その他みんなの言いたい放題 【その5】三才
夢一夜

小学生のときに通ったのは宇部市立恩田小学校である。
昭和十七年に国民学校として設立され昭和二十二年に現在の名称となっている。私が通っていた当時は炭鉱も斜陽とはなっていたが、それでもまだまだ子供は多く、五十人クラスで一学年十数組あったような記憶がある。

その頃流行っていた遊びに「自殺」というのがあった。鉄棒の上に腰掛けて、後ろにのけぞると同時に鉄棒の位置を腿から膝に移す。そのまま後ろ回転して真下に来た頃に膝を伸ばし前側に跳ぶ。その飛距離を争う遊びである。この頃から座高に秀でていて私は、(物理法則的には少し疑問もあるが、)結構な記録を出していた。鉄棒は高く、その前はだいたい砂場なので、そんなに危険ではなかったが、面白味もあまりなかった。

そこでこれをブランコでやろうということになった。要領は同じであるが、ブランコを高く漕いで、腰を移動させ体を回転させて跳ぶのは結構怖い。
回転のタイミングが遅い場合は飛距離が出ないだけであるが、タイミングが早すぎるとブランコと下の地面に首を挟まれてグキッとなる。ある日友達がこれをやってしまった。ざざっと前のめりになってそれきり動かない。
どうしようかとうろたえていると、丁度運動場の周りの側溝の工事をしていた。よしそこに埋めよう!ということになって埋めてしまった。

それから何ということもなく時が過ぎた。十数年後に就職したあと実家に戻ったおりに久しぶりに散歩のついでに小学校に行った。
誰でも感じるようだが、子供の頃は広い運動場だと思っていたのが意外に狭いことを実感した。卒業記念に作ったトーテムポールもまだ健在である。しばし感慨に耽っていたが、側溝の改修作業をやっているのが目に入った。マズイ、昔埋めた友達が発見されたらどうしよう。せっかく就職できたのに、ダメになるかもしれない。俺の人生どうなるんだろう。

という夢を三十代から四十代にかけてよく見ていた。