記・国民B(2015.1.11)
■フランス・パリ連続テロ事件は新たな自演自作の911ではないかという疑惑
◆「自然に滴り落ちる」のを待ってなめろ、というアベノミクスの侮辱に甘んじるのか
NHK紅白でサザン桑田がチャップリンが映画「独裁者」でヒトラーを模したちょび髭をつけて登場。2015年、波乱の年が明けた。残す2年の任期を年末の強制選挙で4年に延ばした安倍独裁政権をもじった。消費税値上げ時期を伸ばすことを理由に介護やこども予算を削った。軍事予算は増やした。年末は北朝鮮金書記を暗殺するハリウッド映画が上映をめぐってドタバタを演じた。マレーシアに本社を置くエア・アジア機が墜落155人の犠牲でた。さらに今度は7日フランスでイスラム教徒が風刺新聞社を襲撃しパリを中心に複数個所でドンパチをやらかした。
人びとの心は常にパニック状態に置かれている。安寧が訪れることがない。
安倍は選挙での圧勝劇を演じ、白紙委任を得たかのごとく、すべてをアベノミクスという詐欺政策の一層の遂行に血道をあげている。かつてない凶悪な経済破壊に拍車をかけているのだ。瞬間風速計でで記録した「賃上げ」「好景気現象」の瞬間をすべてであるといいくるめている。「この好景気化の流れでも利益を上げられない経営者は能力がないか運がない」というのは麻生。トリクルダウンとかの暴言を平気でとなえる。「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる」とあざむくのだ。
いうまでもなく現在は、富める者が、なりふり構わず、容赦なく一方的に独り勝ち、一人占めすることを競っているのだ。おこぼれに甘んじろといいながら、実際はおこぼれなどないのだ。
瞬時賃上げで名を挙げた企業は軒並み賃下げし、トヨタをはじめ大企業の内部保留は328兆円にも達し、年に一度賃金があがっても雀の涙に及ばないのに、消費物価は時を待たずにどんどんと上がって生活を困窮化させている。収入の増加がないなかでの増税と物価上昇は、安倍のことばがすべて真逆ということ。家計貯蓄率は世界24か国中22位まで落ち、すでに世界有数の貯蓄国などとうに消えた。
国内の自動車販売は下がりさらに軽が税金を上げられたにもかかわらず半数近くまでになり、走る車をみれば小型ばかりが目につくようになった。PCの売り上げも大きく下がっている。
正規58万人減、非正規100万人増となり、これでも不満足な安倍は盟友竹中に「正規社員が非正規の搾取をしている。正規社員を無くせ」と。みなパソナを通じた契約社員になれと言わんばかりだ。
毎日報じられるこうしたニュースに人びとの目が向いているなかで、安倍はつぎつぎと凶悪な政策をすすめている。
在日米軍への「思いやり」は2014年6739億円に達し、在日米軍の家族1人に1240万円の負担請負をしている。10億ドルの哨戒機P1をイギリスに売却、外国軍へのODA支出を解禁とまさにコクミンが危惧している「戦争」への道を走っているのだ。
在日米軍が沖縄経済発展の障害になっているとして、安倍の意向に反して知事が当選したが「自民党へのルートをもたない、分をわきまえろ」などとして、知事と対応しない露骨ないやがらせ。予算も減らすという。慰安婦問題で安倍は新たな談話を出すという。安倍の残された課題「平和憲法改定」を目指すとも閣議決定だけで戦争経済への移行をやる気だとも言われる。
安倍の公報部隊であることを恥じることなく自らを落とした読売や産経は、年頭から原発再開はもとより、第三次安倍内閣が「積極的平和主義」「世界で輝く日本に」という掲げたスローガンを、まるでアジアや国外に軍事進出をしていくのが正当であるかのような悪夢を掲載している。
政治発言を法で禁じられている天皇まで年頭に警告発言している。冒頭のサザン桑田だけではない。著名人が政治発言をタブー視するのを破る動きが相次いでいるのも、不気味な安倍の動きに対してそうとうな危機感を抱いているからだ。
世界がカオス状態。見通しがたたない。打開策がない。混迷の原因もわからない。まして短絡な解決の手などない。安倍の短絡さがでたらめでも自信ありげに演じているからやらせてみよか、という強制を受け入れる。目の前ですべての格差が拡大していく※。庶民はいやでもまとわり付く政治の暴挙から逃げるようにオワライとスポーツなどの熱狂に浮かされながら、ヤツらの圧政に身をゆだね続ける…。こうして今年も過ぎていくのか…。
◆絶え間ない「テロ攻撃事件」を演出するパニック・ドラマを疑え
昨年末の選挙もそうだが、連続する自然災害、韓国旅客船沈没、サンゴ密漁騒動、香港占拠、マレーシア機失踪、墜落事件、そして今年のパリ連続テロ事件などを見ると、深刻な疑惑を感じる。
これら全部がばらばらに起こった事件なのではなく、全部一つの目的に沿って、同じヤツらが計画実行しているのではないのか、ということだ。なぜなら、そのように捕まえるほうがすっきりするし、解りやすいからだ。逆に、これらの事件には仮に何か共通のものがあったとしても、別々に動機があって偶発的に起こっているものだと捕えるなら、そこには混迷とパニックしかなく、理解も予防も対応もない。
当然だが、個々に分析吟味し、個々に具体的に対応をしなければならない側面を否定することではない。
「つぎつぎに大きな事件が人びとの目の前に展開される」ということ自体が、人びとにどういった影響を与えるのだろうか。共通しているのは「不可解」「深刻」「根深い対立」「解決不能」というやりきれない感情が起こることだ。理解したいと思う反面、何をしても、個人の力では、無理だというニヒリズムが起きる。
ヒトラーや安倍のいうように、独裁やアベノミクスなど簡単でてっとり早い方法で解決できるかのうような言動に期待したいという感情も生まれる。強く、強大な権力で、一元的に政治と経済を収めるという以外にないような錯覚が生まれる。
秩序の崩壊は、ひとつの統一世界秩序実現を惹起させる。
こう考えると、これでもか、これでもか、と発生する巨大事件が、一見バラバラであっても、根底でつながっているのではないかと思ってしまう確かな根拠があるのだ。
旅客船セウォルはなぜ急激に梶をとる必要があったのか。一艘燃料だけで300万もかかる200艘分の費用を誰が出したのか。密漁したサンゴの写真はどんなだったのか。なぜにあの時期だったのか。世界のすべての傍受をしているエシュロンはマレーシア機の動きをなぜ報じないのか。ウクライナ空軍機パイロットの発射実行の会話をなぜに隠すのか。パリの襲撃者の武器や装備を提供したものは誰なのか。等々、明らかにすればすべてが分ってしなうようなキー・テーマを何故か取りあげない。
犠牲になった人びとの魂は、これでは救われないだろう。
例えば、現時点で容疑者として名があがった4名中3名が射殺され、1名がいまだ逃亡中とされるフランスの「パリ・イスラム連続テロ事件」を見てみよう。
フランスに反政府組織、イスラム国につながるような欧米の押し付けに反対する組織は、相当数に上るであろう。しかし、911以来そうした組織に対して、支配者は盗聴装置を完備するだけでなく、スパイを配置しすべての動きをリアルタイムで掌握してきた。そして時には配置したスパイが提案して行動を起こして、テロそのものを起こしてきた。
その「行動」に対応する形で、巨大な政権側のSWATも含めた「反テロ部隊」を作ってきた。この政権側の部隊がいつのまにかちょっとした軍隊並の装備をもち、それを駆使する訓練を日夜おこなったきたのはいうまでもない。その姿は全世界に中継されて報道された通りだ。
911でも事件後わずか数時間後に十余名の写真入りで容疑者名を発表し、当局がいかにこの事件を深く掌握していたかを顕したが、パリ事件でも同じだ。反政府組織や個人については掌握するだけでなく、スパイを通じて管理までしているのだ。もちろん装備や武器も役割に応じて与えているのが、支配している別ルートの権力側だとしたら、何の疑問もない。
そこにマスコミも大きな役割を果たしているのは言うまでもない。「容疑者が武装していて危険だから」というほとんど水戸黄門の印籠のような理由で、当局からの大本営発表を語り映像を流す。視聴者はそれを見て、事件の演出者の描いた通りの印象を頭に形成していく。「イスラムは危険だ」「テロに屈してはならない」「イスラムは風刺も許さない狂信だ」「報道の自由を暴力で犯す」と。
絵に描いたようにマスコミが見出しをつけ、安倍がいちはやく反応し、オバマは「フランス一体でテロとたたかう」と。「報道の自由だ」と各国でデモが。
こうして世界的な規模で民衆が同じような見解で納得したような気分になる。十分な理解や咀嚼がない状態で次のパニック・テーマが繰り返される。911以来、ずっと、何度も何度も。これを背景に武器と装備が強化され、軍隊の共同行動が当然になっていく。テロから守るためとして人民庶民つぎつぎと自由や権利を奪う法が作られていく。
人民庶民が「やむなし」として、もっともっと「安全」のためにと政府を後押しする。短絡的な安倍の言動が、さも決断力と行動力があるかのように誤解して、期待をかけるのが、当然とマスコミはあおる。「新世界秩序」の創出に近づくという按配だ。
実際にこのためになら、ヤツらは何年がかりでもパリ・テロのような事件を計画し実行するだろう。イスラム教の若者自身が例え欧米憎しといえども、装備を身につけ、訓練を得て実行する可能性より、はるかにあり得る話である。イスラム手動の行為には現代において世界の指示は簡単に得られないばかりか、むしろマイナス効果しか得られないことは、誰にでも分るだろう。
もともとイスラム教にはテロは想定外の概念であり、ジハード(聖戦)などという言葉は、欧米のでっちあげた用語だ。何千年もイスラムはキリスト教、ユダヤ教と平和に共存して生活してきたのだ。それを、戦後にイスラエルがパレスチナ地域を不法に占拠して以来、911を経て「いがみあい」「宗教対立」を演出し今日に至ったのだ。多くのイスラム教徒は一貫してテロには無関係で、関心もない。求めているのは以前のような「安寧」な生活だ。
支配しているヤツらは、戦後に「月着陸映像※」で味をしめ、民衆の目前で「ケネディ大統領暗殺」を演じ、世界の人民民衆を自在にあざむいて、己の邪悪な野望を実現するためにうごめいてきた。何度もいうが、911を号砲にして、邪悪な欲望の実現のために全面的に行動を展開するようになったのだ。この前は準備の段階。この後はなりふりかまわぬ実行の段階にステージが上がったのだ。
911以降に世界を驚かすような大事件は、その多くが支配するヤツらの自演自作といってもいい。なかには不幸にして、ヤツらが描いた欧米の「敵」の間違った思想に騙されて、実際に反政府行動を起こしたものもいるかもしれない。だが、これもヤツらの思うつぼであって、決してヤツらに打撃になる行動ではない。
人民庶民を露骨に直接堂々と犠牲にして、間断なく連続的にパニックを起こして、有無を言わさずに支配者に従う、自らすすんで従属者になるようにしていっているのだ。現在目の前で、展開している事件が、どれひとつとっても人民庶民のためではない理由がここにある。しかも、それを人民庶民がみずから望んで受け入れているように見える現象の理由がここにある。
◆ヤツらへのほんとうの打撃とは、人民がヤツらの支配の仕組みの根幹を知ること
間断ないパニック攻撃をしかけられて、人民庶民はものごとを深く整理して考えることがなくなっている。このままでは何も変えられないばかりか、ヤツらの邪悪な計画の遂行を助ける結果になっている。その流れを逆転するにはどうするのか。ヤツらに打撃をあたえる、一矢むくいるにはどうするのか。
まず、明確なことは、ヤツらは人民庶民に寄生している連中だということだ。寄生虫は宿主が寄生を認めなければ存在できない。この世界に生きていられるのは、宿主が受け入れているからだ。
寄生虫が宿主の思考まで管理しているので、宿主は自分が寄生虫を生かしているとは気づかないで、あるいは自らすすんで寄生虫を宿している。この思考管理をまず見抜き、現実を正確に見抜いて、ヤツらの目論見を受け入れないことである。
宿主がヤツらの寄生に気づき、寄生を拒否すること、これが最もヤツらがおし隠しておきたいことだ。世界70億人の人口に対して支配しているヤツらはほんのひとにぎりである。多くの人民が寄生を拒否したら、ヤツらは生きてゆけない。この世から消えるしかないのだ。そのためには、ヤツらの邪悪な計画を見抜き、寄生を拒否することをひとりでも多くの人に知らしめていくことだ。身近な周囲から、時間をかけて一歩づつ。
世界的なニュースや、国内の安倍の振る舞いや、身の回りの諸事件を見るとき、話題にするときにヤツらがマスコミを通じて一方的に得る見解を真に受けないことだ。ヤツらの演出、誘導ではないかと疑いの目で見て損はない。また、ヤツらが新民庶民をパニックだけでなく、何事かに「とらわれ」状態にしておく手法を使っている。
とらわれ状態というのは、大事なことを深く考える隙を与えないために、人間としてのすなおな感情からの判断をゆがめさせるために、極めて重要なコトとしてヤツらは常時使用している。何かへの宗教、熱狂、感動欲求症候群、長寿・健康欲求症候群、ボランティア症候群などがある。主にゲームやオワライとかもそうだが、短絡的に夢中状態を得続けたいことから逃れられない状態だ。当然ヤクもストーカーもDVも同じだ。そうした意味でこうした雑音類に対する情報遮断の姿勢をつらぬく勇気がいる。
自分の頭で自立して冷静にものごとを考え判断するというのは容易ではない。だが、素朴につぎのような視点で考えてみることから、さまざまなことが見えてくる。世の仕組みと犯罪が手に取るように見えてくるはずだ。この素朴な人間原理に気づいてさえしまえば、人民は迷うことはないし、多くの人びとが自覚すれば、ヤツらの存在理由がなくなる。己の意識のなかにとどまっているヤツらの言霊を消すことが最後のキーになる。
①ひとを不愉快にさせる迷惑をかけないこと。
そもそも人に不快を与えたり迷惑をかけるということが、人間としてもっとも重要な犯罪であるということだ。「北朝鮮の国主暗殺」の映画が朝鮮人を不快にしている下品な犯罪だといえる。同様にヘイト・スピーチなど根は同じだ。ムハンマドを侮辱したり風刺するというのもやる必要のないことで、決して言論の自由とか法がどうだという問題以前のことだということが分る。「表現の自由」はヤツらが支配維持のために人民庶民の当然の発言を抑圧することに反撃するときの用語だ。支配権力者が使う言葉ではない。
②カネの盲者、欲盲者にならないこと。
物々交換の面倒を合理的に解決する道具としてのカネを利用するのはあり得ることだが、それを超えたすべての使われ方は、犯罪であり人を不幸に引きづり込む。カネに目がない、カネに取りつかれる、カネ儲けを優先するのはやめるべきだ。富豪浴など皆犯罪である。
安倍や竹中ばかりか強欲資本主義、ギャンブル経済、バーチャル経済が歴史的な罪悪であるかということだ。もともと人民庶民と使用者に帰すべきものを強奪しているだけなのだ。
世界を支配する国際金融資本が牛耳るグローバル企業が、露骨に工業、農業をカネのためだけ国家の枠を超えて支配しようというTPP。世界の食糧、製品を一手に握って人間の生命、生存を一元支配するようなことが許されるはずがない。「一円でも安く作らせ、一円でも高く売りつける」ためならそこにある規制をすべて抹殺していくのだ。
③子孫に負荷をかけないこと。
未来にツケを回す原発、地球破壊の化学薬品と肥料、石化燃料依存などとてつもない犯罪だ。これはやっちゃいけないものとして認識しないのは、人間自殺の道の選択であるといってよい。化学薬品は無駄で有害な薬漬け社会にした。化学肥料で土地をだめにし無数の添加物まみれの食品で病気を蔓延さえた。エネルギーと食品は地産地消、小規模であるべき根拠だ。人間が生きるのに必須のものを利潤や支配の道具にするなどもってのほかである。
税収が40兆円程度なのに平気で100兆円もの予算を組んで、何百年を要しても返済不可能なことをやるということが目の前の極悪犯罪であることも解ろう。
④戦争の禍根を解き放つこと。
安倍のやることが間違っている、多くの人に危ないと言われているのは、まさにこれに違反しているからだ。なすことやることが、あまりにも卑近な戦争惹起の下劣なもので、戦争などこの世から一刻も早く消滅させるという人類全体の意思に真逆だからである。ニッポンジン(民族)、コクミン(国家)だといって民族主義を根拠に近隣国家と争うことが、人類としての進歩あるいは禍根からの脱却にたいする逆走であることだ。民族だ、国民だ、領土だというときに、自らを過去の誤った時代に永久に縛り付けるヤツらの言霊だということに気づくことだ。
⑤人間の尊厳をもって生活できるのことへの貢献。
ひとりひとりが、生きていて望み努力することを、この視点から見直すべきだ。人民庶民の安寧、平和な生活、社会的な人間としての交わりの喜び、自立とおおらかさ。これを豊かにするために、頭脳を働かせるべきだ。
カネと権力とねじれた欲望、他人を貶めるために血道をあげさせられているが、それはヤツらの寄生を長引かせるための思考操作なのだということに気づかなければならない。目前の利益やカネなどよりもはるかに貴重で大切なものが、ヤツらによって隠されているのだ。
※トマ・ピケティの「21世紀の資本」がベストセラーだという。300年の世界資本を分析するとした。格差を是正しろと、主張している。富の集中、すなわち格差、分配の不公平の拡大は「資本収益率は経済成長率よりも大きい」ことを解明したという。その是正をすることが解決の道という。
一円でも多く儲けることにすべての障害をとりのぞく、という資本主義に小細工による解決策などありようがない。修正資本主義の一派に過ぎない。資本主義なるものが地球を支配するヤツらが、永遠の支配を続けるためにつくったもので、人間の精神を決定的にゆがめて置くことに成功した支配システムなのだ。自由や民主主義という言霊を放ち、人民庶民自らの意思であるかのように装って支配をつづけさせる手法に過ぎない。
※1969年NASAは月にアポロ11号を送り込み、月面に人間を初めて到達させた。このとき世界にテレビ中継をしたのだが、流された映像の多くに実況の風をして、あらかじめ地上で訓練中に撮影して用意したと思える映像があった。これが人類は月には行っていない証拠だとしていまだに物議を交わしている。同様に火星に送り込んだ探査機からの映像に鳥、いたち、りす、CDとかが写っていて地球の砂漠で撮影しているものであって火星になど行っていないという論議がある。
1977年に公開された米英共同制作映画「カプリコン1」という映画があった。これは火星への有人飛行をめぐって実際はいっていないという疑惑を映像化しているものだ。
早川隆という作家がすでに1970の時点で「アポロは月に行かなかった」(栄光出版社刊)を書いている。小説かも知れないがこの内容は作者の視点の鋭さに驚く。