【その54】

無欲、闊達の書     音   

書道展には数えるほどしか行ったことがないが、図録印刷をした知人に誘われて出かけてみた。
後閑寅雄(恵楓)という書家の喜寿チャリティ書画展。
後閑という姓に気を惹かれた。上越線の沼田の先、水上の手前に後閑という駅がある。お袋がその後閑(月夜野町)の出だった。
戦国時代には後閑氏がいてここを居城にしていた。

会場で恵楓先生にお会いした。普段着のズボンにシャツ、頭に手ぬぐいをかぶっていて、これが書の先生かと思ったくらいのラフな格好だった。
ご挨拶をして「母が後閑」という話をすると、たちまち後閑城の話になって、新田やら里見やらの戦国武将の名がでてくる。書展のことなどそっちのけだった。
やっぱり後閑氏とのかかわりがあった。

書作は自由闊達で作品もいろいろ。私の好みにも合っていた。
チャリティなので何か一つくらいは求めねばならないと思って見てまわると、有名な漢詩の揮毫があった。
 少年易老學難成(少年老い易く学成り難し)
 一寸光陰不可輕(一寸の光陰軽んずべからず)
 未覺池塘春草夢(未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢)
 階前梧葉已秋聲(階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声)
三行目・四行目の、池の堤に萌える春草の夢にいまだ目が覚めない。石段の前の梧桐の葉はすでに老い、秋を迎えているのに…
という、志をとげることもできずに時が過ぎてしまうことを詠んでいる。
ああ…と身につまされる。
筆致をかえた三書があったが、一番太く書かれたこれを選んだ。

さらに見ると、この小作に目がとまった。
禅の「本来無一物(むいちもつ)」。
気負いのない書で、しゃれこうべに置いてもいいなと思った。

最初の漢詩を所望して、これもと言うと恵楓先生は「これはさしあげます」。
それではもうしわけないとおもって、さらにもう一巡して見てまわると、またこれはというのに目がとまった。
和気が堂に満ち、嘉祥を生ず、という掛け軸だ。
これは開拓団の小屋にぴったりの言葉だ!
財布の中身を思いうかべながら、近くにいたお弟子さんに「これも欲しいと思うんですが…」と話すと、すぐ先生を呼んでくれた。

掛け軸の前で開拓団の話をした。
「店にくる人達が春夏秋冬いつでも使える小屋をつくりたいんです。この書を掲げられたら素晴らしいと思って…」と、開拓団とその精神を恵楓先生に話すと「それはいいことですね、それならば、これもさしあげます!」

「ええっ、それはいけません…」と先生の言葉を遮ってみたが、お弟子さんはその場で掛け軸をはずして、くるくると丸めだす。
受付へ持っていって「これは寄贈ですから」と伝票に記入してしまう。

あっけにとられていると先生曰く「こんど店にうかがったとき、コーヒーの一杯でもご馳走になれればそれで結構です」。

いやはや恐縮するやなにやら。
誘ってくれた知人も「よかったじゃない。なんでも言ってみるもんだね、これもなにかのえにしよ」と喜んでくれた。

はやく額装したい。
先生には特別な頼み事をしてしまったので、またお会いすることになる。
楽しみだ。