その他みんなの言いたい放題 【その9】三才
そう思うのは私だけでしょうか

「そう思うのは私だけでしょうか」という言い回しがある。

あなた方は気が付いてないようだけど本当はこうなんだよ感が溢れている。
自分を卑下しているようで実は隠れた上から目線である。
そういう言い回しがいつ頃から流行り始めたのかわからないが、随分昔の「ヒラリーマン随筆日記」にこの言い方を痛烈に揶揄した文章があって面白かった。このページも今は更新されていないようで今昔の感がある。

ところでこの言い回しはもう少し素直な表現に出来ないものだろうか。
古い話だが1月初旬に東北のある地方都市にクレーム処理に出張した。
クレームを主張するねちっこい中年男もこれを多発している。
なんともイヤな感じで、「そうだよ。そう思うのはあんただけだよ!」と言いたいのを何とか堪えていた。終わってから時間があったので、散歩でもして気分を晴らそうとその町で散歩をした。
ここは昔の街道の町並みを保存していて結構風情がある。
仕舞屋風の中に昔の暮らしを再現している。実際に囲炉裏に火が焚いてあったりして、

そういう場所が好きな人には随分と面白い所だろう。そういう町並みを眺めながらふと「これは前に見たことがあるなぁ」と思った。
イメージとしてではなく実体としてである。
初めてのところなのでそういうことはないのだが、これが「既視感」というやつである。子供の頃はよくあったが、久しぶりの体験であった。

既視感というのはフランス語のデジャヴの訳語らしい。このフランス語も1917年に発明されたそうだ。それ以前からそいう体験をした人は多いと思うが、それを表現する言葉が無いというのは文化が成熟してないためか。
日本語の既視感も心理学用語そのものっぽくて、普段の会話には使い難い。もう少しまともな大和言葉はないのだろうか。
既視感に関する日本最古の記録がなんであるか知らないが、吉田兼好の徒然草第七十一段の後半には出てくる。
少し長くなるが引用すると
「またいかなる折ぞ、たヾ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思うにや」

あれ!?敬愛する吉田兼好先生が「そう思うのは私だけでしょうか」ってか!?