2013.07.21 山岳部
大山登頂探検記 (音治郎)

館山湾から洲崎(すのさき)、さらに大平洋への眺望絶景を眺めたくて計画した西岬(にしざき)の大山登山。浜からすぐに山になるのだからそれなりの標高感での見晴らしがあるにちがいない。丹沢の大山と区別して、房ノ大山とというのが正式名称らしいが、はじめて知った。
頂上から谷添いの南東には開拓団現地の庭から立ち上る煙りも見られるはずだった。

前の晩の大夜遊びもなんのそので、われわれ山岳部は宿から登山口の坂田海岸に直行した。

リーダーは三才隊長。ニャゴさん、maiちゃん、ヤッシー、サブリーダー音治郎の、しゃれこうべ山岳部5名。
海岸では海水浴客が遊んでいる。
その脇の駐車場で三才隊長はシューズにスパッツをつけて足元の準備。私も前日に保革クリームを塗って気休め手入れをした30年ぶりのオールド登山靴をはいた。チノパンを半分切り落としてにわかニッカボッカにして、膝下までの靴下スタイルでいざ出発。

コンクリート道を歩くとゴツンゴツンと登山靴が鳴る。時代ものだからね。
ヤッシーは最新鋭のウォーキングシューズ。maiちゃんも軽やか。
すぐバス通りにでると「房ノ大山こっち、って標識あるよ」。みんなその道をたどる。じつにいい加減だ。
覚えているのは何とかという民宿の脇の白い壁ずたいに山道に入るということだけ。
さすがに隊長は事前調査が頭に入っていて「y字路を左!」と指示をだす。
白壁ありました。

この壁添いに左へ入るのですが、これはもうほとんど「道」ではない。
白壁の中央に杖のように立っているのが二つ目のありがたき標識です。
私はさっそくビデオを回しはじめたが、道じゃないんだから、足元不如意でとても継続撮影は無理。ジャングル突入ですから。この時点でビデオ撮影はあきらめました。

山というか薮というか、突入してすぐに道を見失いなんとか踏み後をたどって進む。ようやく山道になった。

鎖場ならぬロープ場があらわれる。下りのとき滑りやすい場所に付けてくれているのだろう。ニャゴさんはちゃんと軍手を持ってきていた。私は軍手もしていないし、カメラ持っているから登りではほどんどロープは使わなかった。


ロープ場の連続。

リーダー三才隊長の号令で登攀開始10分で休憩。
休むと山の冷気が流れるのを感じる。

木立に囲まれていても尾根にでると気持ちが明るくなる。

山頂に近づいてもまだこの薮。先が見えない。

山頂直下では足元の踏み跡をたどる。


めでたく山頂に立ったものの、こんな草薮だからどこから登ってきたのかも分からなくなってしまっていた。
背伸びをすれば館山湾も大平洋も望むことはできたが、とてもそんな悠長な気分にひたれない。がっかり!!! 腰をおろす場所もないんだから…。
登り口の坂田へ降りるもう一つのルートも草に埋もれてまったくわからない。
まして開拓団現地の煙りなど見られようはずもない。
登攀リーダー部としては若干あせった。

下山ルートをさがすと、南への踏み跡が一本あった。たどると標識があった。
「根本、西」と書いてある。
根本って、登り口とは反対側の開拓団現地の場所だ。西というのも開拓団現地のバス停をさしているのかもしれない。
半信半疑でたどってみると、その道は東へ東へとつづく。しばらく下ってから、また登りになり一つピークを南に巻いた。そして南東に下りはじめる。根本に向かっているのはまちがいないと思った。

下りではロープ場のお世話になった。かなりの急こう配でずり落ちる。
maiちゃんもヤッシーもいきなりこんな山猿みたいな山行につきあわされて何と思ったろう。もっと感動的な場面を用意してあげられなかったのが残念だ!
山中に残る旧日本軍の砲台跡や施設跡もコースが違うので見られなかった。

やがて山腹のなだらかな道をたどって高度がぐんぐん下がる。
原生林の林をすぎ、竹薮の繁る里にちかづく。
竹林のトンネルもあらわれる。

そしてついに下界におり立ったところがバス亭の「西」。
やっぱり。開拓団現地のすぐ後ろだった。

館山湾側の坂田海岸に車を置きっぱなしにして、下山計画とは反対の大平洋側に下りてきちゃった。
でも瓢箪から駒で、根本(大平洋側)からの登山ルートがわかった!
今度は冬の1月か2月に登ってみようと思う。夏草の枯れているときに展望リベンジしたい。旧軍の遺構もみたい。
置いてきた車は、kuwaさんが隊長を乗せて坂田まで回収しに行ってくれました。

あわててチノパン切ったから長さが違う。冬に行くときもこれで!