記・国民B(2014.6.22)
■集団的自衛権をめぐる論議にみる民主主義の究極の茶番劇

◆違憲状態内閣がコクミンの意思、憲法・法律を無視して、安倍の指示だけで戦争国家にするという巨大 犯罪
 安倍暗黒政権によって、いま日本は歴史的な分岐点にたたされている。安倍暗黒政権はいよいよ本腰の庶民・人民殺しの仕上げに入った模様だ。
 マスコミは今百パーセントの太鼓持ちを演じている。日本を宗主国米軍の完全な指揮・管理のもとに、戦争国家に組み入れようとしている。しかも、憲法や法 の戦争可能国へのしばりを、安倍暗黒政権のたかが「閣議」だけで決めてしまうというのだから、歴史的な事件といえる。だが、日本ではこの暴走は誰も止めら れない、という実に不可解な事態が進行している。なんとあっけなく、このような悪魔の仕業が実現してしまうのか。
 ここには某国コクミンが、支配者の圧政を軽視してきたつけであり、逆に宗主国と安倍暗黒政権の底知れぬ策謀が成功しているということである。
 毎日TVや新聞をみていても、集団自的自衛権の抵抗は、権力者の一角の公明党という、極小政党=内部の意見だけのような扱いだ。他政党も、国会も、何よ りも国民の意見や意思については、取材すらまともにされず故にニュース報道から抹殺されているのだ。
 戦後「平和」を続けてきたというしばりは、いかほどのものだったのか。日本がつちかい守ってきた崇高な民主主義とは、実にあえないもの。幻想であったの だ。
 経済の横暴をしてきた結果瀕死状態に陥ってきている宗主国米国の破滅を守るために、日本に暗黒政府をつくり、そのカイライに命じただけで、白も黒もすべ て逆転できるという理不尽なのだ。
 20日の朝日は「政界のドン」といわれた自民党元副総理金丸信の言ったことを紹介している。「このシャバは君たちの思うようなシャバではない。親分が右 といえば右、左といえば左なのだ」と。
 親分というのは安倍で、指示を聞けといわれているのは公明党をここでは指しているのだが、いうまでもなく、親分というのは安倍に指示している宗主国であ り、宗主国に指示している世界金融資本の主敵である。子分は米国であり安倍であり、世界の庶民と人民だ。
 引用のついでに紹介しておこう。「もし、国家の安全に関する場合、政府は嘘をつき、ニュースをつくる権利を持つ」(ケネディ時代の国防長官アーサー・シ ルベスター)。安倍にかぎらず国家レベルの子分どもは、このような不届きな考えを平気でする。今年石破が同様な発言をしている。そのような権利など、誰も 与えていないのだが、ヤツらは持っていると信じ、実際に実行するのだ。いま、まさに「民主主義国家」の姿である。真実は、すなおに、民衆と大衆をなめきっ た完全独裁なのだ。本来の「民主主義」とは真逆の姿である。独裁者によって人民を支配する道具として「民主主義」が使われている、ということそのものなの だ。
 与党公明党の中枢は与党を手放したくないために、すでに安倍の閣議決定に賛同するこころづもりを抱いている。その立場らからの協議を重ねている。しかし 公明党の一部の議員は支持母体である創価学会の多数にたいして、与党を手放さない代わりに「戦争国家になることに姿勢を逆転する」ことなど支持を得られな いという矛盾を抱えている。
 安倍は手を緩めない。最初は「先に期限ありきでない」といっておきながら、今国会期間中にと変えた。さらには論理矛盾をつかれているのを承知で「集団安 保」までからめてきた。さらには政教一致を理由にして公明=創価の問題をあばくと脅かしをかけた。
 安倍への宗主国からの指示の内容が、戦争国家への障害を「すべて」取り去ることであって、いかなる「制限」「上限」「縛り」をもなくすことであることが 明らかとなったこと。それを決める障害に公明党がなっているなら、躊躇なく切り捨ててでも実現せよということ。憲法違反状態内閣という現在のチャンスのと きに、決して先延ばししないで「閣議決定」までもっていけ、ということである。自分の意思をもたないカイライの安倍は、宗主国の指示なら何でもするのだ。
 今公明党と創価学会は存亡の危機を、お仲間である安倍から突きつけられている。安易に閣議決定にくみしたら、反発している公明党のグループと学会から支 持されなくなり分裂する。学会の支持を切られた公明はありえないのだから。逆に安倍に賛同しないという姿勢を貫いたら、すでに心を安倍暗黒政権に売り渡し たグループとは分れる、つまり分裂することになるばかりか「政権与党」の一角という席をはずされて、ただの極小詐欺師集団におちぶれてしまう。
 つまり、どちらにしても、もう公明党と創価学会の未来は安倍によって一気にくだかれようとしているのだ。
 安倍暗黒政権はおのれのご主人への忠誠を守るしかない。つまり、安倍政権を生むのに協力をおしまず力を出してくれた学会と公明党を、いますげなく切り捨 てようというのだ。ご主人をとるか公明党をとるか。もちろん、論を待たない。安倍暗黒政権の残酷な本質が、ご主人サマのわがままで、浮き彫りになっただけ なのである。
 「赤じゅうたんという政権与党に入り込むため」ならどんなことでも権力になびいて裏切りをしてきた公明党(もともと意思協定もしていない秘密保護法の成 立という大犯罪にまで手をかした)には、今回、まったくの選択の余地がなかった。正論もとおせず、時間稼ぎもできず、弁明できない矛盾を大きくし、なされ るがまま、安倍のてのひらの上でぶざまにおろおろするしかないのだ。
 安倍暗黒政権の仕上げである「戦争への道」を開くこと。その実行の阻害要因であるものは、例え与党の一角であっても、簡単に切り捨てるということであ る。それほど、今の暗黒政権はあせりまくり、人民の空気が読めず、メクラになって暴走しているのだ。政権成立以来現在まで、まるでとりつかれたように、連 日、休むこともなく、つぎつぎと人民への圧政を繰り広げてきた。飢えに飢えた凶暴なおおかみが、片っ端から人民の生命と財産を食い散らかしてきたのだ。 いっきに暗黒を実現したファッショの総統ヒトラーに重なってみえる。

◆閣議決定というお仲間でのセレモニーにすべてが合法化される民主主義
 集団的自衛権の話題にもどるが、これほど重大なオクニのありかたの方向転換が、コクミンの意思をくみ取るという行動をまったくしないということである。 主敵の国際金融資本の意思→宗主国米国→安倍暗黒政権。この指示の流れは今日本に巣食う駐日米大使館と首相官邸の一角に巣食うジャパン・ハンドラーズ (311と原発事故のときに表に出た)という直接命令機関が安倍に伝えている。現在の日本は米国の最期の州というより、米国の直轄「国」である。日本の憲 法や法は、日本人支配で都合がいいところだけ有効で、ヤツらのいう外交、安全保障には無効なのだ。
 ニホンジンが勘違いしているような、コクミンの意思を外交や安全保障に反映できるルートはない。「議会制民主主義」「国民主権」「立憲主義」はどこにあ るのだ。安倍はどこでこれを実行しているのだ。
 コクミンが選び、議論し方向を決めるという国会議員は、論議に参加すらさせず、与党外の政党の意見すら参照する気もない。どのような調査をしても、ほん のひとにぎりの安倍ら金魚のフンのような連中以外は、だれも集団的自衛権・戦争国家への転換を認めていない。まっとうな論議をしたら、完璧に否定されるも のなのだ。
 あの暗黒法である秘密保護法を国会で「多数」で強行したときは何とか疑似野党をだまし込めたが、今回は与党内部すらまとめられない。先に実験的にやって みせた「武器輸出の閣議決定」の実現がぎりぎりだ。これは即世界武器見本市に進出して、既成事実をつくった。これでイケイケドンドンの道ができた。長年形 式だけでも守ってきた武器輸出三原則なるものが、閣議決定という名刀でばっさりと取り払われた。これで日本がしっかりと「死の商人」という肩書を取得し、 宗主国が求めた「普通の国家レベル」に達したのだ。米宗主国の安倍への矢の督促はさらに続く。ウクライナ、シリアでの紛争に米軍のかわりに自衛隊が行って くれ。ホントの一人前の「普通の国家」はそれができることが必要なのだと(ネオコンのジャパン・ハンドラーズはこの要請を隠していない)。
 しかし、戦争国家への転換は、世論、国会決議、まして憲法改定など絶対に使えない。それを強行突破する方法は、自ら多数が保障されている「閣議決定」し かない。それをやるには、昨日までのオ仲間の公明党が邪魔だ。
 この「与党」一角の公明党との論議だけを、コクミンの「反対意見」のすべてとしてマスコミは報道する。マスコミは宗主の意思でサッカー試合への熱をあお り、イラクやウクライナのなすすべがないような「混乱」と「危機」を報じ、コクミンの眼をそらすことにエネルギーを注いでいる。
 安倍の閣議決定のリミットは22日だったが、さあどうなるのか。安倍暗黒政権は公明党が閣議決定を認めればよし、もし認めなければ公明党と学会を破たん させ次の政党地図の再編をする。安倍と同じご主人サマのいいなり集団と、それ以外に再編が進む。こうした状態での再トライをする。どちらにしても、宗主国 米国の危機は予断を許さないほど迫っている。
 戦争国家状態の「閣議決定」いかんにかかわらず、危機を演出して既成事実先行という手段にでて、なし崩し的な変換・移行をする可能性がある。米国と手に 手をとって自衛隊が世界中であばれ、犯罪をおこない、世界の破壊をおこなう。世界中から日本が米国と同じ民衆と人民の敵となり、コクミンを危機にさらす。 中国や北朝鮮を「仮想敵国」にすることが、さもコクミンを守る行為であるかのように、えらそうに言う。今度は世界中から日本が「敵国」にされるということ なのだ。世界中から敵国にされるということがどういうことなのか。少しは冷静に考えてみることだ。
 安倍のはなもちならないうぬぼれ姿勢は、もっとおバカな自民党都議にいる。「神聖な」議会で卑劣なヤジをとばして平気な連中なのだ。TVで放送されても 気に留めない無神経さだ。こんな政治屋詐欺師連中が政治の中枢にいる。これがコクミンの多数が望んで選んだ姿なのか。
 犯罪者集団、安倍暗黒政権のようなものに政治をゆだねるということは、コクミンにこうしたことをつぎつぎにもたらしていくことなのだ。安倍就任以来、こ の暗黒政権がやってきたことを振り返ってみてほしい。内容は一貫して宗主国への貢ぎと自国民への圧政だ。サッカーやオワライに気をとらわれているだけの状 態から脱出する必要がある。

◆現代の戦争はアウトソーシング化されている
 日本が戦争国家になるのはすでに時間の問題。しかし、この戦争というのが依然と大きく様相を変えている。それは戦争をするにはいうまでもなく巨費を要す る。多少ごまかしようが一応国家予算がつぎ込まれる。宗主国が借金まみれになったのも戦争という一方的な浪費で、ドルを消費つくしたからだ。借金大国とし てひけをとらない某国も1000兆円の借金を誇る。これで戦争をするには大丈夫かという素朴な疑問もある。
 宗主国米国では、いま自分でシリア、イラクでの紛争を激化しておきながらも、正規軍を送り込む予算がとれない。同盟国からもかつてダマされて同盟軍とし て派遣して犠牲だけ出した教訓から、安易に支持をとれない情勢なのだ。シリア出撃のときは、盟友英国が議会で反対、ロシアをはじめとする各国から非難され て、計画の遂行を中止した。
 だが、宗主国に指示をしている主犯たる人民の主敵からすると、それがイラつく。世界中から奪いつくしているのでカネはあるのだ。しかしこれは第一子分の 米国といえども、国のカネではない。そこれ実際に行っているのは、正規軍ではない傭兵だ。当然米国の予算も使うが、主敵らの持つ有り余るカネで、専門の傭 兵と戦争遂行集団を動かしているのだ。正規軍が1万なら裏で動く株式会社等の専門の戦争犯罪組織がその数倍の戦争専門家を送っている。ハリ・バートン、ブ ラック・ウォーターといった事業体が有名だ。日本では先にヤクで話題になった竹中ひきいるパソナがその役をねらっている。
 戦略を練る部隊から兵站輸送、物資調達、警備、最先端の戦闘兵までまかなう。これは、ヤツらが仕組んだ敵陣営についても同じだ。双方の陣営をヤツらが一 元的に管理して争わす。
 いまイラクにISISという集団が侵入して勢いづいているという。この組織にEUを中心に世界中から数万の人間が入り込んでいるという。もともと中核の 組織アルカイダとよばれている組織は、以前にアフガニスタンにソ連が侵攻したときに、それをアフガン内部から阻止するために闘う集団ということで、米国が 創出、訓練した組織だ。これはヒラリー・クリントンらが自ら組織したと暴露している。米国に敵対するという「敵」がこれだ。
 ビン・ラディンらが911の主犯とされ、殺害されたが、反米のゲリラ組織がこれはいいとばかりに「アルカイダ」を自称するようになり、いま無数のアルカ イダがいる。それにはCIAを始めとする謀略組織の工作員が深く長く入り込んでいる。同時にこの反米組織には世界中から人が入り込んでいるのだ。反米で素 直に闘うというものと、組織を米国のために誘導して混乱のために動かす工作員と複雑に入り乱れたものになっている。
 この事態が日本でもいえる。武器の縛りをとき、戦争国家のハードルをクリアすれば、日本でも非正規な軍事集団が多数日常的に暗躍することになる。その運 営費は国家予算であったり、裏予算であったり、主敵である国際金融資本のヤミカネであったり、混沌とした経済が起こる。米国のような常時戦争国家の戦争経 済と同じになる。
 高度に発達した産業国家であるにもかかわらず、日本は殺人国家、犯罪国家として、歴史を逆戻りしたような社会にコクミンが組み入れられていくことにな る。
 仮に自衛隊が表だってイラクやウクライナに行かないとしても、コクミンには報道されないまま、アウトソーシングされたこうした戦争集団として暗躍するこ とになるのだ。いま、安倍暗黒政権の戦争への防波堤撤去を、なせるがままに許すことが、自らの人間としての生き方をも犯罪に手を貸すものになるか否かの分 かれ目でもあるのだ。
 人は「危機=パニック」状態にされてストレスを与えられると、一部の思考機能が停止する。この生理を知り尽くしてヤツらは庶民・人民を管理している。真 実を素直に感じる視点、命令者へ歯向かうという思考が停止、あるいは鈍るのだ。だが、ヤツらの煽りに安易に乗らない、深呼吸する間をおいて冷静に、普通の 人間の普通の気持ちを取り戻して、事態を見つめ直す姿勢を忘れなければ、真実をかんじることは容易なのだ。