【その36】

粗忽長屋   mai   

夏に貰ったバジルが、鉢植えの中で枯れている。枯れたまま、すっくと直立している。脇から深緑色の雑草が元気良く生えている。
このバジルが、死んでいるのか、生きているのか分からない。どうやって判断すれば良いのだろう。
クマに似ているクマムシは、水なしでも大丈夫。150℃の灼熱もマイナス150℃の極寒も生き延びる。7万5千気圧に晒されても平気だし、宇宙に行っても大丈夫。一見死んでるように見えるけど、ちゃんと生きてる。
だからもしかしたら、このバジルだって仮死状態になっているだけかもしれない。そんな訳で、私は干からびたバジルに水を与え続ける。雑草がみるみる成長する。
アインシュタインの血圧はとうとう400超えた。白衣の医者は困惑して「あなた死んでますよ」と諭すが、諭された方はといえば、ベッと舌を出し「俺は生きてるよ」
頬っぺたを輝かせ、また来た夜をスキップで飛び越えていく。そんな悪夢にうなされるのだと、粗忽長屋の太郎が言う。
頭蓋の裏側一面に世界の全てが張り付いている。私は身振りや言葉や数字を使って、必死にその向こう側の「本当の」世界を直に触ろうとする。なのに、近付く程に遠ざかる。宇宙で手足をばたつかせているみたいに、たった独り。
迷子のドジョウは、ある朝、太郎の家の蛇口からひょっこり顔を出すだろう。ため息ばかりの飲兵衛の頭上にいつも、途方もなく大きな雨雲、ジントニックのしとしと雨の機を狙っている。そして、仮死状態のバジルが、春を迎えて、この世の花ざらぬ花を咲かせる。
ああなんて油断のならぬ世の中よ。