記・国民B(2013.10.27)
■自由・民主主義・権利、法と秩序なるもの

 国民Bは毎朝新聞を読むのだが、毎日われわれを支配しているヤツらの公然たる暗躍が報じられている。それを読むにつけて、朝から胸クソが悪くな る。すべての犠牲と負担をわれわれに押し付けて、ぬけぬけと公然と目の前で陰謀を実行しているのだ。
 この10月(2013年)の今をみるとその典型的ないくつかを指摘できる。

◆特定秘密保護法
 某国内閣が「特定秘密保護法」なるものを閣議決定したという。ヤツらの誘導機関に成り果てているマスコミですら「報道の自由の規定があいまいだ」として 反対をいっている。法曹界も反対、町の声も反対、はっきりいって誰も賛成していない。ヤツらがこれを縦にしていっそう権力犯罪を合法化しようとしているだ けであることを、ちゃんと見抜いているからだ。
 だれもが反対するこの悪法を、宗主国の米国から作れと言われたというだけで、売国内閣はすぐに実行しようとしているという構図だ。ここ一年で「選挙で多 数を得たから」ということだけがヤツらの暴走の理由だ。いうまでもなくこのような理由は成立しない。
 そもそも、圧倒的な人民は支持などしていないし、マスコミを使って公然とクーデターをやったに過ぎない。選挙も「票の格差」から「憲法違反」という裁判 の判決がでていた。現在も全国で選挙開票がでたらめだということでさまざまな事実をあげて訴訟が起こっている。
 例え多数を得た内閣であったとしても、人民に討議させずに、意思を確認せずに、勝手に真逆の法をつくる権利などないのである。
 「人権救済機関設置法案」「マイナンバー制度」「コンピューター監視法案」「私的違法ダウンロード刑罰化」「秘密保全法」「ACTA(アクタ=模倣品・ 海賊版拡散防止条約、知的財産権の保護に関する国際条約)」、ちゃくちゃくと某国ではわれわれ人民を法でしばり、監視する体制を完成させようとしている。 インターネット網と全員に投げ与えた携帯というおもちゃを通じて1984のテレスクリーンが現実となっている。
 「深夜にダンスをさせていた」としてしょっぴく。しかし日本中に史上最大の毒である放射能をまき散らし、何十万人を今も避難させ、生活を奪い苦しめてい る犯人を捕まえない。東電幹部、政府幹部らにはおとがめなしとした。堂々たる民主主義である。
 口では「完全にコントロール」と真逆をいう。ポーズだけなら「いかなる核の使用反対」にも署名する。これらは、単純にいえば、それを口にしたりポーズを 取ったりしなければならないほど、いま現実のコントロールができていない、人民の怒りが広がり、深まっているということでもある。
 同様なことが国際的にも堂々と報じられている。ひとつはドイツの首相の携帯電話を米国が長期に盗聴してきたということで、公然と米国に不満をぶち上げ た。面白い。誰もが知っているように、何年も前から米NSAはエシュロンなどを使って、全世界の政府や産業界のキーマンばかりでなく、地球人口70億人の 動向をリアルタイムで監視する体制を実行しているのだ。中国やロシアに対してはもちろん、日本を含む米国の「同盟国」も例外などない。多くの人が勘違いし ているフシがあるが、当の米国の大統領という飼い犬まで含めて諜報のターゲットであったことを忘れてないか。何年も前から明らかになっていたことだ。
 911はヤツらのこの自信が背景でできた自演で、公然たる陰謀の開始の号砲なのだ。
 亡国首相は記者団から首相のは「大丈夫なのか」と聴かれ、ここでも何の確認することなく問題ないことを即答している。されていないわけがないのだ。ロシ アや中国や欧米の大国らは独自の衛星と盗聴システムで、同じことを実行している。だから、お互い様なので、これは世界人民が声を上げない限り、あまりケン カにならないままに収まる。
 ヤツら内部に深刻な主導権争いの対立がある※のだが、ブッシュらネオコンのあまりにも露骨なやり方に対して「もっと上手にやらなきゃ」と一方が言ってい るだけなのだ。この自由や民主主義とはカケラの縁もない傍聴システムをもっと強化しようという話であって、いけないことだ、止めようなどという話でない。

◆無人偵察爆撃機
 もうひとつは、米国の無人機の爆撃を非難し始めた。皮肉にも亡国が防衛予算で、この醜悪な無人機を米国から高値で買おうとしている矢先である。報道され ているだけで、千人を超す民間人の犠牲者が明らかだという。先日のTV報道(カメラ・ルポ)では無人機からペンシル型の無数の爆弾が投下され、それを好奇 心で拾う子供たちが口にくわえて開けようする瞬間に爆破するため多くの悲惨な犠牲者が出ているのを報じていた。
 「人道」を口にして、テロリストの幹部をピンポイントで殺害する。他の武器に比較して民間人の犠牲を最小にする最良の兵器だなどとほざくのだ。原爆を落 としておいて、何十万人を死傷させ、米国民の犠牲が大きくなるのを防いだのだというセリフと同じだ。実際に米国は数百の無人機を毎日世界中に飛ばしてい る。すべて米国内の基地から映画を観るように動きを管理し、ゲームのように自由に動かし、放った「スパイの証言」を頼りにピンポイントでミサイルを撃ち込 むのだと。
 このようなシーンはわれわれはハリウッド映画でよく目にする。衛星とすべての通信網を使い、このようなことをするにはとほうもないカネがいる。それはす べてヤツらが人民から吸い上げたものだ。人民の汗水がこうした殺人と破壊と謀略に使われているのだ。ヤツらがおもちゃのように駆使する軍事のシステムは、 他が何をどうしても追いつかない巨大なものだ。かつてのB29といった重爆撃機を廃機にしたときに「その後継機は開発していない」などとウソついて実現し たのがこれである。
 この高価なおもちゃの遠隔殺人飛行機のあまりの無謀さに、世界中の人民の反発がこれ以上大きくならない程度に「慎重に、巧妙に」と、露骨派に言っている のだ。
 この内部の対立に単純に惑わされてはならない。レーニンは「戦争を内乱に」というスローガンを成功させたのだが、ヤツらの対立を大いに暴露し人民の覚睡 をひろめること利用すべきである。
 ついでに国内では同様の話題がある。某国の元総理の「原発廃止」発言。このブッシュの子分は根っからの原発派。同じ原発派の現首相。二人のボスの主導権 が揺らぎネオコンと対立する方が優位になり、元くんは心情が寝返ったのだ。だからわれわれはヤツを支持するなどという愚をしてはならない。ヤツが言った 「原発廃止」ということを利用するのだ。
 話はスパイ無人爆撃機に戻る。国の境界はもとより無視し、自在に飛び回っている。自国と称する「米国」に打撃を与えようとするテロリストを、事前に拘 束、抹殺するのだという。米国の法にもとづいて、米国にしょっぴき、拷問し、裁判にかけるのだと。
 他国に無断で空域侵犯をし、他国の人間を勝手に拘束逮捕し、拷問し裁判するなどという法を合法的に成立させる「国」。他国と自国の階級関係を「オレが上 級」と自称する。このような鼻持ちならない差別主義を当然とする国こそ米国であり、その米国を道具としているものこそ人民の敵なのだ。
 ヤツらのこうした陰謀をなぜにわれわれの汗水で支えねばならないのだ。われわれ自らの監視盗聴するのになぜ人民自身が犠牲にならなければならないのだ。 自由と民主主義という名のもとに、目くらましをされてきたのだ。

◆裁判員制度
 ヤツらのぶざけきったやり口の例がもうひとつある。裁判員制度である。東京高裁が地裁の裁判員裁判で死刑判断を、控訴審で破棄し無期懲役にしたと報道さ れた。判例が単に優先させるならそもそも裁判員の意見など聞く必要もない。この制度が国民を裁判員にすることで「選ばれるかもしれない」恐れ、選ばれたら 素人のくせして「判決に加担」しなければいけない恐れという負担とストレスを強いるもの。
 判決、法とは無関係に、それにこじつけて人民に正義を深く考慮する間を奪い去るだけの悪法。「クロウト」専門家の任務と責任の放棄が裁判員制度であるこ とがわかるニュースである。
 犯罪の増加と凶悪化は裁判員制度導入でどうにかなるなどということはあり得ない。巨悪がのさばり合法化されていることこそが根源だ。目の前で堂々と人民 の生活と権利を侵し、大統領が命令して他国の主を殺害し、派遣された多国籍軍が、世界中に実況しているいるTVのなかで人民を無差別に殺害している「合 法」こそが主因なのだ。
 これを観ている詐欺師犯罪者がマネをするのは当然である。一般のひとびとを騙し、犯し、何でもする。彼らは24時間犯罪を考えているのだ。一般国民はそ の騙しの手口についていけるわけがない。オレオレだ、振り込み詐欺だというのは、あれほど周知されていても決して減らない。ご丁寧にマスコミは犯罪者の手 口を細かく紹介して説明してくれる。手口を教えて広めてくれているのだ。チャンネルをひねると日本人をこばかしたお笑い、ゴールデンタイムは刑事ドラマで 一晩に何人も殺されるのを、毎日見せつけられる。
 巨悪のヤツらが見本を示し続ける限り犯罪の撲滅などない。「秩序はオレが守るのだ」といいながら、やっていることが真逆で、見本を演じているのだ。戦争 をするのが平和省というJ.オーエルの指摘そのままである。ダブル・トーク、二枚舌も同じだ。
 著名ホテルがレストランでメニューの表示詐欺、加工食糧の産地詐欺と詐欺のニュースが毎日報じられる。ウソをついて人びとを騙して利益をえるというよう な詐欺そのものは何度も指摘するが、ヤツらが見本を示し、それを最下部の自任手下がまねているだけだから話題とする価値もない。しかし、指摘しておかなけ ればならないことは「内部告発」ということだ。
 内部告発という陰険な表現がまかり通っているが、何か変だと思わないか。悪を暴くのは内部告発などいう行為ではない。人民の自身を防衛するヤツらとの闘 いなのだ。こっそりのようなことではなく、人民がつるんでどうどうと事実をあげるべきことだ。ソビエトとは言わないが、企業に、公的組織に、かつての組合 のような組織があれば、そこが組織として指摘すべきことなのだ。
 事業体や公共機関で働く者が、企業の悪の行為を進めたり補佐するのではなく、事実を白日のもとにさらし、消費者や国民に問うことこそ大事なことであり、 人間社会としてそれを日常的に保障するべきだ。
 今日本中が、ヤツらにがんじがらめに縛られていて、消費者や国民に不利益を与えたりすることを、知っていても黙って加担することを強いられている。口に するものはことによっては、首にされ、殺されもする。この暗黒圧制が、内部告発などという行為になる。もちろん、勇気を持って悪を暴くのをいけないという のが言っているのではない。それを口にできない歪みきった現実を指摘したいのだ。
 仲間を売る、裏切る、後ろめたさを感じる、そのような心情で何故に、クビをかけて勇気を出して、なのだ。他人に多大な迷惑をかけるヤツらの企みこそが追 及されるべき悪で、その悪に「いけない」と指摘する人民側がびくびくしなきゃいけないのだ。
 この非組織的な内部告発は、圧制が進むと、支配者の支配システムになる。告げ口による恐怖政治による体制を許してしまう。非組織的なものは証言性に限界 があり、たやすく権力者に利用されるのだ。
 そうした意味で、この今の社会には、人民が組織的にヤツらの悪を告発する材料で満ち溢れているのである。

◆老獪な支配者の技
 自由・民主主義・権利ということを一面的にしか観ていないことに、人民サイドの思考上の立ち遅れがある。自由・民主主義・権利というものの幻想へのとら われが、自らの思考の壁になっているのだ。
 自由・民主主義・権利が決して、米国やヤツらの専売特許ではなかったはずだ。これをヤツらの支配するところでの、ヤツらが実現していると宣伝するもので はなかったはずだ。
 戦後日本でも自由と民主主義の勢力といえば、社会主義をかかげ目指してたたかう労働者人民のスローガンであったはずだ。それがいつの間にか、社会党は社 民党に、あげくは自民党の双子の兄弟民主党にまでなってしまう。社会党や総評は社会主義とともに消滅した。
 第二次世界大戦はソ連+米英の連合軍(United Nations)が、日独伊のファシストをやっつけた。自由と民主主義を掲げて連合軍の 一角をになったソ連と戦後の中国は社会主義陣営であったが、自ら掲げていたスローガンは米英資本主義陣営に横取り、かすめとられてしまった。理由はこの無 理解にある。
 ほどなく、社会主義陣営はソ連と東欧のなだれのような崩壊で完敗で閉じた。
 戦後民主主義という言葉を導入したのは米国であるといっていい。実は連合国のソ連など社会主義サイドも民主主義を前面にだしていたのだが、支配を広げた 側の米国の民主主義と自由の概念が日本に広がった。
 その勢いは圧倒的で、政治における「軍国主義からの開放」、大量の物資援助、生活様式、食事スタイルの流入。映画、音楽などの文化品等々を徹底的にぶち 込んできた。
 例えばソ連が駐留して戦後に東欧圏をつくった国々に、誇るべき社会主義のエッセンスの投入をしただろうか。米帝とは方式が違うという話ではない。違うも の、このタイミングでやるべきこと、それができたとはいえない。大事なのは思想であろう。沸き上がる歓喜を呼び起こしただろうか。資本主義にはまねのでき ないものを。この時点から実は負けていたのではないか。
 ヤツらは一方では、社会主義に対しては一党独裁と全体主義のレッテルを貼っていった。米国流の民主主義は「多数決」「選挙」「権力に歯をむかない限り言 うのは自由」である。いっぽう社会主義国家では、共産党による独裁として他党の存在を認めない、選挙はしないで党や上からの指示による選出、ゆえに多数決 以前の状態、権力に歯向かうものは重労働、銃殺という宣伝だ。
 こうした解りやすい対置をされたときに、社会主義陣営の民主主義は嘘だろうとなる。社会主義が反社会主義陣営の国々の人から支持を広く得られない理由が ここにある。
 社会主義陣営がようやく取得した政権を守るために「民主主義」を捨てるのではなく、自国の圧倒的な人民の主張の正しさをまとめ上げる、つまり本来の「民 主主義」を実行することこそ求められているのだ。人民の利益、人民の正義、人民の権利が信頼できるものであるなら、民主主義を恐れることはおかしいのであ る。
 民主主義を実行して、自国人民の「民主主義」で裏打ちされた支持を示すことこそが、自国だけでなく、圧政で苦しむ資本主義国の人民の理解をえることがで きる。求心力になり得るのである。求心力無くして資本主義の圧政を覆すことなどあり得ない。
 ヤツらは犯罪をスマートにやっている。例えば北朝鮮の拉致などさもださく古いやり方まるだしでやっていることになっている。一方の米国のCIAなどは内 実とは常に真っ向から逆の「正義」だとか「人権」だとかを前面にして、近代ツールを駆使してスマートに、余裕を持って演じるようにやる。トム・クルーズや ショーン・コネリーが映画でスパイや泥棒を演じる。観てる者がうらやむほどの華麗さがある。いつのまにか気持ちが被害者より泥棒の側になっている。
 このやり口に、くやしいことにこちらが負けてるのだ。この白黒逆のやり口こそ、ヤツらの常とう手段である。騙されるのではなくヤツらの悪辣な犯罪の真実 を暴かなければならないのだ。
 そもそも自由や民主主義というものが、根本的な矛盾を内包してることを認識するべきだ。人民側から見ても、自由と民主主義は闘う武器、活動のために利用 する道具なのであって、それ以上の過剰な幻想を持つ必要はない。
 自由は現在のヤツらによる圧政からの自由であり、ヤツらによる社会的なあらゆる強制からの自由であり、ヤツらと闘う道具が民主主義である。逆にこうした 闘いをともないわずに、スローガンとしての自由や民主主義が実現するなどということはないのである。
 資本主義社会では、自由とか民主主義とかを、イメージ先行であらゆる手段を使ってばらまく。何についてでも自由であるかのように宣伝する。しかし、その 自由は彼らの支配に打撃を与えないという条件下である。確かにその範囲内ではいくらでも自由だ。これは圧政を感じない人から見るとすべてが自由のように見 える。
 一方で社会主義の独裁、全体主義、窮屈さを宣伝しているので、一般的に社会主義側の言う面倒な自由と民主主義などに、耳をかさない。
 資本主義は被支配者が支配などされていないと思わせることに自信を持っている。選挙という民主主義で自分の利益代表が政治を独裁ではなく民主主義的に やっているのだから、何の問題もない。多少至らないことがあっても、それは社会主義の息が詰まる程の窮乏と不自由から比べればへでもない、と思わせてい る。
 だが資本主義に歯向うものには容赦ないむき出しの独裁を実行している。許さない。つまり、資本主義をうけいれないものについては、自由など与えない。政 治活動の自由などは資本主義を擁護する活動のことをいうのであって、歯向うものについてはテロリストとして徹底的な攻撃をしてくる。暗殺指令、かくまって いるのではないかと疑いをもっただけで、その相手に対して空爆、ミサイル攻撃、国家の転覆まで平気でやるのである。
 自由と民主主義への挑戦は許さない、人権への侵害は許さない、というまるで逆のスローガンをこことぞばかりに掲げて、何の躊躇もなく実行する。やられて いるほうの立場や考え方についての考慮は、はなからゼロなのである。
 米国が外国からテロリストと称する思想犯を逮捕して、米国で裁こうとする。だが、米国の法律の制限が適用されるのを嫌い、ヤツらはそのためにあらかじめ 用意した国外にある刑務所で、無法なリンチ、残虐な虐待をしている。これがヤツらの支配に歯向うものにたいする実際の、現実である。
 これがヤツらが甘いイメージで覆い隠しながら実行している自由と民主主義の実態である。

◆自由、民主主義、権利
 自由、民主主義、権利を冷静に歴史的に観ればすべてがわかる。資本主義が起こる時代まではヨーロッパがヤツらの足元であるとともに世界であった。明らか にその世界は王がすべてを支配し宗教が人民の思想的に縛る武器になっていた。王制とバチカンの支配であり、人民には何もない。
 産業革命が起こり資本主義が本質的に内在する犯罪的な強欲に火がつく。世界に魔手を伸ばしていく。今でいうグローバリズムという美名の世界征服計画であ る。アフリカを勝手に分断支配し、アメリカを支配下に置く。アメリカやアフリカの先住民は抹殺され奴隷にされた。
 こうした中で当然支配される側から声が上がる。奴隷や一般庶民や市民から、圧制を批判する。自分の汗水でなぜそのような仕打ちを一方的に受けなければな らないのかと。自由はないのはおかしい、権利があるはずだ、人民の声を聞く民主主義を実行しろと。
 自由、民主主義、権利は、この時点で被支配者側の人民の声なのであって、王やバチカン(思想支配のキリスト教)のものではない。圧制を敷く敵がいて、そ れと闘うためのスローガンとして存在した言葉だった。ところが、現代まで活かされているヤツらの手法がここで実行されるのだ。
 ヤツらは今アジアまで手を伸ばしている。西は中東のイスラム圏を叩きまくっている。イスラムはヤツらが長年文化的に劣等感をいたいていたエリアだ。そこ を乱暴に根こそぎくつがえそうというのだから、人民の抵抗もすごい。ヤツらは第三次の世界大戦も辞さないつもりで暴れまくっている。先のシリアへの毒ガス を理由にした空爆計画は、ヤツらの内部抗争から寸前であいまいになったが、基本的な歴史の流れは変わっていない。
 極東のアジアでは、TPPと称するグローバリズム=世界支配秩序の完成を急ごうとする謀略だ。さいわいに、これもヤツらの内部抗争からややブレーキがか かっている※。
 もしTPPが妥結されるようなことになれば、日本の主権は米国を中心とした世界企業に牛耳られることになる。完全なる売国のはじまりとなる。アジア圏と して新たな帝国の支配エリアが動き出す。
 グローバリズムという美名をかかげた帝国主義は、現代世界金融資本がカネで動かしている。カネを至上のものであるかのような幻想をでっちあげ、これに人 民をとりこにさせている。このとらわれが人民自らを被支配者意識症候群にしている。数百年をつぎこみ、ヤツらはそうすることで、いまやすやすと地球を支配 している。
 格差社会をゆるぎないものしている。サラ金天国により貧者を隷属させ、ローンで長期に自由を奪い、地方自治体を破産させ、企業を借入地獄に陥れ、国家財 政を巨額の負債でで管理する。すべてをカネの奴隷にしている世の中にした。それに国境はない。全世界だ。
 ヤツらが使う手口は各国の中央銀行である。米国ではFRB、日本では日本銀行。無からカネを印刷してつくり、国と銀行に貸し、利子を吸い上げるのだ。た かが一私企業の「銀行」が一国で一手にやり、その貸借対照表をはじめとする企業活動の事業内容の報告を特権免除されているのだ。
 誰がそんなことを許したのか。誰がそんな不平等をみのがすのか、とあらためて指摘するまでもなく、それを作り上げ合法化したのがヤツらなのだ。
 だんだんこのあまりにも理不尽で悪辣な支配のやり口は、世界中でバレだしきているが、まだ多くの人民は知らない。しかし、ヤツらはこうして地球上の国 を、企業を、個人をカネでしばり、完全支配をなしているのである。
 自由、民主主義、権利を支配者側がことばの先取りをする。そしてそれを実現する主体が支配者側であり、すでに実現されていて、そこに人民が参加している ようなウソをでっちあげていくのである。この時点から自由、民主主義、権利は支配者の支配の道具として、きわめて有効な武器になる。すり替えと勘違いが今 も活きている。
 戦後日本の米国支配で、米国が「自由、民主主義、権利」をいたるところで掃いて捨ててもたまるほどの勢いでばらまき、支配というヤツらの秩序を実現して きた。自由、民主主義、権利を掲げ、わがもの顔で沖縄をはじめ日本を蹂躙し、世界にのさばっている。人民サイドはこの詐欺師の常とう手段に負けて、今のざ まに嘆いているが、いまこそ真実を知るべきだ。
※地球を支配するヤツらの内部抗争
 ヤツらとは欧州中心の王族で最も古い主権者、それを思想面から支える呪縛の管理元バチカン。それに資本主義以降に台頭してきた金権主義の大本世界金融資 本。世界金融資本がカネで支配するグローバル企業と「米国」の諜報機関と軍隊組織である。
 恐ろしいほどの多重構造でけっしてその中枢の姿を現すことはない。ヤツらが計画にもとづいて動かす手先の行動を通じてヤツらをあぶりだすしかない。
 世界金融資本の大本は欧州D家といわれ、その米国での手下がR家だ。このR家がブッシュらネオコンを動かし、いつの間にかD家と主導権を争うようになっ てきていた。しかし主が高齢と近年の度重なる焦りからの暴走が世界人民の非難のまとになってきていることから、本家からいさめられて後退したのだ。
 オバマはD家、ブッシュや出戻り首相、先原発廃止元首相はR家。後退のR家は猛烈な抵抗中で、オバマの皆保険制度に猛烈に反対し国家財政のデフォルト寸 前でもギリギリまでの抵抗をした。世界中がこのいざこざで大迷惑をこうむったのはつい先日だ。日本ではなりふり構わずクーデターで出戻りを担ぎ出した。
 しかし、主流D家が急激に追い落としをR家にかける中で、元R家の手下が心情的寝返りという世界中で裏切りを始めているのだ。悪魔に心を売った手先が身 勝手に保身を試みているので、同情の余地はない。大きな情勢の変化を読み取れない手先も多くいる。某国首相などはその典型で、いまだ自分はR家の犬として ヒトラーを演じている。
 数千年にわたって人民を支配してきた旧悪が、表で金融を動かす新悪と手を結んで、いまだに人民への圧制を繰り広げている。自由、民主主義、権利のベール を利用して、新たな完全な支配体制固めをしている。主導しているD家は国連(連合国:United Nations)と多国籍軍をベースにした 世界秩序をもくろみ、最近まで主導にみえていたR家はネオコンの思想で軍事力を表にモロの新世界秩序を狙っている。国連は重視せず米軍とCIAやNSA等 を中心に利用する。手法にいくらかの相違があるが、こと支配している人民側からの転覆の目論見には、テロ封殺として完全に一体である。
 人民が今日、ヤツらの本体と支配の本質に気付き、支配の転覆に発展することを真剣に恐怖している。そのために、どうしても現在の支配システムの先の新た な世界秩序の実現をしたいのだ。人民との新たなステージでの戦いを予想した防衛体制の先取りなのである。それをあやつられるまま、このステージでも人民は 騙されて受け入れるのか。
 ヤツらのこの支配構造は世界中のさまざまな人から分析されて指摘しており、現実をもっとも確かに表現しているといってよい。ダイナミックに変化している 現代帝国主義の様相である。