記・国民B(2017.10.29)
■2017年10月衆議院選挙結果にみる支配者の巧妙な大衆思考誘導。現代の人民支配の核心が見える

◆平成の大政翼賛会が始まった。カイライ安倍一味に命令された「改憲」「非常事態法」が始動する
 この度の衆議院選挙は事前に指摘したとおりにすべてが進んだ。ただ、安倍らへの命令者が弱体化して、指示が乱れ、ヤツらの思惑通りにいかなかったのが唯一小池新党(希望の党)の敗北だ。
 「次は小池に」という指示にも関わらず、それを具体的な形にするべく動く部隊がそれを徹底して動けなかったからだ。日本のカイライ政治屋どもを動かしているのは、国際金融資本を核にした地球一元支配をもくろむ一派である。
 その手先機関は「ジャパン・ハンドラー」といわれている連中である。この連中はシンクタンクをいくつも握っていて、それらを通じて命令を具体化する。安倍一味や小池一味は政策をヤツらの運営するシンクタンクに「外注」することで、ヤツらの意図が安倍や小池を管理する図式だ。
 さらに具体的にいえば、電通やマッキンゼーといった組織に、党の全般(戦略)と個別の政策(戦術)を依頼し、それに応える関係で、命令者の意図がカイライ政治屋が動くのだ。
 もちろん、命令・伝達ルートは実際には複雑怪奇といえるカモフラージュがなされている。数えられないほどの流れがあり、表と裏があり、フィクサーがからむ。長い年月をかけて作りあげた政界の闇だ。全容を知る者は限られている。
 だが、本質的なことは命令者が配置しているシンクタンクであり、そこに政党やカイライ政権が動かす公共機関が「外注」することで命令が実現していくということだ。
 マスコミをフル動員してつくった、小池党へのふわっとしたイメージ、安倍は飽きたので、もっと「しがらみ」なさそうな、「情報公開」で黒塗りの提出資料がもう少し減りそうな、女だから子供や生活を身近に考えてくれそうな、イメージ。そもそも偽装されたものだが都知事選挙のときと同じ「勢い」がありそうな。
 こうしたイメージを少しでも長続きさせて、いっきに投票日までもっていき、大衆がのぼせて常軌を逸した状態のまま、開票結果を報じるという予定だった。
 だが、そうはいかなかった。さめた大衆は暗黒政治そのものを疑っている。小池が出してきた政策らしきものは、何の新鮮さもない。安倍一味と同じだ。最初は「原発0」を唯一変わった目玉にしようとしたが「2030年までにはっきりさせる」という、事実上の何もしないウソがばれてしまう。
 つぎに「消費税引き上げを保留する」と安倍政権との相違を出してきた。だが、ヤツらの得意な「なら財源をどうする」という単純な追及に応えられない。根っからの増税派がこらえられるわけがなく、相手にされない。
 立候補者受付の締め切りぎりぎりで「都知事に専念するつもりだったが、周囲からの要望が強いから」と称して、小池自ら出馬して、熱気を盛り上げるつもりだった。だが、逆にあまりにも中身の浅さ、つまり党としての独自性を盛り込んだ政策が出せない。よくみたら幹部、人材もいない、という小池党の実態が、冷静に知れてしまい、小池立候補断念。
 仮に多数を得ても党首、首班も決められないというピンチ。外注されたマッキンゼーらのシンクタンクは、命令者のあまりにも人民をなめた不明確な指示についていけなかったのだ。しょうがない、ならもう一度安倍自民党を核に三分の二確保だ、にシフトした。
 今回の選挙は、カイライ安倍一味への命令者の指示から始まったものだ。
 命令者が予想もしていなかった「モリ・カケ」国家財産強奪問題で、もはやこれ以上追及されたら安倍はもたない、と判断した。「安倍の賞味期間は過ぎた。しかし、今の時期にどうしても日本をより強力なカイライ国会再編する必要がある。安倍がまだ実現していない命令である憲法への自衛隊明記と非常事態法を通すのを、表の役者を小池に替えてすすめよう」と。
 改憲の議席三分の二はすでに偽装選挙で実現している。マスコミ総動員による現実と異なる仮想経済指標でアベノミクスは「成功」している。この状態で頭をすげかえるには「解散選挙」しかないとして実行したものだ。
 民進党に潜り込ませていたホープの前原に「今が表に出るときだ」として、小池党への無条件合同を指示した。「今」についての危機感を理解できない前原らは、行動したのだが、カイライ同士での摺合せするできていない。つまり、安倍も小池も前原も命令があれば己の思考をまったく働かせずに「ハイ」と動くだけの、おバカ政治屋であることだ。
 政治屋どもの劣化が激しく、命令者の期待外れなのだが、そろってバカが露呈してしまった。
 「今」について理解できないで、ただ命令で動いてバカを見たのは維新とかこころとかもそうだ。命令者寄りの本性をオウンゴールで演じてしまい、人民に自分の色を隠さず見せてしまった。前原は民進党から追放、維新も党首をクビ、小池自身も危ない。
 期せずして残ったのは、喜劇発祥の原因たる安倍だけ。偽装による数では三分の二を保持したことから、命令者は再び安倍をカイライの顔にすえて、大政翼賛会よろしく、憲法への自衛隊明記と非常事態法の成立に持っていくつもりになっている。
 巨額の選挙費を投じて、命令者は何を得たのか。目指す別の顔は実現できなかったが、かろうじて三分の二の偽装だけは実現しただけだ。
 命令者からも見放され、自民党組織からも安倍は来ないでくれと言われ、日本で一番嫌いな男のトップにされ、ついに選挙演説は人里離れた田んぼでした。街での演説予定は公表もできず、するときは大衆は遠くでわずかだけ、多数の機動隊が囲み、動員した取り巻きがいるだけというみじめな状態。
 内容はだれも聞きたくない「北の脅威」をいい「今は国難」としらけだけを叫ぶ。大衆は「安倍よ、国難はお前だ!」と言い返す。もはや政治史上最低というか、小学生にも見せられないほどの劣化した、おぞましき異常な光景だ。
 安倍一味の悪行から始まって、無駄に実行された衆議院選挙。政治屋どもは右や左の大きく振り回された。そこから思わぬ副産物もでた。
 それは、支配者の陥った危機、解散選挙をせざるを得ないところまで落ちた現在の日本の政治危機を、ヤツらが陥れた「国難」であることを察知した人も増えたことだ。そのひとつに立憲民主党が急きょできた。これが偽装数字とはいえ、野党第一党になったことだ。
 命令者が「民進党は今こそ解散して緑の狸党とこぞって合同するのだ」という指示をだしたが、それを疑い、そのような道をいっていいのかを自問した人たちがでてきたことだ。
 民主主義と選挙に幻想を持つ大衆はこぞって立憲民主党に希望を託した。当然であろう。「希望の党」は自民党補完政党だと誰もが感じた。そこに集まっているのは自民党のさらに急進派だと警戒した。維新はすでに本性がばれている。こころなどは論を待たない。
 目先の流れを見ただけで小池になびいた民進党の政治屋たちも、熱が冷めてみれば「また戻りたい」と、己のおバカさ加減を少しも反省しない。安保戦争法案には賛成と小池踏絵に賛同したが、今は7割がやはり反対だったという。
 立憲民主党もきっぱり改憲、戦争法に反対と言いつつも、米国との関係はあいままにしたままだ。大局的に米国の核の傘に甘んじて、単に安倍らの露骨さに反対するだけというのであれば、将来の展望は開けない。
 共産党は現在の主張だけをみれはほぼ「完璧」な民主主義・議会主義政党だ。政党助成金を受けず、純粋に大衆の主張を吸い上げている。議会主義という観点から見たらその主張の「正当性」で比べるものがない。だが、共産党はかつてまぎれもなく「暴力革命」をかたってきた党である。それが現在語らないということは過去を何かの理由で百八十度変えたのだ。なら、将来に現在主張している民主主義・議会主義を再び百八十度変えるのではないか。そうでないならまず名前を共産党から変えたらいい。
 そのような疑念を、反共の立場の連中はみな口にしてきたために、近年得票は増加はしているが、勝利には至らない。大衆の多数の支持は得られない(後述)。
 反安倍という立場から野党へと思う人びとは、できたばかりで実績もない、きちっとした党としての戦略戦術もみえていな状態だが、立憲民主党へ希望を寄せた。
 日本会議は選挙結果を喜んだ。安倍トモの麻生は「北朝鮮のおかげで勝てた」とホンネを隠さない。お仲間の北への国難危機演出の出前要請に「あいよっ」と即答してやってくれているからだ。
 安倍一味を国内で支えているのは日本会議。日本会議は安倍だけでなく小池をも中枢幹部に持つ。改憲派が結果多数を得たことで、いまこそ急いで改憲実現だといきまいた。この機会を逃せがまたとこないだろうと。満州マフィアは予定通りに議席を保持した今、多少の非難はあろうとも、まだそれらを蹴散らせると、意気揚々だ。
 だが、そう簡単ではない。野党第一党の立憲民主党の背後の多数の声に正面から立ち向かうには、腰を引いている。緊急事態法を強行採決で通すのがやっとだろう。モリカケでも安易ではない。実際に加計獣医学部を認可するならますます窮地におちいる。まして改憲の国民投票を実際に議会に提出しても、投票で自衛隊明記をコクミンの三分の二が認める情勢にはない。とうぜん不正操作をするが、日本会議がいくら気炎をあげても、そこまで容認する事態まで至っていないからだ。
 地球一元支配一派から、気たるべき大東亜共栄圏の盟主をささやかれ、その気になって極東での紛争をあおっているヤツらだ。北朝鮮を挑発し、できもしない中国との紛争を夢見ている。こころの底では機会をみて米国のカイライから脱し、少なくとも一人前の国家を名乗りたいと思っている。
 安倍をたて、思想・宗教の壁を乗り越え空前の大同団結を実現したつもりだ。だが、先の選挙で生長の家は安倍支持公言をやめた。神社庁からの脱会を宣言するところも出た。教育勅語を復活(モリトモ)させ、731部隊を復活させる(加計学園獣医学部)というような、時代遅れで愚かな策謀についていけないと。
 皇后が誕生日会見で安倍戦争惹起を批判した。日本会議に巣食う連中の野合は、米国ネオコンの背後での支持策動があってのことだった。それが弱体化して、結果己の邪心がコクミンにさらされてきている。
 海外では一様に日本の選挙を小馬鹿にした目で報じている。
 「日本の安倍は選挙には勝った。だが誰も彼が首相であることを望んでいない」「安倍首相は基本的に有権者に人気がなく、特に政策が人気というわけでもなく、指導者として高く評価されていもいない。それにも関わらず、選挙で勝ち続けている」「安倍首相の本質は歴史修正主義」「安倍首相の改憲は、大日本帝国復権プロジェクトのひとつ」「若者を見殺しにして、老人を抹殺するような政治をしてなぜ、庶民の批判をかわせているのか」「日本人がポピュリズムの波に抵抗できている理由は、投票率の低さだ」「もしかすると日本人は、自分たちの怒りの声を、投票所ではなく、自殺率で示すことを選んでいるのかもしれない」と。
 ジャパン・ハンドラーの表の顔であるR・アーミテージ、M・グリーン、J・ナイらは来日。「政権与党の主張の流れに対立した主張の軸が大きくなる事態は好ましくない」と嘆く。
 政権維持となった暗黒安倍。とりあえず、選挙で承認得たとして加計獣医学部を認可の策動、国会は来年一月まで開かないで逃げる。緊急な「国難」が迫ってきているのではなかったのか。野党からの追及をのがれるために、野党の質問時間を減らす(与党2:野党8から与党7:野党3)、と卑劣な政治屋の姑息な小細工。背後で改憲と非常事態法を策動。それを実現するために、自然災害と国内テロを仕掛けるかもしれない。要注意だ。
 戦前の大政翼賛会のときにもテロのような事態をおこし、それを契機にして「一億総…」に移っていった。
 このたびの選挙は、コクミンには「絶望的と言ってもいい結果を誘導してしまった」という人もいる。だが少なくとも「日本の選挙」など米属国状態での選挙、米国と日本という国家をNWOの完成のためにカイライにしているヤツらの意志で、転がされているに過ぎない。
 決して、結果はカイライ政治屋の意志ではないし、日本の大衆の意思を反映したものではないということだ。

◆カイライ政治屋のタブー。日本式選挙システムが機能しているのは「外注」によってだ
 自由、民主主義、選挙と議会。これは支配者が、人民支配のために用意した支配システムだ。圧政に抵抗する人民の声を巧みにすりかえて、声を採用したように見せかけて支配を強化したシステムだ。
 勘違いしてはならない。確かに歴史的にも、人民は被支配者として常に粘り強く抵抗し、解放をもとめて戦い続けてきた。無数の犠牲を払ってきた。だが、被支配者としての地位が変化したわけではない。さらなる巧妙な支配システムのもとで、相変わらずの奴隷制度がいまも継続されているのだ。
 自由、民主主義、選挙と議会というのは、主従関係が継続された状態での「支配システム」の一制度なのだ。支配者が露骨な暴力と脅迫による支配を巧みに背後に隠しただけで、本質としての奴隷制は少しも変わっていないばかりか、卑劣になっている制度といっていいものだ。
 選挙や議会で政治が動いていくように見えているのは、ヤツらが作り上げた人民を騙す幻想だ。実際に動く政治の根幹は、表に出てこない命令者の指示で動いているのだ。選挙とか議会とか選挙とかは、被支配者を真実に近づけないように、思考をそらし「民主主義」の美名で、その虜にさせておくためのものに過ぎない。
 一握りの地球一元支配をもくろむ権力者による、地球人民総奴隷という政治の真実を「民主主義」という幻想で覆い隠しているだけだ。
 安倍らカイライ一味の政党の名は「自由民主党」。小池らは「希望の党」で、巧みに被支配者である大衆(ヤツらの言葉では国民)に、さも主権があるかのごとく主張し、それが党名になっている。
 リベラルとかかつての左翼陣営も、高く自由と民主主義を掲げる。主張に違いはない。民主主義という同じ主張を基盤にしている。そして、議会と選挙に夢中になっている。国民に投票を呼び掛けている。
 すでに、ここに権力と戦う人民サイドから見ると、救いがたい思考の誤りがあるのだ。戦う人民にとって、自由も民主主義も支配権力をぶち壊すための「武器」なのである。
 ヤツらの支配する世にあって、自由、民主主義、議会に一切の幻想は持たない。ヤツらの支配下でそれが日の目をみることはありえない。絶対にないからだ。実現するとしたら、ヤツらの支配がなくなったとき、人民が人民自身の政治をなせる世になったとき以外にないからだ。
 ヤツらの人民支配の手段として、ヤツらが人民を騙すために「自由・民主主義・議会」を言っていることを暴露し、その言葉で実際は真逆の独裁を行っていることを暴露し、主人公であるはず人民の意志が民主主義や議会に反映するのなら「してみよ」と、ヤツらを追及するためにある。
 ヤツらの政治の下では絶対に通らない、人民の意志が貫徹できないことを明らかにするための武器としてあるのだ。レーニンも徳田球一もそれを「革命的議会主義」と位置付けて戦った。
 今回の衆議院選挙では、一部から選挙の国際監視団の派遣を望まれて、国連の当該組織からの打診もあったにも関わらず、安倍政権は当然拒否して行われた。
 海外で、特に米国では選挙は各政党の大衆への指示を取り付ける運動として、選挙キャンペーンという「熱狂」を演出する場になっている。作られた「熱狂」の背後で、発表される「結果」が巧みに作られ、マスコミのあおりと相まって結果は大衆に受け入れられていく。
 だが、そうした動きを冷静に見つめる者も多く、マスコミが発表する事前の予測と実際の投票結果が大きく異なっているのではないかと疑念を言うものが多くなった。運動となった。議会でも無視できずに公聴会が開かれた。
 「投票権のリスト作成が不正になされた」「投票箱がすり替えられた」「開票を発表するメディアが一社でそれをまるごと信じていいのか」「バーコードリーダーがあやしい」等々。実際に公聴会で工作者が認める証言をした。(YouTubeであがっている)
 どこで書かれたものかは分からないが「誰がどこに投票するかはどうでもいい。誰が開票するかだ」とスターリンが言ったということがよく指摘される。スターリンの政治独裁を宣伝したいようだ。が、古くから選挙の開票は支配者の意図で管理されていることを暗示している。
 西欧では、選挙集計が機械化されていく流れの中で、不正な開票を避けるために「手作業集計」に戻しているところが出てきている。民主主義が公正ならば、疑念を払しょくするために、例え集計作業が大変で時間がかかろうとも手作業にするのは、ごく当たり前のことだろう。
 日本では、安倍政権の再登場時を境にして、この選挙疑惑が強まった。毎回、3ケタに及ぶ訴訟が起こっている。だが、不正な選挙開票は支配者のタブーだ。マスコミが報道することは基本的にない。唯一昨年に朝日新聞がエラー報道をしただけだ。裁判所が何件かをまとめて、しかも何の証言発言も排して、いきなり退け、わずか数分で結審するという異例違法な裁判をした。怒号がとびかう法廷。
 この様子をあろうことか禁止されているはずの録画映像、録音音声をインターネットで流してしまったのだ。このことを小さくだが報じてしまったのだ。だが、記事を読んだ人は何が何だかわからない。
 今回の選挙でもこれからどんどん出るだろうが、新聞やテレビにでることはまずないだろう。だが、すでに数件出ている。例えば不正選挙のメッカであるのか、高松で、選管がすり替えて、投票箱に投入した偽票が多すぎて、投票者数より多くなってしまった。青森では国民審査4万票超集計漏れ、ということが報じられた。また、安倍の足元である山口で、選挙管理委員会が公式に発表する速報値が、百%開票後の数値よりも多いのだ。安倍晋三と書かれたはずの文字に誤字が多数あり、支持者なのに字がまともにかけない人が多い? これも報じられた。
 いずれも、選管の「ちょっとした事務上のミス」「大局にまったく支承がでるレベルのものでない」として、再集計などはしないとされた。
 しかし、これがどういう背景があって出たものかを論ずるのはそうとう困難だ。支配者のタブーであり、ここに支配の体制の本質があり、決して表に出せない深い闇が存在するからだ。
 「公正な選挙」がなされている、というのは支配者であり、その宣伝機関のマスコミであり、それにすっかり意識コントロールされたコクミンだ。そうした意識管理と結果同じなのが全体の7割程度を占めるといわれる「無党派層」「政治無関心層」だ。
 これを「正常」な状態と口では認めないが、実際は真逆でその状態を支配の必須の条件として、真剣に無関心層拡大につとめてきた。「あなたの一票が政治を変える」とか「民主主義の権利の行使は投票だ」とかいって、ちゃっかり議会主義を啓蒙しながら、同時に政治不信でしらけさせている。
 このような状態であれば、支配は安心。投票率が低ければ、自民公明の組織票が安定する。
 さらに決して公正などではないのを法的に制度化したのが「小選挙区制」と「政党助成金」「供託金の異常な高額」だ。自由や民主主義をいうなら、税金を支配政党に流す。税金をおしゃべりだけの政治屋に渡すなど絶対にあってはならない。死に票を多く出す制度である小選挙区制などあってはならない。
 落ちぶれた政権与党が、いくら得票が低くてもわずかでも野党より多く得票できさえすれば、いっきに多数の議席を保持できるのだ。「政治運営を安定させることでコクミンを不安にさせない」のだと虚言をはる。少数意見を法で見殺しにするのが小選挙区制だ。
 ヤツらはこの隙と闇に使う金を惜しまない。マスコミ、コメンテータ、WEB投稿組織と投稿者、街頭演説時の桜へ出す。買収ともいえるし、おバカや無関心層の臨時の高額なバイト料でもある。つぶやくサイズや種類に応じて多額の資金が使われた。1回で50円から数千円だ。SMSへの動画ではまさにクライシス・アクターが活躍する。テレビ・ニュース報道時の街頭インタビューでは同一人物がたびたび出る。
 表集計にからむ不正疑惑は、こうした選挙制度の土台における支配のからくりの上での、別なレイアの問題。選挙の手続き上の隙を狙い、そこで票数を自在に変えることで、カイライ政権与党を実現するのだ。
 開票にからむ隙と闇とは次のようなことが指摘されている。
 ①投票所から集計所へ移動時に投票箱のすり替え
 あらかじめ白紙の用紙(後述)あるいは実際に使われるプリント用紙に、当選させたい候補者の名前を書いて用意する。投票所から集計所に封された投票箱を移動させる際に、さまざまな手法ですり替えるのだ。
 投票箱の移動は担当する係が自家用車、タクシーなどを使用して行うようなところで有効な方法だ。
 偽票を書くのは(a)意図を理解した協力者。(b)日本語が十分でないものに謝礼を与えて書かせる。(c)海外の日本語学校を使い日本語の練習と騙して白紙に書かす、などの手法だ。
 ②開票所の自動読み取り機での操作
 自動読み取り機は投票用紙に書かれた候補者の文字を機械的に読み込んで、判断して、分類して束にして出すものだ。癖の強い書き方で書かれたものもほとんど間違いなく、超高速で判別できると言われている。一般的にOCRと呼ばれているものだが、この能力は郵便の宛名の読み取り機と同様に、日本で最高レベルのものと言われる。
 無効、白紙も含めて、迷うものは当然人間の眼での区分にされるものも出る。
 しかし、この機械に組み込まれたソフトウエアは意図的なご判断をすると言われているのだ。出てきた候補者の束をサンプリングで人間のチェックを入れることはあっても、すべての束を見直すわけではない。ここに隙が出る。
 投票所では何故か鉛筆で書かせている。優秀なるは鉛筆で書かれたのを機械内部で消し、当選させたい候補者の名前を印刷する機能があるのではないかと疑われている。
 まさに米国の公聴会で証言者が話したのはこの肯定だ。
 ちなみに、書き換えられるのを拒否する有権者が、マジックペンを持ち込みそれで書いて投票するのを禁止している投票所もあるという。
 まだある。この機会が吐き出す500票単位の束にタグが付けられているのだが、異なる候補の名前のタグで出てくるという疑いも指摘されている。
 さらに、これらの機会はネットで集中的にリアルタイム管理されていて、遠隔での調整ができるようになっていると言われる。よくトラブルという。一刻一秒を争うという場で、メンテナンスを素早くやるためには、いまどき当然の機能だ。
 ③束のタグをバーコード読み取り機が読み取って集計する
 機械的にあるいは人為的にカウントされて500票単位で束ねられたものが、このリーダーで読み込まれて電子的にサーバーにデータが送信されていく仕組みだ。
 このバーコード・リーダーは正しく機能しているのかという疑念だ。
 ④最後に読み取ったデータはすべてサーバーに集まる。必要な分類で集計されここで最終的な結果がでて発表される。ここでの結果を立ち会った選挙管理委員会の人が承認印を押して最終になる。前回の選挙のときに宮城県でどうもうなずけないとして、朝まで承認が遅れたのはこれだ。
 ⑤期日前投票された投票箱の管理
 投票日当日の開票箱と、期日前投票された箱が、開票作業の特定のタイミングで合せられる。何故か速表で出ていた数字が不自然な動きで調整されていくときがある。そこには隙がないのか。
 ⑥開票が終了し会場がいったん閉められた後の深夜
 前の選挙でのことだ。再び会場に電気がともり、集計機が動いていたとのことだ。公表された開票の数字に合わせて調整、あるいは偽装の証拠隠滅をしているのではないかと疑われている。
 以前の選挙開票は手作業で行われていて、手作業であるゆえのミスというか間違いというか意識的なエラーがあり、手間と時間が膨大だった。しかし、有権者の監視システムがある程度しっかりしていて、作業にたずさわる人への信頼があれば、それなりの信用置ける結果が出た。集計発表が翌日になるのは当然だった。
 そうした状況に関与したのがコンピュータを利用して、より素早く行うというのに流れて行った。当然の流れではあるが、選挙を主導する立場=選挙を支配の道具として実行する立場からすれば、絶好の形ができたのだ。
 手動計算に変わる電子集計には、一般に人が入り込めない深い闇ができそれを利用できるからだ。
 衆議院や参議院の国政選挙だけではなく、地方の議会の選挙でも、現在はほとんどが何の疑いもはさまれずに電子開票システムが導入された。今回の選挙だけで税金600億以上が費やされたという。
 選挙となると、投票所や開票所の場所は公共機関だが、集計機械ばかりでなく、有権者名簿システム、速報システム、海外、前日投票システム、用紙、書く台、その他すべてが、実はすべて外注されているのだ。しかもムサシという一社が全国のシェア90%以上だというのだ。今は孫正義がともいわれるが、富士フィルム系のその会社の資本は安倍一族だったといわれる。あきれた話だ。
 この民間企業が主導で選挙の準備から開票の最終報告までの実作業を行っている。人員の確保という行程もあることからそこにパソナがからんで動く。
 民間企業に選挙を外注することで成り立っているのだ。単に実務のコストを抑えるために当然の外注だろうと思うかもしれない。だが、冷静に考えてみてほしい。国家がジャスダックに上場する民間会社である日本銀行に借金して、国家財政が握られ牛耳られているのと同じではないのか。
 ムサシやパソナに選挙という民主主義の象徴のようなものを丸投げで依存するのは、ただの見せかけで、国際金融資本の意思が、実は民間企業の皮をかぶった私的なものを通じて動かされているのではないのか。
 この闇を暴こうとした人は殺されてまでいる。
 開票所には地方公務に携わる人たちと候補者の関係者以外に、外注した企業からの多くの人が要員が入り込む。全体の仕事の流れをこのムサシとパソナの要員が管理して動かすのだ。確かにその段取りと指示にそつがない。最高の効率で開票が進む。
 古くはここに地域のボス、多くは自公の関係者だがかかわって役割を果たしてきた。これ自身が裏社会と結びついた闇だったが、今の多くは背広をきたスマートな外注委託先の社員たちだ。一人一人は全体を知らない。企業上部からの指示で役割を果たしているだけだ。
 コンピュータシステムで、たんたんと処理され、発表される集計結果。これと並行して実現したのは、マスコミをフル動員した「出口調査」「動向アンケート調査」というものだ。
 前回の選挙では投票がまだ続いている午後4時台に、結果をテレビで流したことさえある。投票が終了するのは午後8時。開票の作業はまだ始まってさえいないのに、各テレビ局はもう「予測」と言い張って8時のニュースで報じるのだ。もちろん開票が始まる9時のニュースでは当然である。
 当日のテレビはどの局も特番でそうした動きをするが、その前に新聞社が何日も前から同じことをしている。独自の「動向アンケート調査」実施結果だとしてだ。その予測が感心するほど「正確」なのだ。
 出口調査とかアンケートがそれほど正確なのであれば、選挙はする必要がないではないか。だが、選挙を「させる支配者」にしてみれば、ここが肝心。あくまでも、選挙の結果をコクミン、有権者が「やっぱりな」と受け入れる気持ちにさせるためにあるのだからだ。
 マスコミは、コクミンや有権者の意識を正確に調査などしていない。意識を「誘導」しているのだ。極論を言えばヤツらは実際の調査はしていないといっていい。調査機関と称する手前味噌の機関、彼らが支配する事業体・組織に「外注」してするのだ。
 ここでも明らかなように、米国や日本の政府をカイライとして自在に動かす命令者は、常にシンクタンクを利用する。単に実務を請け負うような装いをして、実際には命令を完遂する機関だ。アンケートの実態は極秘事項であり、個人情報でありカケラも公開する必要がない。アリバイ作りでわずか少数の調査をしたふりするだけだ。少数でもある意味リアルな数字が存在するはずだが、それが表にでることはない。
 アンケートの結果は先に確定している。
 マスコミが支配者のための強力な役割を果たしていることが分かろう。真実のジャーナリズム精神はとうに捨てている。大衆の意志の誘導というフェイクニュースを流すだけだ。奴隷の意識を植え付けようとするだけで、奴隷制での圧政をあばくことは絶対にしない。
 今の政治屋どもがこうした開票への疑惑をなぜ明らかにする気がないのか。多くの素朴な人民が持つ疑点に気付いていないほど間抜けなのか。
 安倍がどんなに不人気でも、安倍の政権は変わってほしいという声がいくら多くても、海外のマスコミがいくら変な結果だといっても、あらかじめ決められた三分の二は確保するという出来高レース。ただの薄汚い大政翼賛会に向けたセレモニーだったのだ。

◆政治権力は人民が構築するものであって、奪取するものではない。他力の思考こそ奴隷思想の柱だ
 そろそろ気付いてもいいはずだ。ヤツらが接待支配をしている社会で、支配システムの核心である「選挙」に幻想をもっても何も解決などしないことを。
 その象徴的な勘違いが「選挙で政権をとる」という思考だ。選挙に勝ては、何か日本の政治を動かせると思っていることだ。
 民主党が一時期政権に就いたが、どうだったかを思い起こすだけで分かろう。
 やや語弊ある表現だが311を起こされて潰され、安倍の再登場、現在の事態になった。
 歴史的にみればどうだったか。古い911。つまりチリで選挙に勝ったアジェンデ政権は地球一元支配者の私兵CAIの手でクーデターにより潰された。1973年の9・11だ。アジェンデは殺された。
 1965年の9月30日、インドネシアでCAIとスハルトによるクーデターでスカルノ大統領の政権は倒された。
 スパイ野坂参三が「愛される共産党」とかいって平和革命を唱え続けた理由は、まさに地球一元支配一味の支配体制に異をとなえる勢力を、ヤツらの手のひらである「議会主義」に閉じ込めておくことこそが、その要であるためだ。日本共産党はこの説が大衆と現場を嫌う宮本顕治に引き継がれて現在のピュア議会主義に育っている。
 だがそれが間違っていて何の教訓も得ていないことは、旧911、9・30事件ををみればわかるとおりだ。仮にだが、日本の議会選挙で共産党が多数を得たとしよう。共産党が与党の一角に入った政権でもいい。それが現実になれば、日本をカイライとして使っている地球一元支配一味は、間違いなく同じことをやるだろう。
 私兵CAIは世界中のどこでも属国でクーデターを起こしているし、いつでも起こせるからだ。米国の政府機関の名を語っているが完全な私兵集団であり、無限の資金をもっており、アルカイダ、タリバン、イスラム国(IS)という傭兵集団を作り、訓練して暴れさせたのはCAIだ。
 ヤツらは日本の自衛隊の動きを無視してでも独自に日本でクーデターを起こす。
 こうした地球一元支配一味の存在が確かである限り、議会主義や平和革命(これは死語)など、夢のまた夢に過ぎない。その主張に多くの大衆を閉じ込めておこうとすること自身が、ヤツらの手先を無意識に演じているといわれても仕方ない。
 この民主主義、議会主義が思考の限界をみずから作っているのが「権力奪取」というもの。現在存在するヤツらの「権力」が、自分で奪取したほど魅力なのか。唾棄し排除するものなのだ。
 民主主義を自称していても、汚濁にまみれたヤツらの「権力」は利権の塊で、その利権に議会主義者は「魅力」をもつようだ。自ら目先の利権が欲しい、安倍らと同じか、それ以下の金権盲者であることを白状しているようなものだ。これが思想をもたない政治屋の思考の限界。このような政治屋が我が世の春とばかりに、狂奔する議会と選挙に世が浮かれている状態こそが、支配者の理想的な支配状態なのだ。
 革命的な大衆、つまり世をヤツらの支配体制からくつがえそうと考える人民は、地球一元支配をもくろむ主敵をやっつけない限り、ほんとうの民主主義や議会主義などありえないと考える。世界金融資本を中心とした主敵は権力という支配システムを行使して支配している。
 革命とはそれを覆すことだ。人民自らの権力が主敵の支配権力にとって替わることだ。ヤツらの支配システムである権力と、人民自らの権力は組織的に完全に別のもの。革命とは、ヤツらの支配権力を、人民が「奪取」するのではない。廃棄、絶滅させるのだ。原発と同じだ。
 人民みずからの権力を構築する思考がなく、他人の、それもあろうことか主敵が行使している権力を、そのまま「使って」というのは、奴隷の思考そのもの。他力思想である。主体力しか頼るべきものはない。革命に他力思想を持ち込むことこそ間違い。
 権力は行使の方法論がともない、実は全く異質なものなのだが、敵の攻撃として方法論が同じだとして人民権力をヤツらの権力同等に邪悪なものとして攻撃する(ヤツらは同等に邪悪だとオウンゴールで認めているのがおかしい)。人民自らの権力はヤツらの権力と対置し、ヤツらの権力の行使を阻止するためにある。ヤツらの権力を廃棄、廃絶するためにという意思がある。ヤツらの権力の意思はヤツらの支配体制そのものであり、権力の維持のためなら手段を選ばない。
 人民の権力はこのように、支配者とのし烈な手段を選ばない攻撃に対抗するものだ。それに耐え、反撃しきれるだけの人民側の体制が、人民の権力である。
 この人民自らの権力というのが、ヤツらの「支配体制の奪取」でまかなえられるわけがないのはわかるだろう。
 人民自らの権力は、日々のヤツらの支配と闘う中で徐々に作り上げていくものだ。それは姿形以前に、意思が重要だ。まず人民のひとりである自身の意思として、人民権力の思考を明確に固めなければ始まらない。自分と同じ生活環境、自分と同じ労働環境、自分と同じ行動環境のなかで、接する家族、同僚、仲間と話すこと。共通する問題を論議すること。そこに意思の集まりが実現する。
 人民自らの権力というのはこの意思の集まりが基盤だ。
 ヤツらの支配はこんにち、生きている限り、隅々まで、ままねく浸透している。そればかりか、人はヤツらの支配の末端の歯車に組み込まれている。そればかりか、ヤツらの支配の甘さを隙を不足分、粗相を、執拗に見つけ出し、それを補完するような思考と行動を、人びと自身が自主的にさせられている。何気ない日常の人びとの思考と行動のはしはしに、ヤツらを喜ばす貢献をさせられている。これがヤツらの支配システムだ。
 だが、ヤツらが作り上げた自慢のこの自動補完、自動回復システム自身には致命的な欠点が潜んでいる。隅々までいきわたらせているということ自身だ。安倍の街頭デモでもブログでも、人民側の反対派を攻撃、排除、非難してきているのは、カネでつられ、そそのかされ、その気になってしまっている愚民は、人民の隣にいる庶民、大衆自身だからだ。彼らはほとんど自分のなしている行動を考えずに、指令に従っている。指令を損得して動いている。指令からの評価を上げようと自主的に工夫を考えて点数を稼いでいる。
 しかしそうした行為が、周囲に存在する伴侶や子供、同僚や友人を貶め、傷つけ、ヤツらの支配を助けている。当然自分自身をもだ。これが自分と接する人の中に一人から真実を語られるときに、当初は激しく否定するだろうが、やがて気づかされることになる。
 反動とは真実の歴史の流れに対して逆の方向に動くことだ。人民がヤツらの権力に抵抗する正義の力に、反対の力を及ぼすことだ。現在は死語かも知れないが、ヤツらの反人民的な動きを反動という。この反動の末端では騙された、誘導された、そそのかされた人びと、つまり人民になりきっていない愚民大衆が演じる。それを端緒にして、末端に人民権力を構築していくのだ。これが革命である。だから、革命の道のりは険しい。
 きわめてシンプルな構造なのだが、一人一人が自分がヤツらの手先に組み入れられて演じているという欺瞞を、認めなければことが思考上の大きな壁になっているからだ。
 人民側から見れば、いやでも生きていくために、自分のカテを得ながら、同時に奴隷体制の強化をさせられているのだ。ヤツらの権力はそこまで完成している。だから最初は、多くの人たちが現在の社会体制を、地球一元支配一味による「奴隷制」が「労働ロボット体制」だということを否定する。それは、認めたら自己否定という脱出できない状態に陥ってしまうからだ。
 だから、一部の革命的な人民がヤツらのシステムの打破を訴えても、一部の人の不満程度にしか考えない。愚痴を言っても何も変わらないよ、と無視する。よくできたものである。だが、大局的に見れば「奴隷制を変えられない」「不満や愚痴、欠点をいうならできる範囲で」「いや、自分の不理解と努力の足らなさこそが原因」「今の体制は正しい」という、ヤツらが求めた思考の理想そのものになっている。
 そうした昔からのヤツらの支配体制を肯定する考え方、しかもその補完に毎日関与している自分は、少なくとも自分だけでは、考え方として抜け出せない。革命党が世界的に絶滅に追い込まれたのはヤツらの思想攻撃にもあるが、むしろ自滅した。これは認めざるを得ない現実だ。
 だが、人民の意思は消えない。以前に増して圧政は強まっている。この厳然とした支配の現実があるかぎり、人民の意思が閉ざされることはない。人民権力はかならず構築できる。歴史の真実である。ヤツらの支配があるところには、人民権力が作られていく素地がいくらでもあるのだ。
 現在の世で人民権力が一時的に後退したのは、世界中で連日展開されいる支配システムに対する人民の抵抗を、一ランク向上させまとめていく「革命思想」が定まらないことに尽きる。かつて一度なりとも革命を実現したロシアや中国でも、革命思想の混乱が収拾されていない。思想的な動揺をかかえたままだ。
 その革命思想の核心こそが「人民権力」の思想であり、人民の生きた哲学なのだ。
 かつてからあったものだが、それが確固としたものになるには歴史が時間を求めたということである。ヤツらが仕掛ける世界の混乱、戦争につぐ戦争で思考を固める余裕がなく、その弱さ、あいまいさ、脆さが解明されなかったことだ。特に日常の足元の思考・行動と人民権力の結合ができなかった点だ。
 現在は革命勢力がどん底である。思考的に考察できる時間がある。上記で論じてきたことはその検討の結果至った一つの核心だ。
 現代は世界金融資本を頂点とした地球一元支配一派が、民族、宗教、国境を越えた規模でNWOの完成に向けての動きをしている。ややほころびはあるが、厳然として機能している。この主敵と世界の人民が闘っている。勝利は人民の権力を人民がいるところすべてに構築することだ。思想の核心は人民権力の思想だ。
 人民権力は全世界の人民の足元から作られる。それが将来いっせいに表にでて、人民に寄生することで存在する主敵は払いのけられる。決定的な蜂起は無血革命になるだろう。それは、人民権力を抑え込もうとする末端の敵勢力は基本的に、歯車にはめられた人民大衆の一因だからだ。そのときにはその現場に、人民の側の権力がすでに作られているからだ。人民権力が一斉に寄生虫をつぶしに出るときまでは、人民権力は完全な面従腹背が演じているからだ。
 足元からヤツらの支配をあばき人民権力の原点である人民の意思を語るときに、そのキーになる考え方、その視点の中心は下記の五点で、いつも上げていることである。

①ひとを不愉快にさせたり、迷惑をかけないこと。
②カネの盲者、欲の盲者にならないこと。
③子孫に負荷をかけない、未来にツケをまわさないこと。
④戦争の禍根を解き放つこと。他国へのよけいなお節介をしないこと。
⑤人間の尊厳をもって生活できるようにすることへの貢献。