オダギリ先生の話しを読んでいて、私もふと思い出した先生がいる。
高校のときの英語の教師だ。
若くてハンサムで、ひそかにみんなあこがれていた。
フランス人の美人の奥さんがいるという噂だった。
私の通っていた学校は中学・高校とも男子校で、校長がたいへん厳しい人だった。弘前藩士の家柄を誇りにしていて、校訓は「明・正・強」、「躾け教育」で名を馳せていた。
登校時には毎朝必ず正面玄関の前に立っていた。生徒は帽子をとって校長に礼をしながら学校に入る。
登校時間がぎりぎりになってくると、得意の指笛を吹いて「走れ!」と旗を振る。
愛のある元気な爺さんだった。
そんな校風だったから、廊下を歩いていて先生とすれ違うときも生徒は頭を下げて礼をした。
格好いい英語の教師はノムラ先生という。ノムラ先生とすれ違うときは私も溌溂として礼をした。
授業担当のクラスがちがったので直接に教わったことはなかったが、顔くらいは覚えてくれていたと思う。
高校になると理科系と文科系にクラス編成替えがあった。成績のいい生徒は理科系へ入れた。希望した生徒は別だが、そうでないものは文科系のクラスになる。私はもちろん文科系だった。
なにしろ、数学、物理、化学といった教科は試験で35点以上とれたことがなかった。
いやな試験のときがきた。苦手な数学の試験だった。
教室の試験監督にきたのがあこがれのノムラ先生だった。
問題を見ても、どれも手がつけられないと諦めてしょんぼりとただ問題用紙をながめていた。終了時間を待つしかなかった。
机の間をまわっているノムラ先生が私の横で立ち止まった。
「これが、わからんのか」と言うと、机の上に投げ出してあった鉛筆をとって、回答蘭に答えをさらさらと書いた。
「これはこうだろ」と言って次の問題の回答も書く。
その次の問題も…。三問の答えを書くと、ポロンと鉛筆をなげてそのまま教壇に歩いて行ってしまった。
私はあっけにとられた。しかしたまらなくうれしかった。
答えを書けたからではなく、なんとイキなことをするのだろう! というその振舞いに触れたうれしさだった。
後ろ姿がまぶしかった!
数学テストの2点や3点なんてどうでもいいんだよ。おまえはおまえの得意な道でがんばれ、ということを言われているような気がした。
なつかしいノムラ先生の思い出だ…。
理科系はとんとダメだったが、文科系はたのしかった。
モリシュウという古文の先生の授業もおもしろかった。
春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山 (持統天皇)
この歌の解説はこうだった。
「そうだな、いまだったら、庭に白いブラジャーとかパンティとか、夏のかんかん照りの中に干してあって、その向こうに東京タワーが見える、、、そんな景色だな…。天の香具山と体言止めしてあるのが爽やかだろ…」
男子生徒しかいないから・・・
おかげで、みんなこの歌だけはよく覚えた。
昔の教師はじつに自由にふるまっていたなと思う。
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