記・国民B(2018.1.17)
■情報と常識シリーズ、戦争と国家にいての人民の思想の核心

 年が明けた。昨年安倍に国会を解散させ、小池に希望の党をつくらせた連中(米国の中枢に巣食った地球一元支配一派のネオコン一味)は、現在米国内で大混乱中だ。日本のカイライへの命令がとぎれとぎれになっている。
 安倍の国内での背後団体である日本会議も、梯子をはずされたようになって動揺している。中国や北朝鮮への挑発、戦争惹起路線を辞めるにやめられず、振り上げたこぶしは降ろせず、醜くい。世界中で笑いもの、孤立化中である。
 安倍は世界一のバカ大統領と言われたブッシュと並ぶ、歴代最悪のバカ首相だ。命令がとだえても既成路線で相変わらずの日本破壊を進めている。バカはバカなりの意識的な破壊に専念している。決して経済を「たてなおそう」と努力している結果なのではない。
 米国の軍の実権派と中露ばかりか、北と韓国までもが、安倍ら戦争派と手を切ろうとしている。戦争惹起派は世界中で敗退していっている。この連中に残されているのはテロだ。いまこそ世界中で人民はヤツらの策謀するテロを警戒しなければならない。
 モリカケにつづいて、リニア、スパコンとか航空学園とか、日本の社会を覆う怪しい事件の背後には皆安倍の名が付いている。日本会議に入りさえすれば、悪事は免罪だと、国家財産の収奪にワルが寄ってきたのだから当然だ。
 安倍が日本の総理であることが、いかに重大な国難(人民への圧政)であるかがわかる。
 命令が来なくなった小池は、引き時は早い方がいいと希望の党を早々に逃げ出てしまった。残った彼らはほとんど同類の民進党との野合に懸命だ。
 内外の情勢は昨年暮れの記事を見ればわかるので、これ以上は今回は触れない。
 経済学者金子勝は「この国は「裸の王様」が居座り、お連れの者たちは詐欺師と権力カネの亡者たちばかり。中央銀行を私物化して財政赤字をバラマキ、破綻に行き着く前に憲法を変え、警察検察の暗黒支配の実現を急ぐ。多くの人たちと歴史が与えたミッションに忠実に生きたい」と鋭い新年のあいさつ。
 森永卓郎は「働き方改革ではなく働かせ方改革。正社員をパート並みの給与にどーんと下げる。高度プロフェッショナル制度は、労働時間ではなく成果で評価。年収200万…ほぼ全てのサラリーマンがこうなる。一部の人が大金持ちになり、大部分が貧乏になる。これが働かせ改革のゴールだ」と安倍の強まる圧政を指摘。
 テレビによく出る人は解説者を別にすると、一般的に政治の話題を避ける。お笑いなどは人々の思考から政治を離すために存在するから当然かもしれない。だが、お笑いタレントも含めて、政治にふれる人も出てきた。当然露骨に安倍に近い連中もちくりちくりと話題にして、人びとをよからぬ方向に導く役割を果たす。
 これらの動きは、世界の支配者連中の衰退が背景にある。命令者の迷いが命令をとぎれさせたり、命令に一貫性をなくしている。そうした傾向、ヤツらの支配機関としてのマスコミの役割を、その自分がでているマスコミ(テレビ)についての素朴な疑問をだすようになった。

◆安倍の改憲強行という愚行に強烈な揺さぶり。新年のテレビ朝日「朝までテレビ」での村本発言
 年明け早々から話題になっているようだ。実に面白い。
 「憲法」というのは何なのか。特に「戦争とは何なのか」という、現代人民の解決すべき課題の一側面を鋭く突いている。論議の前提は悪魔のような「国家・民族というしかけられたマインドコントロールの壁」のなかでなされていることだ。
 憲法、戦争、民族と国家。この絶対的なテーマについては、人民の立場からの認識を持たない限り、ここで提起された問題は解明できない。
 ヤツらが仕組んだ「被支配者内部の、際限のない対立」という理想状態となるだけである。
 この番組は深夜であり見ていない。その後の報道からみると、そのポイントはつぎのようだ。
 日本国憲法第九条には、「陸海空その他一切の戦力はこれを保有しない。交戦権は行使しない」旨が明記されている。
 安倍らの違憲者の主張は「この押し付けられたみっともない憲法の規定のままでは、国内外で平和維持に貢献している自衛隊の存在が憲法に違反しているままだ。第2項として自衛隊の存在を明記する必要がある」という。
 一方護憲者や一般のひとは「これ(9条)をそのまま守れよ。(9条にあるとおり武力の行使を)放棄すればいいじゃないですか、非武装中立がいい」という主張をする。さらに「(自衛隊が)違憲というのは、何が違憲なんですか」、憲法はきっちりと覚えていないし「このままで何がいけないのか」と、いま安倍主導で憲法を変えることなどないという。
 テレビに登場するインテリのコメンテータは当然改憲派だ。コクミン多数の意見を熟知しているような顔で、「少し自分の無知を恥じなさい」「村本くんの発言の裏にある種の愚民観を感じる。国民はよくわからないんだから、とかね」「義務教育の小学校6年生の授業でやってる(“自衛隊は違憲だから9条改憲は当たり前”と分かって当然)」のだ、と猛然と封じ込めようとする。
 「日本が米軍と自衛隊がいなかったら、尖閣は中国が取るよ」「侵略されたらどうするんだ」
 村本はひるまず「白旗あげればいい。明け渡します。僕はですよ。殺すくらいなら殺される」と。そして「なぜ攻撃されるんですか」「どうして中国や北朝鮮が日本を侵略するという発想になるのか」と素朴な問いを発する。
 「非武装中立なんて夢物語だ。それ貫いて他国から侵略されてそれを許すなんてありえない」
 「日本人の祖先が2000年かけて守ってきた領土を、たやすく明け渡すのは誇りがないからだ」
 「憲法違反の汚名をあびせかけられながらも、奮闘して活躍している自衛隊へのリスペクトに欠けている」
 このように、村本の意見に対して「日本人の常識」をつぎつぎと浴びせかける。知識、良識、常識がない、勉強しなおせ、と良識人たちが迫るのだ。これは、まさに現在の日本のさまざまな対立の構図そのものだ。
 小学校でも教えるという知識が、日本人にあらねばならない常識なのだから、そのようなレベルの人は間違っている、異質な人たち、とさげすんでいる。
 だが、ここで言いたい。小学校でお上の方針として教えている内容こそが間違いであると。
 前回にも指摘したが、そもそも人民を支配するお上、つまり国家が被支配者に正しい情報(知識)を説くはずはないし、正しい思考法(常識)を教えるはずなどないのだ。
 その知識と常識は誰のために必要で役に立つものなのか。言うまでもないことだが、一方的に支配者である連中(国家を使っているもの)にとって必要なものだ。ことばを変えれば、人民を永遠に支配し続けるために有利になるものだ。
 だから、村本の口から出た「憲法の条文など分かっていない」「中国や北朝鮮が攻めてくるになるのだ」ということばは、まさに支配者が人民の常識として定着してほしいことを、拒否し、否定している。
 そう、人民は支配者がのたまう「常識的な判断」などにうなずく理由はかけらもない。「憲法に書いてあるから」などという支配者の飼い犬のような主張は、バカをさらしているだけだ。憲法は支配者の人民に対する横暴を条文で縛ったもので、支配者へのきついお灸であって、人民の思考を縛るものではない。
 その憲法が気に食わない安倍ら、日本の政治をのっとっている連中は、憲法を人民支配の道具にすりかえている。人民が長期の歴史的な闘いで実現してきた支配者への権利と主張が憲法だ。もちろん世のどの憲法であろうが欠点を多く抱えている。未来に人民が主人公になったなら、憲法は意味を変えてくる。それまで憲法は人民の支配者に対する武器として存在するものであって、為政者から憲法を使って支配強化に使われるものではない。
 憲法によって拘束される安倍ら一味が憲法を気に食わないのは勝手だが、憲法を否定し、変えようと動くこと自身は、そもそも無効だ。そのような権限はないからだ。安倍一味は「改憲」を主張するが、これ自身が憲法違反の犯罪で人民から断罪されるべきものだ。人民側にその力があれば犯罪人として、即投獄されるものだ。
 戦争は、これまで何度も述べたことだが、地球を一元支配しているヤツらが、国家というもので人民を分断し、双方を対立させ、憎悪させて、それぞれの国の人民を「相手が攻めてくる」と危機をあおって、意図的に起こすものだ。
 人民は「攻めてくる」というお上のあおりに騙されて、敵国を憎み、一方は侵略し、一方は侵略されて、兵となり、兵器を作り、銃後をかためて戦わさせられるだけなのだ。
 人民自身には敵国の人民と対立する理由は全くないにもかかわらずだ。「危機」で思考が委縮し、敵への「憎悪」で思考がゆがみ、戦時の緊急事態下でお上の一方的な命令に従うことを強要される。人民の自由な思考は完全停止される。多くの人民の犠牲が双方の国で発生する。戦争そのものへの恐怖が人びとの思考を奪う。
 この経験を被支配者である人民に経験させることで、地球一元支配一派の安泰が強化されていく、という構造だ。
 戦争の問題を話題にするときに、この真実を語らなければならない。この真実から離れて、戦争廃絶には近づかない。
 地球上では常に戦争が起こっている。絶えることがない。前述したように、被支配者の人民ひとりひとりが、生涯で必ず一度以上の戦争を経験するように、ヤツらが意図的にしむけているのだ。
 日本は戦後70余年、直接的な戦争をしていない。ヤツらはそろそろ人民を巻き込んだ戦争を起こして、体験を強要しようとしているのは、何故なのかこれでわかるだろう。
 国家機関の教育で人民の情報(知識)と常識(思考)を管理している。いい例は税務署。この機関は中学に税の知識を教えると称して、特別教室を持つ。そこで税の基本知識と称して、税の種類や使われ方を説く。罪なのは学生に「税について」と題する作文を書かせることだ。その作文は文集になって発表される。
 中学生は素直に学び、家族と話し、図書館で調べ、作文をつづる。どんな作文を書くことが求められるかは明らかだ。子供は忖度する。税は社会のインフラをつくり、社会保障の財源となり、学校の教育にも使われていて、それが社会生活にとっていかに必要大事なことなのかを、体験的につづられる。
 だが、決して税が戦争のために巨額つぎこまれていること、税収入はアベトモなどにみられるように政治屋に私有され横奪されていること、税収入の数倍を不必要に借金して未来の人民に負荷をかけていること、消費税は二重三重どりの違法なものであること、人民から犯罪的に収奪し本来は人民に返却すべきものを租税回避(タックス・ヘイブン)で隠されていること、などは一切語られない。
 高校生では学校によってだが、修学旅行で広島や長崎の原爆跡を訪ねたりするところがある。沖縄に旅行して平和祈念公園で学んだりする。この学習を当然だが作文としてまとめることになる。文集になる。
 生徒は戦争を賛美する人などいない。戦争への嫌悪を表明する。戦争の悲惨さを目の当たりにして、戦争がふたたび起こらないようにという願いをつづる。語り継ぐ必要を書く。生徒が素直に感情を表現する。しかし、まったく残念なことに、教育はここまでだ。生徒の思いを深めることはないし、教師が戦争に対する思いを語ることもできない。
 生徒が「戦争はなぜ起こるのか」「戦争はなぜ止められないのか」「どうしたら戦争をなくせるのか」「戦争が起こったらどうすべきなのか」「ほんとうに戦争の危機なのか」「戦争を押しとどめるために、いま何ができるのか」という、若い子供たちが初めて考える重大なテーマに対して、学校も家族も周囲も誰もが口をつぐむのだ。
 お上が「小学生でも教えている」という知識と常識の本質だ。はっきり言えば、お上は目覚めようとしている生徒に「失望」を教えているのだ。
 人民の権力が構築されれば、周囲で、家族でその接点があるところで、子どもたちに真実を語る。子供たちは、お上は真実を教えないということの理由も、ちゃんと知ることになる。

◆「日本人」「日本という国家」についての、知識と常識を疑え
 支配者が被支配者である人民に、絶対的なものとしてつかませておきたい最重要なことは「日本人であること」「日本という国家の一員である」という常識だ。
 日本(どこの国でもいいのだが)には、支配者とか被支配者などという関係はない。カイライ政治屋が日本の政治を牛耳っているのではない。公明な選挙で国民から選ばれた人が、正式な代表として政治を行っているのだ。日本国民は政府の方針に従い、国を守り、反映させる義務がある、とする。
 村本にたいて「良識人」たちが一斉に反応したときのことば(趣旨)はこれだ。
 「非武装中立なんて夢物語だ。それ貫いて他国から侵略されてそれを許すなんてありえない」「日本人の祖先が2000年かけて守ってきた領土を、たやすく明け渡すのは、日本人としての誇りがないからだ」「憲法違反の汚名をあびせかけられながらも、奮闘して活躍している自衛隊へのリスペクトに欠けている」。
 良識人の主張はそもまま政権、つまり日本国家の主張だ。前述したように、この主張の根幹は「日本人なのだから」「日本という領土を守って当然」「自衛隊がその前線で国民に代わって奮闘している」というものだ。
 日本人なのだから、日本という自国を守るのは当然。防衛しなければ敵国から攻めてこられる。戦力を持ち、友国と連携して防衛網を強化し、米国の核の傘で抑止力を高めるのは「常識」という論。
 この論理が支配者の一方的な屁理屈の押しつけに過ぎないことは、逆に考えればわかる。つまり、人民支配=戦争するためには、「日本人」「日本という国家」についての常識が必要なこと。
 「日本人」「日本という国家」についての常識こそが、人民自身の思考の「否定してはならない壁」として存在していることだ。自由で柔軟な発想で判断すれば、当然の結論として、支配者が口にする「日本人と国」というものが、主語である「支配者のための」というものを、さも被支配者である人民も含んだもの、強いては国民(支配者と被支配者の関係を否定したあいまい表現)のものとすり替えていることに気づく。
 日本人の誇りとか自衛隊へのリスペクトとかいう言葉を持ち出して、ヤツらの国家権力を、さもすべての日本人(人民を含んだ)の国家権力なのだとすり替えている。

◆「売国奴」の意味。これを言うやつを疑え
 「売国奴」という言葉がある。ヤツらは人民的な思考の結論にたいしてときどき、このように言って攻撃してくることがある。他国のスパイなどという概念でも使われる。ロシア革命以降の共産党や社会党にたいしても、ロシアの資金援助で活動している売国奴などと言われた。
 売国奴というのは、その概念の前提が人民からしたら民族や国の利益ということにもとづいたものであり、人民は使わない。すべての人民は生まれながらにしてインタナショナリスト、地球人である。「売国奴」ということばを使うものはたいていがホントの売国奴だ。どうでもいいことだが、安倍ら現在のカイライ政治屋一味とその背後の統一教会一味は、ほとんど「日本人」ではないし、そもそもヤツらをカイライとして動かしている地球一元支配一派は、日本人とか日本国とかのためなどつゆほども考えていない。
 「売国奴」を口にするものは誰かれなく、民族と国という思考の壁を自ら絶対死して思考停止しているものか、思考の壁を人民に押し付けたいヤツらの手先だ。
 人民とは民族や国家の枠を超えて、地球一元支配一味とそのカイライに支配されているものであって、民族や国の枠を超えて団結してヤツらとたたかう陣営のことだ。民族や国以外に、肌色とか宗教とか性別とか文化や文明の相違があるが、このようなものに人民はとらわれてはならない。
 国を売るとか国を裏切るという概念を語るときに、その国とは誰の「国」なのか、ということを常に忘れさす。言うまでもないことだが、ヤツらが人民を支配する機関としての「国」を人民が壊滅さすために人民はたたかっているのだ。ヤツらの「国」を裏切るもへったくりもない。そもそもヤツらの「国」などに人民は属する気はないし、裏切りようもない。
 ヤツらの国を被支配者である人民に、自分の国だと思わせ、騙しているのだ。
 人民の権力、つまり人民の意志と自由を体現するものは人民の国だ。国はネイション、ステートだが、それは人民の思想からみたら、民族のくくりという概念ではない。人民の意志であり、思想であり、その立場からの主義主張だ。だから、家族や友達や井戸端の仲間から、地域や商店街や企業、組合や協同組織や、趣味サークルまである。それが人民の権力の一番下の組織だ。
 その組織は自由、すなわち支配者の権力の干渉を絶対的に拒否する独立の存在である。ヤツらの権力の行使から完全な独立をする。人民が掲げる「独立」のスローガンは、人民の権力のことだ。
 人民の権力には、それゆえにヤツらはスパイを送り込むだろう。人民の権力をそぐために、買収による裏切りをそそのかすだろう。このときに人民の権力はそうした干渉と敢然とたたかうことになる。人民権力の独立と自由を守るためだ。自由とは人民自らの意志で決め、ヤツらの干渉や妨害をはねのけて実行し、その行為に自ら責任をとることだ。
 「国家」や「独立」について、いわゆる左翼でも認識を正確に持っていない。ヤツらの「国家」がヤツらの支配機関であることを忘れ、人民がその一員であるかのような勘違いをしている。ヤツらの望んだままではないか。
 「独立」を日本が米国の属国である現状から、米国の干渉をなくした国になるという捉え方をしているのが多いが、これが問題なのだ。支配者がいう「日本国家」はあきらかに、人民支配の道具、圧政の機関そのものなのだ。この人民を支配する道具を何ゆえに、人民が守らねばならないのか。
 社会民主主義者がロシア革命のときに、いっせいにロシアを敵から守れといって敵の戦争に加担する行動をとった。革命派はそれを人民への裏切りと呼んだのは、彼らがまるで人民の権力について無知であったからだ。日本では大政翼賛会になびいた連中のことだ。「敵が攻めて来るのだから、すべての対立を棚上げして、日本人として一丸となって立向かおう」と主張した。
 支配者がもっとも望んでいるセリフだ。支配と被支配という絶対に相容れない真実を、同じ日本民族という網でくくることによって、被支配者を支配者の味方にしてしまうのだ。
 実際に戦争になると、被支配者である人民は「日本を守るため」などというスローガンで支配者の言いなりに戦争の最前線に立つ。死をも恐れぬたたかいに身を挺す。人民権力は、この悪夢を繰り返させないためにたたかうのだ。
 高校生の修学旅行の体験で提起した素朴な問いにたいする答えがここにある。いくら戦争や核爆弾の悲惨さを叫んでも、それだけでは力にならない。支配者の騙しにのらない、大政翼賛会に走らない、強靭な人民権力の思想をみにつけることである。それを子供に教えきかせなければならない。
 「日本人だから」何なのか。そもそも、他の国々があるからこその概念であり、その歴史性からして、数えきれない相違があり、それがアイデンティテイでもあり、互いに尊重せるべき大事な存在だ。だが、支配者には被支配者の思考の壁を築くためのアイテムになることが問題なのだ。
 民族性をいつの間にか「優位性」にすりかえる。優位性はそのまま他民族に対する見下しだ。宗教的には「選民思想」となる。神から選ばれた唯一の民で、他民族は動物以下だとする。古くはユダヤ教の教え、第二次世界大戦中のヒトラーの優位学、安倍ら一味の日本民族は万世一系二千年、アシアの盟主となっている。これら、皆支配者が人民同士を対立、いがみあわせるために用意されたものだ。
 人民は絶対にこの説に組みしてはならない。人民の思考をその壁で停止させる自殺行為に他ならないからだ。世界のさまざまな民族の文化的、歴史的な相違を互いに尊重することを巧みにすりかえ、無益無用な憎悪にしていくものだからだ。

◆「攻めてくる」といったが実際は大陸へ侵略。「国民の生命と財産を守るため」といったが、実際は膨大な犠牲を強いて財産を破壊収奪しつくした
 もともと戦争は地球一元支配者が、双方の国家に派遣しているカイライ政治屋を使って、支配体制の維持強化のためにしているもの。
 「国民を戦争に参加させるのはつねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」とヒトラーの片腕ゲーリングが言った。
 「中国や北朝鮮が日本に攻めてくる。北朝鮮が行っている核での挑発は国難に値する危機だ」と叫んでいるのは安倍だ。米国政治をのっとっている地球一元支配一般のネオコン連中=軍産複合体。それに命令されてうごめく満州マフィアが安倍を動かしている。
 太平洋戦争でこの連中は何をしたのか。思い起こすまでもないだろう。国難だ、国民総なんたらといって、ヤツらが大陸に侵略したのだ。そして、敵国にみたてた中国、朝鮮、アジア各国の人民を、自国(日本の)人民を兵にしたてて殺しまくったのだ。
 仮に日本が『敵国」から攻められたとする。まったく逆のことが起こる。日本人民が「敵」とされ、敵国の兵に駆り立てられた人民によって惨殺されるのだ。支配者であるヤツらだけが、関係する国々の多数の人民を犠牲にして、支配の体制を維持するのだ。支配の維持に貢献させるのだ。
 村本はいう。「なぜ攻撃されるんですか」「どうして中国や北朝鮮が日本を侵略するという発想になるのか」と。
 中国や北朝鮮の人民が日本人民を殺さなければならない理由などまったくない。日本を攻めるのも、ネオコン一味や安倍ら満州マフィアが中国や北朝鮮を攻めるのも、まったく同一の人民支配者連中なのだ。
 村本は彼なりの表現で、この支配者連中の戦争へ駆り立てて騙すヤツらの口先を鋭く突いている。テレビのコメンテイター連中の役割が鮮明に浮き上がる。ロシア革命時の社会民主主義者の連中とまったく同じだ。支配者の目論見をこの連中が先端で代表して人民の情報と常識を管理しているのだ。物知り顔のこいつらの口車に絶対にのってはならない。村本はよくやった。
 朝日新聞は1月9日、北朝鮮の教育用タブレットPCを入手したとして、北朝鮮は徹底した忠誠教育をしていると非難した。歴史の教育で敵国である米国への敵対心を山犬野郎として徹底的に憎悪するよう教育しているのだという。
 こんなことで北朝鮮をバカにする立場か。日本の首相の戦争挑発とあおりの行動を容認しているのは、朝日も含んだマスコミだ。日本が第二次世界大戦で行った戦争の犯罪を、歴史教育の材料にされるのは、支配者の敵国を憎ませるという人民への「教育」とうマインドコントロールを行うという点で当然なのだ。
 中国についても同様に非難する。中国は「いまだ教育の現場で日本の侵略を非難し、ぞ憎悪をあおっている」と。中国でも北朝鮮でもその教育が、ここで述べているようなほんとうの戦争の目的を解明していない。そこにその政権が人民の真の利益にたつ国家権力でない証拠があるのだ。
 人民の権力を母体にした人民政府であるなら、人民に戦争や国家について何を教えるべきなのか。ここに現代の人民の歴史的な到達点がある。解明しきれていない課題だ。
 ちなみに、中国の教育については同じ朝日で報道があった。習近平政権は文革についての教科書の記載を変えたというのだ。毛沢東の誤りと書かれていた従来の視点を「世界の歴史は常に曲折を経て前進してきた」とするとのこと。
 文革と毛沢東をとんでもない歴史的な誤り、人民虐殺として扱いたい良識人たちから見たら、震え上がらんばかりの悪夢復活だろう。だが、革命の人民権力を憎しみに燃えて敵対する地球一元支配者の猛烈な干渉に対して、人民権力を防衛しようとした文革の真実をみたならば、今回の習近平の視点はおおいに評価することだ。
 習近平は現在も中国にはびこる利権を利用した収賄犯罪を叩き出す運動、まるでフィリピンのドゥテルテ大統領による麻薬撲滅への戦いをすすめている。
 「国民の生命と財産を守る」ために、というが習やドゥテルテがやっていることはそれだといっていい。それに対して、満州マフィアは先の戦争で「国民の生命と財産を守る」ためにまったく、何もしなかったばかりか、徹底的な略奪と破壊をしつくした。アジアを荒らしまわった。
 他国ばかりか日本の人民に強いた犠牲も半端ではない。広島、長崎はおろか東京や主要都市が焼け野原になった。無用に財産は奪われた。先の戦争ではGDPの280倍(現在の価格でいくらになるのか)といわれる戦費が使われた。戦争は一方的な消費だからだ。人民が生んだ生産物や価値を奪い取り、相手国の人民を殺戮し、どぶに捨てるからだ。
 GDPの280倍の費用の調達は、言うまでのないことだが人民の犠牲によってまななうものだ。当然地球一元支配一派から借金する。相手国もだ。その膨大な借金は利子付で長期間使って返済する。
 戦争を仕掛けた支配者が利用するのは拝金主義で目のくらんだ戦争屋だ。武器を造り、破壊した街の復興をまかなう。戦争で太った拝金主義者は自らすすんで支配者の手先になる。徹底的な人民弾圧の先兵になる。拝金主義者はカネで自在に操られる。「この世はカネだ。カネさえあればわが世の天国」と思っているのはこの拝金主義の連中だけで、単に人民支配の手先として使われているに過ぎない。
 拝金主義という考え方もそれを信じる者も、彼らは一人残らず犯罪者である。人民から収奪し、人民を支配する地球一元支配者の手先になっているという、歴史的に最も断罪されるべき恥ずべき連中である。執拗に人民の中に拝金主義をはびこらそうとする。現実には、騙され、ヤツらの悪事にはまる人も少なくない。
 良識ある人民は「資本主義の世の中で金儲けをするのは当然」などと拝金主義に騙されのめりこむものも出てくるが、絶対にそのとりこになってはならない。人民を人民内部から崩す思想であり、ヤツらが放ったトロイの木馬だ。人民は家庭で子供に、周囲にかたることで、ヤツらの支配の手法を学ぶ必要がある。

◆「護憲だけでは国は守れない」という良心派の決まり文句をあばけ。戦争の本当の敵と味方は誰か。
 ここまで読み進めたなら、自ずとこの愚かな決まり文句の意味するところは分かるはずだ。多くの人びとはこの良識派のことばにただおろおろする。無用なことだ。
 すでに明らかなように憲法は戦争を惹起しようとたくらむ安倍らの政治屋を縛るために、人民がヤツらに向けて押し付けたものだ。人民がヤツらに「憲法を変えようとしないのはバカか」などと侮られる性質のものではない。
 さらに、国を守れるかとヤツらは己が危うい立場にいるのを人民のせいにされるような話ではない。ヤツらの人民弾圧機関を、人民がわざわざ何故に守らねばならないのだ。ヤツらのマインドコントロール下の愚民は「違いない」といって、ヤツらのいうことを聞くかもしれないが、戦争の真実を知る人民は騙されない。
 日露戦争は百年以上前だが、ロシアの人民は「とっとと戦争を終わらせろ。ツアーのための戦争でこれ以上人民が犠牲になるのはごめんだ。ツアーは戦争に負けて弱体化しろ」と指摘した。第二次世界大戦で、日本国の侵略軍は解放軍によって敗北した。このとき帝国軍の敗北、すなわち「日本国」は守られたどころか大敗北、大打撃を受けたのだ。
 日本の人民の多くはホッとし、ヤツらの支配が崩壊し「民主主義」をうたった新しい政治体制に期待を寄せたのだ。この新しい体制は、地球一元支配者連中のNWOを目指す新たなステップに踏み込むことで、戦後すぐの姿勢から真逆の本性をあらわにした人民弾圧政府に豹変したのだ。
 注目するべきことは、支配者の政権、人民支配の暴力機関である「日本国」の敗北を当時の多くの人民がすなおに歓迎したことだ。
 本当の人民の権力による国家に日本はならなかったことから、その後の多くの矛盾を生み、その内的な弱さが支配者から徹底的に利用されて今日に至る。戦中は支配者によって徹底的に人民権力思想を持つものが弾圧された。投獄、拷問は当然で多数の先人たちが虐殺された。
 戦後生き残った人たちが、支配者の敗北の機会をつかんでたたかったが、内的には理論的にも実践的にも急激な政治の動きに十分な対応ができないままだった。ヤツらは革命派の登場と発展をつぶすために何でもやった。
 国際的には朝鮮戦争で、帝国軍が敗走したアジアで革命が発展するのをつぶしにかかった。
 日本では「21ゼネスト」をつぶし、革命家を公職追放、非合法化。数々のテロをフレームアップして(近年の中東でのCIAテロと同じ)弾圧をした。一方では労働組合を企業下に置き内部から企業に貢献させる組織に組み変えていった。どれほど多くの人民が弾圧されたか思い起こすがいい。
 これらは、マスコミや教育から消されているため、若者は知る機会がないかもしれないが、つい数十年前のことだ。ヤツらは人民が人民の権力、人民の自由な意志の組織ができることには、容赦ない牙を向く。
 表ではさもそれが、国の安全と平和に必要だと装う。だが、悪らつなカイライ安倍一味がここ数年でやったことをみたら、秘密保護法、戦争法案、緊急事態法への道、等々空恐ろしいほどの圧政を実行しているのだ。
 このような「国」は倒さねばならい対象であっても、守る対象だと考えることは、正気な人民の目から見たらキチガイ沙汰だ。
 人民が自らの自由と独立をたたかいとり、実現しなければならないのは、人民の権力だ。人民自身の自由な意志にもとづいた力だけが、たたかいの味方である。

【注】
※ヤツら自身が売国奴:共産党や社会党がロシアから資金を援助されていたのは事実だが、満州マフィアである岸らが米国CIAのスパイになり、巨額の資金を提供されて戦後日本に現自民党の先の政党が作られたことは、米国が公表した文書に書かれている。同様に正力らがマスコミ機関として作られ、3S作戦を実行したことも明記されている。
※民族、国、宗教、肌色、言語が支配者の意図:ヤツらの教えるアカデミックな常識では公認されることはないが、人類が数万年の過去邪悪なエイリアンによってDNA操作のもと性と食料と労働の奴隷として作られたといわれる。その管理をになっていたものが現在の地球一元支配一派の王族グループにつながっていると言われている。どこまでも値が深い。
※戦争がエネルギーを確保するため、利益を得るためとの論:詳細は別項ですでに解明しているのでそちらを参照して欲しい。エネルギーを確保するためなら侵略してもいいのか。それを認めれば、日本にあるものを求めて相手国が日本を攻めてくるのも認めなければならない。侵略するための口実はすべて間違いだ。戦争で利益をえる拝金主義者はいる。ヤツらはカネで魂を売った人民殺戮者だ。許してはならない。
※「民族・国」と思考停止の壁:地球一元支配者の帝国主義時代の分断支配のくくり。現在200前後の国で分けている。NWO時代の目標では「1984」で描いているように、3つか4つ程度にすることで支配の管理をやりやすくする気だ。そのブロックが常に戦争をしている状態(実際はしない。支配機関であるマスコミでエアー放送するだけ)。人民は政治に疑問を持たないように思考を停止させられて、数億人のかしずいて働くだけのものとする、悪魔のビジョンを描いている。