【その64】

   開拓団の夜           mai

この世の全ては境界線で隔てられている。
茹で卵にはあの厄介な薄膜が、ナメクジには繊細なる表皮が、恋する2人の間には深淵が。
だが境界線は破られるモノでもある。
ニンニクの皮は剥かれるし、蝉は脱皮し世界を見る、閉ざされた心には誰かが土足で上がり込む。

私がこの世に生まれて2番目の記憶は、恐らく4-5歳の頃の物。煎餅布団で寝ていたら、部屋を隔てていた襖が倒れた。その下敷きになり、ぎゃああと泣き喚いた。
一度あることは二度あるし、二度あることは三度ある。
あの夜から30年以上が経ち、私は館山の小屋で死んだように眠っている。そこは上から見るとオイルサーディン、びっしり布団が敷かれてはいるが、僅かの隙間に一片のつい立てが、男女の褥を隔てる境界線としてそびえ立つ。
だが世の常に習い境界線は破られる。

つい立て越しに寝ているのは三才さんで、おそらくは夢の中、また別の境界線と戦っている。三才よ負けるな、パンチだキックだ!
そしてその余波でつい立ては倒れる。私の上に。
だが30数年の間に私も成長した。もはや驚きもしない。気にも止めず、そのまま再び夜の沼に沈んでいく。遠くで誰かが私を救出している気配がした。
そして暫くして、再びつい立ては倒れた。また下敷きになる。
すると今度も近くで闇の動く音。眼球の裏から小さな私が現れ瞼をギュウと押し上げて「ほらごらん。誰かが助けに来たよ。」と囁く。
私を助けに来るのはダレ?

まつ毛の隙間から見えたのは、三才さんの隣に寝ていた花ちゃんで、布団と布団の間を縫って一歩一歩、牛歩でこちらに向かってくる。
その姿に感動し、私も何かしら呻いた気がする。だがすぐに意識が遠のく。瞼の娘も、役目は終えたと幕袖に退く。
かくして。つい立てを立て直すのに手こずる花ちゃんを横目に、私はそのまま眠りに落ちた。
境界線は破られ、だがそのかいもなく、再びそびえ立つ。これが男女の仲というものだ。

尚、例外も常にある。
網戸の横、野外とは完全に隔たれていたはずのヤマドリ氏は翌朝「蚊に喰われまくった」と、水玉模様の腕も見せてこぼしていた。網戸に密着していた故、境界線は、その機能を果たさなかった。これっぽっちも。