単独行・開拓団(2020.3.28~3.29)
コロナ禍で本隊延期

新型コロナウイルスの感染予防で、開拓団の出動が延期となった。
この感染拡大がいつまで続くのか先行きがみえない。遊びだけならば中止でもよいが、この時季にやらねばならない作業があったので単独での出動をした。
ビワの摘果。荒れ地と庭の草刈り。芽をだしているであろうアカザの間引きなど。

東京駅6:30の高速バスに乗る。さすがに人が少ない。乗客9人だけ。
出発してすぐ雨。アクアラインでいったん雨が上がるが、風が強くバスが揺れる。館山に着いて乗り換えを待つあいだにまたはげしい風雨となった。
雨雲の動き予報をみると1時間もすれば雲が途切れるはずだった。バス待ちをしている間に雨が上がった。洲崎灯台を通過するころには陽射しがでて青空も。10時前に現地着。

コーヒーを飲んで一服。まず荒れ地に行ってみると、摘果時期としてはぴったりだったが、去年の台風と一昨年の塩害で木がかなり痛めつけられている。葉が少ない。雑草が繁ってまずこれを刈らないとハシゴもかけられないほどだった。

いままでろくに見極めていなかったが、ヤマザクラが2本あって、そのうちの一本が満開だった。下から伸びる無数の竹に突き刺されて、日当たりも妨害されている。この竹と雑草刈りからはじめた。鎌、竹切りノコギリ、ナタでなで斬りする。
竹は低い位置で切ると、よろけて転んだときに刺さって危険なのですべて腰のあたりで切る。竹切りノコをひと引きして反対側からもうひと引きで切れる。竹の山ができた。

ハシゴを伸ばし、上を木の枝にしばりつけて倒れないようにして上ったが、濡れた長靴の底がすべってあぶない。上のほうの摘果はあきらめるしかなかった。

ビワとヤマザクラに覆いかぶさる竹を駆逐して一休み。ビールで花見としゃれこみたかったが、ただいま一週間の禁酒中。

ソテツのまわりも竹とダンチクに浸蝕されてひどいありさまだった。

ダンチクは悪魔だ。しなって斜めになった竹や木の枝の上に覆いかぶさり、分厚い層になる。そこに落ち葉などがたまってまるでドームのような山になる。茎の途中からクローンを分離して、地面に根がついていなくても増殖していく。竹はすぐ燃えるが、ダンチクは水分を多く含んでいるのでなかなか燃えきらない。
これがソテツに覆いかぶさっている。竹やダンチク、一本一本との戦いではない。分厚い層になった屋根を切り崩すのだ。厚く積もった枯葉が腐葉土と化していてこれが上から降ってくる。

このダンチク・ドームには過去何度が立ち向かったが、まったく制圧しきれない。
二年前の11月に挑んだときのことだ。切り崩している場の足に何かがぶつかった。足元をかき分けてみると、そこにひざ下くらいまでのソテツの幹が二つあった。太ももほどの太さだったが、完全にうずもれていたので葉のひとつもついていなかった。腐っているのかとさえ思った。しかしよく見ると細い蔓のような芽がいくつも伸びている。
かつて開拓団の初期に竹にかんじがらめに囲まれて丸坊主になっていたソテツを救出したことがある。翌年、翌々年と芽をだし続けていまでは見事に葉を繁らせている。玄関前のソテツだ。
うずもれていたこのソテツも蘇るかもしれないと思って、ドームをさらに切り崩して日当たりをよくしておいた。そのソテツが今日みると立派に葉をしげらせている。ダンチクに押しやられて歪んでいたが、もう大丈夫だ。なんという生命力。ソテツは不滅の力をもっている。感動した!
何本もあるソテツに覆いかぶさっているダンチクにかたっぱしからナタを振りおろした。一時しのぎだがそれ以上のことはいまできない。

気がつくと右肩の三角筋に痛みがでていた。これが潮時の合図だ。

最後にあちこちにかたまって伸びはじめているヤエムグラを刈り取った。こいつも手におえない厄介者で、蔓でほかの植物にからみつき大集団となって人の背丈ほどにも伸びあがる。細かい棘で衣服や軍手にくっつき、切り口からの汁がやわらかい肌につくとかぶれる。かつてひどい目にあった。

ふたたび雨がぱらつきだしたので撤収。5時間の奮戦、さすがに疲れた。
車のいない駐車場に入ると、ここにもヤエムグラの集団が発生していた。いま刈らずに放置できない。痛みのでた腕にまた鎌をもたせ、こんどは両手で引いて根こそぎむしり切る。その真っ最中に近所の人が来て、しばらく立ち話になった。
「でこの実」を知ってますかと聞いてみた。
そう大きくはない木に小さな黒い実がつく。食べるとほんのり甘い。昔は庭の土手にその木があって、親父が教えてくれてつまんで食べた思い出がある。中学生のころだ。でこの実を見つけたいとずっと思っていた。
近所の人は「知らねえなぁ」と答えたが、よくよく説明すると「ああ、あの小っさい黒いのな。あるよぉ、デコミだぁ」
秋になったら、今年こそ懐かしい「でこの実」にめぐりあおう。
庭の草刈りもしたかったが、腹もへっていた。大仕事を十分やったという思いもあって作業終了。

一合ばかりの米を炊いて、東京から持って行ったキュウリの糠漬け、イワシの缶詰、納豆、とろろ昆布汁で夕食。開拓団の豪華飯とは縁遠いが、草庵ですごすにはこれでいい。
8時半ころから雨が降り出した。気温もさがってきて石油ストーブをつける。
肩にも腰にも疲れがでて、ラジオを聴きながら座布団を並べて寝ころぶ。
ヤマザクラの枝が折れてぶら下がったままの姿、ますますいたんでいく梅の木、ソテツのまわりの雑草、そしてダンチクのドーム。あのなかは動物のねぐらになっているかもしれない。気味が悪いがぶち崩す前にのぞいて記録写真を撮っておこう…。あれこれ思いめぐらすうちに、来月も続きの作業をしにくるつもりになっていた。コロナにおびえて都会で縮こまっているより、はるかに健全だ。

天井のすみでガガンボが二匹たわむれていた。こんな弱い虫はほかの虫に食われるために生きているんだなと、ながめていた。交尾ダンスをしているのかもしれない。あっちこっち飛び回って止まったところに若いアシダカグモがいた。まだ中学か高校生くらいだ。さあどうする。待ち伏せスタイルではなく戦闘スタイルをとっている。垂れ下がっている古いクモの糸にガガンボが絡まった。飛び立とうとするが、すぐ壁に引き戻されてしまう。
カメラに手をのばした瞬間、若い戦士が飛びついた。お見事!

彼も今日は満腹するんだな。人間一人とクモ一匹の同居だ。

湯をためて風呂に入った。ただ体を温めただけだがこれが効いた。
11時に就寝。昼間ごうごうと鳴っていた海も静まって、雨音しか聞こえない。酒も飲んでいないし眠れないかと思ったが、じきに眠りに落ちた。

日曜は冷たい雨が降り続いた。簡単な薄いビニールのカッパしかないので外仕事をする気にもならなかった。昨日の残り飯をあたためて同じ食事をして、帰りの握り飯をつくる。なんて質素な単独行だろう。昔、山へ行っていたころでさえ、もう少しうまいものを食っていた。味噌漬けにした豚肉の生姜焼き、カレー…、懐かしい。
いまは食に無頓着になりすぎた。食わずに生きていけるなら、食わなくてもいっこうにかまわない。食うより何かをやっていたほうがおもしろい。気の毒な人だなぁ、と思われるかもしれないな。
昼頃に小雨になった。昨日活躍した鎌を研いでおこうかとも思ったが、井戸まわりは草ぼうぼう。こんな日にやらなくとも、とすぐあきらめる。

田植えの準備がはじまっていた。耕運機で起こした田に水が入っている。それでも耕作しない田が半分も放置されている。田んぼ道を通ってバス停へ。1:54のバスに乗った。館山で乗り換え。3:30発・東京への乗客は5人。帰りも予定時間より早く到着。

定例開拓団の前にもう一仕事しておきたい。こんどは同行の有志がいるかな。