【その65】

 弾丸旅行        音

突如、遠くへ出かけたくなって夜行の高速バスに乗った。頭に浮かんでいたのは能登の七尾城。
北陸は大雪が降ったあとだったので山靴だ。軽アイゼンもカメラバッグに入れた。服が濡れたらと思って靴下と替えズボンも。座席の腰にあてがうマフラー。持ち物はこれだけ。氷結レモン2本と缶ビール1本では足りなかった。

富山駅に着いたのが夜明けの6時半。近代的な駅ビルだ。

ろくろく調べないで行ったものだから七尾までのバスが無いのがここでわかった。
仕方ないので、駅舎をうろうろ聞きまわって電車の乗りつぎ。

津幡という駅で七尾線に乗りかえた。
誰もいないホーム。

足もとに氷のクマムシがいた。



七尾駅の案内所で城への行き方を聞いて地図をもらう。なんという行き当たりばったり。小さなコミュニティバスにのって城山下で降りる。ここでは「城山」を「じょうやま」と呼ぶらしい。
民家の脇を通り抜けて山に入る。杉林の雪解け道だ。ふもとのあたりにはたいして雪もないが、山を登りはじめると雪が積もっていた。ひとっこひとりいない尾根の大手道を歩く。こんな道で山城を攻めるのは大変だったろうなと思う。さすがの上杉謙信もてこずるわけだ。



山の頂上部近くになると石垣が組まれている。戦国時代の野面積みの石垣が幾重にもめぐらされている。見事。石に手を触れてみた。

その城郭内には杉が生え放題。こういう杉は元々無かったのだから、切ってしまってもいいんじゃないかとさえ思う。どうなんだろう。山全体が水源林になっているらしいが、石垣内を切って影響があるんだろうか。素人考えだけど、これじゃ歴史遺産ではなく廃墟だ。


本丸(左)へ登る最後の坂

一万人を越える将兵や民百姓がこの城に籠もってたたかった。
本丸跡から眼下に七尾の海をながめて、四百数十年前のこの地での修羅の戦を想う。
夏草茫々のときに見るよりも、少しは在りし日の姿を思えたかもしれない。


山からの湧き水の井戸跡

足の具合がまだ不完全だったので山歩きに疲れた。
七尾の町をみることもなく金沢へ向かった。ここから帰りのバスがでる。
三十年前よりいっそうオシャレな街になっていた。
浅野川をみようと大橋まで行ってみたら、「東廓」が「ひがし茶屋街」などと名を変えていて、いまどきの潮流に苦笑した。香林坊のわきには連れ込みホテルもあったのに、すっかり変わって、、、
歩き疲れて木倉町の飲み屋をうろついたが、なぜか鼻がきかなくて、いまいち。合わない街かなと思ってしまう。一杯やって腹ごしらえはしたけど。

にわかに大阪のドヤがなつかしくなった。
つぎの弾丸旅行は大阪のあそこだな…