1970年11月、チリにアジェンデ政権が生まれた。社会党と共産党の選挙協定によって「チリ人民連合」が形成され、左翼共同戦線の政府がうち立てられた。
当時、「民主連合政府の樹立」をとなえていた日本共産党(宮本修正主義一派)は、チリのアジェンデ政権を「議会を通じてうち立てられた社会主義政権」といって天までもちあげていた。
しかしこの政権は、革命的前衛党の確固たる指導とそのもとにつくられた統一戦線の力を土台にした社会主義政権ではなく、左翼の「共同」政権であり、民族主義政権であった。
人民連合のアジェンデ政権は、大企業の国営化、大地主の土地の没収など社会主義的政策を打ち出していったが、旧国家機構をそのまま残しておいたためブルジョア右派からの猛烈な反撃と抵抗をうけた。
議会による決定ではなく、自らの権力の意思にもとづく実力行使と敵の攻撃に反撃する武装を人民が準備しようとしたときは、すでに遅かった。
チリのブルジョア右派とアメリカ独占資本は手を組んで反革命軍事クーデターを遂行し、大統領府は爆撃され、アジェンデ大統領は殺される。
軍事ファシスト政権によって人民連合も壊滅する。
映画はその期間のチリの労働者と人民をとらえた記録映像で構成される。
首都の広場と道路を埋めつくす、アジェンデ支持の圧倒的な人民。
人々の熱気があふれている。
ブルジョア右派は運輸業者の反革命ストを組織して、国内の物流を止めて国民生活を混乱させ、政権に打撃を与えようとする。政権転覆のためのあらゆる攻撃がしかけられる。
しかし人民大衆はそれに屈することなく、みずからの職場と生活を守るための態勢と闘いをつくりあげていく。
反動右派の攻撃には、人民の圧倒的なデモでその力を誇示する。
「築け、築け、人民勢力」というスローガンが響きわたり、リズミカルに躍動する。それがBGMのように全編をつつんでいることに気づく。
クーデターの危険が高まる。
それに対して政権は有効な措置をとれない。人民権力によってうち立てられた真の社会主義革命政権ではないからだ。
「人民は武装を必要としている!」と絞りだすように熱く訴える労働者の映像で、最後の第三部が終わる。
パトリシオ・グスマン監督は自らの立ち位置を鮮明にしている。
困難に悲観する人々の顔はない。つねに未来をみつめ、反動の敵に対抗して何をやるべきかを訴え行動する人々の力強い姿が映し出される。
誰のために、誰を描くのか。現在と未来の生活を守るために真剣に闘い、苦悩する労働者と人民への連帯感が全編をつらぬく。
いい映画だった。
アジェンデ政権は敗北したが、人民の力と闘いは継続される。そして議会にたよらない真の人民政権が必要だという強いメッセージが残される。
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この映画の小さなB5のチラシを読んであきれた表記をみた。
「1973年9月11日、陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍ら軍部が米国CIAの支援を受け、軍事クーデターを起こす。アジェンデは自殺(諸説あり)」
どこの誰が書いたものか知らないが、アジェンデに対する冒涜だ。階級的怒りをもって抗議する。
「自殺(諸説あり)」とは何だ。このようなことを書く者にこの映画を解説する資格はない。
映画のなかでも、軍の攻撃によって死亡したことが字幕で示されている。
激烈な階級闘争の戦闘のなかで、革命の士が死んだとしたら、それは敵の虐殺いがいのなにものでもないだろう。
アジェンデ大統領は官邸に立てこもって、クーデター軍と戦いながら死んでいるのだ。虐殺されたのだ。
アジェンデ大統領の娘は「父は胸と腹に機関銃の射撃をうけていたと聞いている」と語っている。
これが「諸説あり」なのか。
天皇制の旧日本軍でさえ、戦闘中に傷つき敵の捕虜になることを拒否して自決した兵士を、名誉ある戦死者としてとむらっている。
ブルジョア裁判の証拠調べのような記述をわざわざ書き添える、脳天気な評論家にはわからないことだろうか。
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