【その58】

   体内時計のような何か       mai

原因不明の体の不調というのは定期的に訪れるものだ。
季節の変わり目、久々の連休、不吉な記念日。時々調子を崩しながら、おのずとバランスを整えているのだろう。改めて考えてみれば、何もかもが巡るように繰り返されている。息を吸ったら吐くし、寝たら起きるし、食ったら出す。伸びてきた髪の毛を切り、喉が詰まってきたら声帯にブスリと注射をする。押したら引くの繰り返しが、それぞれの周期で、ありとあらゆるレベルで起こっていて、まるで自分が実に精密にできたゼンマイ仕掛けのからくり人形のようにも思われる。ギッコンバッタンの、どれかひとつでも狂えば、たちまち連鎖的に故障が生じ、ドロンジョ様のメカのようにボカンと爆発するに違いない。
夢も同じ。しばらく夢をみなかったと思うと、ある夜を境に立て続けにみるようになり、布団に入るのが楽しみなほど。でもまた突如、パタンと止む。
知恵熱と戦いながら図書館に足を運び始めたのも、同じような仕組みによるものだろう。といっても「お勉強」しているのはほんの一時間程、あとはただ座っているだけ。とはいえ私の様に酒浸りの生活を送っている人間にとってみれば、夜間、酒を飲まず机の前に座っている、ただそれだけで大ごと、実にシンミョーなるひとときである。
そうしてだらんと座ってヴァージニア・ウルフの「灯台」の事、ポール・ヴァレリーの「若きパルク」に出てきた蛇の事についてなど、考えるともなしに考えて、薄ら笑いを浮かべながら架空の城を築きつつ内へ内へと折りたたまれていく。フランシス・ポンジュのミモザの詩を思い出し、黄色のふさふさが心にドッと溢れて窒息しそうになりながら、目くるめく妄想に浸る。そんな時間を猛烈に必要とする時期がある。だがそれもやがてぱったり治まるのだろう。
そんな事を繰り返し、繰り返していって、いつか全ての時計の針がピタリと合わさり、もう二度と動かなくなる瞬間が訪れるのだろう。