館山開拓団秘話・その2
酔郷散人

すべてが闇にとざされる夜は、昼間とはまったく違う顔をのぞかせる。月の光も届かない森に包まれた世界に人知はおよばない。
開拓団の酔狂亭は、人里とはいえそんな屋敷森のなかにある。
私は習慣で早い時間には寝られないので、いつも一人だけ遅くまで起きている。
みんなが寝静まった夜も2時すぎになると物音が聞こえる。
「カサカサ、カサカサ」という竹の葉か木の葉をかき分けるような音がして、家のまわりの敷石を「ジャリ、ジャリッ」と踏む音になる。人だったら、わざわざ竹薮をかき分けて入ってくることはない。ならば動物か? そのわりには敷石を踏みならす音が大きい。耳をそばだてて音の行方を追うのだが、その物音はふっと消えてしまう。
そんなことが二、三度あって、ついに意を決した。昨年の7月だった。

みんなが寝静まるとまたあの音が聞こえた。
小さな明かりだけの部屋で、ヘッドランプを左の肩口に巻きつけて、玄関にある40センチほどのこん棒を手にとった。ちょうどいい小太刀になる。玄関のドアを開けて外に飛び出すと、あおるような風をあびせて大きなものが宙に舞った。思わず後ずさりして空にヘッドランプを向けた。屋根の上から見下ろす二つの玉が光ってすぐ西側の土手の暗闇に飛び込んでいった。何物だかわからない。人間ではない。
こん棒で身構えて土手の石階段を登ると、巨木の枝の上に光る玉がみえた。ライトに反射している獣の目だ。猫などよりはるかに大きいが、その姿は暗くてわからない。
見開いた目が爛々と輝いている。にらみ合っているとだんだんその目の光がやわらいでいくように思えた。木の上でそれが向きをかえると幹を伝って地面に降りて、すっと小走りに動いていく。あとを追った。やつはしばらく動くと止まって後ろを振り向く。その目の反射だけが見えた。土手の薮のなかを移動して、家の裏の竹薮のなかに入っていった。動くと止まり、動くと止まりして、振り返りながら逃げるふうでもない。いつのまにか私は、その四つ足に付き従うように薮のなかを歩かされていた。
気がつくと登り下りのある山道になっていて、小さな沢のふちにでた。ここで四つ足が沢に降りたかと思うと姿を消した。静まり返っている山のなかだ。
沢に降りてあたりを照らしてみると、岩穴があった。いま歩いてきた道を見失わないように、何本も枝を折って目印にした。その拍子に肩に巻いていたヘッドランプを落とした。明かりが消えて漆黒の闇につつまれる。
手探りでライトを探した。暗闇に目が慣れてきて半月の明かりがさす場所はかすかに見える。ポケットにライターがあった。
火をつけて目に入る光を手で遮ってみると、岩穴のまわりが光っている。不思議に思って近づいてみるとヒカリゴケだった。こんな所にヒカリゴケの群生が…。大発見だ。しかしどこを歩いてきたのかわからない。落としたライトも見つからないまま茫然としていると声らしきものが聞こえた。くぐもってよくわからない。
「誰だ、誰かいるのか」と闇に問うた。
「おい、おれだよ。よく来たな」
聞き覚えのある声だ。岩穴の中からのように思えた。
「ぬえの子供に案内させたんだ」
「なにぃ、ぬえだと。ふざけたことを言ってないで出てこい」
「あわてるな、大事な話があるから呼んだんだ。へっへっへ」
その笑いで声の主が思い当たった。
「花ちゃんだな。なんでこんな所にいるんだ!」
「まあ、いいから中に入ってこいよ」
「中って、この穴ぼこか」
「そうさ、いやか」

言われてつわものが尻込みするわけにはいかない。ライターに火をつけて中に入った。いつぞや探検した堰の洞窟に似ている。奥に明かりがみえた。明るい広間の正面に花ちゃんが座っていた。両脇に女たちがかしづいている。
「お頭さま、この者が鰻を獲ろうというおろか者でございますか」
お局のような女がにこやかに私をみた。
お頭と呼ばれた花ちゃんは、殿様のような風情でいる。
「うん、なんど言っても、やめようとしないタワケだ。餌にするっていうから、館山のドジョウを全部めしあげて、ミミズどもにも謹慎令をだしているのに、諦めようとしないんだ」
私は思わず声を荒げた。
「おまえの仕業だったんだな。つまらん妨害する卑怯者め」
お局が眉をつりあげた。
「お黙りなさい。こちらは、大日本うなぎ会の頭領、関東タウナギ連合の総長、タウナギいさお様であらせられますぞ」
「あらせられるかなんだかぁ知らないが、うなぎどもめ、てめえから食ってやるからそこに寝そべれ、こいつで頭たたきつぶして手みやげにしてくれるわ」と、こん棒の小太刀を突き出してお局を睨んだ。
「あら、お食べになるの? なら、こちらの娘たちからお食べになったらいかが。そんな無粋なこん棒はいりませんことよ」
お局は花ちゃんの両脇の女たちを手招きしてみせた。みんな鰻の化身にちがいない。
「ヒッヒッヒ、おまえたち、音ちゃんに食われてやれ!」
花ちゃんが女たちをせきたてた。
薄衣をまとった女たちが私をとりかこんで、手にしたこん棒を衣でつつんだ。
「おあずかりいたしますわ。音さま」
武士の魂を手放すわけにはいかない、と思いつつも力が抜けていく。
「さあ、こちらへ」と女たちにいざなわれて、さらに奥の間に連れ込まれた。

そこから先の記憶がおぼろになった。
お局の声が耳の奥にのこっている。
「こん棒はお身につけたおひとつあれば十分。うなぎを召し上がりたかったら、いつでもお越しくださいませ…ホホホ」
そしてあのタウナギの頭領、花ちゃんの声も…
「ふん、口ほどにもない。骨抜きにされて食われるのはお前だ!」

まだ夜の明けきらぬうちに、私は獣の背に乗せられていた。あれがぬえだったのだろうか。
酔狂亭の土手の上で降ろされた。よろよろと玄関を開けて、布団に倒れ込んだ。
目覚めると、皆が起きて布団をたたんでいる。
「うなぎの筒、いつ上げにいきますか」と声がかかった。
ああ、うなぎの筒を仕掛けていたのだと、思い出した。

もういい、とは言えなかった。
鰻の化身、たうなぎいさお様の笑う姿が目に浮かんだ。
玄関を探してみると、あのこん棒はなくなっている。
ライターの角には、ヒカリゴケのかけらが付いていた。
夢ではあるまい。