態法だ。安倍は世界金融資本のなかの軍産複合体が柱のネオコンという先兵の意を体現して、いよいよ極東での戦争惹起に最後の力を注ごうとしている。
戦争はいつのまにか、静かにやってくる。
民衆が圧政のさなかにありながらも、テレビでお笑いに酔い、タレントの結婚や破局に夢中になっているなかでことは起こる。さまざまな識者が警告を発信していても、そんなことにはならないと、まったく耳を傾けない。カネだけ、オレだけ、今だけに思考が傾いている。
戦争を防げるかどうかは、人民権力の構築の度合いにかかっている。過去の戦争で人民側に責任があるとすれば、それは戦争責任ではない。カイライの政治屋が世界金融資本の命令で起こす戦争を、阻止できなかったことだ。
だから、世界中で紛争が絶えないが、それぞれの紛争をやっている為政者を、そこの人民が打倒せないからだ。戦争を含む紛争は、世界金融資本が各国にカイライとして配置している政治屋を通じて起こす。それは、人民を巻き込み、人民を支配するためだ。
何千年も前から続く戦争は、すべて支配をめぐって起こされる。支配は所有と同じこと。権力者の支配欲は現在の時代では全世界の一元支配にまで大きくなった。
欲望は人間の生産力の発達に沿って肥大化する。最初は村など眼が届く範囲であったものが、島や民族の範囲を経て、最大の強者である世界金融資本は、全世界の一元支配をするという究極までに支配=所有欲が拡大した。
二つの世界大戦を経て、ほぼ全域に影響を及ぼすだけの力を集中させて、現段階は旧共産圏とイスラム圏を残すだけにまで及んだ。現代の戦争や紛争は、ヤツらの邪悪な世界一元支配の構想の完成のために起こされている。
国境という分断支配のくくりに合わせて、各国に己の意を体現するためのカイライを配置している。例えば日本では、安倍政権だ。統一会議、日本会議、清和会という組織を背景にした旧満州マフィアの一派だ。
先の戦争で大敗北をきした満州マフィアは、より忠実なカイライとしてA級戦犯容疑者の立場から、日本の中央政界に復帰した。この一味が世界金融資本の産軍複合体である戦争屋と手を組んで、現在執拗な戦争惹起をしている。
世界金融資本は、放っておけばむくむくと大きくなる人民の抵抗を抑えるために、2001年の911を境に己の邪心を隠さない圧政にでてきた。
グローバリズムの思想的・経済的な行動はTPPに象徴される。軍事的には中東と極東を舞台にしたあからさまな謀略行動だ。
現在は日韓のもつれに、香港での暴動に、ウクライナやアフガンでの紛争に出てきている。日朝は極東での戦争の危機。香港は中国共産党による中国支配を転覆させようと。ロシア周辺での動きも同じだ。そこまで、同時に事態を悪化させて、世界の民衆が、危惧を感じているのは事実だ。
きわめて危ない状態が深まっている。
この事態をどう見るのか、というのがテーマである。
結論は、人民権力だ。人民の創意で世界金融資本の悪行を暴き、その手先であるカイライ為政者を放逐できるかに、すべてがかかっているということ。
現在の危機を感じるのであれば、戦争についてのこの認識をしっかりすることである。人民が自らの力で戦争勃発を押しとめる力の構築以外に道はない。為政者の横暴に流され、嘆くだけになる。
「戦争をなぜ廃絶できないのか~こどもに戦争をどう教えるのか」に前述したことがある。この理解をさらにすすめる点で、いくつか素材があった。それについて触れたい。
◆【「核なき世界」はなぜ実現しないのか】朝日新聞記事(8月末)
「戦争はなぜ廃絶できないのか」を追求したここでの記事にテーマはかぶさる。ただ、記事を読めば、予想したとおりであった。すなわち、なぜ核を廃絶できないのかの疑問にはわずかも触れるものではなかった。現在の表の政治屋たちのことばの遊びを紹介しているだけだった。
具体的には朝日の記者が、オバマ政権時代の国務次官補F・ローズへのインタビュー。オバマが退任直前に約束しての実現の可能性がまったくないのを承知で、大統領就任中の「成果」を演じる。例の「核廃絶演説」である。内輪でたたえあい、ノーベル賞をあげるお祭りだ。
オバマは広島に立ち寄ったときに、被爆者だけではなく、少しでも平和を求める人たちに、さも核が削減でもされるのかという幻想をもたせた詐欺だ。
ローズは語る。「オバマの演説から異なる解釈をしたのだ」と。「核大国の米国が率先して削減の努力をしろと求めるのは、間違っている。抑止力を強化することが重要で、減らなくても、核爆発さえおさえられれば成功」という。近年核を近代化して核による軍拡をすすめている中ロに対しては、北朝鮮と同様に厳しくあたるべきだとも。
これが表の政治屋たちの核に対する姿勢で、核の縮小や廃絶とはまったく無関係の話だった。
◆「世界から戦争がなくならない本当の理由」池上彰著祥伝社新書
【2019.8.8記事で紹介を一部再録】
テレビで政治解説をして人気の池上彰が数年前に書籍をだし、それが最近に加筆して「世界から戦争がなくならない本当の理由」という新書になった。タイトルからして、戦争の廃絶ができない理由を明らかにするのかと期待を持たせた。
廃絶できない理由はどう彼は説明しているのか。「答えは歴史が教えてくれます」と、書籍ではここ百年の連続する戦争を彼の視点で整理して解説したものを、読者が読んで自分で考えよ。そこに答えがあるのだ、という。
つまり、戦争がおこり、戦争が終結していく。その一般に言われている流れは、それぞれの国の国益や野望による衝突。現場の政治家や軍人には、さまざまな考え方や意見があって、そうした力関係から、戦争が展開されていったのだとする。
これでは、戦争の理由は、まるで馬鹿で野蛮な各国の政治家による力の衝突で、それに国民が巻き込まれたものと言っているようなもの。
主犯は誰かを歴史的に、地勢的に、民族的に見つめているようで、結局一概に言えない複雑なもので、専門家でも解釈が多くあって、これだと言えないというところに結論を持っていっている。
いわゆる「評論家」の典型である。戦争の主犯を明確に断定できなければ、戦争を断絶させることなど不可能だ。支配者と被支配者という観点がなければ、論議の限界はここまでであることを証明しているのである。
◆「ソ連は条約に違反して北方領土を奪った」という安倍らファシストの主張
安倍は今年の夏、何回目かの日ロ会談をプーチンとおこなった。安倍の主張も態度もおよそ度外れのバカさ加減を世界にさらした。それを個々にはとりあげるだけむかつくのでしないが、いまだに「四島返還を自分の任期中に実現する」という愚論を展開している点に触れたい。
例によって、安倍の取り巻きは、それを持ち上げ、民に嘘を吹聴する。
北方領土は「日本固有の領土」だから、ロシアが4島返還するのは当然だ、とロシアの不当性を叫ぶのである。
この論議は典型的なファシスト、侵略者の言い分であって、人民は絶対に認めてはならない。そうした主張は何が間違いなのかを、徹底的に理解する必要がある。
第一に、領土を口にすることの下劣さだ。現代において、全世界の人民は「領土」を「自分のものだ」と主張することなどあってはならない。月や火星のどこかを「おれの領土だ」ということが、いかに卑しく強欲で勝手な、誰にも通用しない、バカげたことであるかを見たらわかるとおりだ。
地球上のどこであっても、自分のものではないし、そうした主張が、単にその人間の下劣と強欲の表現でしかない。地球に巣くうダニが、ここはオレの領土だといっているようなもので、そもそも人間にも占有する権利などないのであることを知らなければならない。
敢えて言うなら、秘かにオレのもと思っているのは、地球一元支配者どもだ。不動産やカネは地球支配者が人民を手なずけ、支配するために手下を使う。下劣で強欲なバカを手下にする。つまり、カイライだ。カイライは不動産やカネに対する欲が異常に強い。
支配者は、カイライのこの性質を利用して、カイライを自在に動かして人民を支配する。その目先にぶら下げるエサが不動産とカネだ。カイライに「ここはお前にあげる」と、さも領土がカイライのものであるかのように言って与えるが、誰でもわかるように、お前にあげるからその領地の人民をてなずけろといっているのであって、支配者はカイライから与えたものをいつでも取り上げることができるのだ。つまり、ほんとうにカイライに与えたのではない。
カイライは自分のものになった。完全にオレに所有が移ったと思う(バカだから)が、それがただの操縦術で不動産やカネはエサ・道具にすぎないことはいうまでもない。
地球支配者が日本支配のためにカイライを配置し、日本の領土はお前のものだから、しっかり人民を支配しろと言っているだけだ。
カイライの性質として、自分がカイライであることを理解できない。下劣と強欲は理性を上回っているためだ。
不動産が欲しい、カネが欲しいといった場合に、人民にとっては、自分が安寧に生活できる状態を保持するためのスペースや生活資金である。下劣な強欲者のように、不動産やカネを無限に大きくしたいというのではない。
だから、人民がいかにスペースを安全に力をあわせて、有効利用するかが目的である。ここはオレのものということを優先させたり、強く主張してつっぱることが目的の、障害でしかない。
第二次世界大戦を経て、地上の帝国主義同士による領土争いはおおむね決着がついた。およその国の境界は定まった。もちろんいくつかの領有権争いの場は残っているが、実効支配という概念で事実上の線は決まっている。
帝国主義、つまり各国で不均等に発達した資本主義がばらばらに力をつけてゆき、それが植民地をつくり、弱く小さい国の人民を奴隷としてこき使い、強奪によって権力を誇ってきた。この時代は戦争をすることで相手を負かして権力を拡大するものであったが、この方法では互いに、いつでも逆転していつでも負け組に転嫁する危険があった。
一方では植民地の人民が団結して民族の独立と自立をかかげて、宗主国とたたかうようになる。支配する国によっては植民地支配が負担になる時代を迎える。
そこで帝国主義者は、帝国主義者同士で争うのをやめにし、協力し合って新たな共同支配体制を目指すようになった。植民地各国は見掛け上独立させ、自立させ、経済的支援と称して政治支配を続ける体制に移行した。それは軍事同盟を結ぶことと抱き合わせである。
それが完成したのは第一次世界大戦を経てだった。そこで大きく力をつけたのは、そもそも人民主権派で、ブルジョアジーや帝国主義者の支配からの脱却を目指す勢力である。これがロシアで革命を成功させるに至った。
帝国主義の勢力はいっきに台頭したソ連をつぶすために団結に動く。だが最初から絵にかいたような団結はできない。昨日まで死闘を繰り広げてきた同士だ。
争っていてはソ連の拡大を許すことになる。何としてでも団結をしたい米英仏の帝国主義。それに対して歴史の流れを知ることに著しく欠け、未だに領土拡大という帝国主義の野望を追求したグループがでる。これがファシストである日独伊の帝国主義者たち。
前者は敵の敵は味方ということで、米英仏は日独伊とたたかうために、ソ連と共同する。これが第二次世界大戦。
帝国主義の中でも日独伊は、人民に対して一方的に圧政を実行し、他民族の隷属化、領土の拡大を目標にするファシズムで、歴史の異端児。人民の声を独裁者が聞いたふりもしない。一方的な命令を押しつける。それに対し、人民支配の手法に年季が入る米英仏は、形だけでも民の声を聞いたふりする。形式だけの議会主義だが、嘘でもそれを建前にした国家。
資本主義の生産力の拡大が、各国の金融資本を団結させて、何としてでも、ファシスト(枢軸国)を打倒することに支配者側が一つにまとまることになる。そのため敵の敵であるソ連と連合した。
枢軸国を消滅させると、ただちに本来の敵であるソ連と冷戦に入る。第二次世界大戦を通じて、帝国主義同士の争いは無駄であることを悟り、国連を象徴に世界金融資本は地球一元支配に大きく変化した。
新世界秩序と呼ぶ構想が固まっていく。大戦を通じて、世界金融資本が、産軍複合体の巨大化をももたらす。さらに、古代から続く支配の中枢だった王政、一神教の宗教組織と手をつなぐ。新世界秩序は「圧倒的なカネと軍事力をこれでもかと、他に見せつけることでかしずかせる」ということ。
地球一元支配のための障害になっているターゲットは、ソ連圏とイスラム圏であることが鮮明になってく。
戦後、ソ連圏との接点、イスラム圏との接点での絶え間ない紛争の時代に移行した。日本は極東の不沈空母となった。そして、地球一元支配者どもが、描いた戦略をなりふり構わない実行の段階にすすめたのは911を境にしてである。
世の紛争、人民のたたかい、中東でのたたかい、自然災害とのたたかいが、911を境に大きく質的な変化が起こった。現在進行形で起こっているのが、日朝のきな臭い紛争。香港での騒ぎ、ウクライナ周辺での動きだ。
朝鮮は民族統一され、高麗国が出来るかも知れない。中国は香港の騒動に手を焼き、本土からも火の粉が発生して、大きな分裂を迎えるかも知れない。これは地球支配者が、積極的にマスコミでデマを拡散し、巨額のカネをぶち込んで本気で起こしている騒動だ。
話を「領土」にもどそう。
地球支配者どもは、現時点で「少しややこしい旧ソ連圏とイスラム圏」でたたかいを繰り広げているが、地球のほとんどはオレが支配している。事実上支配しているのはオレだと思っている。
大戦中のような帝国主義同士が領土で争うなどの時期はとうに過ぎたと考えている。帝国主義思想は現在、グローバリズムに置き換わっている。世界金融資本の天下。
いかに地球の隅々までグローバリズムの思想を民に浸透させて支配するか。日本で実験して成功しているように、民が、カネだけ、今だけ、自分だけにそまるかだ。民が支配されていることを意識せず、ロボットになりきり、粗相を自分でカバーするような支配の理想が実現できる。
そのためには、民の思考が歪みに歪むこと。民がまっとうに、冷静に、落ち着いて考えるような条件を、ことごとく奪った社会にすることだ。
領土は重要なひとつのテーマだ。ありもしない所有欲をあおることができる。しかも、ロシアが卑劣という印象でロシア人の日本人がののしるようにできる。国境をまたいで人民が手を結ぶ(インターナショナル)など、絶対に実現させてはならない。という支配の常とう手段なのだ。
不動産やカネは時の支配者が金欲と物欲に狂うゲスを操るエサにすぎない。世界金融資本ら支配者は、国や民族や宗教の境などまったく目にない。自在に己の支配を広げ、固めるために飛び回り、暗躍している。ODAとか経済協力とかの美名でグローバル企業は、経済的な戦争(カネで支配する)を世界的に展開している。世界金融資本にとっては、国とかは単に分断支配のブロックにすぎない。
つまり、金欲と物欲に狂うと支配がみえない。金欲と物欲に狂うと永遠にヤツらの手のひらの上で奴隷として踊るだけだ。
第二に、「条約に違反して領土を奪っている」という視点が百パーセント間違いだということ。
先に述べたとおり、領土や国境は帝国主義同士が戦争で略奪した行為の結果だ。戦争という行為は、法律で暴力団の悪行を取り締まるというのとはわけが違う。警察という国家の暴力機関が、力を背景に暴力団の暴力行為を取り締まる。国家権力が民間の暴力よりも力で優れているのが前提で、取り締まりが有効なだけなのだ。
それを国内のさまざまな法律で、殺人・暴行・脅迫などの行為が、やってはならない行為と定めて、民の安全な生活を破壊するのを禁じている。
だが、戦争という暴力は、論理や理性や法を超えるところに決定的な性質の違いがある。
戦争は究極の理不尽という決定的な特徴がある。どのような規制でも戦争という暴力には効果がない。戦争が終結するたびにさまざまな国際法が論議され、条約ができ、一見「反省」がなされる。
だが、それは勝者のご都合主義による一時的なポーズだ。戦争の最中には戦争の個々の行為を制限するルールはない。あるのは「どういう手段を使ってでも、相手を倒す」というもの。躊躇や自己規制はそのまま自分の死と敗北だからだ。
評論家や部外者が後にあれこれ語る。戦争指揮者の悩みと称して、さまざまなことを考え決断を下す様子だ。だが、これは基本的にアリバイづくりのための枝葉末節を前面に表現することで、核心を隠したものだ。
戦争の最中、頭にあるのは、手駒の有効な活用と財力の限界内で、相手の弱点をどう突くかだけだ。勝てば官軍、負ければ賊軍。戦果をあげなければ無能と、白黒ははっきりしている。
正常な世なら絶対にやってはならない、人間を残忍に殺す行為が戦争だ。そこにいかなる規制もない。国際的なルールとして、民間を攻撃しないとか、捕虜の扱いとか、さまざまな条約の制限とか、一応はあることになっている。
だが、これはあくまでの建前だ。勝者、つまり余裕がある側が余裕の範囲内で考慮を一時的にするもので、普遍を前面に出して行う欺瞞である。敗者や弱者にはまったく通用するものではないものだ。
原爆の開発と使用。焼夷弾で民間の家を焼き飛び出したところを銃撃。三光作戦。731部隊のマルタ。イスラエルのパレスチナ爆撃。枯葉剤投下。中東での小型核による部隊蒸発抹消。等々、どこに制限が見られるか。制限などない。人体実験など人間性はゼロ。正常時の真逆が当たり前の常識。
勝者のきれいごとを、口にすること自身がいかに卑劣で罪深いか。「条約に違反して占領している」という視点は、敗者がたとえどうわめこうとも、戦争の結果について誰も聞く耳はないのだ。戦争に条約が少しでも歯止めになるような幻想を発しているだけに罪深い。
現在、日韓で「徴用工・慰安婦」でもめているが、同じことである。ここにカネや謝罪や、取引での解決はありえない。それは、その問題を生んだ原因が戦争だからだ。戦争を根絶したときにだけ解決をみる。
日韓のもめごとで、どちらかの国がなにがしかの譲歩をして収まるようなこともない。幻想をふりまくだけ罪だ。まして、戦争を起こした帝国主義の犯罪を、日韓の当事国の人民同士のののしりあいに、意識的に転嫁するのを暴かなければならない。
先の戦争で「日本帝国主義は壊滅」させられた。戦争に敗北したのだ。いうまでのなく、日本の人民が敗北したわけではない。人民は犠牲になったのであって、帝国主義とカイライ政治屋・軍人が負けたのだ。帝国主義とカイライ政治屋・軍人は、民をだまして戦争に引き入れ、民が戦争に責任があるように思わせたが、民に戦争の責任はない。
あるとすれば、帝国主義とカイライ政治屋・軍人をのさばらしたことだ。帝国主義とカイライ政治屋・軍人を戦争の前に打倒できなかったことだ。
安倍らは「自虐意識」だとかいうが、話を捻じ曲げるものではない。ヤツらのくだらないレベルの考えと、民の思想は相容れない。戦争を起こした戦犯が、負けて、戦争中の行為は悪かったと反省し、どこまでも自分を責めていく?ようなのは必要ないと開き直っているものだ。そして「こんどこそはもっと巧みにやって勝ってやるゾ」という鼻もちならない戦争屋根性だ。
人民の思想とはまったく相いれない。
帝国主義とカイライ政治屋・軍人は、先の戦争で枢軸国、つまりファシストとして、全世界の人民から嫌われた。民主主義を建前とはいえ主張する他の帝国主義からの、打ち倒すべき敵にされたのだ。
だから、日本帝国主義が勝者から徹底的に打ちのめされたことを、世界中が喝采したのだ。その敗者である日本帝国主義の残党が今、日本の中央政界に復活していて、その連中が地球支配者の戦争屋一味と結託して、極東での戦争を惹起しているのだ。
この連中が唱える「条約に違反して領土を奪っている」は、大戦の終結処理の過程から、どこからも認められていない。つまり、勝者であるソ連が日本に対して侵攻したこと、北方領土を占有したこと、満洲への侵攻を「正当」「合法」だとしているのだ。8月15日が日本の終戦だから9月9日のソ連の侵攻は認められないと言っているのは、世界中で負けた帝国主義者の残党と安倍ら満州マフィアだけなのだ。
当時ソ連は慎重だった。連合国、特に米国には事前に通告し、明確な承認を得て行動している。だから、安倍政権らが、現在の時点で「日本固有の領土だ」「北方領土を日本に取り返す」といっても、世界的には誰も賛同しないのである。
第三に、国境を接する近隣国家と文化・資源・経済での確かな協力・拡大を追求すること。「領土帰属」は永遠に棚上げすることである。
何度でも強調したいが、国境という前時代の悪しき概念は、人類進化の弊害でしかない。
もしも、ロシアに四島返還を主張するのであれば、米国の日本支配に平等を求めるべきだろう。沖縄から基地を撤去し、日米合同委員会という命令機構を解散するべきだろう。米軍への異常な思いやりを廃止すべきだろう。
米軍が日本の民間人を原爆や空襲で皆殺しにしたことに、正面から「違反」を突きつけたか。
韓国が竹島を実効支配している。ならば、竹島に他国の軍が侵入したときにこそ、同じ提起をするべきだろう。
つまり、ロシアに対する姿勢と、米国・韓国に対する姿勢にまったくの一貫性がないのである。それは、領土問題を単にロシアを貶めるために言っているにすぎない。つまり、世界金融資本の戦争屋のいいなりをしているだけで、自国の民の利益など己の力で欠片も考えられないというバカなのだ。
緊急にはるかに優先してするべきことがある。それは、カイライには絶対にできないことだが、近隣国家との文化・資源・経済での協力関係の強化だ。
領土を口にしたり、対立に向かう方向での問題は全部たなあげして、つまり取引の材料にすることも互いに禁止して、全力を友好に注ぐのである。
近隣からエネルギーや、漁場資源や、レアアースなどの開発と貿易を活発にすることである。
それができないのは、地球支配者のカイライとしての政治屋が中央政治についているからだ。地球支配者は己の支配体制の拡大のために、日本を極東の不沈空母として利用したいという意思がある。カイライはこの意志の貫徹に沿ってだけ動かしたいからだ。
民は近隣国家との争いなどまったく望んでいない。例えばロシアから低コストで天然ガスの供給を得たい。地球の裏側から原油を輸送するより、どれほどこれが安全で有利かを知っている。石油を支配する世界金融資本のいいなりになるのが、どれほど危険で無用かを知っている。
世界金融資本は民をだますための「国益」を言う。例によって、それが日本国民の利益であるかのように偽る。だまして民を動員する。そう、戦争の構図と同じ。戦争も「国益」で民をだまして、戦争に動員する。支配者の手口がこれだ。
世界金融資本やカイライ為政者がいう「国益」は、民の利益と一致するものではないということ。民の利益の判断は、それが戦争根絶に貢献するものか、それが民の平和と安全と繁栄に貢献するものかである。世界金融資本と為政者の目的は、あくまでの人民の支配の強化だ。だから、ヤツらの「利益」は本来的に人民の利益とは相いれることはない。
それを民に向って「国益」を語って勘違いさせる。
◆ソ連は「人民権力」思想を軽視したが故に自己崩壊した
現在の香港での騒動。地球支配者側はあわよくば、中国共産党の「中国支配」を覆そうしている。中国共産党が非民主主義的な一党独裁で、民主化の歴史的流れに対応できないということで、ソ連に続く崩壊に持っていきたい、という構想だ。
世界金融資本側の「一党独裁」という、さも天下の宝刀のようなレッテル貼りが、民に幻想を及ぼす。普通選挙・議会主義による中央政治の運営こそが、民主主義的でもっともあるべき姿なのだと民を説得させたのだ。
人民の立場から見たときに、地球支配者が言う「民主主義・議会主義」は、見かけだけで、真実は為政者の独裁にすぎない。「支配階級のどの成員が、議会で人民を抑圧し、ふみにじるかを数年に一度決めること、―議会主義的立憲君主制ばかりでなく、もっとも民主的な共和制のばあいも、ブルジョア議会制度の真の本質はまさにここにある」という一言にすべてが表現されている。
だが、まっ先にここで指摘したいことは、中国共産党と中国人民が自国の政治体制に対する「一党独裁」の攻撃に何の反撃もできないことだ。
ここに現代の悲劇がある。「人民権力」の思想を忘れ去ったあわれだ。ソ連の崩壊の時もそうだった。東西ドイツの壁が崩壊したときの状態もそうだった。
レーニンによって実現したソビエトの魂がなくなったことに、崩壊の真因がある。
人民の生活点と生産点、足もとからいたるところに構築されたソビエト。ここで論じた結論が人民の意志。ソビエトが選んだ中央政権が人民の意志に沿って政治を執り行う。ソ連でも中国でもそれを「プロレタリアートの独裁」といい、これこそが最高の人民の民主主義だと堂々と誇ったのだった。
中国においても毛沢東が、敵からの戦争につく戦争攻撃でつい原点への意識が薄れたことに気づき、文化大革命を起こしたのだが、時遅かった。世界的規模の猛烈な反発が起こった。その反発に対峙し覆すだけの力がなかった。歴史の犯罪人のレッテルを貼られて終わった。
毛沢東に勝った鄧小平の「白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫はいい猫だ」の論理で、資本主義を復活してしまった。だが、支配に有利な「一党独裁」的な政治形態(中身は資本主義)は利用し続ける策で今日に至る。
中国政権は歴史的にも、地政学的にも、他国(特に米国)を顔にした地球一元支配に組みしたくない。それはロシアも同じだ。現在は中ロでゆるやかな政治・経済圏を旧共産圏として形作っている。BRICSや一帯一路だ。だが、米国を顔にした世界金融資本は、中ロのそれが気に食わない。どうしても一元支配をしたいのだ。
ロシアや中国の人民は一度は人民権力の経験を持っている。だが、その精神を理解しないまま放棄してしまった。世界的に人民はインターナショナルも意識から薄らいでしまった。逆にいえば、世界金融資本の独壇場を許してしまい、時には積極的にヤツらに手を貸すまでに、時代は逆転してしまっているのが現在である。
これを世界人民が嘆いても仕方ない。引くところまで引いてしまったのだ。営々と、コツコツと、ゼロからエネルギーを補充する以外にないのである。だが、邪悪な世界金融資本が永遠であるわけもない。邪悪なだけに必ず滅びる。世界の人民は、たとえどのように時間がかかろうとも、自分たちの力で世界を切り開くしかない。
目の前で戦争が起ころうが、目の前で中国がまた崩れ去ろうが、すべては人民に歴史が与えた苦行である。
第一、ひとを不愉快にさせたり、迷惑をかけないこと。
第二、カネの盲者、欲の盲者にならないこと。
第三、子孫に負荷をかけない、未来にツケをまわさないこと。
第四、戦争の禍根を解き放つこと。他国へのよけいなお節介をしないこと。
第五、人間の尊厳をもって生活できるようにすることへの貢献。