館山開拓団秘話・その1
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これは渚銀座の酒場で飲んでた時にママから聞いた話なのだけれど、館山には「貝盗み」と呼ばれる妖怪がいるらしい。元々は岩場にへばりついた巻貝やら海藻を主食としていたが、いつからか二枚貝ばかりを食べるようになった。とりわけハマグリには目がなくて、春先になると民家の台所に忍び込み、家々のハマグリを盗んでまわる。
たまたま隣り合わせた常連客の磯野さんが、実際にこの「貝盗み」に会ったことがあるという。聞いてみると、これがずいぶんと変な話。
ある晩寝ていると、ひんやりと冷たいものが、顔をペタペタと触ってくるのに気がついた。声を上げることもできず、ただジッと耐えた。〈それ〉は暫くのあいだ磯野さんの目の膨らんだ辺りを執拗に撫でたが、次の瞬間、片方のまぶたをつまみ、べろりと裏返した。これには磯野さんも思わず跳ね起きた。そしたら目の前に居たのが「貝盗み」というわけ。
「それでどうしたんですか?捕まえました?」
「まさか。目があった途端、脱兎のごとく逃げていったわよ。こっちだって、がくがく震えて、追いかけるどころじゃなかったし。でも朝になって改めて見てみたら『貝盗み』が盗んだハマグリがひとつ、玄関先に転がってるでしょ。気持ちわる、と思ったけど、結局お吸い物にしていただいちゃた。思いがけず豪勢な朝ごはん。」と笑う。
磯野さんの話では「貝盗み」は人間の3歳児くらいの大きさだという。「顔までは見れなかったけどねぇ。」
その後、館山に行くたびに、私は開拓団のメンバーの目を盗んでは、地元の人々に「貝盗み」について聞いてまわるようになったのだが、驚いたことに目撃者がやけに多い。だいたいは「貝を盗られた」話だが、まぶたをめくられた話もたまに聞く。これって一体どういうことだと思う?
実は私には「もしかしたら…」という推論があって、とにかく「貝盗み」に会って確かめたい、という気持ちがいよいよ抑えきれなくなり、ある作戦を企てた。
分かっている情報は多くはないな。まず、「貝盗み」はハマグリのある家にしか来ない。また、姿を見られる事を極端に嫌うようで、目を合わせるのは厳禁。足が早く、捕獲はまず難しそう。そして現れるのは決まって夜。

とうとう作戦実行の日がやって来た。
開拓団二日目の昼食はバーベキューと聞き「ハマグリ食べたいー!」と大騒ぎをし、ハマグリをしこたま買ってもらった。1日目の夜、酒類に少しばかりの睡眠薬を仕込んで大宴会。「あれれ…なんか、眠い…。」と、一人また一人倒れる。全員が深い眠りにつくのを確認したら、クーラーボックスからハマグリを取り出して、玄関から私の寝床まで、点々とハマグリの道を作った。いつものように、自分の寝床のまわりについ立てを立てたら準備完了。いざ布団に潜り込む。

すると、しばらくして、がちゃ。玄関の扉が開く。
「来た!!!」
胸が高鳴った。ひた、ひた、ひた。近づいてくる足音。それは、私が置いたハマグリを一つ一つ拾いながら、少しずつこちらに近づいてくる。そして遂に、ずずず、と、つい立が動く。恐々薄眼を開けてみると、こちらを覗き込んでいるしわくちゃの子どもの顔が、暗闇の中にぼんやり白く浮かんでいた。どきどきしながら、寝たふりを続ける。話に聞いたとおり「貝盗み」は私のまぶたを撫ではじめた。その手は妙に湿っている。眼球のあたりを確かめるように何度か押すと、「貝盗み」は「きゅー」っと鳴き声をあげた。ぐいぐい押してくるものだから、目尻のあたりから涙が出てきた。すると「貝盗み」が、顔を近づけてきて、私の涙を吸った。今度は前より震える音色で「きゅうぅ~」と長く鳴き、そして次にこう言った。
「おかあさん。」
確かに「おかあさん」と、人間の言葉で。
仰天して、目を開けてしまった。暗くてよく見えなかったけど、しわくちゃの子どもが居たような気がする。そして、これは私の思い込みかもしれないけれど、大きな目に涙を溜めていた。溢れる寸前の、たっぷりの涙。
声をかけようかと思ったけれど、「貝盗み」はあっという間に姿を消してしまった。

あれから2年の月日が過ぎた。
今年の冬はとても寒く、館山でも積雪があった。こんな寒い日は焼酎お湯割に限る。いつもの店の扉を開けて「こんばんはー。」と端っこの席に着く。真ん中には磯野さんが居た。
「『貝盗み』また現れたらしいわよ。」
「やぁね、またその話?」笑いながらママがアサリの酒蒸しを出してくれた。
先週、スカラベの婆さんが、雪の中に薄着の子どもが倒れているのを発見したそうだ。体は冷え切って、びっしりと生えた繊毛のようなまつ毛が凍って真っ白になっていた。スカラベさんは、その子をコートに包んで家に連れて帰った。
それが何と「貝盗み」だったという。
スカラベさんは、好物のハマグリを焼いて食わせようとしたが、「貝盗み」は一つずつ手にとって裏表を確かめては嘆息するばかり、口をつけなかった。で、翌朝に忽然とはいなくなっていたというわけ。

「磯野さん、わたし、ずっと前から考えていたんだけれど…。『貝盗み』って、蛤女房の子どもなんじゃないかな。」
「ハマグリニョウボウ。なにそれ。」
「ほら。助けてもらったお礼に蛤が漁師の女房になるって話」
「鶴の恩返しのパクリじゃん。」
「まぁ、そんなかんじかな。」

「貝盗み」は、かの有名な「蛤女房」の子どもなのではないか。夫の元を去った「蛤女房」は、海の中で子をたくさん産んだが、不運な事にそのベリジャー幼生のうち一つが父親の血を強く受け継いで人間の形になってしまった。そして、どういうわけかある時「貝盗み」は自分の母親がハマグリである事を知る。母が人間に食われるのを怖れて、台所のハマグリを盗んで回っているうちに妖怪になってしまったのではないか。眠っている女のまぶたをハマグリの剥き身と勘違いした「貝盗み」は、確かめるためにまぶたをめくる。

「よくそんな事考えつくわね。そもそも何でまぶたとハマグリを間違えるのよ。」
「似てませんか。わたし、寝ている男のまぶたがハマグリに瓜二つだなだぁと、昔、夜通し観察してました。」
「寝てる男の顔なんか忘れちゃったわよ。」

私の推論は一笑に付されたけど、あの晩やはり、「貝盗み」は私のところへ来たのだと思う。お椀の中のアサリをみつめる。記憶の中、あの日の「貝盗み」がぱちぱちと瞬きをした。そしてつむった瞼からポロリと涙。

今年も春が来た。また蛤があちこちで供されるようになる。きっとその中には「貝盗み」の従兄弟やまた従兄弟が紛れ込んでいるに違いない。