復興開拓団(2019.11.2~11.3)
延期された本隊の出動

台風15号の襲来で、10月12日~13日を予定していた開拓団が延期されて今回の日程に。
チェーンソーを整備、ノコギリの補充など準備万端、6人で出発した。
日程の変更で都合のつかなくなった隊長の焚火さん、古本まつりと重なってしまった報道部maiちゃん、入院することになって参加できなくなったデンキさん。頼りになるメンバー三人を欠いて、hodaka号とレンタカーに分乗。団長からは緊縮財政を申し渡される。
秋の観光シーズンで三連休。渋滞が心配された道路は順調。酒、食糧、コメリでコンクリートブロックを仕入れて現地着12:45。
弁当昼食と大休止のあと1:45から作業開始。

9月・10月は台風のおかげで大忙しだった
9月9日
台風15号上陸、千葉県に大被害をもたらす
9月14日(土)~15日(日)
被害偵察・シークレット開拓団。
8日(日)から全村停電していて、到着した日の夕方復旧。現地は水道管破損で断水。公民館で水やブルーシートをもらう。屋根の棟板が吹き飛んでいたので応急処置。引込み電線に倒れかかっていた倒木を切断
根までめくれあがって倒れた木が3本、傾いた木は2本、折れた太枝多数。
9月28日(土)
罹災証明の申請で公民館へ
10月6日(日)~7日(月)
先遣隊三人出動。ihさんの応援で入口の倒木を引き起こす。
10月12日(土)
台風19号、河川の氾濫・堤防決壊など各地の被害拡大
10月14日(月・祝)
偵察隊、焚火さんと二人で。再び停電していた。被害確認の市職員の訪問に立会う。
倒木や折れたままぶら下がっている枝の切断などをして翌朝に帰還。

そして今回の復興開拓団・本隊の出動となった。
庭には切り落としたままの枝などが山積み。枯葉のついた小枝や不要な竹などをガンガン燃やす。何年も置いたままで傷んだ薪をどけて、ブロックと竹で土台をおき、新たに切った薪の山をつくった。



「あんなに働いている団長をはじめてみた!」とささやくメンバー。しかしそんなことはありません。お仕事は気配り。いまやお飾りではない団長の存在は偉大です!

穏やかな夕暮れ。

外気温17℃、室内22℃。
無宇さん、ゴクウさん、hodakaさんとシェフ三人が揃っているので、夕飯と翌日の食事メニューはすこぶる豊富。hodakaさんの豆腐もうまい。無宇さん持参の野菜もフル活用。

味噌仕立ての寄せ鍋、ポテトサラダ、ポテトフライ、鯛とイサキの刺身、冷奴。日曜は鍋汁でラーメン、カレー、茄子みそ炒め、甘酢の茄子とピーマンそぼろあんかけ、その他つぎつぎにテーブルに並ぶ。報道部員がいたらもっと記録が撮れたはずなのに…。

日曜は朝からときおり小雨。外仕事も無理せず片付けと焼却に。
午後にと思っていた釣りもやめにした。
薪にシートをかけて、みかんの苗を植えてみた。
梅も山椒もブドウもいためつけられているが、春には芽をだしてくれるだろう。

庭の土手に沿った畑道に張り出している木の折れた枝切りをした。ハシゴを全段のばすとかなりの高さになる。ハシゴの先をロープで木にくくりつけた。若い頃なら腕力もあったし、身軽に木登り遊びをしていたのに今は落ちるかもしれない怖さを感じる。落ちたら骨折ではすまない。
ここで活躍してくれたのがhodakaさんだった。ニッカに地下足袋。ハシゴの先から大木の枝に乗り移り、ノコギリを引き始める。
枝が絡みあって無惨にぶら下がっているのが一つ、二つと切り落とされた。木の枝張りを邪魔している竹も切り。土手もすっきりさせることができた。村の人が通って見ても、少しずつでも台風後の始末と手入れをしているのがわかるだろう。

家の裏でも、竹林と一緒に大きな槙の木が二本倒れた。この木には高いところまで太い蔓が巻きついていて、まえからこの蔓を欲しいと思っていた。それが台風で倒れた。チャンスだった。しかし30度ほどに傾いた木の幹もすべる。片手にノコギリを持って登れない。これもhodakaさんに頼んだ。鳶のようにするすると登って、渡したノコギリで蔓を切ってくれた。

取れた蔓は実じつにおもしろい造形で、いい箇所だけ切り取った。三才さんならきっとうまく磨いてくれるだろうな…などと思いながら持ち帰った。

通りみちを塞いだ折れ枝があって、部落の人が切り落として脇に放ってあるものや、駐車場に落ちたものがまだある。これを断裁すればまだ薪がひと山もできる。薪はいくらあってもいいから、この冬、山岳部も楽しみながら少しずつ仕事しようかと…。


遅い昼食後は昼寝。

見物・早物の切り通しはいまだ車両通行止めで、洲崎灯台回りで休暇村の温泉へ。しらずと冷えていた体が温まる。
帰りもアクアラインで少しの渋滞があったものの、9時に神保町着。
レンタカーを運転してくれた宮ちゃん、無宇さん、お疲れさまでした。
カーナビなしですばらしい運転のhodaka号。おかげさまで余裕の開拓団になりました。