その他みんなの言いたい放題 【その11】mai
蕎麦屋で一杯、言いたい放題

昨日、冷たい雨の中、久しぶりりに浅草の蕎麦屋に行った。あんなに私を幸福にしてくれる店は他にない。

角を揃えて二つ折にした白い布巾のように小綺麗なおばちゃん従業員が三名。帳場と調理場には、釜揚げしらす風の、これまた清らかな男たち。お客らは古い映画の名脇役を思わせる佇まいで徳利を傾けている。
がらがらと扉を開けて、今にも若き小沢昭一や永六輔なんかが顔を覗かせそうな、そんな店。
酒は一種類だけ、香りのよい樽酒で、個人的には燗が好き。こざっぱりした枡に収められた白い徳利と小さなお猪口。小さなお猪口なんて、普段ならまどろっこしくてやってられないけれど、ここの燗酒に限ってはこれが良い。

黒い小鉢の中の、もったりずんぐりとした山葵芋を箸の先でつまみながら、きゅーっと飲む。酒の構成要素である微細な何かの生命の跳躍、エラン・ド・ヴィ、一合飲めば一歳若返るような、そんなきらびやかな味がする。はー。書きながら酔っ払ってきた。

東京一辛いと言われる蕎麦汁だが、これがまた大変な美味さ。ひっくり返したざるの上、蕎麦は控え目、汁は黒々と底が見えズ、ちょいちょいとつけてズズズと啜る、あぁ確かにこれも良いのだけれど、あったかい蕎麦もまたたまらない。れんげですくって温かな汁を一口、熱い風呂に入った時みたいに全身に感動が回り、五臓六腑がほどけてふにゃふにゃになる。出汁で口の中がジュンとして、目からは涙がほろほろとこぼれ落ちるようだ。それ程に、うまい。

品書きは呆れるほどに少いけれど、不足を感じたことは一度もない。大蛇のように長酒な私が、この店での一時間半で魔法にかけられたように満足して直帰する。使い勝手の悪い深緑色の醤油さしにまで震えるような愛を感じる。深夜に忍び込んで店内の壁という壁に接吻を浴びせたいくらい、好き。好き好き好き。
ああ、また行きたいなぁ。