その他みんなの言いたい放題 【その14】mai
汝、髪を切れ。

以前TVのバラエティ番組で、淡路恵子さんが、あたしは顔を洗うのが嫌い、と言っていた。「溺れそうになるし、腕をつたって水がピーっと垂れてくるのがきらいっ!」それを聞いて大いに共感した。顔を洗いたくない、という点にではなく、その頑なな恐怖心に。

私は美容院が怖い。
気を使って緊張して疲れてしまうので、どうしても足が遠のく。
しかし、あっという間に髪が伸びる。ああ憎らしいことよ。成長ばっかしやがって。にょきにょきょきにょき、いつまでも!

シャンプーされる時「はーい力抜いて下さね」と言われる人はそういないはずだ。私は時々言われる。頭の位置がすんなりはまっていないのを気づかれない様に、半分頭が宙に浮いた不自然な体勢のまま、体に力が入ってしまう。「もう少し下にずれられますか?」と言われれば「はっ、かたじけないっ、ではお言葉に甘えて」って感じでジリジリ下がる。
顔にタオルかけられて視界を奪われて「かゆいところありませんか」と尋ねられて「ありません」という空疎な模範回答を返すという、もうただそれだけで人生の疲労がどっと流れ込んできて落ち込む。

だが、落ち込んだ素振りを見せてはいけない。シャンプーが終われば、天使の顔したお兄さんが、私の毛先をつまんで、普段どんなお手入れしてます?などと鏡越しに聞いてくるからだ。「お手入れなんかしてません」と答えるのは冒涜的であるかのように感じられ「ドライヤーで乾かす程度で…」ああ、しどろもどろ。ドライヤーで乾かすどころか、ドライヤーが壊れたのでガスストーブで髪の毛乾かしてるくせにさ。

「今日はどんなふうにしましょうか?」というのからはじまって、ディズニーランドに行った話や、朝は忙しいからお手入れ面倒ですよね、なんて話をして和ませようとしてくれるので、私も心の引き出しを全部開けて話が弾みそうなエピソードをさがすのだが、ない・ない・ない!何もない!申し訳ない!気の利いた返事が出来ない事を恥じ「あっちのお客さんの担当になってたら、このお兄さんも楽しくカットできただろうに、悪い事したな」と感じる。ギクシャクと挙動不審な私のせめてもの罪滅ぼしは「はい出来ました」と美容師さんが鏡を広げて見せてくれた時に「わぁ、軽くなった〜!」とちょっと大げさに喜んで見せる事くらいだ。

たかだか美容院行くだけでこんなにビビってしまう私って本当に情けない。犬だって堂々たる表情でトリミングしてもらっているというのに。もっと気楽に楽しめばいいじゃない、なんて言われて、そうだその通りだと分かってはいるんだけれど、でもダメなんだ。七五三の時にあれよあれよという間に化粧され着物きせられ髪の毛いじられ、緊張と困惑のあまり涙目になって怒っていた子供の頃の私が未だに抜けてないに違いない。嫌な時は嫌な顔する、やたら毛量の多いあの頃の私は、アンリ・ルソーが描いた「戦争」の、桃色の森を飛んでいる少女によく似ていたなぁ。
それからやはり鏡がいけない。目の前にずーっと貼り付いている自分の顔から目をそらしつつ話すというのが不気味なのだ。鏡さえなければ、ちょっとは気が楽なのになぁ。
関係ないけど、私は写真を撮られるのも苦手だ。銃口をむけられている気分。「だるまさんがころんだっ!」の「だっ!」の気分。

なにはともあれ髪の毛を切らなければ。
前髪が暖簾のように目に覆いかぶさる。赤提灯の暖簾をちょいとくぐるような、そんな気楽さで、美容院の自動扉をあければいいじゃないか。がんばれ私、髪を切れ!