川端康成の「掌の小説」という本がある。
2〜3頁の短編を集めた一冊で、確か新潮社から文庫で出てる。
二回買って、二回ともカバーが破れるまで読んで、二冊ともなくして、今は手元にない。
その「掌の小説」の中に「化粧」という話がある。
青年が葬式場の厠に行くと、壁の隙間から庭がみえ、そこに喪服姿の女が立っている。先ほどまでおいおいと泣いていたその美女は、鏡に向って一心に化粧を直している最中であった。そして女は最後に艶やかな唇でニッと笑う。
とまぁ、単純な話なのだけれど、これが川端の手にかかると、厠の静けさや青年の後ろめたい気持ち等が葛湯みたいにもったりと行間を浸していて、やぁ何だかしらんが恐ろしいなぁと驚かされる。
話は少しずれるけれど、鏡を覗き込むのに夢中になっている姿というのは、実に不気味なものだ。
そもそも、顔面についている目で、己の目を見るだなんて、よくよく考えると目玉が裏返りそうなほど気持ち悪い現象だし、脳みそはよくもまぁそんなけったいな出来事をすんなり理解しているもんだと、我ながら感心してしまう。
ところで、実家の鏡がやけに鮮明に映るので、昨晩、映し出された己の皮膚にじっと見入っていたのだが、突然わたしの右手が鏡の端をバンと叩いた。
それと同時に「羽虫だ」と思った。
鏡の上、1匹の哀れな羽虫は潰れて黄緑色の汚れになっている。
自分と同じ様に潰れている黄緑色の羽虫の姿から、鏡一枚の厚さで隔たれて、その死を痛むかの様に己の分身にペタっと寄り添って死んだ。
どっちかが先に死んでもう一方が後を追ったのだろう。
あー!!かわいそうに!!
普段なら羽虫なんか殺さず自由に飛ばせておくのに、その時わたしの右手があっという間に羽虫をぺちゃんこにしてしまった。
鏡に見入っていると、何をしでかすか分かったもんじゃないな。うかうかしてるとドッペルゲンガーにのっとられるから気を付けよう。
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