その他みんなの言いたい放題 【その17】マシダ
ワイルドだぜー的創作迷言集5

自由、教育、イデオロギー

毎朝決まった時間に出勤して、与えられた仕事をこなす生活からオサラバして久しい。今の生活に移行した頃は、その自由な時間感覚に酔いしれたものだか、時とともに、この現実世界とのギャップがどんどん広がっていくように感ずるようになった。現実世界は、そんな生き方は許さんとばかり、金という武器を振りかざして、四方八方から迫ってくる。やれやれ。

赤ん坊は、無限の可能性を持って産まれてくる。そして、その可能性の芽を一つひとつ摘んでいく作業を「教育」という。
自由を獲得するということは、先ず何かに束縛されていることを要する。
教育は束縛を提供し、且つ自由の拠り所となる。
完全な自由は、一切の破壊を招き、結果として自由の喪失に行き着く。
自由主義経済とは、神の手を必要とする宗教の一分野である。
イデオロギーからの自由を望む態度。それはあなた自身が、最も強力なイデオロギーに支配されているということの現れである。
教育とはイデオロギーの自己保存機構の別名である。
「自由を愛する」という言葉は、人間の信仰心に訴えて「束縛」を美化するためにある。
「自由主義」とは、資本による人間性の拘束を許諾する観念である。
自由と平等という相入れない幻想の間を埋めるのが博愛ということかいな。
人間の死は、遺伝子の保存のためにではなく、イデオロギーの生存のためにこそ必要なのだ。
「イデオロギーの終焉」とは、その独裁をもって始まる。
あらゆるものから自由であること、それは完全なる孤立を意味する。
真の教育とは、身につけるべき何かを与えることではなく、捨て去るべきは何かを知らしめることである。
ママ、どうして「學校」にいかなきゃいけないの?
それはね、坊や。川太郎の次は學校と決まってるからよ。

 お粗末