記・国民B(2019.3.19)
■人民闘争の活動がヤツらからの弾圧を受ける。だが跳ね返すのは人民権力のちからだけだ

 人民権力を語ると、聞いた方から「弾圧されるのでは」という危惧が出た。それについてこの機会に触れてみたい。
 地球支配者とカイライにしてみれば、もっとも恐れるのは、自分たちの独裁支配の崩壊だ。人民権力は最も危惧すべき思想だ。ゆえに弾圧はある。だがこれは案じてもくるものだ。それを許さず、跳ね返すのも人民権力の力以外にない。
 権力からの弾圧が今どきはないだろう。民主主義社会で小林多喜二が虐殺されたような悪夢の時代が再度起こるわけがない、などとノー天気なことは間違いだ。
 現在においても、為政者は弾圧をおこなっている。海外於ける暗殺が報じられる。最近もボーイング機が落ちた。ハノイでの米朝会談時にもトランプ暗殺が試みられた。
 日本でも同じだ。気骨の弁護士が「病気(多くは急性ガン)」で殺されたのをはじめ多数ある。特別会計の闇に迫った石井議員はやられた。鋭い発言者は痴漢者にされた。テロに巻き込まれるとか、保険金殺人にあうとか、病院で注射されるとか、手口は公然ではないが、陰湿卑劣になっている。
 だが、人民権力のたたかいは圧政がある限り、いかなる手を使っても封じ込めることは不可能である。いつでも、どこでも、ゴキブリやアリンコのように湧き出て来るものだからだ。

◆現代の反人民思想の核心は何か。自由と民主主義をよそおった卑劣な攻撃にうなずくな

 地球支配者の圧政をあばき、人民が奴隷状態からの解放を目指すたたかいを訴えてきた。こうしたたたかいを広げようとすると、当然だがヤツらからの猛烈な反撃・弾圧がある。
 ヤツらが支配するマスコミは無視する。出版も事実上拒否される。ネット世界からも「バン(サイトの強制閉鎖)」される。足元では村八分の攻撃にあう。職場では解雇の窮地に追いやられるようなことが起こりえる。
 ヤツらはたたかいに対して、最大のものとして行うのは思想攻撃だ。思考についての攻撃で、マインドをコントロールしようとする。マスコミを通じて、ニュースを通じて、ネットを通じて、細やかな攻撃を続けている。
 人民が人民の思想をもち、人民的な思考をすることを、さまざまな手で否定するのだ。
 それは当然であろう。ヤツらの邪悪なゴールの実現のためには、絶対的につぶすべきものが人民の人民的な思想と行動であるからだ。その根幹をみてみよう。

 過去に人民の闘争をリードしてきたのが英国の経済学であり、フランスの階級闘争であり、それをまとめてきたものがマルクスやレーニンの主張であったからだ。つまり、現在は死語ともいえる「社会主義・共産主義」「マルクス・レーニン主義」の思想だった。
 人民闘争が世界的に押しつぶされて、捻じ曲げられて、さんざんな目にあっている現在の段階では、本質が同じであっても、大きな見直しをするべき段階になってきている。
 つまり、世界的にも社会主義・共産主義の旗をかかげた国家は消え去りつつあり、残っているわずかな国ぐにも、経済では地球支配者陣営の制裁を長期に受けて、貧困国に甘んじるか、逆に経済面では資本主義を認めて制裁を逃れ、経済面から資本主義に寝返っている状態だ。※
 報道で示される社会主義・共産主義は誤りとか暗黒面ばかりが宣伝されて、素朴に信じていたものの反論に窮し、口をつぐんでしまっている。
 わずかに残存する党派があっても、理論的なテーマ、つまりヤツらの思想攻撃に理論的にしっかり正面から反論することが消えていっている。訴えても人民からの反応が乏しく、反論の行為がむなしすぎることによる。
 単純に、固い、難しいことを、専門用語で展開されても、チンプンカンで、皆逃げていくようなご時世だ。

 日本では社会党が消えた。共産党が残っているが、内実は主義主張も大きく変えた。人民という用語を捨てて、階級を消した。国家を論じることをやめて、現在の国家を議員の数で、つまり選挙で改革するという、かつての社会党と同じ改良主義になった。
 共産党に反旗をひるがえした、かつての新左翼はどうなったのか。当時の闘志は高齢化がすすみ、若い人から見放されている。かつて大きな労働者の力を誇った労働組合は、その存在感を労働者自身が失い、かつてない底辺をさまよっている。
 単純に、理論闘争どころではない世になったのだ。ヤツら為政者にとっては、望んだ社会の姿が実現されているのだが、とどめを刺そうと一層の攻撃を強めてきている。
 ネットでの安倍支持、ヘイトスピーチは花盛りだ。すでに社会主義でもない共産党への攻撃も手を緩めない。ヤツらの攻撃は、人民の圧制への抵抗がある限りやめることはない。
 安倍政権下での反人民の政策の強化は看過できない。ファシズム政策を続けてきたが、その仕上げは人民闘争を封印することだ。しかも「自衛隊の憲法明記」と並行して「現政権を否定する組織と活動の非合法化の憲法明記」を狙っていることだ。後者はまだ表にはだしていない。
 現憲法にも明記されている「思想信条の自由」や「結社の自由」という、歴史的に人民がたたかい取った自由や権利が、安倍によって一気に廃止され、人民の正当な活動が大きく制限される。
 ファシズム化での非合法闘争となる。現在国会で議員を有する共産党は、例え「今はもう心情を捨てた」と主張しようと、非合法、追放の措置を受ける。許されるような甘いものではない。
 民主主義の日本で、まさかそのような歴史の後退は起こりえない、と思う人がほとんどだろ。残念ながら人民の、いや一般大衆の意識と自覚は、ヤツらの先制攻撃についての感覚が何十年も遅れているのが実態だ。
 戦後においても、ヤツらは戦争による恐怖支配を続けるために、戦後に朝鮮戦争を起こす。そのときに共産党は大弾圧を受けたのを思い起こすべきだ。レッド・パージで、公職追放され非合法に追いやられた。野阪参三が平和革命を言っていた時だ。その後当然だが暴力革命が非合法で盛り上がり、激しいたたかいが起こった。
 間を置かずにベトナム戦争だ。若者がどれほどヤツらの弾圧にやられたことか。これらは、わずか数十年前のできごと。これが繰り返されるのだ。再発しない理由はまったくない。
 あのときに、松川事件だ三鷹事件だ下山事件だとヤツらはでっち上げ事件を起こしてまで、共産党や人民闘争をはめた。ヒトラーが自分で国会に放火して共産党弾圧をしたのと同じ、単純で見えすえたウソだが、多くの大衆はたやすくだまされる。

 だまされても気づかない大衆。ちっと逸れたことだが、ここに例を記す。
 一つは、先日NASAから妙な話があった。いわゆる月から持ち帰った石だが、よく調べたら、何億年も前に地球から飛んで行った石だった、というもの。おいおい、そんなバカな! 月に人類は行っていないと主張する派の裏付け?!
 また、米国は秘密期間が過ぎた公文書を公開しているが、その中に「ヒトラーは1945年のナチス敗北時に死んでおらず、南米に逃れて高齢まで生存していた」として、写真を複数枚公表した。えっ!それって、そんなに簡単に教科書の記述が違っていたっていうのはOKなのかい。
 さらに、戦中日本軍が南京で何万人も虐殺したという件。当時の駐ドイツ東郷茂徳大使が「50万人を虐殺したことを自慢していた」という米国の公文書。米国は「行為を非難した」と。時の原田少将は「対応を約束した」とのこと。これも驚きだ。南京虐殺などなかったとか、当時の南京住民の数を超える虐殺などありえない、んじゃなかったのか!?
 2年前の米大統領選挙のとき、開票の直前まで「ヒラリー82%で圧勝」の予測と称してウソを世界中にまき散らしたのが、ヤツらのマスコミだった。つい最近は「トランプのロシア・ゲート事件」とか「売春婦への支払い」とかで、いかにトランプが追いつめられているかを大々的に報じた。だが、それらが実はただのでっち上げニュースで、何の証拠もなかったと議会に正式に報告されたことには、一切口をふさいでいる。
 というように、地球支配者は歴史のその場では真実を隠し、大本営発表という報道が現実に起こっていることとする。隠された真実はヤツらが追い込まれたとき、隠し切れないとき、それを公表して別のだましをやろうとしたときに、さまざまな思惑でこんなことをする。大衆はほんろうされる、いい例だ。

 現在の共産党をどうみて、どうつきあうか。根底において、現在のパラダイムを根本からくつがえすという姿勢を捨てたことは間違いだといいたい。だが、現実のたたかいの現場では、そこでの彼らの反安倍政権の行動は否定しない。個々の課題が共通である限りともに力を合わせる。
 日本の共産党が将来どう変化するかはわからない。ほんとうの革命の姿勢を強めるのか、それともいざというときに人民をうらぎるのか。それは情勢の変化に左右される。裏切るようなときには、人民がついていかないだけだからだ。
 ここで、共産党の名をあげたのは繰り返すが、安倍ファシズム政権は現在の共産を含む、すべての人民の反ファシズムのたたかいを、一気に非合法へ持っていく危惧が強まっている。
 共産党は現在中央・地方の議会でそれなりの勢力を持っている。最近の特徴は他の野党がだらしないことから「共産党抜き」ができなくなってきたことだ。つまり野党連合のなかで、それなりの存在感がでてきた。
 安倍を永遠に、安倍を柱にしてファシズムの強化、安倍政権で憲法改悪をして、いつでも対外への侵略が可能な日本にする、というヤツらの当座の目標がある。それには共産党も含む反権力のたたかいを憲法で封じたい。
 安倍らはすでに、戦争法、秘密保護法、共謀罪と法を作り、後は憲法への記述を残すだけになっている。よくもここまで安倍はやったものだ。というより、コクミンは許したものだ。安倍らはこの勢いで、憲法までやる気なのは疑う余地がない。正面から「共産党や人民闘争の非合法化」を出そうものなら、現在の日本でもさすがに炎上するから隠しているだけだ。どさくさで出す気だ。
 思想信条の自由、結社の自由を完全に封じるもので、ファシズムそのものであるからだ。もちろん、ヤツらは自由と民主主義を新たな社会情勢下で必要で世界の常識だとか、ファシズムを隠すだろう。「日本病」に深く染まった「グーミン」は、安倍政権が必要だというのなら、となびく。そう踏んでいる。
 辺野古の工事強行、原発再開の強行、種子法廃止、TPPの強行、水道法。ちょっと流れたが、著作権法のダウンロード法。ヤツらはちょっとした間違いなどではなく、本気、本腰入れてファシズムの道を走っている。人民の活動を封じようというのは、ヤツらの悲願だ。
 安倍らは、ここ何年もモリカケ、偽装データで空転している政治に嫌気を感じている。歴史の教訓は、このように独裁を「民主主義のベールで隠したまま」進めることが面倒になってくると、露骨なファシズムの方が手っ取り早い支配体制だと考えるようになる。
 安倍の取り巻きや日本会議などは、弱体化しながらも、一方では露骨なファシズムの実現を考えている。それが反体制派の非合法化だ。安倍が明治の帝国独裁を取り戻す。

◆安倍らが憲法に書きたい「共産党と人民活動を非合法化する」主張

 安倍の取り巻きが、朝鮮マフィアだった岸らの時代から、様ざまなところで主張している。

 【共産主義は二十世紀の妖怪だ。その証拠にロシアや中国で何千万人をの人命を奪った。マルクスの史的唯物論、余剰価値説は何の裏付けもない夢想だ。資本主義の次が社会主義だ、共産主義だということを科学的必然とする論理展開は、ソ連の消失が欺瞞であることを自己証明している。現政権を暴力革命で覆そうという目標をもつ共産党は独裁党であり、民主主義社会で認められるべきことではない。ドイツと同じように党組織、党活動のすべてを許してはならない。自由と民主主義の社会的秩序を侵害・排除しようとする意図があるだけで、憲法違反の犯罪だ】というもの。

 ヤツらが共産主義・社会主義を認めないというのは、上記のようなものだ。人民闘争の歴史から見たら、人民が自らの意思で生きる権利と自由に関する点だ。別項で「野人として生きる権利と自由を認めるような社会であるか否が」が反人民の権力のもとで奴隷になっているか否かだと指摘した。
 この世に生まれて、自分の意思で生き方を選択できるのか。そこに人間としての基本的な権利と自由がある。その自由がない、つまり、そうできない壁が存在するとすれば、それは人為的なもの。その「国家」が民の自由と権利を奪う。
 人民の国家なら人民の利益に反さない限り自由と権利は保証される。思想信条の自由、結社の自由は保障される。実際の行動で人民の利益に反することをすれば、拘束され、行動は制限される。
 反人民の国家は人民を奴隷として所有したがる。管理し命令したがる。為政者に反抗する意思があるだけで、弾圧の対象になる。現代の法治国家では表面的には「思想の自由、結社の自由」は認められる。実際の行動で反した場合は取り締まられることになっている。ファシズムとの相違は、露骨な独裁支配だ。
 「思想の自由、結社の自由」そのものを認めない。「抵抗する意思がある」と見立て、でっち上げれば、何の制限なく人民を逮捕投獄できる。
 民主主義を建前とする国家ではファシズムを自称しなくても、内実はファシズムを望んでいる。表は民主主義でも法には防波堤としてファシズム的な内容を記したい(記したら公然たるファシズム国家だ)。
 戦争法、秘密保護法、共謀罪にしても、すでにファシズムなのだが、ヤツら自身が自称しないかぎり、民主主義国家・法治国家のようなごまかしができる。
 このような国家は誰が主権者か。少なくとも人民を弾圧しようとする国家が人民主権の国家ではない。あくまでも、人民を支配するシステムを続けたいという集団の国家だ。人民を奴隷として所有する意思を持つ者の国家だ。支配の道具としての国家である。
 この為政者に、そもそも人民の自由と権利を奪う「権利」は存在しない。ヤツらは、自分が国家を道具として人民を支配している社会の秩序を維持する役割を持っていて、その立場からの任務の行使をするうえで、秩序は会社を取り締まる、あるいは予防する「権利」があると言い張る。すり替えである。
 社会の秩序を維持する、とは単にヤツらの支配を維持するということで、人民の自由や権利をそのために奪うということはあり得ない。そもそも自由や権利と、ヤツらの体制維持が比較できるものではないし、人民の自由と権利は永遠であり、いかなる記述があろうがなかろうが、犯しえないものとして普遍的に存在するものだ。
 そもそも「憲法に記述する」ことで正当性や保証を固めたいということ自身が邪心である。
 人民が主権を持つ国家であっても、この自由と権利は同じだ。人民国家の憲法で明記されていても、されていなくても、人民国家の転覆を思想として持ち、結社を作るのも自由だ。だが、その行動が反人民的なものであれば、単に人民が許さないということ。
 だから、仮に人民国家で、その国家や指導者が「人民の活動の弾圧や虐殺」をしたとしよう。これは人民の利益の防御という点で明らかに人民の意思に敵対するものであれば、その国や指導者はその時点で人民の敵である。これを許さないのが人民の権力だ。
 人民権力が土台となる人民の国家は、現代の民主主義や法治国家を偽装した国家とは、性質が異なる。すべては、人民の自由と権利、人民の利益を守るものであるかが基準になる。もしも、それを忘れたものであったり、変質するようなことがあれば、それは人民の権力によって内部から許さない。何度でも革命をする。

 安倍ら満州マフィア一味の憲法改悪の意図は、とことん邪悪だ。地球支配者、世界的ディープ・ステート、その指令に忠実な日本のカイライとして、いまだにファシズムの道を走っている。「高い安倍支持率」を前面にして、ヤツらの横暴を許しているのは、多くの大衆だ。
 これは歴史的にみても稀な現象で起こっているのは、これほど人民に対して正面から圧政を実行しているのに、日本で「革命」が起こらない。その機運する感じられない。世界から見てもわかりにくい政情だとみられている。
 安倍が政権に就いて以来。人民の生活は音を立てて悪くなっている。比例して労働運動や人民活動が小さくなっている。これには現在誰もが応えていない。不思議がられている。欧米では巨大な反圧政のモーブメントが起こっている。フランスでは黄色いベスト運動はいまだ燃えている。米国ではトランプの打ち出した政策に対して、真っ二つに分裂して内乱状態だ。※
 だが、日本は安倍がどんな悪事をやっても波が立たない。多くの先鋭的な活動家や提唱者は嘆いている。ある人は運動はやめてないが、徹底的な虚無主義になり、その観点からの提唱を続けている。「グーミン」の名付けたのは医師の内海氏。
 ある人は大衆の感覚は完全な「日本病」に陥っていると嘆く。民の無反応にはあきれるばかりだという。だが、すごいのは徹底的な現実の直視からでたアイデアだ。現在の政権に属さない協同コミュニティを地方から作ろう。安全な食糧の確保も経済も自力で行おうと。これは人民権力のスタイルである。坂の上氏。
 ある人は「今だけカネだけ自分だけ」に大衆は支配されていると指摘する。これじゃいかん、正気に戻ろう、という具合だ。
 この項の最初に指摘した、ヤツらの「共産党と人民活動を非合法化する」意図はたやすく実現されるかもしれない。それほど一般大衆は、政治にたいして、牙の抜かれた猫になってしまっている。その理由は、大衆がくまなく支配体制の歯車に組み込まれているためだ。
 組み込んだ為政者の巧みな、最高度の手法が実を結んでいるからである。それを冷静にみつめて、人民はこの政治状態、この体制下での人民のたたかい方を提唱していかなければならない。
 ヤツらが人民の活動を非合法化にすれば、それはますます重要になってくる。ここで提唱する人民権力構築の活動の大切さはここに意義がある。ヤツらが仕向けてくるややこしい理論問題などに迷わされる必要はない。また、共産主義や社会主義が何千万人殺害したとか、民主主義を否定する独裁だとかに引きずられてはならない。
 地球支配者やそのカイライである満州マフィアこそが、悪の限りを尽くしてきたではないか。地球支配者は、ここ何千年も絶えることなく人を殺害し続けてきた。ヤツらには民主主義など端から欠片もないのだ。民主主義のベールをかぶって独裁をしているのが真実だ。
 こんな連中のふっかけには惑わされる必要はない。

◆グーミンと日本病に覆われた社会での人民の活動は、生活上の5つの基準にもとづく日常活動である

第一、ひとを不愉快にさせたり、迷惑をかけないこと。
 嘘をつくな。正直に生きよう。嘘は犯罪のはじまりである。
第二、カネの盲者、欲の盲者にならないこと。
 ヤツらは人民の心に潜む欲得を利用して支配する。
第三、子孫に負荷をかけない、未来にツケをまわさないこと。
 地球と未来に対して人間が汚物を押し付けてはならない。
第四、戦争の禍根を解き放つこと。他国へのよけいなお節介をしないこと。
 戦争へ向かう方向にたいして、絶対に加担する思考と行動をしてはならない。
第五、人間の尊厳をもって生活できるようにすることへの貢献。

 これは人として、当然の生活基準ではないだろうか。誰からもとやかく言われるものではないはずだ。現代において、実際に日常にあてはめるにあたって、厳密には難しいのは、まさにたたかいでもあるからだ。

 例えば、他人を不愉快にさせない、という一つとっても、そんなことを忘れた奴であふれている。自分も気づかないうちに誰かを不愉快にさせているかもしれない。そんな世だから。
 カネの盲者になるな、と言われても。周囲はそればかり。日本病の蔓延を証明しているのは、オレオレ詐欺、最近はアポ電詐欺が、日本だけで増加していることだ。一方は24時間詐欺することを考えているのにたいし、人を疑わない心情の多さ。日本人相手に詐欺することの容易さは世界最高で、外国から詐欺師が参入してきている。
 地球や未来に負荷をかけるな。見渡せば人間が都会に集中し、生きるためと称して毒を寄せている。衣食住が度を越し、それがニーズになって毒入りと医療マフィアが暗躍する。原発で毒を土壌と海に流す。宇宙開発と称して宇宙ゴミを増やす。グローバリズムは猛烈な勢いで毒を出し、未来に負荷をかけている。
 戦争の危機をあおって委縮させるのは支配の高度な手法。単に地球支配者が双方をたきつけているだけなのに。軍産複合体の存在、それが民の血税を吸い上げて太るのを正常視する。お隣の朝鮮、中国、ロシアと対立はあおっても、仲良くするのを敵視する。
 人間の尊厳ある生活を目指すのは容易でない。周囲が悪の誘いに満ちているからだ。純粋な気持ちを持ち続けようとすると「大人になれ」「ウブだ」という社会。

 だから、日常がたたかいであるのは事実だ。しかし、人民の権力を足元からつくりあげる、というこのたたかいを土台にしない限り、すべては始まらない。まして、支配からの解放、圧政を跳ね返すなど夢のまた夢だ。だが、自覚した人民は、過去もそうしてきたし、未来もそうする。営々とその活動をつづける。それしか、解放の道はないからだ。
 毛沢東は「人民に奉仕する」という文書を書いている。仲間が戦死したときにささやかな追悼の会をおこない、そこで語った言葉である。同志のその献身的な人生を高くたたえて、その意思を引き継いでこれからもたたかう人たちに向けたものだ。
 この「人民に奉仕する」は、戦中獄中18年を強いられた日本の共産主義者で、戦後GHQの共産党非合法化の攻撃にあい、中国で亡くなった徳田球一の碑に刻まれた。当時の人民闘争のこころざしを受け継ぐものに、生きる原則を示したものだ。
 徳田は、求められると色紙によく書いたのが「為人民無期待献身(人民のために期待することなく献身する)」である。毛沢東の言葉をさらに深めて、より突っ込んだ表現をした。徳田は自らそれを実践した。その際に人民に奉仕すると別の角度から表現している。「利己心を捨て去りきる」ことだと。
 徳田は実際にそのようにたたかって生涯をささげた。
 徳田が実際の活動で、さまざまな目の前に登場する出来事を判断する基準こそが、この「利己心を捨てた人民への奉仕」だった。人民の生活の5つの基準は、同じことを展開している。
 徳田は運動の最高指導者であったので、指導者はそれが求められるだろうが、一般の人にそれを求めるのは、できないことではないのかという人がいる。
 そうではない。指導者と人民は同じだ。指導者は結果に過ぎない。多くの人民が当然のこととして、この信条で行動しなければ、何も変わらない。逆にこのように考え行動することで、世は変わる。例え、自分が行動して何かが変わるのでは、変えられるのではと考えることが、まだ「期待する」姿勢が残っているともいえる。
 すなわち、この人民の生活の5つの基準を実践するのは、自分自身のためだということ。そう徹することで、必ず足場に根拠地ができる。
 足元で家族や仲間と語る中で、人間の社会関係を知り合う。誇りある生き方での共感が強い連帯を生む。「国を守る」というのは、この仲間の関係との結合を守ることだ。このときの「国」は人民権力と同じもの。
 安倍らが、北の驚異から「国を守る」という。人民権力の思想から見たら、そのウソが明確だ。ヤツらの口にする国は、自分が独裁支配体制のこと。コクミンの財産と平和のためにという言葉で人民をだまして、勘違いさせるもの。
 レーニン以降の人民闘争の指導者が、難しい言葉だが「社会民主主義者」の裏切りを激しく批判した。世界大戦のときに為政者が「全国民が一致して国を守れ」といったときに、それに追従した。為政者が言う「敵」とたたかうために、参戦したり、人民弾圧する側に加担した。
 「権力」「国家」という視点を放棄した立場。平和時に人民側からいいことを言っていても、戦時になると為政者側に立つのだ。人民は緊急時においても、戦争が為政者の国内外の人民を対立させ、殺し合わせる悪事であることを知っている。だから、国内外の為政者の参戦を徹底的に批判し、人民は為政者にこそ銃口を向けるのだと主張する。戦争を内乱に転化するということ。
 安倍らの言う「国」は人民側の側が認識する「国」とは別物。
 だから、安倍らが北の脅威をいくらあおっても、北の国や北の人民を憎んだり、制裁だ、先制攻撃だという思考に陥ってならないことが理解できよう。地球支配者や安倍らの真っ黒な意図をこそ徹底的に暴露して、ヤツらにこそ鉄槌を加える必要がある。
 足元の自民民権力は世界中の人民権力を信じることだ。世界中の人民権力は、こちらの人民権力を信頼する。この力がヤツらの力をくじく。

 文頭のテーマに立ち返ってみよう。ヤツらとの力関係は人民権力ですべてが決まる。ヤツらの邪悪な意思の実現を、どうとどめられるのかは、人民権力との力関係だ。共産党の非合法化という、ヤツらにしてみれば首根っ子を抑えたような妙手であっても、人民の生活の5つの基準には容易に手を付けられるとは思えない。
 グーミンと日本病が蔓延する社会化のたたかいは、人民の生活の5つの基準での生活である。
 人民権力の最末端の足元は家庭だ。家族での意思の結合の基準が正しければ、これが大きな社会的力になる。近年横行する社会的な事件は、家族の心のスキをついている。もしも、家族が正しい認識でまとまっているなら、オレオレ詐欺の撃退もできよう。
 家族を信頼して話すことを話していれば、悲惨な親殺し、子殺しは防止できよう。ヤツらが職場で労働者同士の結合を打ち砕き、労働運動を消去してきた。ヤツらが個人主義とエゴを社会的に蔓延させて、他人への信頼と家庭を崩壊させてきた。ヤツらは自分の支配体制の永久化をするために、もっとも基礎的な家庭や職場での意思のやり取りを、すっかりなくなるようにしてきた。
 ユダヤ・キリスト教社会では、親が子供の時期から他人との接点での注意を教えることが習慣だが、現在の日本では親が子供に大切なことを語らない風潮になった。
 学校で子供に大事な人間関係を教えない。家庭でも放棄されている。だが、人民の生活の5つの基準を過程で、自分の子供に自分の生活行動を通じて教えていたならば、必ず社会は変わる。
 ヤツらの手口に、まんまとのっかり、その手に大衆自らが加担してきたのだ。この欺瞞を見つめなおさなければならない。

※マスコミは為政者の悪事を正当化する宣伝機関:
報道で「アメリカが…」「韓国は…」「日本…」と表現する。だがヤツらの宣伝機関のマスコミ用語で、階級的視点がない。「基地がなくならないのはアメリカのせいだ」というときに、米国の人民から見たら景色は違う。日本から「俺たちのせいだっていうのかよ」となるだろう。米国をカイライとして支配している、地球支配者の意図で存在している日米軍事不公平条約のせいではあっても、米国人民の意図ではないのは明らかだ。だが「米国のせい」を長期に見せられ続けると、日本人は米国と米国民の意図を同一視していく。つまりマスコミは人民的、階級的な視点を消していく役割をしている。
※フランスの黄色いベスト運動が続いていることのマスコミの報道は、人民の要求は報じない。デモでの破壊活動や経済的損失やテロの危険だけが報じられる。こうした視点からのニュースが何度も繰り返されると、階級的視点を失い、ただデモが反社会的で危ないということだけとなる。
※米国が日本が「北朝鮮に制裁」「イランに制裁」「ロシアに制裁」…とマスコミは報じる。それが当たり前の正義のように垂れ流される。だが、米国や日本に他国や他民族に制裁を加えるなどの権限はない。「自分はやり放題だが、お前はやっちゃいけない」という鼻持ちならない優越主義、不平等を正義であるかのようにふるまう、ただの横暴だ。理由が自由と民主主義を危険にさらす行為をするからという。だが、地球支配者自身が今までやってきたこと、やっていることを見るなら、北朝鮮やイランの行為に対して比較できないほどひどい犯罪だ。