記・国民B(2015.3.30)
■安堵する時間を与えない間断なき人びとへのストレス攻撃が続くのはヤツらの策動だ

 まず、ここわずか数週間の国内外の出来事をあげる。すごいことが連日起きている。
 安倍政権が自衛隊を一編隊として米軍にさしあげる動きは拍車がかかっている。自衛隊を「我が軍」と呼び、同じ犯罪人の菅は「自衛隊も軍隊だ」といってはばからない。
 沖縄知事が「1週間以内に普天間基地の工事を中止して…」を無視して、安倍は工事を強行した。
 各地で知事選が始まった。例によって「与野党相乗り対共産」「自公対民主」という構図で、実際の庶民人民の深刻な課題は何も変わりそうにないということから、いっそう政治離れが進んでいる。
 いくつかの弁護士有志の組織が現在の安倍政権に対し「違憲内閣だ」として、数多くの訴訟を起こしたのに判決がでだしている。基本的に「違憲状態」としながらも、現実を「無効」とはしていない。弁護士らは朝日新聞などに続けて全面広告で訴えもしたが、法治国家=裁判での決着というもののむなしさがにじみでている。
 日本人3名が犠牲になったチュニジアの博物館襲撃事件が起きた。中東では比較的治安がいいといわれた地域でも、どこも安全ではないことが示された。
 中国が呼びかけアジア・インフラ投資銀行が動き出し、これに参加協力するかどうかが話題に。まさかの英国、フランス、ドイツ、ロシア、オーストラリア、そして韓国までが参加を表明した。世界銀行、IMF、アジア銀行を推進する米日のメンツが完全に潰された状態だ。
 サウジはついに南の隣国イエメンに有志連合で空爆を始めた。
 ドイツのルフトハンザ系格安航空がフランスに墜落した。ここでは日本人が2名被害にあった。フランスは「副操縦士が意図的にキャプテンを操縦室から締め出して行った模様」と報じている。
 中国で娘と休暇を楽しんだあと、オバマの妻が突然日本にきてLET GIRL LEARNなどと表面ではピンボケをならべて帰った。
 ロシアのプーチン大統領が何日間か表に出ず、出てきたときの会見で「ウクライナ問題で核ミサイルの準備までした…」と言ったくだりが報道され、プーチンはなんとひどいやつという非難ごうごうの世論をかきたてた。
 上記で紹介したこれらのひとつひとつはバラバラの出来事にみえるし、欧米のマスコミは、いや特に日本のマスコミは「賃上げ好調=アベノミクスの結果」「日本の力にふさわしい世界への日本の貢献=自衛隊の派兵」「中東危険」「プーチン憎し」「大統領夫人が来てくれた」「世界で教育も受けられない貧しい人たちに愛の手を」という悪質な誘導に血道をあげている。
 なぜ、こうも、間断なく連日大事件が勃発するのか。世界の政治家やリーダーは、事件を押さえるどころか火に油を注いでいるようにみえる。「テロリスト」の暴走を抑える能力と力はないのか。いや、世界中でヤツらの地球牛耳りにたいしての抵抗が燃え盛っているのだ。

◆軍隊と侵略の定義を絶対に崩すな。自衛隊は軍隊であり、外国に出ていくのを侵略というのだ
 安倍と菅が自衛隊を「軍」と呼びつつ、軍隊についての定義の違いだから、何かいわれるような筋合いはないと、逃げにならない逃げを打っている。コクミンにたいし堂々とおちょくればコクミンは首相の言ったことを信じる、という姿勢だ。
 マスコミが誘導するヘンな論議に惑わされてはならない。別項でも指摘したが、他国に兵器を持つ集団が行ったらそれが侵略なのだ。「侵攻だ」とか「平和維持のため」「インフラ復興のため」などといかなる理由をつけても、他国への侵略なのだ。
 「アルカイダとかイスラム国とか国家ではない敵軍と戦うために行くのだから許される」などというバカがいる。許されるわけがない。侵略はどうつくろっても侵略であることに変わりがない。
 軍についても同じだ。立憲国家のキモである憲法に「軍を永遠に持たない」に対して、真逆の意思を具現するために、為政者はこれまでさまざまな屁理屈をつけて、コクミンをだましてきた。「自衛隊」「自衛のための最小の武装」「軍法会議を持っていないので軍隊ではない」「決してこちらから攻撃しないのだから…」等々言う。全部でたらめだ。つまりウソだ。
 ニッポンだけでしか通じない自称「自衛隊」が外国に行ったとしよう。来られた国はいうまでもないが、日本以外のすべてのすべての国はそれを軍隊と呼び、侵略という。
 安倍がときどき口からもらすように「国軍」なのだ。憲法など無視(棚上げ)して、名前もそうしたいのだ。国家が武器をもった集団を持つことが「軍隊をもつこと」であって、名前も、兵器の規模も、集団の人員数も無関係だ。
 「軍隊」や「侵略」の定義が定まってはいない、などというふざけたいいかたに惑わされてはならない。紛争を国外で国内で何千年もやってきて定義が決まっていないなどととぼけるのは、悪辣なことを考えているときだ。
 日本の自衛隊という軍隊を、いま安倍が「集団的自衛権だなんだ」といいながら、その目的が単純に自国民のためではなく、米国のために強化して提供しようとしている点だ。米国やその属国日本が持つ軍隊が「自国民」のためになど存在していない。自国のコクミンという被支配者と世界の被支配者が、目覚めて圧政を続ける為政者に向かうのを、軍事・兵器・武力で抑え込むという唯一の目的のために存在しているのだ。いざといったときには、例えば外国で危機にあい領事館を頼りにしても先に逃げている。資本からひどい仕打ちにあい、助けてもらえると思って、やむなく呼んだ海軍は抵抗した労働者を銃で殺す蟹工船。
 そのような「軍隊」が、憲法やさまざまな規制のために自由に行動する足かせになっているのを、安倍は宗主国の指示ですべてとっぱらおうとしているだけなのだ。
 逆に、庶民人民という被支配者を武力で抑えようとする圧政者の軍が、憲法などさまざまな法で規制がかかっているのは、力関係として大事なことであり、あろうことなら憲法の表記通り、為政者の軍(自衛隊)を無くしてほしいのだ。
 自称「立憲主義者」が憲法を踏みにじり、前の対戦での日本の行動が侵略ではなかった、などというペテンを絶対に許してはならない。
 安倍らが沖縄で進める基地建設行為が、沖縄の「負担の軽減」とか、米国の核の傘を借りている以上当然とか、アジアの平和と安全のためとか、どのような美名で表現しようとも、それは「負担の増加」「より深刻な隷属関係の拡大」「アジアと世界の危機の深化」「地球破壊」である。人間として歩むべき方向が真逆なのである。
 政治家(政治詐欺者)、国家、安全保障などというものが、コクミンや人間に対してただただ、たかっているだけの犯罪を覆い隠すものとしての本質がみえる。

◆安倍の大本営発表の窓口である日本のマスコミの報道を疑え
 敵国ニッポンの人民庶民の大量殺戮を目的にして、その作戦を展開指揮したのは悪魔のような勝戦国米国のカーチス・ルメイ。1945年全国200か所以上の都市などに無差別爆撃を加えた。焼夷弾で木造家屋を焼き、人びとが飛び出したところを、動く標的として銃撃を絨毯を敷くように行った。最後は広島と長崎に落とした許しがたい原爆を落として、原爆による人の被害の状況をデータで得ようとした。虫けらの如く、何の良心の呵責も無い、非人道そのものの行為だ。
 この男に安倍らに通じる時の自民党政権は1963年の暮れに、なんとニッポンから「勲一等旭日大綬章」を授けているのだ。この悪魔のような行為を知れば、安倍らはニッポンを、そこに住む庶民人民をカーチスらと同じ視点でみていて、どうしようとしているのかが明確に分かるであろう。
 安倍ら為政者が、庶民人民の目の前で、どうどうと犯罪を行っているのは、誰かにそそのかされたり、思考錯誤の結果「正しい」と思ってやっているのではない。ヤツらは確信を持って、意図的に、ニッポンを売り渡し、破壊し、人民庶民に日々圧政をしいているのだということだ。
 マスコミは、このような犯罪者集団の宣伝誘導機関である。国内や世界の情報を「公正」などといいながら、日々流すニュースが為政者と権力者にマイナスになることは基本的に行わない。
 マスコミは目に見えにくい複雑な構造でチェック機構が働いている。例えば「原発再稼働反対」をいうニュースキャスターは外され、I am NOT ABEをかかげたコメンティターも出られなくなっている。「アベノミクス」の失敗をいうものも同じだ。大本営発表といわれたかつての軍国主義下の報道と同じなのだ。GHQが戦後マスコミに合戦はいかんとして「紅白歌試合」とアホな校閲をしたが、いま安倍は許可権限、カネを縦横につかって、真実についての口外令をだして言論誘導をすすめている。日本のマスコミの真実度は世界で60余位という「堂々」たるものだ。
 国際情勢についての報道も同様だ。欧米のマスコミが欧米を支配する金融資本の意図を受けて報じる。日本マスコミはそれを疑いもせずに垂れ流す。その論調にそわない国ぐにの論調は流さない。どんな事件も同じだ。
 2001年の911という事件で報道が果たした役割は大きい。日本を支配するカイライ安倍らを牛耳っているのは米国。この米国という表の顔をのっとって牛耳っているのは、国際金融資本とグローバリズム企業だが、ヤツらは「ドラマ911」のシナリオを書き、ブッシュら政治屋を動かし、軍を動かし、ペンタゴンを動かした。リアルタイムでマスコミは映像と情報を世界に流した。
 この演出はヤツらが生命線をかけたような大掛かりな嘘であった。ひそかに高性能小型核爆弾をWPCなどに配置し、あらかじめ作成した飛行機襲撃のCG映像を用意して同時進行形のようにして流した。ちょうど、膨大な量の訓練中の映像を月着陸のときに、リアルタイムのものとして流したようなものだ。
 911で飛行機は頑丈なビルの壁面に突入したときに、ちらばったり、ぺしゃんこになったりせずに吸い込まれた! 直径5mの穴に10余m幅の飛行機がペンタゴン内部にはいっていく! 飛行機も突入してないのに、ビルが管理倒壊する! それでも、これがリアル映像だと信じてみていた世界中は「信じて」しまったのだ。
 どさくさにまぎれ燃えてないパスポートを拾う! ぺんぺん草が生えているのにここに旅客機が墜落したと映される! 「いま第7ビルが崩壊した」と放送するエラー! ミクロン粉じんを吸い込み何百人の当時の消防員や警官が放射能によるガンで死に、補償の訴えをおこしている。ちょうど、311で「おともだち」作戦に参加した米兵が訴えていることに通じる。当時はこれを世界中が「ほんとうのことだ」として信じされてきたのだ。
 今になって、冷静に振り返ると、マスコミが世界を牛耳っているヤツらの意図の誘導組織として一体で動いたからだ。911のときにヤツらの意を受けて動いたマスコミが権力者の犬(ほんとの犬には失礼!)となって果たした役割は大きい。米国内でも鋭い意見として「911の公式説明を無条件で受け入れたことがきっかけで、戦争屋の思うがままの状態になった。受け入れたことで、抗議する基盤を自ら失うことになった」といわれている。逆に為政者はマスコミさえ配下にできれば、白黒真逆を報じてコクミンをいかようにも誘導できる。
 これを抑えたときに、現在リアルタイムで報道されている事件を疑ってみてもおかしくない。「偶然で起こったようないかなる事件も、すべて周到な準備をし意図的におこされたものだ」といみじくもいったルーズベルト。

◆現在戦争屋は追い詰められながらむき出しの挑発を繰り返している緊迫した状態にある
 日本を始め欧米が報じない、この間の危険な事態とは何か。
 目の玉を疑うような「事件」がこの間無報道のなかで進行していた。それは米国がロシアに対して核のミサイル攻撃をしかけたことだ。結果は思いもよらぬ米国軍内のいきちがいで事なきにおよんだようだ。キューバ危機は冷戦下の危機の象徴のように歴史にきざまれているが、この度の米国に巣くう戦争屋の狂気は空恐ろしい。誰もが背筋をゾッとする。
 ここ数十年にわたって米国をのっとって、次々と悪魔の圧政を強いてきたのは、何度もいうが国際金融資本とグローバル企業群だ。その元締めの一派がロックフェラー。高齢ですでに実質的な影響力が、別の一派に移っているのではないかともいわれている。しかしこの戦争屋とかアルマゲドンを起こそうとする一神教原理主義強行派が、やることが露骨な故に全世界の被支配者からの抵抗になってきている。
 つまり、己の意思を通すことしか知能が及ばない故に、打つ手がバレバレで、思うように事が運ばなくなってきているのだ。
 地球上からイスラム教の国ぐにを消す、アリンコのような有色人種は抹殺する、欧米の白人でも悪魔の政策に尾っぽを振らない連中は死んでもらう、というような無茶苦茶な意図だ。人間である以上、百パーセント同意できない悪魔の政策なのだが、ヤツらの巧みな思考支配に丸め込まれた取り巻きもいる。ヤツらが直接間接に支配する政治屋、企業群、宗教集団、軍事と諜報組織だ。マスコミや安倍ら各国に配置された政治詐欺師集団もそうだ。
 これら戦争キチガイの一派が米国では、邪魔な大統領のオバマ(別の一派)を表から排除(クーデター)しようとし、国際的には戦争常態+アルマゲドンに非協力的なロシアのプーチンや中国を苦々しく思っている。中国ではヤツらが買収してひそかに内部で存在感を振るってきた腐敗分子の摘発をつぎつぎに展開している。軍や共産党の大物幹部を追放している。
 ロシアではプーチンがすでにそれをやり、いま中国と組んで戦争常態+アルマゲドン一派の世界銀行+IMF+アジア開発銀行に対抗する、BRICSやアジアインフラ投資銀行で動き出している。
 米国を背後からあやつる連中にしてみれば、標的にしたクニを借金地獄におとしいれ、混乱させて、その後にカネを貸して支配していくという方式が通用しなくなるのだ。しかも、中国が主導するアジアインフラ開発銀行には、ヤツらと一体で動いていた欧米の仲間が参入をきめ、韓国やオーストラリアまでが加わった。
 いわば、戦争常態+アルマゲドン一派にしてみれば、生命線をガタガタにされた常態だ。間断なく圧政を強いてきた一派からしてみると、逆にプーチンや中国の動きに、あわてて、すぐに何かしらの対応を突きつけられた格好だ。
 そこで演じられたのが「ルフトハンザ系の格安航空の墜落事件」だ。BRICSのときは、マレーシア航空事件、アジアインフラ投資銀行では事前に相談もなく参加を決めたドイツへの脅迫だということは、直後からいわれている。
 ヤツらの作戦にはフランスが噛んでいる。フランスの原発で脅迫されたのだ。直後の報道に「飛行機に複数の軍機がついていた」という目撃。フランスは事件直後に「全員が犠牲になった」と報道。操縦室には内部からカギかかけられたは入れないというのはウソ。もちろん、副操縦士がどうだこうだはただの誘導。おそらく、墜落現場から数キロ先の原子力発電所との関係で、軍機が撃墜したのだろう。急な山肌への激突よりも空中での撃墜があったような細かな残骸。
 日本で報道されるニュース・ソースが基本的にすべてフランスと米国の報道機関。ことを自らの機関で知る国ぐには、例によって口を開かない。大型航空機は911を境にして地上からのリモートで(操縦室の人は何をしても反応しない)操縦操作ができるようになったのだ。日々無人機を何百台もとばして、地球の裏側で爆撃をしている連中からすれば、へでもない操作に過ぎない。オバマ夫人は「世界のありもしない平和=のんき」を演出するアリバイ作りで愛嬌をふりまいていたのだ。
 その大衆を巻き込んだ派手な事件。「言うことを聞け。聞かなければ核を使用しクレミヤ奪還までけりをつける」と警告。それに従わないロシアにたいして核での脅迫をしたのだ。ロシア軍は西と東と南の全方面でトップレベルの警戒態勢にはいった。日本に近いところでの軍の結集は新聞で報じられた。一部報道では実際にキチガイ戦争屋は核の発射の命令をくだしたという。ところが指令を受けたもの(コール大尉)が核兵器発射を拒否して逮捕されたという。米ロの司令中枢は地下隔離指令室に入っていた。
 詳細は不明だがこうしてプーチンはひととき(11日間)表から消えた。全ロで最高レベルの警戒態勢が敷かれた。同じく米国軍も緊急体制をしいた。いっさいの報道が遮断された。そして突然の「プーチン核発言」となった。だが、欧米や日本の新聞は会見のその箇所だけに特定し、無条件にプーチン危険に話題を持っていった。戦争常態+アルマゲドン一派=米国がロシアに対して先にやったことはまったく触れない。
 上記のことについて、妄想だとかたづけるのはたやすい。それでも別にいい。ただ、追い詰められた狂犬が、思うがままに動かない作戦にイライラをつのらせ、暴走を繰り返しながら自滅をしていっているのも事実だ。ヤツらは邪悪な計り知れない何かの意図を持って焦っている。それが安倍の暴走であり、イスラエルの暴走であり、イスラム国の暴走である。暴れまくるたびに、無辜な庶民人民の生命が奪われ、甚大な被害が発生する。

◆主敵を追撃していく5つのポイント
 現在人類は大きな変わり目を経験している。
 何千年も人民庶民を隷属させて、地球をもてあそんできた、地球乗っ取り犯のヤツらにたいして、このまま戦争常態+アルマゲドンを許しあまんじるのか、それとも、支配のくびきから自らを解放するのかという大きな変わり目である。
 主敵は確かに大きく簡単にくつがえすことはできない。
 主敵にだまされ、無意識のうちにヤツらの支配の強化継続に手を貸し、時には自分もそのおこぼれに甘んじていることがある。支配が巧妙複雑ということもある。ウチではよきパパ、よき夫でありながら、同じ人間がいったん外にて、企業のドアをくぐると人が変わる。金融会社の社員として、グローバル会社の派遣員として、政府役所の勤め人として、マスコミの一社員として、医者として、毎日働く。
 働くという行動の中で、パワハラをやり、下請けをイジメ、外国人を低賃金でたたき、邪悪ともしらずにソフトウエアの部品を作る。競合他社に卑怯だろうが何だろうが追い落とす作戦をたて、顧客にはウソをついてでも「一円でも高く売る」戦士になる。
 「ウチではよきパパ、よき夫」、つまり普通の庶民人民が網の目のようなヤツらの支配機構の中でその役割の一端を担わせられる。悪に加担していく。悪政の一端を演じていく。
 意識して加担してはいないだろう。
 ウチに帰ると、庶民人民として、圧政への不満を口にする。同じ人間が内では庶民だが、外に出ると庶民人民のクビ絞めをしているのだ。圧政の被害者であり同時に加害者であることに気づきもせずに、矛盾とも思わずに。
 米軍の例では、地上軍で敵の目を見て銃を打つと人間としての矛盾と罪悪をから逃れられない。しかし、勤務として、スクリーンの前で地球の裏の庶民を単なるゲームでの逃げる標的として、引き金を引き、ポイントを上げるようにのめり込んで行う「仕事」は愉快で楽しく、ストレスから解放されると。残業もなく仕事を終えて帰宅し、団らんし、家族のよきパパを過ごす。
 だが、ここで立ち止って少し考えてみてほしいのだ。よきパパと人を不幸に陥れる外での勤務に矛盾はないのかと。
 それが主敵に立ち向かう最大のポイントなのだ。
 自らの勤務の内容、仕事と思っていることの内容をを、ほんとうに矛盾のないものかと振り返ってほしいのだ。ヤツらの口先にのって自分の振る舞いを考えさせないようにしていただけではないのかと。
 どう振り返るのか。それがここで提起している5つのポイントだ。
 仲間内の誰かと言い争うようなことではない。左翼だ右翼だ、主義だ主張だ何党だというようなことともやや違う。人間が心安らかに生活していく点で、当然の意識、心構え、あたりまえのことなので、こんなことでは何の役にもたたないのでは、と感じる人もいるかもしれない。
 だが、冷静にこの5つのポイントに照らして、自分の行動を振り返ってみれば、何かが見れてくるはずだ。同時に、人のふりを見ても、ニュースを見聞きしても、見えてくるはずだ。表現はこなれたものではないのだが、意図はだれにでも分るはずである。
  ①ひとを不愉快にさせたり、迷惑をかけないこと。
  ②カネの盲者、欲の盲者にならないこと。
  ③子孫に負荷をかけない、未来にツケをまわさないこと。
  ④戦争の禍根を解き放つこと、他国へのよけいなお節介をしないこと。
  ⑤人間の尊厳をもって生活できるようにすることへの貢献。
 先日に、著名で良心的な作家森村誠一が新聞の投書欄で下記のように提起している。

●「戦争自由国家」になってしまう(作家 森村誠一 東京都 82歳 3/19)
 安倍政権の暴走は加速の一途をたどっている。憲法9条を無視して、自衛隊を事実上の「日本軍」にしようとしている。いつでも、地球上のどこにでも戦場の時空を拡大して「戦争自由国家」に改造したいようだ。この方針には、憲法のために国があるのではないという考えが透けて見える。
 9条がなぜ生まれたのかを思い起こしたい。多数の国民を失い、国民ひとりひとりの人生を破壊し、日本全土を焦土と化した戦争を二度と繰り返さない決意が、9条を生んだのだ。
 それを、あろうことか一内閣が、他国の軍事的脅威に対応するためと称して国家の最高法規を解釈改憲で変えようとしている。それは当然、日本がかつて侵路した国家に不信感を生む。潜在的な仮想敵国の日本への敵意をあおる。
 軍国主義国家として惑名高かった日本が永久不戦を世界に宣言した事実を立法府も忘れ、国民の反対を押し切って、最高法規である憲法に平然と違反することをしようとしている。
 いまの政権は、大量殺人を犯そうとしている。それを阻止することが、国民の代表の役目のはずである。
 例えばこの意見を見てみよう。良心的な作家として庶民の危惧していることを的確に表現していて、賛同するのもの多いはずだ。すばらしい見地である。
 だが、先の5つのポイントに照らしてあらためて観てみよう。まず、明確に④戦争の方向へは向かってならないという姿勢がすばらしい。他への迷惑や未来への負荷という①③にもつながっていると言ってよい。しかし、このような意見で決定的に不足しているのは、読んだ人は、感銘を受けたひとは、どう安倍の暴走を阻止するのか、という点だ。問題を指摘するだけではく、ではどうするのか、と言う点でわからないのだ。
 官邸へのデモか? 抗議の署名集めか? 武装しての襲撃か? インターネットでのつぶやきか? ビラまきか? 選挙に出ることか? 中国やロシアと組むことか? 自民党や自衛隊に入って中から工作か?
 いずれもダメだろう。それらは、いずれもヤツらの掌中にあり、待ってましたと喜ぶだけだからだ。目的はヤツらを小喜びさせることではない。
 ヤツらが最も恐れていることは、ヤツらの支配の構造と仕組みを被支配者からあばかれ、支配の構造が崩れることなのだ。戦争とか原発とか途方もない、絶望的な理不尽の強要で庶民人民の思考をゆがめて、支配の構造に気づかせないで置くことなのだ。この点と目の前の現象や自分の行動を結び付けて、真実を暴くことである。真実に気づくことである。
 だから、先の森村意見にプラスして、戦争に駆り立てるヤツらの背景と意図をあばき、気づき、それに行動(人によっては仕事、業務。生活点での話内容)の中に、行動上の変化を生んでいくことである。そして、その行動がなぜそうなのかを、周囲の人びとに知らしめていくことなのである。
 庶民人民が気づき、暴露したならば、ヤツらの支配は継続できない。一握りの寄生虫のようなヤツらは、宿主が気づいて排除した時点で行き場を失う。つまり、終焉を迎える。いかに、巨大な敵でも、己(悪魔のヤツら)が寄生虫である限りこの運命は避けようがない。
 ヤツらがそのときに備えて常に準備、育成している軍隊や諜報謀略組織が立ち向かってくるに違いない。それは、目的がその通りだから、たたかうほうも避けられないし、覚悟がいる。だが、5つのポイントは「人間か、非人間か」を問うものであって、百パーセント人間側の主張である。ヤツらがウチでよきパパを演じ、いざとなったら非人間に豹変するという、人間として許されない卑劣を実行するか、否かが、すべての庶民人民の目の前で問われる。
 ヤツらの武器が人間に向けるのか、悪魔に向けるのかが、問われ続ける。この当然の選択は、己が悪魔の手先として行動していることに気づくかどうかが問われており、おそらく最後まで存在する。
 この闘いは実は庶民人民自身が真実に「気づかない」ということから、継続を許してきたものであり、この闘いへの決着は庶民人民の思考上の最終決着を得られるか否かの闘いでもあるのだ。庶民人民のこころの内部に巣くい存在する敵に気付き、自分で自分の思考と行動の中から排除していくことなのだ。どんな曲折があっても、最後は人民庶民の人間としての良識と行動が勝利し、ヤツらの支配は消え去るだろう。