その他みんなの言いたい放題 【その25】mai
オダギリ先生

私は歴史が苦手だ。学んだ先から忘れて行く。だからこんな反省のない人間になるのだ。
第一志望だった大学の、その年の世界史の受験問題は「ギリシア神話について」だった。因みに世界史の受験勉強にギリシア神話は含まれない。他の問題では意図的に世界地図が上下逆転されて設問された。シーンとした会場で、受験生が問題用紙をひっくり返すカサカサした音が響いた。このヘンテコな問題のおかげで、私は滑り込みセーフで志望校に合格する。

入学して、件の入試問題を考えた先生に、私は出会う。オダギリ先生。専門は「孤独な散歩者の夢想」のルソーだったか。授業中、やる気のない生徒らを気にも止めず、夢見る目で情熱的に愛を語っていた。力強い「R」の発音が素敵だった。湯船に浸かってフランスの詩を暗唱するのが好きだと言っていた。夏休みの小論文の宿題で私が自己陶酔甚だしい「マダム・ボヴァリー」感想文を提出したら「A+」をくれて、「スタンダールの『恋愛論』を読んでみては」とアドバイスした。薔薇柄のシャツがお気に入りだった。

あれはいつだったか。交換留学を利用してフランスの片田舎に生活していたころ、長閑で平和で、しばしばつまらぬ変質者に遭遇する日々に自覚もなく飽き飽きしていた私は、当時まだ酒も飲まないくせに、酒場に濃縮された人間の臭気を求めて休みの度にパリに(ホームステイ先から)家出していた。といって何をするわけでもなく、昼はブラブラ怪しげな界隈を歩き、夜は早々ゴキブリだらけの宿に身を横たえるだけ。

その日は酷く風邪をひいていた。いつもの宿に行ったら満室と言われ、夜勤の従業員が宿泊する部屋に泊まらせて貰った。ひどい熱と咳で疲弊して朝起きて、外に出てブラブラしていたら「杉浦さん」と声をかけられた。
振り返ると、オダギリ先生だった。私の大学では先生が四年に一回、一年間研究のためにフランス語圏で生活できる「サバチカル」というシステムがあって、オダギリ先生は、その「サバチカル」でパリ滞在中だったのだ。
目下学問放棄の家出中だった私はしどろもどろになったけれど、先生はおかまいなしに上機嫌でしゃべり続け、返事は咳だけの私に「お元気そうで何よりでした!」と告げて、いい匂いのフランスパン片手に颯爽と去って行った。元気じゃねーよ、と笑ってしまった。

その後わたしも帰国し、フランシス・ポンジュについてのこれまたひとりよがりな卒論を書き上げ、奇跡的に就職し、しばらくたってからの事だ。オダギリ先生の訃報が飛び込んだのは。脳卒中だった。
私は東北の地でそれを聞いて訳もなく泣いた。詳しい事は知る由もなかったけれど、ダウィッドの「マラーの死」みたいに、風呂場で大好きな詩を朗読ながら亡くなっていたらいいなと思った。

今日は石井ちゃんから貰ったニガウリのツルの先端について言いたい放題したくて、それにはフランシス・ポンジュのミツバチの詩を引用したくて、本を探せど見つからず、昔のノートもひっくり返して、そうしたら、かつての私が書いた馬鹿丸出しの「マダム・ボヴァリー感想文」が出てきたので、こんな話になりました。
オダギリ先生に愛を込めて。