映画「1918年のレーニン」

「十月のレーニン」二部

1939年ソ連、モノクロ105分(2:05:56)
制作:モスフィルム
原題:Ленин в 1918 году
脚本:アレクセイ・カプレル/タイシヤ・ズラトゴロワ
監督:ミハイル・ロンム
共同監督:E.アロンとI.シムコフ 美術:ボリス・ドゥブロフスキー=エシュケ/V.イワノフ
音楽:ニコライ・クリュコフ/ニコライ・クリュコフ
録音:S.ミネルビン
配役: V.I.レーニン:ボリス・シチューキン
I.スターリン:ミハイル・グロヴァニ
ヴァシーリイ:ニコライ・オフローポコフ
マトベーエフ:V.ソーニン
ジェルジンスキー:ワシリー・マルコフ
ゴーリキ:ニコライ・チェルカ―ソフ
初公開:1939年4月7日

日本での公開:スターリン批判をうけてモンム監督自身で1956年にスターリン登場シーンをカット編集された。「1918年のレーニン」とともに、1963年に日ソ協会を通じて自主公開された。


 ソ連で作られたポスターとDVD表紙


◆「1918月のレーニン」作製の背景

 1937年にソ連モスフィルムから「十月のレーニン」が封切られた。この映画の圧倒的な人気を背景に、二部作として作られたのが「1918年のレーニン」。
 ロンム監督と製作スタッフは前作を継承した。
 前作が、世界で初めて労働者人民政府を打ち立てたときまでのことを描いたものだったのにたいして、第二作はその直後からの誕生したばかりのソ連の実情を生々しく描いたものである。
 この映画もソ連がスターリン批判を経た後「十月のレーニン」の再公開でソ連は元より、世界中で公開された。日本も「十月のレーニン」と同様に、ロンム監督がスターリンを映画内容から削除した縮小版が公開された。
 「十月のレーニン」の項で触れたように、2000年代になって、スターリン批判の見直しがされたわけではなかったが、芸術分野において、縮小版を作った無意味さを理解する動きがでてきた。
 その影響で1939年に作られたオリジナル版の映像も「十月のレーニン」と同様に出てくるようになった。だが、残念ながら世に出た映像は元のフィルムからデジタル化したものではなく、スクリーンに映写した映像をカメラで撮影したもので、手振れをともなったものだった。
 「十月のレーニン」は高解像度が出されはしたが、右上に制作者のクレジットが入っている。「1918年のレーニン」の高解像度映像が公開されるのを期待したい。
 日本では低解像度の映像だが、独自にカラー化し、1939年原本に日本語の字幕を付けてDVD化して鑑賞している
 レーニン役で大喝采を受けた主役のシチューキンは、レーニン役に一層磨きがかかった。工場での演説シーンも含めて、セリフ場面が多いのだが、まるでレーニンが乗り移ったかのごとく、自由で生き生きとした自然な演技をしている。
 ほんとに残念なことに、映画ではエスエル党員のカプランに銃撃されるのだが、シチューキンはこの撮影後、45歳の若さで亡くなった。
 シチューキン自身の顔などはもともとレーニンに似ているわけではないのだが、メークで顔をつくった。体つきは彼の演技で表したのだが、その後レーニン物の映画は多数作られたが、シチューキンの演技を超えるレーニンはいない。革命家レーニンの内面まで深く表現した、人民が生み出した歴史の英雄としてたたえたい。

 蜂起を論議する指導部のシーン

◆この映画の見所の

 「1918年のレーニン」でも、実際のエピソードがもとになって作られている。もちろん、脚本でヴァシーリイやマトベーエフといった人は映画的に欠かせないが、ゴーリキ、ジェルジンスキー、クルプスカヤ、ズベルドルフといった実際の人物が登場する。
 エピソードの焦点は何と言ってもレーニン暗殺であろう。実際にレーニンを肉体的に酷く傷つけ、政治生命に大きな影響のあたえた。
 生まれたばかりの労働者人民権力が、幼児のようなソ連といってもいい状態に、地球支配者は実に容赦ない、徹底的な攻撃を仕掛けてきた。結果、ペトログラードやモスクワには食料が途絶える。
 映画には出てこないが、帝政ロシアが敗北してかかえた膨大な賠償金の支払いがある。ドイツが過酷な要求をしてくる。実際は敗北につぐ敗北の状態なのに、前線では無駄な戦争が続いている。
 内外で想定を超える壮絶な課題が目の前に山積み。レーニンは信じたのは労働者人民の意思だ。あまりにも膨大な難事を目の前にして、動揺するものがいる。レーニンはトロツキーに「ドイツに行って無条件の停戦と賠償金支払いの承諾契約をして来い」と指示する。
 トロツキーは現地に赴き、敵のずにのった態度に短気を起こしてレーニンの指示を忘れて蹴飛ばす。メンシェビキとエスエルらは、臨時政府の残党と組んで、レーニンやスターリンさえ消せば何とかなると策謀を実践する。
 連中の口車にだまされて「腹が減っては戦もできない。降伏するのはこちらがわかな」と腰砕けになるものが出てくる。
 だが、革命的な労働者人民は、ロシア革命の歴史的意義を理解し、断固として人民権力を守れることを決意する。都市の労働者を農村に派遣して、食糧調達をする。革命的労働者人民を武装させて、干渉軍や白衛軍との戦闘に出向く。
 敵は武器をもち、前線での戦闘経験を持つが、労働者は訓練されていない。だが、レーニン、スターリン、トロツキーが赤軍を組織して前線に送り込む。
 マトベーエフは敵の銃弾に倒れる。ヴァシーリイは敵との前線に赴く。
 この苦難を革命的な人民はレーニンの信頼にこたえて戦い抜き、勝利をおさめた。これが映画の流れだ。
 レーニンとスターリンは一貫していた。敵をみくぶることはしない。ヤツらが、資本主義の鎖を断ち切られて、狂乱状態で必至だ。労働者人民は、少しでも手を抜いた甘い行動をするなら、革命政府にとってそれが致命的になる。
 ヤツらはどれほどレーニンやスターリンが憎いか。レーニンは亡くなった。後継者のスターリンがヤツらの最大の的になった。悪魔とされ、人民虐殺の濡れ衣をきせ、狂気の独裁者に仕立て上げられた。当時の労働者人民政府が置かれている、歴史的な状況を理解できない連中は、みなヤツらの主張を真に受け始めた。
 スターリンは冷酷で人民を虐殺に追い込んだ犯罪者だと。スターリン批判はこうして起こった。ヤツらがソ連人民の心の中に執念深く粉をまいた。ソ連のことを知らない西欧の人びとをまきこんだ。世論を形成し、それを背景に執拗にスターリンを悪者に仕立てた。
 革命的、階級的な人民は、いずれが「冷酷」「虐殺者」であるかは判断できる。
 革命直後の労働者人民政府が直面した難事を「1918年のレーニン」は描いている。

◆この映画が示すロシア革命の教訓


 レーニンがカプランから銃撃を受けたシーン(カラー版から)

 ソ連が自壊してからもやは数十年になる。ソ連の革命はおろか、その労働者人民権力が存在したことすら、知らないあるいは忘れ去られようとしている。
 現在の地球上の労働者人民は、地球一元支配者の奴隷的支配下にあり、そこからの解放が実現しない限り、平和で安全で、人間としての幸せを享受できる社会は実現しないと階級的に認識しているものから見れば、ロシア革命の意義は巨大だ。
 地球一元支配のもとで、支配下に置かれている労働者人民が、自らの国家権力を実現したのだ。ヤツらによる長い歴史の中で、被支配者である人民は幾度となく自らの解放を求めて抵抗し蜂起した。そのたびに激しい弾圧にあい、多大な犠牲をうけてきた。
 ヤツらは人民の放棄と反乱を何より恐れ、再び起こらないように支配システムをその都度強化してきた。だが、本質的にヤツらの支配そのものが悪であり、人民に受け入れがたい理不尽なことから、支配システムが完璧になることはない。
 たぐいまれな天才的指導者レーニンは、支配システムの弱点を把握し、力関係から勝てるチャンスを見て取り、それを逃さなかった。ロシアで階級的、革命的理論を実践し、勝利して見せた。
 しかしスターリンの後の後継者という労働者人民国家、党の内部から「スターリン批判」という、ヤツらの思想攻撃に屈服するものが現れ、前衛党の内部をむしばみ、ついに自壊した。尊い労働者人民の祖国、足場が崩壊した。歴史は、ここでまた振り出しに戻ったのだ。新たな革命は世界労働者人民の未来にゆだねられた。
 ソ連自壊が人民の歴史に及ぼした影響は大きい。20世紀に盛り上がった人民革命の巨大な勢い、波、気勢はたちどころに沈み、現在はどん底にある。かつてない、最も悲惨な状態に陥れられた。
 勢いづいたのは地球支配者側だ。ヤツらは2001年に911を自演した。地球一元支配という悪魔的な謀略を一気に実現する作戦を展開した。一元支配に抵抗している旧共産圏と中東イスラム圏に対する、なりふり構わぬ猛烈な攻撃を開始した。
 軍事的、思想的、バイオ、ケミカル、医療的、食糧的、気象的といった全分野で一斉に世界人民に襲いかかって生きている。
 一段落したように見える新型コロナウイルス戦争、ウクライナ戦争は現在進行形だ。
 こうした中で、かつて気を吐いていた左翼陣営は、一部を除いて完全に敵に降伏した。思想的にはグローバリズム攻撃。「すべてが世界的規模になるのは避けられない。賃金を上げたら世界的規模の世界的競争に勝てない」という一言に反撃できず労働組合は撃沈された。
 「グローバリズムに対抗するなは歴史の発展に歯向かう無駄な抵抗だ」として、ヤツらは世界経済フォーラム(WEF)やWHOといった私的な世界的機構を前面にたてて、世界に命令する。WEFやWHOの決めたことが、国家の主権より優先するように運ぶ。地球一元支配=新世界秩序=ワンワールドには、強い国家や人民の意思、人民同士の結合はいらない。
 そのために、各国の政治と経済を破壊する。人民の組織を弱体化し子飼いの組織にする。家族としての結びつきや絆を崩壊させる。カネだけ、自分だけ、今だけの思想を全人民の思考として植え付ける。
 歴史は一元支配が本流だと偽造する。この中でかつての左翼は「あまりにもヤツらがカネと財産と権力を集めするていて、この巨大さに何も持たない人民は抵抗できない」「ロシア革命は歴史のあだ花だった」「ロシア革命は単にごく少数のレーニン派によるクーデターに過ぎなかった」「労働者人民が権力を握っても、必ずスターリンのような人民虐殺者になる」「ロシア革命のような政府転覆活動は間違いだった」…、と言いだしたのだ。
 この敗北主義者たちは、ではどうするのかについて、すでに論ずる思考は残っていない。
 激減はしたが階級的革命的意識を堅持する人民は残っている。人民のヤツらに対する謀反の歴史は尊い。歴史から学び、教訓を生かして、何度でも、勝利をするまで戦い続ける決意だ。
 ヤツらは人類にたかる寄生虫であることを忘れてはならない。寄生虫は宿主である人民が、放棄さえすれば、生きてゆけないのだ。あまりに敵が強大にみえても、ただの寄生虫。長い歴史の中で、人民は飼いならされ、思い込まされているに過ぎない。ヤツらが強大なのは、人民が幻想を見ているからだ。
 ヤツらの寿命は人民の自覚で決まる。人民の世に切り替わるのは歴史の定めだ。