記・国民B(2019.8.30)
■【戦争と支配】あまりにもキナ臭すぎる内外情勢をどうみるか。安倍政権の危険な策動を暴き出せ

◆日韓をめぐる、支配者側のマスコミ報道があおる内容

 ここ連日の内外のニュースは、キナ臭さ過ぎないか。
 特に日韓関係は用意に収拾できないような様相に見える。韓国が日本に対する戦後処理に不満をぶつけたことから始まり、国同士が貿易政策と安全保障政策で報復合戦まで及んでいるからだ。
 「徴用工」「慰安婦」問題で、戦時中の企業と政府に対して、補償を求めた。それに対して、日本政府は日韓国交回復とその後の政府同士の協議で、いわゆる戦争賠償について合意が成立し、資金を出して対応しているという点で解決済みであり、それを反故にするような行為は認められないと、韓国側の求めを拒否した。
 しかし、韓国側民間組織は当時の政権同士のご都合主義的な合意は認められないと、態度を硬化する。それに韓国政府は一体になって、日本政府を非難した。
 先の戦争は日本に非などないとし、当時の侵略先への謝罪を以後一切口にしないということを政権の柱だとして安倍政権は「韓国の不当な要求は、国際的な国同士のルールから見ても看過できない」と制裁を加えた。
 主には、韓国を同盟国として認める立場を破棄した。非同盟国として貿易制限をはじめたのだ。手続きを面倒な状態にし、貿易対象製品にも制限をかけた。
 この行動には国際的にも危惧の声があがったが、国内の嫌韓感情をもつものからの「制裁は当然だ。一歩でも譲歩したら、どこまでもつけあがるだけのたかり屋だ。朝鮮人は半島へ帰れ」などと、安倍を支援する。
 韓国はついに、日韓の安全保障同盟のかなめ的な条約であったGSOMIA破棄を宣言した。米日韓の軍事同盟は、対北朝鮮、対中国、対ロシアで揺るぎないように見えていたものが、あっけなく破壊した。
 さらに、実効支配する竹島周辺で、陸・海・空・海兵隊と海上警察が、つまり国の対日の全武力勢力に寄る軍事演習を始めた。
 同時並行で北朝鮮の不可解な行動がある。それは7月から8月にミサイル実験を連続的におこなった。安倍政権は「約束違反だ」と騒ぐのだが、米トランプは「通常の軍事演習だ」として無視する。
 さらに、同時に起こっているのは、米中の貿易戦争が激化していることだ。トランプは「中国が米国の技術を盗んでいる」と一方的に中国を盗人と決めつけて、関税を25%でも異常なのに30%まであげると宣言。中国も根拠のないいいがかりだとして、米国製品への関税を上げる対応をした。

 まるで戦前の帝国日本政府が、内外の緊張をあおって国民を戦争へかりたてていった情勢と同じである。
 戦争が起こってもしかなたないような雰囲気を、マスコミを使って創出するのだ。そのときに、必ず「日本は悪くない。正義の立場を貫いている。それに対して他国、この場合韓国が無茶苦茶な言いがかりをつけてきている。感情だけの理屈にあわない、あやまった不当な要求を突きつけてきた」という。
 そして「日本人は、堂々と、誇りをもって、断固とした態度で、冷静に対応する。挑発に乗らない慎重な対応をする」と、自分が危機の主犯であることを隠す。
 「日本人は、惑わされずに、一致して韓国にきっぱりと対応しよう」というスジを主張する。つまり、韓国という国、その国民の声と、相手をひとくくりにして、それに対置するのは、日本国と一致団結した日本国民という図式を作っていくのが、マスコミだ。
 子供が作文したような見えすえた、常習的な構図だが、これがちょっとした「危機」でコクミンが信じ、その気になってしまうのを狙っている。
 こうした気分的な風潮が盛り上がれば、為政者は用意に戦争が実現できる。戦争は、最初のときは、深刻さが感じられずに、日常と変わりないようにして突入する。
 新聞・テレビの表の顔のほとんどは、自分たちマスコミが作り出している「戦争勃発雰囲気創出」の犯罪性、深刻性を意識していない。それは民の多くが「まさか、いまどき、戦争は起こるまい」と能天気に思っているからだ。
 マスコミを実際に手足として使い、ほんとの狙いを隠して動かしているのは、ほんの一部の命令者であり、所有者だけで、このヤツらが表にでることはない。
 戦争は廃絶すべきである。絶対に、戦争への動きを阻止しなければならない。

◆日韓の危機は、誰が背後で蠢いて作っているのか

 「正義を求める人々へのメッセージ」ではたびたび指摘してきたように、戦争惹起は偶然起こることは絶対にない。地球支配者が必ず明確な目的をもって、周到な計画のもとで勃発させるものだ。
 現代の戦争惹起の目的をあらためて整理してみよう。
 誰が戦争惹起をもくろんでいるのか。それは地球支配者だ。安倍とか韓国の文とかの表の政治屋ではない。日本や韓国や米国などを己の支配物として、己の邪悪な野望の実現のための、自在に操っているものどもの仕業だ。
 世界の圧倒的な多数の人民は、誰一人としてこころから戦争してない。反対し、廃絶を望んでいる。圧倒的な多数の人民が望んでいても、実現できないという事実は、人民がとほうもないバカであるか、それとも全世界の人民を支配(所有)しているものどもが、戦争廃絶の求めを許さないかだ。
 いうまでもなく、後者である。全人民が支配されているという事実を認めたくない人もいるだろう。だが、それはだまされているだけか、幼稚なただの願望にすぎない。圧倒的な多数の人民が望むのに実現していないという、冷厳な事実を見つめてみるだけでわかろう。
 この支配者が、戦争惹起を演出している。
 現代において戦争を起こしたい理由は、いくつかある。

 第一に、ヤツらが決意し決めたこと。すなわち地球の一元支配=新世界秩序(NWO)の確立だ。2001年の911を境にして行動を開始した。つまりハルマゲドンを起こすことで、一気に全世界の一元支配体制を実現し、千年王国を築くというもの。
 だから、旧共産圏との接点箇所、イスラム圏との接点箇所で、執拗な紛争が繰り返されているのだ。ISとか香港での200万デモとか、北朝鮮のミサイル実験とかは、明確なこの意図から起こしているものだ。

 第二に、極東の不沈空母である日本を巻き込む戦争惹起がある。第一の作戦の極東での具体化である。ヤツらは日本と南北朝鮮、日本と中国、日本とロシアで紛争を起こしたい。
 日本を戦争の外においておいてコトをなすことはありえない。先の戦争では日本に2発の原爆という空前の痛みを与えた。日本の人民は「ノー・モア・ヒロシマ」として平和願望に浸る期間を与えてきた。
 だが、それは一時の猶予を与えただけ。終結してから、すでに70余年。ヒトの一生期間が過ぎようとしている。己が支配する人民には「生涯に一度、戦争の現実に巻き込む」ことが絶対に必要という期限切れが原因になっている。
 人民を支配するというのは、被支配者である人民に「支配の真実」を気づかせないことが要諦だ。それは具体的には、生涯に一度は「戦争の現実にまきこむ」こと。
 ヒトは戦争の現実を体験することで、この世の究極の理不尽とむごたらしさを感じて、正常な人間としての意識が破壊し、思考が停止あるいは歪曲する。この生理現象を支配者は、己の支配の維持のための利用するのである。

 このヤツらの狂った意図から戦争は起こされる。見たらわかるように、誰と誰が、どんな理由で起こるか。戦争になれば、どれほどの犠牲が起こるか。こうした一般の民が心配することなど、まったく無関係だということだ。つまり、一般の民が思うような視点から見ただけでは、なぜ戦争が起こるのかは見えてこないのである。

◆戦争についての話題・論議はどこまで許されるのか

 暑い夏のこの時期、先の戦争は70余年前に、全土への容赦ない空襲と2発の原爆で終結した。広島の原爆死没者慰霊碑に記された文言が、限界を語っている。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」。
 被害者である民が絶対に戦争は二度と起こってほしくないという、心底からの願望を表わしたものには違いない。そしてその意思から、現在までに戦争の悲惨さ、むごさを語り継ぐ行動をしてきた。実に尊いことである。
 人民は戦争を望んでいない。このことを象徴する。これは子供たちに継承されている。戦争の遺品をひとめでも見たらだれもがそのように思い、決意を新たにする。
 問題は、このように圧倒的多数の人民から強く要望し、語り継ぐ行為をしてきたのにもかかわらず、為政者は屁とも思わず、真逆の行動を実際に行っているということである。阿倍政権は「非核」世界的宣言を受け入れない。軍事費を増額し、基地建設、軍備の拡大に走っている。
 戦争についての話題では、マスコミが絶対に取り上げないことがある。それは上記でわかるように、(1)誰が起こしたかを明らかにしないことだ。(2)何のために起こしたかをごまかすことである。そして、(3)直近である先の戦争の反省について話題にしないことである。当然、戦争犯罪者は明らかになることなく、裁かれもしない。

 「戦争を子供にどう教えるか~戦争の廃絶はできるのか」(2019.7.19初版)で、誰が戦争を起こしたかを明確に論じた。だがマスコミはこのテーマに触れない。あくまでも「戦争の悲惨さとむごさを語り継ぐ」という線で抑えるのだ。
 何十年たっても、何百年たっても、為政者やマスコミは、戦争の主犯を明らかにしない。この領域に踏み込まない論議なら、人民がいくら論議しようがまったく支障がないからだ。
 数年前にテレビで政治解説をして人気の池上彰が書籍をだし、それが最近に加筆して「世界から戦争がなくならない本当の理由」という新書になった。タイトルからして、戦争の廃絶ができない理由を明らかにするのかと期待を持たせた。
 廃絶できない理由はどう彼は説明しているのか。「答えは歴史が教えてくれます」と、書籍ではここ百年の連続する戦争を彼の視点で整理して解説したものを、読者が読んで自分で考えよ。そこに答えがあるのだ、という。
 つまり、戦争がおこり、戦争が終結していく。その一般に言われている流れは、それぞれの国の国益や野望による衝突。現場の政治家や軍人には、さまざまな考え方や意見があって、そうした力関係から、戦争が展開されていったのだとする。
 これでは、戦争の理由は、まるで馬鹿で野蛮な各国の政治家による力の衝突で、それに国民が巻き込まれたものと言っているようなもの。
 主犯は誰かを歴史的に、地勢的に、民族的に見つめているようで、結局一概に言えない複雑なもので、専門家でも解釈が多くあって、これだと言えないというところに結論を持っていっている。
 いわゆる「評論家」の典型である。戦争の主犯を明確に断定できなければ、戦争を断絶させることなど不可能だ。支配者と被支配者という観点がなければ、論議の限界はここまでであることを証明しているのである。

 なぜ戦争を起こすのか、ということについても同じ。きっかけや目的はバラバラで統一性がないと。つまり、一般にはこの戦争主犯の目的に到達できないのである。
 だが、阿倍の論調を見てみよう。「日本国民の生命と財産をまもるため」と繰り返す。嘘だ。だが、こう言わないと、コクミンを戦争に動員できない。
 「領土がほしい」などと言ったら、ただの侵略だ。「エネルギー源である油田のある場所を確保する」といったら、侵略と強奪だ。「アジア共同体をつくる」といったら、侵略の別名だ。侵入してくるものはその国からしたら、ただの侵略行為。余計な御世話。
 「そこにいる日本人が襲われた」「先に砲弾を撃ち込まれた」これは過去の戦争では全部ウソ。自作自演ででっちあげたもの。外国に行った行為が危険を伴う行為で、襲われたからと言って戦争する前にやることがある。サマリアの自衛隊陣地なら、先にそこに駐屯している行為がすでに、現地の民に対する侵略や占拠の行為であることを、棚に上げてはならない。
 「その国から援助を求められた」これもよくつかわれるウソ。紛争の支援を求められたと仮にしても、自決をすすめるべきであり、支援するにもそこに出かけたら、それは侵略行為だ。
 このように一から十まですべてウソなのである。民にもっとらしいことを、大声で言って、民の合意など得なくで、戦争に突き進んできた。戦争を口にするものに、道理はない。
 先の敗戦で関東軍は現地に引き入れた日本人を放置して、自分たちだけ逃げ帰った。
 「国益をまもるため」ともいう。だが、歴史上のすべての戦争で「国益」など守られたためしが、一度たりともない。戦争で発生したのは、勝っても、負けても、人民の膨大な犠牲、損失である。そもそも、国益の「国」は、邪悪な為政者の人民を弾圧するための道具としての「国」だ。人民を支配・弾圧する道具を、弾圧される側の民がだまされて「守って」どうする。

 「平和のため」に戦争を始める、というおよそ話しならない理由をいうヤツがいる。これはただのバカ。ただし、戦争が実際に勃発し、だまされたとしても、民がすでに戦争にまきこまれてしまうことがある。これは、為政者と人民側の力関係だから起こりえる。過去はみなこれで巻き込まれてきた。
 いったん戦争がはじまったら、民は戦争を終結させるために尽くさねばならない。それは人権力の力で戦争に巻き込んだ為政者を追及して、責任を取らすことでもあるが、その際の事態は「内乱」になる。
 それは、戦争は常に緊急事態となり、民の通常の権利や自由はときの為政者から制限・弾圧をうける。禁止され武力・強権による弾圧をうけるからだ。為政者は戦争を合理化するために「国民総動員」を組織し、国内で為政者に反対するのを徹底的に弾圧するからだ。
 意識ある人民は表で面従腹背をしながら、為政者の目を盗んでたたかいを組織するか、地下にもぐるしかない。いずれも非合法で内乱をたたかうことになる。為政者に打撃を与え、ヤツらがいう「国」を弱め、戦争では負けるのもありえる。敵国が勝って、その国の従属国となり、支配されるかもしれない。
 だが、それでも自国の為政者に打撃を与えた。新たな邪悪な為政者が宗主国で弾圧してくるが、つぎはそれとたたかうしかないだけである。
 何をどう嘆いても、人民自らの権力が弱い結果だ。
 先の戦争を通じて、地球支配者が日本を極東の不沈空母にした。このように、戦争当事者双方が大きな損害をこうむっただけだが、双方をそそのかして、戦争を起こした主犯は大きな勝利を獲得したのだ。
 戦争が何のために、誰が起こしたのか。これについて、絶対に話題にしてほしくない為政者の意図はここにある。戦争主犯はもちろん、各国に配置したカイライ政治屋は、戦争の「反省」などするわけもないこともわかるだろう。

◆韓国の「反日」の声は、誰に向っての声なのか

 新聞テレビの嫌韓感情の露骨なあおりはひどい。それは韓国が日本のまっとうな対応に、不法な言いがかりをつけてきていて、日本を攻撃し、頭を下げさせ、カネをふんだくろうとするもので、卑しい。だから嫌いだというもの。何か優越感を感じるような調子で続けられる。唾棄すべき論調だ。
 日韓の国交回復以来少しづつ深まってきた、日本-韓国の民間による文化、スポーツ、学術交流がいっきにふいになる勢いだ。名古屋での不自由展の中止、さまざまな民間交流の中止は阿倍ファシズムを示している。
 韓国に旅行した人が現地で襲われるニュースが出る。今の空気を読まない不用意な旅行は、それ自身問題だが、空気をあおる方向での流れを増幅している。
 日本の報道はそうした一面的な視点からの「反日」を流す。これにニホンジンがうなずくという構図が恐ろしいのだ。
 韓国の人民の「反阿倍」を「反日」とするところが、マスコミの悪質の核心なのだ。階級的な視点がないと、この重要な問題は理解できない。支配者は常にこれを利用する。
 韓国人民の反阿倍。決して日本の人民に向って矛を向けているのではない。もちろん、阿倍のような卑劣なヤツらを「選んでいる」としたら、そこは非難されても当然だ。

 何度も世論調査はただの作文で、結果先にありきの人心誘導の道具であることを指摘しきた。阿倍支持が55%とか70%と人心誘導する。選挙で自公与党が勝手なことをするのを、コクミンが支持しているというのをでっちあげるためだ。
 それなら選挙など当然不要だ。だがこのインチキな選挙でもヤツらに雇われた誘導部隊が、指示どおりに動かなければ実現できない。公明党の婦人部隊のようにもはやカネでも従わない事態が出てきている。
 先日のどこかの知事選挙はいい例だろう。阿倍支持が圧倒的なら野党連合候補が勝つわけがない。世論調査のインチキの証明だ。
 話は韓国の反阿倍にもどるが、日本人民はどうすべきか。明確だろう。それは阿倍政権をぶったおすこと。阿倍政権をぶっつぶすこと。日本人民が阿倍ら為政者の宣伝する「謙韓」に同調して、韓国をもっとしめ上げろ、韓国にもっと制裁を強めよなどということに、絶対なってはならない。人民は矛先を韓国、韓国人に向けてはならない。阿倍に向けるのだ。
 阿倍に極東での緊張を作らせている、日本の支配者、命令者へ眼を向けることが、この問題の重要な核心だ。

◆横浜にギャンブル場を誘致したいと表明した市長の背後

 横浜市長は、選挙中はギャンブル場誘致は「白紙」だったという。それが今になって「誘致したい」と明言した。港湾関係者を含む市民は猛烈に反発した。
 地球支配者側の強力な命令があった。それだけだ。
 民の声などきかない。断行するのは命令者の意思。原発、辺野古、戦争。みな同じであることに注目してほしい。
 すべては、支配者の強い意図が貫かれている。
 横浜に限らず日本を白痴化したい、日本人から1円でも多く収奪したい、日本人をこつこつ勤労に励む思考から一か八かの射幸心に切り替えたいということだ。被支配者でる民の思考を捻じ曲げるのに、射幸心の植え付けはもってこいだからである。
 その真意は「経済効果」を前面に出して隠す。財政が厳しい、それを他所からの訪問客が落とすカネで補てんする、という狂った現場政治屋の政策である。
 ギャンブル場誘致とは詐欺師たちは言わない。IR誘致という。そもそも日本人に派手なギャンブルは向いていない。だが、今、戦争惹起を中心課題とする戦争屋一味にしてみれば、それを遂行するための準備が優先される。
 覚せい剤を蔓延させて精神を破壊させる。借金地獄に追いやって奴隷のように操縦する。保険金詐欺・オレオレ詐欺という不労所得でカネを奪い取る。みな同じである。現在の日本社会を覆い尽くしているのが覚せい剤犯罪。それを買うカネ欲しさに、強盗、殺人、詐欺(特にオレオレ詐欺と保険金詐欺)が増えている。
 コクミンをどうやって「戦争やむなし」の気分にさせるかということだ。圧倒的な多数の民の意志は「戦争廃絶」。それをあらゆるマジック、トリック、インチキを使って、百八十度逆にするのだ。つまり、民の思考を壊すのである。
 民のまっとうな感覚や知識をフェイクニュースで満たし、戦争の危機をあおって思考をゆがめれば、民は「戦争やむなし」になる。
 かつてゲッペルスが言った「戦争の危機をあおるだけでいい。民はたやすくなびく」というヤツらの格言の実行だ。

◆戦争の廃絶は、人民の権力によってしか実現できない

 圧倒的な民の要望である「戦争廃絶」は、人民の権力が構築できない限り、願望にすぎない。人民を支配しているものが、支配のための最も有効な手段・道具として戦争を起こしているから、ヤツらの支配が存在している限り「戦争廃絶」など実現しえない。
 では、人民権力とは何なのか。
 これは支配者がのけぞるほど、絶対に話題にしたくないテーマだ。だが、人民側にはそのモデルがある。それは、ソビエトである。ソビエトというのは日本語で協議会などと翻訳されたが、時の支配者やその道具であるマスコミは、絶対に真実を紹介しない。紹介できない。理解できないこともあるが、これは特に人民に知られてはまずいことだからだ。
 一言でいえば、人民の生活と職場の末端から網の目のように構築された組織だからだ。人民の意志がここに結集している。
 この組織が背景となって、1917年のロシア革命は成立した。もちろん、人民の利益を実現するというときにさまざまな運動論が絡んで、中核になる政党や運動体によって、完全に一致したものではない。だが、人民の利益を実現するという目標においては一致している。発展の不均等性から一定の対立があるのは正常なことである。
 ツアーの政権下での二重権力。革命直前のケレンスキー政権下での二重権力。決起のときには「すべてをソビエトへ」というスローガンのもと、ツアーや資本家の側の権力は壊滅させられて、レーニンの政権ができた。
 生活と職場の末端には無数の人民権力、すなわちソビエトが存在し、ソビエトがレーニンの革命を圧倒的に支持していたから実現できたのだ。

 ソビエトが自滅してロシアになった。中国が鄧小平の資本主義化路線で資本主義が導入された。かつての資本主義と社会主義の競争、冷戦は、社会主義の自滅で決着がついたような時代を迎えた。
 地球支配者が旧共産圏について、現在口汚く攻撃するポイントは「国民に選ばれていない独裁者の国だ。共産党の一党独裁という民意が中央政治に反映さえることのない国だ。これを民主主義国家にする」という主張だ。独裁国家など崩壊して当然、人権を実現するには、イエロー革命などあって当然と、反乱をあおる。
 実際にロシアや中国をこれで攻撃している。ウクライナ、キルギスや香港での出来事は、この主張から地球支配者が謀略を進めているものだ。
 この支配者の「一党独裁」攻撃に、かつての左翼も含めてロシアや中国も反論しない。できない。そこに悲劇がある。
 ソビエトは戦争に次ぐ戦争の地球支配者側の攻撃の連続に、疲弊して負けた。一国社会主義実現理論の敗北という解釈もあるが、重要な教訓がここにある。それは、ソビエトという人民権力の意義と本質を、戦争の忙しさを理由に軽視し、あげくは事実上放棄したことにある。
 人民の利益を実現するには、これしかない、と口を酸っぱくして説いたのはレーニンだ。名著「国家と革命」は、人民の利益を実現するには革命しかないこと。革命は人民の権力であること。二重権力を構築するのだということ。ソビエトに依存せずに人民国家は維持もできないことを説いた。
 革命は空から降ってこない。人民権力を日常の反人民権力との闘争の中で芽生え、成長するものとして、人民権力の構築の継続が欠かせないことを、繰り返し話した。
 ところが、権力は腐敗するという諺よろしく、いったん権力ができると、ソビエト権力の防衛に追われる。防衛は党の独裁、強権の発動という手段が手っ取り早く採用される。すると、地味でこつこつと論議を繰り広げるような、生活と職場の足元での活動を軽視しがちになる。
 いつの間にか、上からの指導者の命令・支持が優先され、緊急時とはいえ、反対意見は「反党=反人民=裏切り」とみなされる風潮を作る。地球支配者が攻撃する構図ができあがる。
 つまり、逆だったのだ。どんなときでも、人民の生活点と生産点に存在する人民権力を動員する。人民の本来の利益を実現する、守るために、何をどうするべきかを検討する。これが背骨になって、中央政権が判断して動くというルールを揺るがしてはならなかったのだ。
 中央政権はもしも判断に相違があるのなら、それをソビエト末端に解明して理解を得ることが必要だ。これがない所に、独裁とファッショがある。
 人民権力は人民の生命そのものだ。人民権力には己の現在と未来を決める権利と意思がある。もともと、それが地球支配者によって否定されていたが故に、組織したのが人民権力であったことからして当然のことだ、
 人民権力が自らの意志で選んだ中央政権は信頼する。だが、いつの間にかルールを無視した政治屋に変質したのであれば、人民権力側がその政治屋どもを入れ替える権利を持つ。
 圧倒的多数の人民の意志が、自分たちの選んだ中央政権によって否定されるとしたら、それはそのまま、ここで論じてきた「戦争廃絶」問題と同じではないか。

 ロシアや中国や旧左翼が「一党独裁」「民意が反映しない非民主主義国家」という攻撃に反論できないのは、その政権がそのままそうした政権に陥っているといっていい。
 だが、当然だが、問題は民の側だ。中央政権以前に民の側に確固とした民の利益を実現する意識と、その組織的表現としての人民権力がなければ、何も変わらないのはいうまでもない。

◆人民権力を理解しないと、為政者に媚び、改良を求めるだけになり、ついには為政者の戦争に賛成する

 全世界がこれに覆われている。一度だけとはいえ、人民革命を実現して見せたレーニンは計り知れない教訓を残した。レーニン主義とは、突き詰めれば、人民権力思想のことである。
 そして、人民権力思想を際立たせるために明らかにしたポイントは、改良主義者との論争だ。改良・改善そのものを否定するものではなく、人民の闘争が改良・改善を「目標」にしたり、その実現に「満足」してしまう。さらには、改良・改善の蓄積によって、人民の圧政がなくなるように主張することの誤りだ。
 つまり、革命的な視点から見たときに、この主張者が蔓延し、強く唱える行為が、民の革命的な意識の変化を阻止する大きな障害になっているということを、力をこめて指摘したことである。
 改良主義者は、生活や職場での改良・改善主義に夢中になるばかりでなく、時には革命的な人民の自覚の高まりに攻撃を仕掛けてきた。
 さらには、戦争を面前にして見せた改良主義者の振る舞いである。為政者が戦争の危機をあおるのになびく。例えば現在の謙韓・ヘイトトークに同調する。戦闘が始まるとそれを大政翼賛会に積極的に加わる。反戦派を攻撃するようになる。
 第二インターナショナルの裏切りという事件は、その組織の指導者だったカウツキーらが、第一次世界大戦において自国の反人民政府と一体になって自国の為にともに「敵」とたたかうとして、人民を裏切ったこと。
 レーニンは「革命思想はそのようなものを拒否する」と。強欲なブルジョア同士、帝国主義国家同士の植民地の分捕り合戦に協力して戦争するなど、絶対にやってはならない。民の命を使ってしようとしている戦争主犯(この場合はその国の政治屋)にこそ人民の矛を向け、やっつける必要があるのだと。「戦争を内乱に転嫁する」ということこそが、革命家の思想だと主張した。
 階級的な視点を常に持つものであれば、容易に理解できるものなのだが、改良主義者にはここが理解できない。だから、多くの民を巻き込んで、大政翼賛会へ流れていく。

◆人民権力の構築にこそすべてをそそげ。表の偽造ニュースや政治の動きに惑わされるな

 中東でも極東でも、連日のニュースは危険極まりない。アマゾンでは原生林に火をつけているやるがいる。トランプはグリーンランドを買うなどという。G7は終わったが、地球一元支配者の団結力はもう見えない。米国の世界の「憲兵」による安全は日増しに低下していっている。
 自国の勝手を主張する無政府主義化している。だが、この勝手と混沌こそが、現在地球一元主義者が望んでいるのではないか。
 どさくさにまぎれて、背後で謀略組織を暗躍させて、徐々に支配権を広げていく。そして、表題のような戦争への危機の増加だ。
 人民はここで述べたことをしっかりつかむことである。すべては人民権力の構築にかかっているのだ。これがなければ、為政者が何をしようが、なされるままで何もできない。愚痴にしかならない。
 阿倍により増税させられ、年金を奪われ、あげくは戦争に突入しても、ヤツらとの対決に必要な人民側の権力がなければ、話のスタート点にもつけない。人民の利益は天から降ってこない。
 改良・改善に少し手を出してたたかっているのは、たたかいが消えた今確かに貴重かもしれない。が、これに覆い尽くされ、嫌韓に同調し、阿倍に投票する。日本を巻き込んだ戦争が始まれば、間違いなく大政翼賛会となる。
 知事選で野党が手をつなぎ、反阿倍的な知事が実現したとしよう。これはこれで貴重かもしれない。が、そこで何ができる。IR誘致か。かつての民主党は立憲民主党と国民民主党になった。国民民主党は選挙が終わるや、阿倍の改憲論議への参入を宣言した。阿倍と手を組んで改憲はやろうというのだ。
 だが、立憲と手をほんとに組めない理由がもうひとつある。それは、国民民主党の支持団体である有力労組が原発に従事し、原発廃止に反対しているからだ。逆にいえば原発賛成で阿倍一味と同じ主張なのだ。
 いわば、主義主張は阿倍と同じで、単に組織を別のように装っているだけなのだ。これは野党ではない。野党は人民の味方ではない証拠がこれだ。阿倍即打倒。原発即廃止を公然と口にできずに、人民の支持を得ようとする組織があり、それが巨額の税金をせしめている。
 民の意識について、たびたび取り上げているが、民のための改良にも値しないレベルのものを、民が支持しても、誰も「そんなのは自由だろう」ぐらいしか思っていないことである。
 つまり、日常の意識が完全に為政者の用意した枠内に甘んじていて、同じ為政者があおる戦争の危機に「ほんとに戦争が起っちゃうの」と心配を寄せているということだ。
 「正義を求める人々へのメッセージ」では、容赦なく指摘する。為政者への甘えと依存心を根っこからそぎ落とせ。階級的、革命的視点を自分の中に持て。そうしなければ、民は自分も含めて脱出することはできない。
 民自身が、自らの権力を生活点と生産点という足もとに作り上げることだ。だが、現代の社会では、最低限のこの意識すら理解できないのが大半だろう。そういう意味では、もっともっと為政者にいじめ倒されなければならないのかもしれない。ほんとうに戦争にまきこまれ、はじめて真剣に考えるのかもしれない。だが、そのときには多くの場合は遅いということも指摘しておこう。
 しかし、あまり難しく考える必要もない。少しでも正義を求める気があるのであれば、下記のことはわかるだろうし、少しは実践もできるのではないか。自分の周囲でこれを真剣にかたり、この基本的な原則を思考の核心にするなら、必ず人民権力は発生し、育つ。やがて、世界的な規模の強大な力となる。そのときに、かならず戦争は廃絶できる。

 第一、ひとを不愉快にさせたり、迷惑をかけないこと。
 第二、カネの盲者、欲の盲者にならないこと。
 第三、子孫に負荷をかけない、未来にツケをまわさないこと。
 第四、戦争の禍根を解き放つこと。他国へのよけいなお節介をしないこと。
 第五、人間の尊厳をもって生活できるようにすることへの貢献。