記・国民B(2015.12.31)
■安倍暗黒政権による一億総奴隷化が進行している。一億総奴隷化時代の人民闘争はどう闘うのか

◆人民のあえぎにはそっぽを向き、米国ネオコン一味と財界にだけ奉仕する安倍の犯罪
 2015年の暮れになっても、日めくりで驚くような事件が続いている。
 議会での質疑なるものが人民の基本的な生活や権利にどのような効力をおよぼすか、議会での質疑を限られた紙面でどう採否が決められるか、要約されるかは軽視はぜずとも、必要以上の幻想は持たない。
 だが、議会を信奉する一般的な市民の感覚から見たときに、深い真実を知る手立てとして出来事をみつめることは必要である。
 12月22日の朝日新聞をはじめいくつかの新聞が報じたものがある。『「アベ政治を許さない」議会広報掲載せず/釧路市議会が質問の文書は「特定政権批判である掲載するのは不適切」だと』。
 市議会で議員が質問したことを市の広報で報じないというのだ。驚くべきことだ。安倍政権下では、議会制民主主義を頭から否定することが、公然となされはじめていることだ。
 広報に掲載しない、つまり市民が選挙で選んだ議員の議会での発言を、安倍の政権の意向に沿っていないからというだけの理由で、検閲し発言箇所を消し取り、選んだ市民の眼から隠すという行為だ。議事録の改ざんでもある。
 議会での質疑はありのまま報じて当然と誰しもが思い信じている。だが、安倍を信奉するヤツらは「掲載の基準は存在しない。議会での発言は自由だが、多数の会派が賛同できないものの掲載はしない」のが当然だという。
 このような考え方をして市民を愚弄することに、ヤツらは何の恥じらいも持っていないということだ。
 時の多数派は、議会制民主主義においては、常に多数派ではない。意見の相違を認め尊重するのが建前である以上、どうどうと広報で報じて、市民に判断させる。市民は時の多数派の政策に賛同できなければ、別の派が多数になる。その機会が保障されるというのが、議会制民主主義の考えだ。
 釧路の安倍同調派は、その建前を真っ向から否定しているのだ。質問した議員側は当然「議会の自殺行為だ」と非難した。逆に質問した議員側が多数派になったとしたら、今回不掲載を行ったヤツらは同じ目にあうことを認めたことになる。不掲載を主張する釧路の議員らは恥を知るべきだ。
 すでに何度か取り上げたように、町のお祭りで護憲を主張する組織のブースの参加を拒否するとか、書店の平和特設コーナーを変更させるとか、戦争を廃絶しようという投稿者の句の掲載を拒否するとか、安倍暗黒政権の不届きな圧力行為が全国的に蔓延してきている。
 直接市民と接する権力側の箇所に、このようなことをする人間がいることに注目する。いずれも従来であれば一つの意志表現として、存在していて当然、ないほうが不自然という類で、あるほうが為政者にとっても有用と言われていたもの。
 釧路のニュースは暗黒安倍の意をくんで、あるいは直接指示されて、恥知らずな末端議会の連中が「やっても無罪」と確信してやったことだ。安倍の意をくむことがひとりの人間として、いかにさもしいことを生みだすか。
 こうした政権による理不尽なよこやり、横暴事件の慢性によって世の雰囲気が一定の方向にいやでも向いていく。それは安倍による「戦争国家への移行」である。しかもそれが、1930年代のヒトラーのナチ政権の動きと重なっていることが不気味である。
 祭りの受付る場所に、書店のコーナーを設ける担当者に圧力を加えられる立場の人に、あるいは投書や苦情を発信し受け付けるところに安倍の意向を受けた指令を実行するものがいる。
 権力が己の意向を遂行するために、末端に指令をだし、行動に移す人がいる。そのための闇カネはいくらでもあるが、先刻、元沖縄知事が、基地問題等の懐柔のために内閣機密費から巨額を渡されたことについて異例の暴露がなされた。
 権力者は、どこにもバレないカネで、陥れてつくった個人情報の暴露という脅迫で、殺し屋を使った直接の脅かしで末端の人間に行為をさせて政治を動かすのだ。
 最近の安倍暗黒政権の動きの基本はすでにバレてきている。それは内部の告発もあり、手法が見えてきていることだ。秘密保護法で人民に知られたくない政策がなぜ作られ、どう実行するかについて、合法的に知らせないという暴挙にでた。
 だが、人民にとって良いことなら堂々と理由と過程を告知することで為政者の権威が高まろうというものなのに、隠すことが多くなり、やましいことだらけであることが誰にもわかるようになったことだ。
 この単純なことが、やましい感覚で作ったヤツらにはわからない。人民とのこのギャップがヤツらの首を締めることになる。
 安倍暗黒政権の2016年はどうなるのか。それについて次のようなことがすでに知られている。
  ・夏の衆参同時選挙で三分の二の与党議員を当選させる
  ・一気に憲法を変更し自衛隊の名を変え戦争国家にする
  ・中国を挑発し紛争へ
  ・選挙まえに消費税10%実施先送りを宣言する
  ・これを目玉に支持を得たと偽装する
 まさかと言う声が多いだろうが、真面目に安倍らはやる気だ。もちろん、ここで安倍らというのは安倍が考えているのか、という点に補足が必要だ。安倍暗黒政権は完全なカイライである。日本人の生活や権利や生命や財産など、さらさら守る気はない。すべては地球支配者のなかのネオコン戦争一味に指示されているだけだ。
 現在中東で暴れまくるテロを演出しているクリントン夫人や文化の日に勲章をくれやったアーミテージらのネオコン戦争一味だ。世界中がヤツらから離反していっているなかで、日本の安倍一味だけがつるんでいるものだ。
 ネオコン一派の邪悪な悪だくみの実現のために、日本をのっとった安倍が狂気の悪政を行っているというのが現実だ。安倍への指令が「三分の二議員で国民総動員の戦争国家にしろ」と「中国と紛争を起こし極東での戦争状態へ」というものだ。
 安倍はその無茶なミッションをアクロバットのようにして実現する気だ。
 一般の人が普通に考えたら無理であろう。できるわけがないのだが、ヤツらはやる気だ。
 ここ数年の選挙で「一強他弱」を印象付けてきた。「自民党以外に政治を実行できる政党はない」という世論を作ってきた。
 中国と北朝鮮の脅威をもりあげ、急ぎ防衛できる体制を作らなければならない。戦力は持てないという憲法の整備をしなければならない。テロとの戦いで最強の米軍との提携を強化するためとして特定秘密保護法を作り、集団的自衛権のための法をつくり、地球上ならどこへでも軍隊を派遣できるようにした。
 残すは憲法の縛りだけだ。自衛隊という名称だけだ。戦後与党自民党ですら躊躇してきたことを、姿を変えた新自民党の安倍は一気にここまでやった。この勢いで残った課題をクリアしてほしいという強い要望が「国民にある」ということが、実際にあるという世論が作られさえすれば可能だ、と踏んでいる。
 世論の工作は電通を通じてできる。内閣支持や政策支持のアンケートも電通が自在に作ってくれる。NHKやフジテレビ、読売や産経にまかせれば世論の操作など簡単だ。
 そう。つまり、マスコミが基本的に真実を報道していると信じている「国民」がいるうちなら、マスコミが安倍の意図をくんだ報道をするだけで、狙った世論を作れるということだ。
 そのような邪悪な企みがあってマスコミは誘導機関としての「本来の機能」を忠実に果たすようになったのである。
 戦争法案を厳しく主張した東京新聞には電通ルートで広告の入りに制限を加えた。秘密保護法や戦争法に反対の声をあげた有名人をマスコミへの露出を消していった。人民の生命と財産、生活と権利にかかわるニュースは「掲載せず」として、そのような事実すらなかったようにした。
 自民党と公明党の閣議での論議が、さも「国民の間の論議」であるかのように偽装していった。安倍暗黒政権はその裏で何をしているか。沖縄での強引な辺野古工事。人類を危機に陥れている原発の再開。子供や教育についての切り捨て。赤字企業への増税と大企業への減税。年金や医療の切り下げ。諸外国への湯水のようなばらまき。イスラエルやインド、オーストラリア、トルコにたいする軍事開発の提携と武器輸出。それらは報道しない。
 マスコミの信頼度は世界で61位だ。安倍が意図した状態が実現しているのだ。白を黒といい、黒を白ということはすでに日常化し「国民」は報道を通じて真実を知ることができなくなっている。
 安倍暗黒政権と電通による報道での「国民意識」の管理体制がほとんど完成しているのだ。
 安倍政権への支持率とか戦争法案への賛否とかの世論調査が頻繁に報道される。誰もがいぶかしむ不思議な数字がおどる。安倍支持が異常に多い。
 何度も指摘しているが、ウイークデイの昼間に電話で悠長に受け答えしている層、それも分母がたかだか4桁程度というものが、もっともらしく報じられること自身がすでに、信じるに値しないのだ。
 だから、テレビでもリアルタイム集計をこそ出せ。街頭で適切な方法でリアルタイム集計をしてみよ、と指摘した。権力の末端操作が及ばない地方の小さな新聞や、メジャーでない小規模テレビでのリアルタイム調査の報道では真実に近いのがでる。
 そうした数字もネットで報じられているが、それよれば安倍支持などほんのわずかだ。戦争法案にいたっては99%が反対といってよい。
 選挙はどうか。今年大阪の選挙で見捨てられた橋下維新が、最近の選挙で異常な数字を得て、大阪の投票者自身もびっくりした。
 すでに証拠を残さない選挙の数字のねつ造システムが完了しているのだ。NHKはじめいくつかの機関の「出口調査」なるものが、いや電通を核とする操作機関が、結果先にありきの「出口調査」を演じているのだ。米大統領選挙と同じように、開票すら最後までしないで、あいまいを残して終えるシステムだ。
 米国ではエンターテインメントとして華々しく波あり谷ありで劇をリアルタイム風で報じ、一方の「敗北宣言」で終焉する。開票の最後は常に分からない。
 日本では開票が始まる午後9時ジャストに「出口調査」として「圧倒的勝利」を報じる。あとは「専門家」のもっともらし解説で一気に山を終える。テレビを見続ける人はいない。「国民」は瞬時にすべてを知ったような気分になって関心は急激に薄らぐようにできている。
 一部報道ではすでに、来年夏の選挙での詳細な当落リスト、得票数字がでている。結果はすでに完成しているのだ。あとは半年かけて「与党圧勝」の理由づけと「安倍信任」の当然さをいかに自然をよそおって実現できるかである。
 この意図に邪魔になる報道アイテムは、すべて切り捨てる、おべんちゃらでもプラスになるものは、どんどん採用するということだ。
 有権者の年齢の引き下げの利用。消費税10%の実施先送り案も実施するだけ無駄、混乱、面倒なだけで効果のない「軽減全税」の論議をどう利用するかがもっぱらの悪だくみの焦点だ。
 「国民」のいまいまの生活と権利や財産と生命は見向きもされずに、安倍の意図(本当はネオコン戦争屋一味の意図)実現のことしかヤツらの念頭にない。
 日本を新自民党としてのっとったダニ、ネオコン戦争屋一派の為政の現実である。
 年末ぎりぎりになって「慰安婦問題で日韓が不可逆的合意。日本がファンドに10億円を」という報道。あまりにもタイミングが唐突で、またアメリカの命令かと誰もが疑った。疑っただけで別に聞いてもいないのに米報道官は「日韓政府の強い意志でなされたもので、指図をしていない」と言い訳。
 在韓大使館前の銅像の撤去が前提という合意に対し、韓国政府が果たして民間当事者を説得できるのか。安倍にしてみればカネで解決できるなら安い話だ。だが、ばらまきとたかりの低レベルな小細工では、解決などほど遠いだろう。次の選挙に向けての得点稼ぎでやったのだが、うまくいくとは限らない。
 このような侵略戦争の生んだ結果は、戦争の禍根を絶対に再生させないという人民同士の権力の力でしか解決しない。

◆統治システムとしてのマスコミへの幻想を利用した世論操作と背後で進行するもの。現実の正気と狂気・幻覚の世界
 地球を支配し米国や日本など各国の政治中枢をのっとって、世界の人民を支配しているヤツらは、どのような視点で政治や経済を、社会や文化を動かしているのだろうか。
 現代においては、人民が世の動きを知るのはマスコミ、メディアを通じてである。一人の人間として周囲から直接えることの情報は限られている。一人の人間として生活し生きていくには、社会との結びつきが必須である。社会の動きを知ることが強制される。
 マスコミ、メディアは人が生きていくうえでいやでも利用することになる。そこがヤツらの付け目だ。このマスコミを自分たちで完全に支配することで、人民が手に入れる情報と知識の大半をコントロールすることができる。
 マスコミがヤツらの情報操作のツールとして完全に支配されていることを知られないように、「公正な報道」「権力の監視」「報道の責任」などを表の顔に偽装している。
 マスコミはNHKのような国の機関として視聴料という「税」で、他は利益を前提とする企業が担う。NHKはお上の広報機関であり、民間は企業からのスポンサー料金でまかなう。お上の意向や電通が握る広告宣伝料の入り口に頭が上がらない。
 現に時の政権に異論を表明したというだけで、NHKやTBS、テレビ朝日のキャスターや出演者がはずされた。鋭く現政権の悪意ある政策を指摘した東京新聞はスポンサーからの広告が下された。
 マスコミは時の権力(カイライ)の、地球支配者の大きな意図に沿って人民の意識を一定の方向にもっていくための、情報だけを十分な準備をして流す。意図に反することについては、極力流さないし、流す場合は意図に沿ったように理解するように事実をねじまげたり、真逆のとらえ方を当然して流す。
 これらは、その時々で起こっていることについての報道上の扱いについてだが、注目しなければならないのは、「その時々で起こっている事件」そのものを、ヤツらの目的のためにあらかじめシナリオとして用意されたことであることだ。
 「実際の事件」など必ずしも実際に起こっているとは限らないことだ。起こってなどいない「事件」でも、シナリオに沿って起こして、シナリオに沿って報道するのだ。ときには、実際に事件など起こっていなくても、「起こった事件」として報道する。
 マスコミを完全に支配するということは、そういうことである。
 ただただ、人民が報道を受けて、ヤツらの想定した思考状態になることが目的なのだ。
 邪悪なヤツらがいなければ、この世から「事件」など消える。ヤツらは人民を「事件」で強度のストレス状態に常におくことにしている。人民が冷静に現実を知る気にならないように、つぎつぎと日めくりで事件を報じ、ストレス漬けになることを想定している。
 人民が考えて及ばない、人民が一人一人では対処できない、どうあがいても根本的な解決はできない、それよりも現在を生きるために、いまいまのことを追うようにするだけだ、という思考状態が続くことを狙ってのことだ。
 その状態の中で、人民が望みもしない戦争に巻き込まれ、動員させられ、殺し合いに関与させられ、ヤツらが実現を目指す人類削減がなされていく。無抵抗なうちに残った数億人が奴隷として完全管理に移行していくのだ。
 ここ百年の近代史はヤツらの邪悪な目標の完成のために、すべての大きな事件が起こされ利用された。数次の世界大戦を経て人民は貧困と理不尽に落とされた。イスラエル「建国」の実験がなされ、地中海近郊のハザール大国「創出」という本番をめざしている。
 地球上で中東のイスラム圏がヤツらのいうことを素直に聞かないエリアとして残っている。中央銀行制度による金融支配の策謀に参加しない。民主主義とか議会主義という人民参加を偽装した制度に賛同しない。「イスラムを地中海に突き落としシオンの丘に帝国を築く(シオニズム)」を完成するためだ。イスラムを抹殺しなければ、地球全体の支配は完成しない。
 第二次世界大戦では西欧に一時的に東欧圏を実現させたが、ソ連もろとも寝返らせることに成功した。極東では何よりも日本を不沈空母として確保したこと、中国を?小平を通じて寝返らせたことだ。
 現在西欧ではNATO(EU)とロシアの対立を利用しつつ、中東イスラムの殲滅作戦を展開中だ。極東では日中の対立を描いて双方が消耗戦をするのを狙っている。地球支配するヤツらにとって有色民族はイスラムも有色民族もそろって消し去るのが望みだからだ。
 地球支配連中がマスコミを使って、起きてもいないことを起きているように偽装して報道で騙してきた。歴史的な事件が必要なときは、効果的に利用してきた。
 1960年代から始まったアポロ計画はどうだったか。月へ人類はほんとうに足跡を残したのか。無人探査機は米ソともに成功させたのは事実のようだが、人間が月面で活動したのは地球上での撮影だったといわれている。
 現在月面でNASAが遠隔操作で火星の表面の膨大な撮影をしているが、多くは地球上(カナダやアイスランド)での撮影だと指摘されている。「地球に氷河期がくると人類は生き延びられるか知れない。あるいは温暖化などで地球では住めなくなるかも知れない」などという虚偽の前提でさも必要であるかのような「火星移住計画」のため、などとホラ吹いて展開する火星探査詐欺。
 地球を人間が住めなくなるほど破壊しているヤツらの行為と責任に目がゆかないようにしているだけだ。火星を人間が住めるようにするなどという与太話より、現在の地球への破壊を中止し、ダメージの回復につとめるほうがはるかに必要であるのは、少し頭をひねっただけで誰にでもわかることだ。原発やもんじゅ詐欺と構造が同じだ。
 2001年の911ではツインタワーの倒壊は飛行機の突入によるものではもちろんない。小型の核爆弾の炸裂と管理倒壊によるものであり、アルカイダなど無関係だ。「テロとの戦い」なるヤツらの宣言を衝撃的に演出して見せただけだ。
 2011年の311は人工地震と福島原発の小型核爆弾での放射能爆破によるものとの指摘がある。チェルノブイリを超えるというパニック偽装だ。福島で被爆者がでていないのは何なのだ。
 ISによる日本人殺害事件も同じで、クライシス・アクターによるパニック偽装作戦に過ぎず、実際には殺害もないといわれる。
 つまり、地球支配のヤツらの意を受けて、危機的な事件のシナリオを描き、それにそって暴力機関が事件を「起こす」。映像はそれを請け負う組織があり、クライシス・アクターが演じ、最新のSFX技術で映像ができ、マスコミを通じて世界に流れる。
 フランス・パリでの銃撃事件とかエボラ熱騒動では、一般人の携帯で撮影されておかしくない映像がまったくない。当局が一方的に流す限られて映像がすべてだ。しかも、クライシス・アクター、つまり俳優がいくつかのシーンで同一人物であることが知られている。
 アポロ計画での人類月面着陸で米国がソ連をしのいだと、印象付けた。911では愛国法を通しテロとの闘いという常時戦争状態への事態切り替え、人類大消滅アルマゲドン作戦の行動を宣言した。
 311では平和でいくらたたいても甦る日本経済の腰を折った。日本にも避難民の状態化がおこった。パリ同時多発テロではフランスとロシアを「ISたたき」に組み入れ、フランスでは全権委任法が通り緊急事態の常態化がすすんだ。
 ヤツらは施策を一歩すすめるという目的を達成するために「世間をまきこむ大きな事件」を自作自演しているともいえる。世界は「事件」が先のように思いこまされるが、その事件が起こった後にステップアップされた事態こそが目的だったのだ。
 ヤツらには目的を実現するためのシナリオ、緻密なロードマップがあり、それにしたがって、マスコミが情報を報じる。事件として、解説として、予測として。マスコミの報道を通じて知ったひとびとは、たやくす思考が誘導される。そう思うのが常識であるかのような意識になる。
 1999年映画「マトリックス」が話題になった。2010年には「アバター」がでてきた。「目の前で起こっている現実が自分が見ている夢の世界と区別がつくのか」という哲学者もいる。発達した人工頭脳が作り上げたビジョンを各自の脳を通じて自覚されているに過ぎないということはないのか、ともいえる。ヤツらの描いたシナリオがマスコミを通じて、ひとりひとりの脳でゆがめられた映像を描かされ、ひとつの方向に誘導されているといったことと重なる。
 「マトリックス」や「アバター」はヤツらが行っていることの究極の一端をSFとして見せているといってもいい。
 被支配者たる人民はヤツらがつぎつぎと目の前に見せつける映像を、まるで生きるための食事をするように取り入れる。食したものをじっくりと味わうような間隔を与えないことで、人民には比べたり、評価したり、判断したり、考えることができない。つぎつぎに繰り広げられる展開を追うだけだ。つまり、抵抗もなく付いていくだけで、みごとにヤツらが思うところに誘導されているのだ。
 被支配者は常に受け身にたっていることがわかる。人民が何かを能動的に作り上げたとしても、それ自身が誘導された結果だ。孫悟空がどう筋斗雲で超高速飛行しても、お釈迦様の手のひらの上に過ぎないという喩と同じである。
 マスコミがヤツらの人民支配のための誘導機関であるというのはこのことを指摘している。マスコミのこの本質を知ったうえで、ヤツらが報じることを見ていかないと、報じていることのほんとの意味はわからない。
 逆に、ヤツらは「人民をどこに誘導するために、いまこれを報じているのだ」ということを見抜くことができる。
 現実の深刻な事態に自ら陥っていてもなお、そこから目をそらし、ヤツらがマスコミを通じて思考を操作した「夢のような超現実の世界」に生きているように感じる。これがマトリックスの罠だ。
 もう一度、日本の現実、人民の生活が置かれている状態をみてみよう。
 安倍暗黒政権による日本破壊は異常な速度で深化している。経済偽装が毎日のように報道される。「穏やかな景気回復傾向が続いている」と何年言い続けてきたのか。個人GFPは世界20番目という。安倍が発表するGDPに疑問をもった東京都が独自に計算すると、政府発表よりさらに低い数値がでた。
 生活保護受給世帯数が163万に。正規雇用が減少し不正規雇用労働者が2000万に達しようとしている。
 「TPP大筋合意」なる売国の結果、数兆円のダメージがでるのを税金で手当てするということをやりながら、「10年で14兆円の経済効果がでる」などとうそぶく。
 6人に1人の子供が貧困というところまで破壊しておきながら、手当てをする気はない。空恐ろしいまでの格差がすすみ、国全体がブラック国家になっている。
 単身成人女性の3人に1人が貧困、1日で5人が餓死。年間18万人が自殺するという国に安倍は導いた。
 そして安倍は、軍事費をひきあげ、米軍基地とその維持のための思いより予算をてんこ盛りている。そればかりか、外国への数十兆円におよぶばらまきは、安倍の頭の中はバブルの絶頂なのかといいたいほどだ。そのカネを人民の手当てにまわすだけで、国内のカネの問題はすべて解決する。もちろん消費税など根から不要だ。
 男女の格差は改善されても世界で101位だという。報道の真実度61位に勝るとも劣らない安倍にとっては誇るべき成果だ。
 安倍の暗黒圧政でここまで侮られても、安倍を支持するのか。安倍暗黒政権への支持などあるわけがない。どこまでなぶられても安倍支持をつづけるのか。感覚の錯誤は「代官様。もっともっといじめてください」と懇願を続けるまでに至っているのか。
 だが、人民は反対であっても、とってかわる手立てを完全に奪われていることからの、閉塞感(幻覚下)に陥っている。
 労働運動はなやかな時期なら、街頭はデモであふれ、ゼネストが組まれ、安倍の内閣などひとたまりもなかったはずだ。それが、みごとに、安倍やヤツらが描いたような状態になっている。多くの人が現実から目をそらし、気楽にとらえ、何とかなるだろうと、まるで他人事のようにとらえている。ヤツらが与えた超現実の仮想空間を現実であるかのように感じ、そこから脱出する気がない(幻覚下)。
 そこからの脱出は、ヤツらの支配の構造と圧政の目的と方向を見抜いて暴露することである。ヤツらの支配の重要なカナメの一つであるマスコミの犯罪的な役割をみぬくことである。マインドコントロールの現実に終止符を打つことである。ヤツらの圧政にとって代わる人民の権力をめざすことである。

◆現生における幸福を得るために。一億総奴隷化時代のヤツらとの闘いの方向と形式
 ヤツがつくった仮想空間のいごこちの良さから抜け出たくない、劣悪な奴隷環境を直視したくない、現実から閉ざされた空間で生涯を終えたい、そのような眩惑常態に人民が置かれている。
 ヤツらが目指す5億人程度の数の、眩惑を嬉々として受け入れる奴隷だけの、新秩序で満たされた世界はもう目の前と言っていい。
 安倍の一億総奴隷状態は最後の仕上げのスローガンのようなものだ。
 人民を一丸とならせて、極東で人民同士の衝突をさせ、皆殺し消耗戦をさせる。中東の火種で西欧を総動員した戦争に巻き込み、効果的な人民削減をする。悪魔のハルマゲドン計画が日の目をみれば成就される、とヤツらのかたわれ「戦争一味」は考えている。
 そのようなことは断じて許されない。全世界の人民は結束してヤツらの悪魔の陰謀を暴き、屈してはならない。
 そのためには、大変困難であっても、時間を要しても、自分のこととしてヤツらと対決していくことである。
 ヤツらの対決するというのはいかなることか。時間を要する困難な闘いとはどのようなことか。現在の情勢下での闘いは、以前のような権力闘争の形態と大きく異なる。
 以前の形態というのは、街頭デモ、ストライキ、署名請願活動、議員選挙運動、街頭宣伝等々だ。昔は過激主義というグループがいた。彼らは街頭で暴れ、官憲と衝突し、大衆の目前でやりあうことによって権力の横暴をあからさまにするのだと主張した。時には爆弾を投げつけてでも、あるいはそうした活動資金をえるために銀行襲撃をしてでも、そうした行動の動機が権力の暴力的な圧政にあるのだから正当と主張した。
 過激思想は現在ではテロリストと呼ばれ、すっかり犯罪者とみなされ、意図は誤った犯罪行為の幼稚な言い訳とされている。過激思想は、人民に支持を受けられないばかりか、単なる加害者、迷惑者としかみられない。
 選挙活動というのがある。かつて共産党はマルクス・レーニン主義者であったが、それを科学的社会主義などと自称して、選挙による議会で多数を得ることによる社会変革を目指すようになった。初期においては選挙と議会を暴露の場と位置づけ、すべての選挙区に候補を出す作戦だった。当選落選より暴露宣伝が優先された。
 だが為政者はカネがかかるような選挙にし、当選しなければ何の権利もないようにした。おのずと当選優先となり、ここに至っては自党候補を引き下げてでも反自民候補を勝たせる作戦に、つまり議会主義にどっぷり状態である。
 選挙と議会で何ができるか。確かに、選挙と議会をヤツらの圧政の暴露の場として利用することは当然だ。だがそれは議会主義、つまり選挙で権力が「奪取」できるとか、多数を得れば社会を変えられるなどと、間違った幻想を持つことではない。権力は奪取するのではなく樹立するのであり、社会を変えるのは議会ではなく人民自身であり人民の権力であることを忘れてはならない。
 議会で多数を得ても、議会そのものを人民支配の道具として支配しているヤツらの手の中では淡雪のような夢である。何よりも、ヤツらは民主主義や議会は、支配の道具としての発明者であり、支配のために用意した多重の偽りの網の一枚に過ぎないからだ。議会を利用するものは、つまり人民は、民主主義や、議会主義や、立憲主義や、選挙などということが常にまやかしであって、それが建前通りに実行されたり実現したりしたことなど、発明以来一度もないということを認識してかからなければならない。
 署名活動、街頭演説、街頭デモはどうか。基本的に同じである。人民の主張の表現形態の一つに過ぎない。これらの行動では何も変わることはない。なぜなら、変えるのは街頭から不特定の多数の人びとへ、という方向での訴えが、主要な流れとしての位置づけにはならないからだ。
 主要なことはい人民ひとりひとりの生産点、生活点で接する仲間による意志の結合を基本にした人民「権力」だからだ。この主要な力があり、それを背景にした街頭行動しか意味をなさない。
 ストライキや団体交渉はどうか。残念ながら人民「権力」思想を失った状態での団体交渉やストライキには、経済闘争としての闘いに終始する。賃金はヤツらが「常に生存可能なぎりぎりのレベルの賃金しか払わない。格差を広げて人民同士の力がそがれるように」という明確な政治基準で決めていることにたいして、経済闘争は常に勝ち目はない。
 一億総奴隷化時代にの人民の闘いの形式は極めて卑近で細かい。しかも集団行動に欠けるものだ。見かけの効果も薄く、根気を要する。深く静かで根気が求められる。だが、それが積み重なり、いくつかの人民権力どうして同時性が出てくるようになれば、その効き目は絶大なものとなる。ヤツらがどうあがいでも勝てないものとなる。
 別稿で触れたが、人民は皆ヤツらの支配のシステムにかかわり、加害者になるようになっている。現実の正気では「家庭でのよきパパ・ママ」を演じているが、ひとたび戸口を出て、事業体の社員として仕事をする時点では、狂気・幻覚下の世界では「弱肉強食の企業戦士、パワハラのグローバリズム企業の一員」と変身する。身は人民自身でありながら、ヤツらの人民支配の手先を務めている。支配のほころびを発見しては、自分で修繕までしている。
 現在のヤツらの社会構造において、理不尽で悪意のこもった法律が、狂気・幻覚下において堂々と動いている。それは他にも多いが下記のようなものをいう。法律として、即廃絶して人民が犠牲を受けることはまったくないものだ。

  ・マイナンバー制の廃棄
  ・政党助成金法の廃棄
  ・消費税の廃棄
  ・小選挙区制の廃棄
  ・秘密保護法の廃棄
  ・戦争法の廃棄
  ・日米安保条約の廃棄
  ・集団的自衛権禁止
  ・労働者派遣法の廃止
  ・宗教課税法
 さらに、社会的に許してはならない、人民の財産を食い物にし、生命をおびやかす政策がまかり通っている。少しあげると下記のようなものだ。同様に、即時にやめて人民が困ることがまったくない。人民をだまし、狂気・幻覚下において、隙をついて実現した不当なものだ。
  ・NHKの聴取料(税金)徴収廃止
  ・辺野古基地建設の中止
  ・米軍基地の全面撤去
  ・議員世襲の禁止
  ・閣議決定の無効化
  ・原発もんじゅ全部廃炉
  ・思いやり予算廃止
  ・海外へのばらまき廃止
  ・米国債の売却
  ・軍事関係産業の廃絶
  ・電通の解体
  ・TPP脱退
  ・食品輸出入の制限
  ・仮想経済ギャンブル市場の廃止
  ・公共機関の入札制度の見直し
  ・出口調査禁止
  ・マスコミの誘導アンケート調査禁止

 人民はこれらを核にして派生する無数の業務を仕事として日々こなしている。同時に本来ヤツらを利しても人民に得がなく、それでいてありあまる労働力を無にしている原因だ。そうした接点にいる人民自身が、このシステムの構造と自分の歯車としての果たしている位置を知ることだ。
 かかわりの事実を冷静な現実の正気で見つめることが、闘いのスタート点だ。
 上で掲げたことは、普段に圧政を見ていて指摘できる法律や人民犠牲を象徴するテーマだ。このようなことをしたら「仕事を失う」とか「今までやってきたことがパーだ」とか「ならどうしたらいいのか解らなくなる」とかの、おろおろした声の渦がまきあがることになる。当然であろう。そのように、人民をヤツらのシステムの「中枢」に歯車として組み込んできたのだ。
 ヤツらの「政治」は「人民を永久に支配する」という一点で成り立っているのだ。人民の本来の利益などカケラもみてない。だから、驚くのも当然。ヤツらの圧政の「真逆」に人民の利益がある。
 上記のような「真逆」の政策で人民が利を得たようなことに見えても、それは偽りだ。一時的なもの、多くの人民の犠牲を前提にしたものだ。狂気・幻覚下で組み込まれたもので、本来加担すべきことではなかったことなのだ。
 現実・正気を維持し、狂気・幻覚を見抜き、日めくりで強制されるヤツらの情報から真実を見抜く目を持たなければならない。それがなかなかできないのだという声があるが、訓練すればだれでもたやすくできる。
 それは、自分の視点を部屋の中から解き放ち、空へ、宇宙へ移動させて、惑星を一望できる位置へ置くことである。同時に、インデアンの格言でもあるということも聞いたが、子孫の5代先、7代先に迷惑負荷をかけないかを考えることである。

 下記の人間原理の視点にいつも言及してきた。
  ・ひとを不愉快にさせたり、迷惑をかけないこと。
  ・カネの盲者、欲の盲者にならないこと。
  ・子孫に負荷をかけない、未来にツケをまわさないこと。
  ・戦争の禍根を解き放つこと、他国へのよけいなお節介をしないこと。
  ・人間の尊厳をもって生活できるようにすることへの貢献。

 この視点は人間=人民である限り、誰もが否定しえないあたりまえのことではないだろうか。「原発が犯罪であること」「安倍の武器輸出が犯罪であること」「格差を広げる=一方に益が偏る=本来生産者と消費者が得るべき益を一方が合法を装って強奪する犯罪でること」など瞬時に判断できる。
 一億総奴隷化とは、いうまでもなく安倍の「一億総活躍」をおちょくった命名だが、「一億総…」は歴史的にも汚名をもつものであり、現時点においては地球支配者の邪悪な戦争一味による作戦の一環でもある。ヤツらに対する対決方法も、以前の方法とは異なる段階になっている。
 一億総奴隷化(へ向かう)時代といってもいい。その時代の人民の闘い方を考える一考察として提案したい。