記・国民B(2018.11.6)
■全世界の人民を支配しているのは世界金融軍産複合体。国は支配の道具にすぎない。奴隷根性を放棄するためにはどうするか

 世界は激しく激動している。カオスのなかにあるように見える。世界と日本の動きについて俯瞰してみよう。本当は地球から視点を遠くに飛ばして、宇宙的の現在的な観点から見たらいいのかもしれない。少なくとも、人民の歴史的な視点として、大きく何百年、何億年先に己を置いて現在の出来事を見つめてみる必要がある。
 今地球上では主人であるべき人民が何者かによって、がんじがらめの支配下にあっている。表から隠れた何者かが世界的に人民を圧制下においている。圧制そのものも一言で言い表せないような複雑な状態に陥れている。特に人民の思考についていじられ、まっとうで素直な考えができないようにされている。
 何者かが圧倒的な数におよぶ人民を支配しているという、単純な事実がみんなに知れてしまえば、支配など続けられないからだ。人民は支配されるのを好むわけがない。相手は話にならないほど一握りの連中だから、被支配者出る人民がノーと意志を表示して、支配に従わなければすぐにヤツらの支配は終わるからだ。
 では、なぜに何千年もそうした一部の連中による人民支配が続いているのか。ぼぼ支配されているという実感を持ちながらも、人民のヤツらへの反抗が勝利してないのか。こんなに長い期間において人民の非服従の抵抗が実を結ばないなどということがあり得るのか。
 これこそが支配する側の最大の秘密である。支配される側に絶対に悟られてはならない支配のツボである。それが支配する側だけが持つ支配の帝王学である。
 現在明確なことは、この秘密が通用しなくなってきてるのだということである。ヤツらは人民に隠し通し、永遠に人民を奴隷にした状態での支配を続けるもくろみだったのだが、それがほころんできたということだ。
 まずその支配の秘密の核心を明らかにしよう。
 それは第一に、人民自身を支配者側の圧制の歯車のひとつに組み入れること。
 人民自身が人民を支配する機構の一端を担わされ、常に人民への加害者の立場に置かれていることだ。
 第二に、定期的に理不尽な戦争と紛争に人民を巻き込むこと。
 人民自身の思考を常に振り回し、問題の解決に至る前に壁にぶち当ててあきらめさせる状態を維持することである。問題の解決の道は常に過程で終点が見えない状態にすることである。
 第三に、思考を多重の壁で遮断していること。
 民主主義、民族と国家、宗教、貧困格差等々支配維持のために人為的に作られたもの。人民がヤツらに奴隷として支配されているという単純な事実を悟られないために、事態が解決できないほど複雑で幾重もの深いベールに包まれているものだと錯乱させることだ。そのために人民同士が対立し、争いが絶えないようにすることだ。
 ヤツらの秘密などというのは、実にくだらないほど単純なものだ。ヤツらが人員を奴隷として支配している。永遠に続けようとしている。そのために人民を「支配など被害妄想だ」とだましているだけなのだ。
 だますことを続けることが、即支配の維持なのだ。だましの構造に組み入れられ、そのど真ん中に置かれているがため、だましの構造が見えないだけなのだ。

◆人民自身を支配者側の圧制の歯車のひとつに組み入れられている
 再び映画になる「七つの会議」(池井戸潤著)。ここでは企業が社員を働かすことの目的と意味が説かれている。人民が普通に社員になり、会社に勤める。「仕事」をする。それでその社員の生活がなりたっている。だが「仕事」は「一円でも安く物を作り、一円でも高く売」り、企業が利益を増やすという一点に収れんするようになっている。
 「仕事」は部下に理不尽な指示(パワハラ)を与え、下請けに対して徹底的ないじめをする。この「仕事」の仕組みには必然的に悪と邪心があり犯罪が生まれる。生産する物が人民の安全と便利に寄与するものでなければならないという規制が悪によって密かに敗れそうになる。
 労働者はこれを当然指摘しようとすると「仕事」を推し進めようと、命令した上司や周囲がそれに反対するという矛盾が描かれる。これは社会的に告発されれば、多くは一社員のミスあるいは犯行として処理されて終わる。さも些細なこととされる。いやそうしながら企業は生産を続け社会に関与していく。つまり、企業活動を通じて、社会がある方向に動いていく。それに全社員が組み込まれ加担するのだ。
 ほんとうに「仕事」が人民の安全と便利、繁栄に寄与することを追求しようとすると、そこからはじかれていく。
 政治機構でも同じである。モリカケでの公文書の隠蔽改ざん問題。公務員として働く人民。財務省内で安倍の犯罪を隠すために、上司に指示されて手を染めたのだが、犯行はなしてはならない犯罪であるにもかかわらず、末端の何人か軽い罪をかぶっただけで、指示した上司は罰を受けていない。
 安倍はのうのうと「議員が国民から信頼されていない」とのたまう。信用など最もされていない安倍の口から。
 日本というのは一つの国家。その機構で働くものは公務員に就職した人民。国のトップあるいは上がもくろんだ方向で、全公務員が「仕事」として動かされる。企業と同じように、そこで働く公務員は「仕事」として、積極的に受けからの方針の徹底のために働く。
 「人民に奉仕する」のが仕事のすべてであるはずなのに、安倍の犯している犯罪の遂行の一端を担うのだ。
 このように企業で働くにも、公務員として働くにも、そこにいるのは人民自身なのである。企業戦士が公務員が官僚が日々行う「仕事」のなかに、支配者の支配の意図が貫かれている。人民が自ら見えていないだけで、人民が人民を支配するという矛盾を実行しているのだ。
 例えば食品。スーパーで売られている。テレビでは店に並ぶ商品の開発から生産の工程を自慢げに宣伝する。そこで働くものがいかにいきいきと知恵をしぼり、提案していい製品を作り上げているか。生きがいと喜びを感じているか。安全と安心のためにどう取り組みをしているかと、放映して知らせる。売れ行きを伸ばすために皆が一丸となって努力しているかを映像でしらせる。
 うっかりすとその細やかさにうなずいてしまう。番組自身がすばらしいCMになっている。だが、そうして社会に提供される食品が、実は社会を滅亡にむかって力強く引きずっていることは報じない。つまり映像は視聴者の目を目前のことに引き付けておきながら、巨悪な犯罪を強引にすすめているということだ。
 CMの趣旨とは裏腹に、スーパーで売られている食材には注意しろと言われている。野菜やくだものがどうやって作られているか。種子法、モンサント、F1種、ラウンドアップといったキーで調べてみたらすぐわかることだが、人民の健康と安全に貢献する食物の確保と提供とは真逆の実態がわかる。ひとことでいえば、テレビで放映することと、コマーシャルとは全く別の犯罪が見えてくる。
 毒入り食材と言われているものだ。その毒入りがすでにほとんどを占めている。その毒が猛烈にアレルギーをはびこらせ、異常出産を起こし、発達障害が蔓延し、ミツバチ大量死を引き起こし、精子を減少させ、人体の自然なセンサーが狂わされ、深刻な病人社会にしてきたか。テレビが流すきれいごとを信じ込ませ、社員のまじめな取り組みが、支配者の邪悪な目論見の遂行に手を貸してきた。
 グローバル化の波の中で外国からの流入する商品との競争に負けないため。消費者のニーズを満たすため。安定して商品を生産し提供できるため。等々のさももっともらしい美辞麗句を信じて、嬉々として働く「仕事」にヤツらの意図である支配が貫かれているのである。
 こうして確実にヤツらの支配強化の意図は実現されて行っている。
 今、国会で奇妙な外国人雇用とか移民(入管法改定)が話題になっている。日本がなし崩し的に外国人の流入を認めるというもの。
 安倍をカイライとして上から命令している連中(地球支配者のなかでもジャパン・ハンドラーといわれている一派)からの急ぎの要請だ。だから自民党内部ですら事前の論議をしていない。単にヤツらは「日本でも大量の移民を受け入れろ」とだけ指示されたもの。これを安倍のとりまきと官僚があわてて用意したものだ。
 従来の方針を急に変更したら何もできない。さも従来の移民に対する方針にそった矛盾がないものという装いで、真逆のことを実現する。カイライはそれをわかっていてもやる。やらねば消される(自転車事故でケガして政治から身を引いたヤツが、見せしめに最近姿をみせた)。
 問題はこのでたらめなカイライの指示に「仕事」として従い、国会に提出する法案を作った官僚(労働者)がいることだ。急だからその作業に参加したものは何百人もいるだろう。でたらめであるばかりか、日本の労働者の利益にはならない。労働現場のどこでも迷惑ばかりなことが、端からわかっておりながら、この犯罪に加担するのだ。
 多少の疑問を感じても「上司の指示には従わなければならない」という軍隊と同様の官僚の掟、意見をいったり反対したら即クビという定着した組織を考えれば、例え犯罪でも目をつぶって、指示を進めるるしかない。反発して辞めたという話はないから、実際だったのだろう。
 この社会で「働いて生活のかてを得て」生きていくには、よほどの職種でない限り、仕事が巨大な政治犯罪である歯車に属していないのはあり得ない。直接ではなくても間接的には組されてしまっている。逃れられないのが現代であり、ヤツらが作り上げた人民支配の構造なのだ。
 マスコミと解説者の役割もすごい。基本的にヤツらのもくろみの実現にいかに巧みに手を貸すかだ。さも法案に問題があるというように取り上げつつも、人民は断固として認めないという点は指摘しない。ずるずると、煮え切らないまま、容認させることに力を注ぐ。この分野でも膨大な労働者が働いている。彼らはこの入管法の改定案についての報道にかかわりながらも、絶対に上司の意図を忖度して真実を報道する「仕事」をすることはない。
 ここで主張したいのは、正義を貫きそのような仕事なら拒否しろなどということではない。それはこの社会から自分で出ていくようなものだからだ。出る必要はない。これまで何度も指摘していることだが、きたるべき時までは「面従腹背」をするのである。
 先月新たに発した安倍の閣僚の一人が「うちの省で面従腹背は絶対に認めない」と訓をたれたらしい。面従腹背というのはそれでもハイハイと応じてイイ。同時に、ヤツら上からの指示が、具体的にどこがどのように反人民的な犯罪行為なのであるかを克明に記録認識することだ。これを信頼できる仲間で共有することだ。(将来、ゼネストのときが来るまで)
 自分が巨大な政治犯罪に手を貸しているということを自分で知るのは辛いことだ。犯罪が大きければ大きいほど、そして自分の正義心が強ければ強いほど、わかっていながら犯罪に手を染めるのは矛盾であり耐えられない気持ちになるだろう。だが、現代の支配システムにおいては面従腹背しかない。辛ければ辛いほどそのことを、うち開けてこれからの展望を語る仲間を増やすことである。(これが人民権力)
 米国のQアノンのごとく今はネット時代。敵に身を隠し(当然)ヤツらの悪事のすべてを広く訴える手段がる。ヤツらの「犯人追及」の手法の上をいかなければならない。

◆人民の思考を常に「奴隷根性」に浸らせている
 「奴隷根性」のマインドコントロールだ。特定のキーワードで思考が自動的にゆがめられる催眠術にかけられている。
 理不尽を常態として認め、あきらめ、長いものに巻かれ、深く追求することをあきらめ、目先の快楽をもとめる、大きいことや他人のことを考えずに自分のことだけ考える、政治には無関心だが3Sには熱中(ゆげぬき)という思考にすること。これを自由と自己責任ですすめる。
 政治は好きな一部の人に任せる、多少悪ははびこるが基本的に民のことを考えて守ってくれる、多少弱肉強食はあるが人間第一主義は揺るがず文明はエリートに任せておいても発展する、政治や経済は自ずと世界的になる、グローバリズムの波を受け入れてそれに対応しなければこれからはやっていけない。これらの考えは必然な世の流れで受け入れる以外選択の余地はないとする。
 支配者はエリートで一般人より頭はよく、やることなすこと優れていて、だから支配者として神から選ばれたのだ、と被支配者には思わせることだ。被支配者である人民はエリートに従ってさえいれば生活は保障される。それが人としての宿命で幸せな道なのだ。
 実際に目前にあると思える問題を考えてみたらいいが、一般人には何一つ解決はできないのだ。結論をだそうとすること自身が間違っているのだ。この世は一般人が考えて解明できるほど単純ではないのだ、という言い分だ。
 支配者によるこのような主張は何千年と繰り返されて、実際そのように思って疑わない一般人は多数いる。このような言い分が真実であるかのように裏付ける「事実」もある。事実が次から次に目の前に登場すれば、その主張が一般人の考えであるかのような状況になる。
 この状態の効果は絶大である。現代の支配の現実を支えている大きな要素になっている。
 この「奴隷根性」を維持する決定的な策は、定期的に戦争をすること。国や宗教でくくった場にいる人民同士で殺し合いをさせることだ。そこに配置したカイライを使い、有無を言わさず人民を対立感情でだまし、究極の理不尽状態に放り込む。
 「国民の財産と生命を守るため」「世界の自由と民主主義へ挑戦するテロリストを駆逐するため」というウソで人民をだますのだ。何千年の歴史は多少の人民の抵抗はありながらも、ヤツらの意図通りに戦争は起こされてきた。人民の思考のゆがみが維持されてきた。
 人民の思考のゆがみをはぐくみ、維持するのに、国家が行う学校教育やマスコミと解説者(評論家)の果たす役割が大きい(人民権力の力を常に超えていた)。
 その最大のポイントは「公正」と「紳士」だ。何か問題があったとしよう。例えば憲法を改定する論議。安倍という執権者が憲法を変えたいという提案をどこに向かってであろうが行うこと自身が憲法違反の犯罪だという事実。憲法は権力者の行為を縛るためにあるからだ。縛られるものがそのルールを都合よく変えようなどということが認められてはならない。
 自衛隊が憲法違反だというそしりの目で見られるような事態を解決するために憲法を変えるという安倍の論。憲法に戦力を持たないと明記されているなら、自衛隊をこそ変えるべきだろう。
 自衛隊が問題なのは国内外で災害からの復興のために汗水たらしていることではない。それは明確に災害対応の部隊にすれば済むこと。「人民の財産と生命を海外からの侵略から守るため」という真逆な主張で、国内の人民を押さえつけ、海外への侵略を企ててている支配者の道具とされている存在だ。憲法を変えるのではなく、海外への侵略の意図をこそ変えるべきなのだ。
 安倍をカイライとする命令者が「米軍に代わって極東で戦争を起こせるようにしろ」と、単に指示されただけ。指示されなかったら今改憲をいう必要など誰も感じていないことなのだ。
 さてこの改憲問題。学校、マスコミ、評論家がどう役割を果たしているか。人民の立場からの真実は絶対に語らない。それは単に一つの意見に過ぎない。多様な意見があるということで、賛成派と中間派と無関心層の意見を並べる。一方に偏るのは間違いだ。公正でなければならない。バランスが大事だ。等々必要なのは価値観だと話をそらす。
 見事に真実がかたよった一つの意見に過ぎなくされる。いったい何が真実なのかという疑問をもった人は迷うだけで、自信をもって判断できなくなる。一方だけを言うと誰かをキズつけることになる(すでに第一でわかるように、どれをとっても誰かが関与するようになっているから)ので判断は自己責任でと脅かされる。だから個人が意見を求められても、ああでもありこうでもありという解説者の真似をするだけで、常にあいまいだ。
 沖縄の基地反対をみてみよる。基地建設反対派と賛成派。極東での危機はヤツら支配者が意図的に作っているもの。それを理由にして侵略までしようとしている安倍一味。人民をだまして防衛費を増やし憲法まで改悪する。それは各国人民同士を対立するようにそそのかしているだけ。そのような悪質な支配のたくらみはすでにばれているのだ。現に米朝会談が実現し極東から危機はなくそうという動きが始まっている。
 このような事態の変化の中で外国の軍隊が他国に進駐するとか、基地を拡張して強化するなどということは不必要であるばかりか、そのような行為が悪の支配の増強強化である。いまこそ米軍の完全撤退を求める必要がある。
 つまり明日にでもトランプが沖縄から撤収すると宣言するかもしれない事態のなかで、辺野古基地の建設などは絶対に認められない。人民の主張は明確であり、一つしかない。即工事中止、即全米軍の撤退をこそが唯一の選択肢であり真実だ。
 なのにもかかわらずマスコミと解説者の論調はバカの一つ覚えを繰り返す。圧倒的な人民の利益や意志(沖縄知事選での民意)を、尊重するべきなどと言いながら、それでも一握りの命令者の側の主張を忖度する。
 基地建設への賛同をカネでとりつけていくのは権力者の常とう手段だ。民が生活のため、あるいはカネに目がくらむのを見越して、さまざまな手を打つ。つまり口ではなんとでも言ってその場をだましていく。ストレートに反対を主張するものを追い出す。権力にカネで屈する人の層を必ず用意し、彼らのもっともらしい主張も一つの意見に数えるようにするのだ。
 ああでもない、こうでもないという主張がバランスの取れた、紳士の主張であるかのようにするのだ。教育とマスコミと評論家の役割はここにある。
 だが、この手口はもう広くばれてきているのだ。日本が先進国では一番遅れているのだ。「トランプ現象」というのが毎日のように話題になる。大統領の選挙戦のマスコミの報道を思い起こしてほしい。この教訓をもっとも学んでいないのは、日本のマスコミだ。
 開票の前日まで「クリントンが80余パーセントで圧勝」と報じ続けていたのだ(フェイクニュース)。結果は拮抗というより実際は多数で勝った。この分析がまったくなされていない。ちょうど今あれから2年たち中間選挙の開票直前。2年待と同じことをしている。トランプへの悪質極まりない中傷攻撃の大キャンペーン中だ。
 結果はすぐ出る。不正をしない限り米国での人民のトランプ支持はもう揺るがないだろう。
 別項のQアノンの紹介で触れたように、トランプ勝利の核心は地球支配者の911以来の露骨な圧制の本質を人民が知ってしまったからなのだ。米国に地球支配者が配置したカイライどもが、長期にわたって「米国」という国にたかり、米国の人民をないがしろにしてきた。ブッシュ、クリントン、オバマらがヤツらのカイライとして国政としてやることなすことが全部命令者のためのもの。米国人民のためになしたことはたったの一つもなかったばかりか、911以来露骨な破壊を強いてきた。
 その際のカイライの口上が「米国民のため」だった。実現したのは財政の破綻、殺人とヤクの蔓延、悪との戦いという名での他国への侵略と干渉と破壊。世界の憲兵を維持できなくなるほどの、信用の失墜。その手先に人民がさせられてきた。争う必要がない他国の人民をむやみに犠牲にしてきた。
 はっきりともうそうしたことが嫌なのだ。カイライのやることにはもうへきへきなのだ。そうした犯罪をさも正義のように美しく飾った言葉でだましてきたのはマスコミだ。もうマスコミのいうことは信じない。
 そうした実際の米国社会の人民の声を真正面からとりあげて、ブッシュ、クリントン、オバマらのカイライが続けてきた政治の継続をやめさせよう。本気にヤツらをやっつけようとして、いたるところに人民の意志をもつグループと組織が誕生(人員権力)した。
 この声と組織がありその力でトランプが勝利したのだということを認識しなければならない。
 地球一元支配者からしてみれば、世界で最大のカイライ国家である米国がいうことをきかなくなる。これほどの脅威は何千年来まれにみる危機だ。地球の一元支配という確固とした夢がいま途絶えようとしている。これほどの歴史的な大事件(一種の革命だ)が起こったのである。
 ヤツらは必死だ。EUは矛盾が拡大してなくなるかもしれない。アジアでも中南米でもヤツらの反対するものが人気を得てきている。そうした中で地球上に残ったカイライは、安倍、イスラエル、サウジアラビアあたりになってきている。
 米国と日本のマスコミはほとんど気が狂ったように平気で露骨に命令者の支持を伝えている。まるで負け犬がキャンキャン吠えるように安倍を持ち上げ、トランプを攻撃している。
 人民の歴史は国際的な規模で変わってきているのだ。
 日本の教育とマスコミが日本人に施したマインドコントロールのもう一つのことは「紳士的」ということ。つまり、いろいろな問題については、平等、公平という言葉を悪用して、ああでもない、こうでもないというような思考にとどめさせておくと同時に、問題の解決の手法を「紳士的であるべき」として、人民の実力行使をする権利を奪ってしまったことだ。
 ケンカはいけない。暴力は絶対にいけない。げんこつでこずくなどもってのほか、という教育だ。ごもっともではあるが、問題はこれが人民から力で抵抗する権利をはく奪したということだ。最大のことは人民権力思想が奪われたことだ。
 人民からは一方的に奪っておきながら、ヤツら自身は紳士的どころか空恐ろしい暴力による独裁をしている。
 安倍をみよ。話は沖縄にもどるが、沖縄の人民の民意は明確だ。日本ばかりか世界の人民の意思も明確だ。即工事停止、即全米軍の撤退が民意ではっきりしている。それにもかかわらず、強硬に工事を再開するという暴行だ。どこが紳士的なのだ。
 沖縄の米軍駐留については、沖縄独立の時点から岸ばかりか天皇まで、お願いだから基地を置いてほしいと米国に頼んでいるのだ。極東での紛争と危機の創出は、地球支配者の放棄してはならない「要素」だったからだ。
 この度もトランプが米軍駐留は世界中から撤退するといったときに、安倍らがバッタのようにペコペコして、出ていかないでくれとせがんでいるのだ。熱海の海岸で貫一にすがるお宮も引くような安倍らの姿だ。人民の意思をまっこうから踏みにじる暴挙を紳士的というのか。
 地球支配者であるヤツらの最大のカイライ国家は米国。同じヤツらのカイライである日本。同時にカイライ米国の属国でもある日本。日米安保協約、日米合同委員会、年次改革要望書で日本は支配されている。極東の不沈空母として中国とロシア包囲網の拠点である。
 首都上空は米軍の統制下にあり、日本の航空機は自由に飛べない。旅客機も同じで国際空港をわざわざ不便な成田に作った。この体制に意義ありでついに自民独裁が破れて、民主党が政権についたことがある。今年安倍のもとで米国からの要望書は復活したが、民主党政権がまずやったことはこの年次要望書の廃止だった。沖縄から基地をなくすと。そして近隣の中国と普通の関係を持とうとした。
 これに対して怒りの鉄槌、つまりすべてを注ぎ込んで不正選挙も含めた暴力的なクーデターで安倍を立てたのだ。311を起こす。小沢を犯罪人にする。安倍に「日本を再度犯罪者カイライへ取り戻す」と叫ばせた。
 二度とくつがえされない政権としてにわかに作られた大政翼賛会=日本会議をバックにした安倍暗黒政権ができた。安倍一強を偽装されて、秘密保護法、共謀罪、戦争法、TPPと強行採決をしてきた。これはどこが紳士的か。
 憲法改悪、消費税値上、緊急事態法、海外ばらまき、年金崩壊、財政破綻と悪の限りを強行してきた。丁寧に、寄り添ってなどと口先だけのウソをつくしながら、ファシズムを実行してきた。
 これらは、ヤツらがそれほどまでに余裕がない窮地に陥っていることの証明でもあるのだが、紳士的どころではないのはどこをみても明らかだろう。
 安倍が目の前を通ったら「ばかやろう」とどなりつけ、石でもぶつけたい。たまごでもいいが、これがいま社会では紳士的でない暴力行為として、しょっ引かれてしまうのだ。ヤツらが己の犯罪を隠し、身を守るために作った法のせいだ。人民の紳士的でない行為をすべて犯罪視して押さえつけているのだ。
 奴隷根性に浸ればこうした「紳士的」という取り締まりを受け入れてしまう。奴隷根性は自虐的でもある。力で対決するという人民の固有の抵抗する権利を奪われた、その思想を持つ思考回路を破壊されたからだ。

◆民主主義、民族と国家、宗教、貧困格差等々は、人民を奴隷根性に陥れる思考の壁
 人民(ピープル)は奴隷ではない。ヤツらの所有物ではない。
 しかし残念なことにヤツらという寄生虫がいて、その支配下にあるのは現実。その状態からの解放は人民の何千年来の悲願だ。その願望が長年経っても実現していないのは、奴隷状態が幻想や被害妄想だからではない。人民が思考的に閉ざされているからだ。
 まっとうな思考がゆがめられていることが大きな原因になっている。すなわち人民自身の意識として、置かれた状態をまっとうに認識されていないことに起因している。
 多くの人民の思考が閉ざされているということは、奴隷根性にどっぷりと浸された状態に陥っていることだ。その思考を自ら解放することが、奴隷状態からの脱出となる。奴隷根性の思考から脱出できないのは、支配者の巧妙な思考操作にある。思考がまっとうに出来ないようなフィルターという装置をほどこしているからだ。
 罠(トラップ)とか壁とかともいえる障害物を置いているからだ。そこに突き当たるたびに思考がゆがみ、停滞するような装置である。
 それは複雑な多重構造になっている。
 その代表的なキーワードが、民主主義、民族と国家、宗教、貧困格差といったものである。
 米国の人民はトランプ前までの政権が命令者であるヤツらの支持に忠実に、国外で策動してきたのを知っている。宗教を理由に双方をそそのかして対立させる。ISのように傭兵集団を養成して送り込んでまで対立と抗争をあおる。150か国以上の国ぐにに米軍基地を置き、世界中をわがもの顔でへいげいする。
 それはお上のいう「世界の平和維持」「テロリストの成敗」と素朴に信じて誇りにもした。ベトナム戦争で50万の犠牲を出したが、その崇高な目的のための代償としてきた。だが気づいてみればその膨大な支出の犠牲は、人民の生活を犠牲にしたものだった。
 米国人民が地球の果てまで出かけてやったのは相手の人民の抹殺。現場に出かけてみれば、そこはその国の人民が平和に生活をしていた。それを命じられて破壊しつくしたのだ。
 その国の人民をいじめ殺して、何が変わったのか。第二次世界大戦を終了したら誰もが、世界中が人民の平和な生活が実現するのではなかったのか。それが自分たちが片っ端から災いを起こして、平和どころか一層の危険を広げて、未来を真っ黒に閉ざしている。自分たちのした行為から、人民は誰も利益を受けなかった。そればかりか、深刻な状態に落とされている。
 だまされているのではないか。それをはっきりさせたのはトランプ現象だった。
 なぜだまされ続けたのか。何が障害で気づかなかったのか。それこそが信じ込まされてきた「自由の国家米国」のウソ。「民主主義国家」のウソ。「反映した経済大国」のウソ。「世界の平和を守る憲兵国家米国」のウソであった。
 宗教や国家の対立などはないし、人民同士の殺し合いなど必要なかった。グローバリズムなどは必要なかった。外国に進出したりするのは相手をただ犠牲にするだけだった。相手の人民には迷惑だけだった。「自由貿易」というのは相手国を収奪、植民地にする、ただの押し付けだった。このことで人民は少しも豊かにはならなかった。利を得たのは投資家、軍産複合体だけだった。結果必然的に貧富の差が拡大して、人民をいっそう苦しめた。
 思考の壁が人民の気づきを阻害したのだ。奴隷根性から抜け出せなかったのは、ヤツらが人民は民族や国でくくられていることを当然とみなすようにしたからだ。
 人民は民族や国家、宗教などにくくられない地球人民だ。ひとつだ。それをさまざまなくくりで分断されて、対立をあおられたのだ。争う理由があるかのようにだまされたのだ。当然違いはあるがそれは対立したり殺し合うようなものではなかったのだ。
 それでも理解に至らないガジガジの奴隷根性の人がいる。骨髄までしみ込んでいるのだ。この連中が支配者の理想像だ。この連中が人民の内部で、多くの人民が真実を知る、まっとうな思考をすることを、必死に阻害する。
 人民から奴隷根性がなかなか抜けないのは悲しいことである。それは繰り返される戦争体験をした先祖代々からの親と社会によって、人民が自らを教育した結果でもある。他の民族、他の国家、他の宗教などの人民に対する、ほんとうはいわれのない憎悪と反発の積み重ねだ。
 この悪のスパイラルは、支配の構造に気づいた人民が自覚して断ち切る以外にない。この他の民族、他の国家、他の宗教などの人民に対する憎悪と反発が、人びとを争わせて分断して支配するという支配者の意図でなされていることを認識して、その憎悪を人民のほうとうの敵に対して向けていくことでしか解決できない。絶対に自覚した人民の世代の次の代に憎悪と反発を誤って伝達してはならない。
 国会での論議がまた始まっている。その中継を聞いたらわかる。国会は被支配者に幻想をもたせるための、ただのカイライどものおしゃべりの機関だ。ここでは人民の民主主義や自由への道に貢献する話は、一切されることがない。絶対にされない。だれが、いかにして、どう人民をじわじわいじめるか、ということを際限なく延々とだべっているだけだ。
 真実などない。重大犯罪人の安倍の独壇場だ。犯罪者集団が「閣僚」としてどうどうとウソとゴタクを並べている。悪質なのは原発を推進し、沖縄の基地を固定化し、種子法などのグローバリズムの強欲強奪者ども悪事を人民に押し付けることに躍起だからだ。
 安倍に媚売る「閣僚」は、いくら犯罪をしても責められない。頓珍漢な対応で時間を稼ぎ堂々と逃げる。安倍は「オレは…の長だ」とヒトラーばりの暴挙を続ける。犯罪が野党から追及されれば「訴追の可能性があるから」という理由ならどんな証拠をあげられてもとぼけ勝ちなのだ。
 すべての報道は例によってさも問題があるかの如く報じることもあるが、ああだ、こうだと言いながら常に最後は「選挙にいけ」だ。石をぶつけたり、張り倒したりできないのだ。
 国会、選挙、議会主義、民主主義という言葉の欺瞞さが分かるであろう。そうしたキーワードが、それを真に受けている人民の耳に入るや否や、頭に反応を起こさせるのだ。思考をゆがめる。幻想をおこさせる。少なくとも「政治嫌い」が喚起される。つまり犯罪者、政治詐欺集団が人民をきにしないで暴れられる状態が作られる。
 国会、選挙、議会主義、民主主義、民族と国家、宗教、貧困格差などの概念を見るときに、人民の視点からみればその本質がわかる。これらは支配する側の支配の道具として、巧妙にあみ出されたものであるということだ。人民同士を対立させる。分断支配するための道具。思考がそのキーワードで停止、混乱、歪曲されるように仕組まれたものだ。
 政治の真実とは支配の真実だ。支配とは所有だ。それは一握りの連中が人民を奴隷として自由にするということだ。この真実をしった人民は、正義を求めるならいつまでも黙っていてはならない。仕事は面従腹背でいい。周囲に真実を語れる仲間を作ることだ。人民の立場からの真実を共有する仲間が最終的な結果を決める。
 世界の人民を一手に支配している主敵を6つに分類しているが、その詳細は別項で詳しく述べているので省略する。表で最先端におるものは世界金融軍産複合体だ。
 TPPや種子法や原発マフィアや入管法などのテーマをみれば明らかなのように、これは国同士の何かの関係をどうしようかと論議しているように見える。だが明らかなのは世界金融軍産複合体がすべての元凶であって、国というのはタダの話題を混乱させている要素に過ぎないことだ。
 要は民族や宗教や国境など目もくれずに、グローバリズム企業と世界金融資本とその先兵たる軍事組織が、世界をまたにかけて、貪欲に暴れまくれる障害を取り除こうとしているだけに過ぎない。
 TPPでは露骨に企業が国を支配したと欲望を露わにした。種子法関連では独自種子を農家が使うことを種子特許をたてにして「犯罪視」し、ねこそぎ人民の食を支配しようとした。忠実なカイライである安倍に日本にリニア新幹線を作らせ、日本を世界の原発のゴミ置場にさせようとしている。
 911以来地球一元支配者は、邪悪なNWOの目論見の最終的な実行段階にステージをあげた。その行為の露骨さから世界的規模で人民が支配の現実を広範に知るきっかけになっている。いまこそ人民はヤツらの目論見を知ってノーをつきつけるのか、ヤツらの一元支配を完成してしまうのかが問われている。
 日本、イスラエル、サウジ以外では米国人民を先頭に寄生虫であるヤツらを拒否する行動が展開されている。日本でも人民が奴隷根性から抜け出す必要がある。日本の安倍政権は百パーセントウソをついている。日本のマスコミは米国に劣らないフェイクニュースで満杯だ。腐った情報は遮断し、自覚ある人びとは自分で真実を見つける必要がある。見つけられる情勢ができてきている。