2022年 4/29(金)~5/1(日)開拓団・単独
山桜の周辺にクコ。ビワの実も成長中

雨(金曜)・晴(土曜)・雨(日曜)と、雨を覚悟ででかけた単独行。
ジャガイモやキュウリ、ハヤトウリ、里芋の育ち具合も気になっていたし、敷石の周りのイワダレソウの繁り具合も気にかかっていた。

●4月29日(金)
バスが千葉を出たあたりから霧雨が降り出していた。やがて小雨になり夜は本降りになった。
昼前に館山駅に着き、コンビニで買い物をして現地に向かうバスに乗ろうと時刻表を確認すると、乗るつもりだったバスの時刻がない。4月5日にダイヤが改正されていた。1時間ばかりの待ち時間があったので、市内にある国司神社を訪ねてみることにした。はじめて「館山航空隊」行きの日東バスに乗った。いまは海上自衛隊館山航空基地が正式名称なのだが、海軍時代の昔からの呼び名を今も平然と使っているところにここの人々の房州人らしさを感じる。
宮城で降り、赤山下の信号まで戻ると国司山の杜がみえる。国道に面して急な石段と「國司神社」の石柱があった。

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雨に濡れて滑りそうな石段を上がり、二つの鳥居をくぐってさらに上がるとこじんまりした境内に古びた神社が建っていた。東の方角には遥かに館山城が見える。梢にさえぎられながらも下には館山湾と自衛隊の基地ものぞめる。「ここだったのか」と心のなかでつぶやいた。

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親父がまだ幼いころ、ひどい胎毒になって館山の病院まで母に連れられて通ったことがあったという。家から歩いてだから2時間はかかったろう。疲れてむずかる子供を母がこの国司山の境内にあがらせて、見晴らしのいい景色を見せて機嫌をとったいう。親父はこの山下を通るたびに母を想うと書き残していた。
社殿の軒下で雨宿りをしながら縁にすわってみる。親父も祖母も、こうしてここに座ったにちがいない。もう百年以上も昔のことが、こうして今につながり、しみじみした思いがわきおこってくる。
そしてこの国司神社の由緒書きには、安房の国の民と国司のいい話が記されていた。古くから伝わる祭礼もあるそうで、この夏はぜひ祭のときにも来てみたい。

一時間後のバスに乗って現地についたのが1時45分だった。期待していたほどの大きな変化はなかったが、植えた野菜も樹々も着実にそだっている。しばらく雨のなかを歩き回ってそれらの様子をつぶさに見てまわった。ジャガイモの伸び方が最も旺盛で、薄紫の可愛い花も咲いていた。花は地中の芋とは関係ないそうだが、元気に育っているあかしのようでもある。サトイモは力強い芽が六七本、顔をのぞかせていた。山椒は実をいっぱいつけて、柚子は小さな白い蕾をつけている。人の通り道に埋め込んだ敷石はがたつきもなくなり、地面になじんでいた。イワダレソウが隙間なくとりかこめば、ちょっとしたものだ。これが工事現場の瓦礫だったとは誰も思うまい。

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荒れ地のほうをのぞいてみると、ビワがだいぶ大きくなった。今年は摘果もできなかったが、冬に竹を切りはらって日当たりをよくし、春先に化成肥料を撒いておいたので少しはいい効果があったかもしれない。梅も同じで、瀕死の幹から伸びる枝に丸々とした実がたくさんついている。
どちらも果実酒を作るくらいは収穫できそうだ。それにしてももっと木の手当をしてやらないといけない。
ソテツにからみつく三大宿敵、ヤブカラシ、ヘクソカズラ、ヤエムグラをひとしきりむしり取った。本格的夏になる前に草刈り機を導入してもう一度は藪刈りをしないといけない。
いままで気づかなかったが、山桜の周りにはクコがたくさん生えていた。あやうく切り払ってしまうところだった。秋にはクコ酒も作れる! 梅酒、ビワ酒、ドクダミ酒、酒の瓶がずらりと並んで…。

夕暮れ前に部屋にあがって夕食のしたくをはじめた。一番簡単なカレーだ。
開拓団での豪華な食事が目にうかぶ。較べればなんともわびしいが、体にエネルギーが充填されればそれでよい。ビールはたんまりある。明日は晴れる。仕事の段取りをいろいろ考えるが、まずは雑草刈からはじめねばならない。夏になってもこの庭だけは雑草に占拠させたくない。5月末には開拓団本隊も来る。
本降りになっていた雨も8時ころにはあがった。静かな夜だった。
ここに来るときは気のむいた本を持ってくる。今日は谷崎の「陰翳礼讃」だ。何十年かぶりで読み返した。読み疲れるとラジオの北京放送を聞く。電波もよく入る。50年も前の北京放送は最後にこんなメッセージが流れた。「日本の同志の皆さん、友人の皆さん、さようなら」。そしてインターナショナルが流れて終わった。隔世の感がある。しかし少数民族を紹介するコーナーはおもしろい。中国には56の少数民族があって「56輪の花」というタイトルで放送している。同じ名のアイドルグループもあるらしいが、はてさてどんなグループなのだろう。
まだ夜は冷える。残り少ない灯油を足してファンヒーターをつけた。

●4月30日(土)
5時50分起床。快晴だった。
室内12.8度、外は9.8度だった。
7時まえから草むしりをはじめたが、濡れた地面でゴム長の足は冷えるし、手も冷える。おまけに北からの風がでてきて腰も冷えてきた。もう少し陽がのぼり暖まるのを待とうと部屋に退却。ファンヒーターで足を温めるはめに。
ひっきりなしに鳴くウグイスの声を聞きながら、うとうとしていると風もおさまった。庭一面に陽が射している。再び作業開始。
近所の農家の小母さんがソラマメを手提げ袋いっぱいに持ってきてくれた。ジャガイモ畑の手入れを聞いてみると、芽掻きはしたのかと言う。したと答えたが、どうも不十分だったようで自分は一本か二本残すだけにするが、いまとなってはもう遅いと。しかし葉の緑はよくて窒素も足りているようだから、そのままにしておけばよいだろうとのこと。小母さんの畑は植付けが少し遅かったが、小ぶりの畝にきれいに生え揃って雑草のひとつもない。うちの畝はその倍もある巨大さだが、こまかな雑草だらけ。さっそく小ぎれいに整えた。
庭にはオヒシバとオオバコがあっという間に生えていた。これを放置すると人のいないあばら家であることがすぐバレてしまう。根掻きを突き刺して引抜く。延々としゃがみこむ仕事だ。庭の中央を制覇すると、こんどはその周囲。ドクダミとヘクソカズラ、トキワツユクサがはびこっている。バッテリーの電動草刈り機を何年かぶりに使ったが、刃は小さくパワーもない。うわっつらだけ刈ってもすぐ伸びてしまうが、やらないよりましだ。
ちょっとやっては椅子に座ってタバコをふかし、あたりを見回す。だんだんきれいになっていく。ひっきなしにウグイスが鳴いていた。ときどきキジの声も。
これで一週間も居られれば見違えるほどになるのに…と思わずにいられない。
ブドウ棚を直して、ハヤトウリとキュウリの世話をしながら園芸ネットを買い忘れたことに気づいた。相浜のオドヤまで自転車で行こう。気分転換と体ほぐしになる。帰りには浜の夕陽も見られる。いい写真が撮れる! と思ったが日暮れの浜風にあおられるのも寒そうだ。次に来たときでいいだろうと諦めた。
物置に残っていたたい肥の袋の表示をみようと、ひょっと持ち上げた拍子に、腰に冷水が流れるような異常が起きた。まずい、ぎっくり腰の前兆だ! まるで能舞台の役者のような足取りになって部屋にあがった。ファンヒーターの前に横になって腰を暖める。働きすぎだ! 飲みすぎか! 冷えたからか、いずれにしても最悪。
明日の予定がちらついた。帰りは早めに出て市内にある三義民の碑を訪ねてみるつもりだったが、それどころではなくなった。おまけにいつもは軽くなる帰りのザックに今回はソラマメがどっさり詰められる。これではザックの背負い下ろしさえまともにできない。
徳川六代将軍のとき、館山で一揆が起こった。農民六百人が江戸の藩邸に押しかけ窮状を訴えた。当時の北条藩家老は名主三名と協力した地代官二名をだまし討ちのように処刑してしまう。農民は再度江戸へ訴えに出て、ついに幕府からその訴えを認められ、かの家老は死罪、藩主は失政をとがめられ北条藩は改易となる。「万石騒動」と称され、農民の大きな犠牲をはらっての勝利だった。三人の名主は義民とうたわれ顕彰の碑が建てられた。いまでも地元では年忌法要が営まれているという。
明日こそは訪ねるつもりだったのにこの次にするしかない。
そろりそろりと晩飯を作り、焼きソラマメで焼けビールを飲んで布団に横たわった。中山式のツボ押し器を腰や背に当ててみたが効果はでない。

●5月1日(日)
腰の違和感はとれないが、昨日よりは動きが楽になった。早起きしたが仕事はしない。というよりできない。朝はハムサンドにコーヒー。いちいち飯を食わなければならいのが面倒だ。専属シェフのいる開拓団はその点ありがたい。
午後からが雨という予報だったが、9時ころから小雨が降り出した。家を取り巻く樹を見てまわった。どんな樹に囲まれているのか以前から調べていた。ネズミモチだと思っていた樹が、3月につけた花を見てモチノキだとわかった。スダジイとマテバシイ、ヤブニッケイ、タブノキ(タマグス)などが立ちならぶ大御所で、新芽を伸ばしたシロダモも区別できた。実生のトベラは土手に移植してやらねばならない。家の裏にはマキの樹が倒れたままになっている。そのほか判定できない樹がいろいろあって、切りはらうかどうかをためらわせている。

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常緑の照葉樹林は力強く、南房の山独特の景観をつくりだしている。この景色はじつに奥深く、人という動物の心を落ち着かせる。静かな雨は樹々の潤いになって気持ちがやすらぐ。


山椒の実を採って塩漬けにした。一週間もすればできあがる。
みんなに分けられるほど多くは採れなかったが、この夏に木が育って来年はもう少しは増えるだろう。肥料の使い方も勉強しなければならない。
昼前のバスに乗って現地を発った。来たときと同じ道、国司山の下を通過していく。
次は二週間後か。また安房の山と樹々に会いにこよう。