映画「親愛なる同志たちへ」

2020年ロシア・モノクロ121分
製作:アルバトロス・フィルム
原題:DEAR COMRADES!/Dorogie Tovarischi
監督:アンドレイ・コンチャロフスキー
脚本:アンドレイ・コンチャロフスキー&エレナ・キセリョワ
出演:ユリア・ビソツカヤ、ウラジスラフ・コマロフ、アンドレイ・グセフ
配給:アルバトロス・フィルム
第93回アカデミー賞国際長編映画賞
第77回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞
日本公開:2022年4月8日


◆ウクライナへのロシア侵攻と上映をかぶせて、ロシアを悪敵とするもの

 ロシアのウクライナ侵攻が開始されてから2か月経過した。ロシアのこの戦争の目的であったことは、ほぼ達成された。もうしばらくしたら、終戦協定に至るだろう。
 目的というのは、第一にウクライナ東部でのネオナチ=ウクライナ政府による親ロ系人民への弾圧を終わらせること。第二にNATOと欧米がウクライナの独立以来やってきた軍事基地、生物・化学兵器・各兵器開発の策動を破壊すること。第三に地球支配者が欧米を通じて世界中の悪の巣窟拠点化してきた施設の破壊である。
 第三のこととは幼児性愛、子供の誘拐と人身売買、悪魔教儀式のことで、米国エプスタイン事件で明るみに出た件とおなじこと。万オーダーの子供が救出され、基地は破壊された。
 第二はブッシュ・ファミリー、オバマ、クリントン夫妻、バイデン・ファミリーらが直接関与している。多額の資金を投入して、ロシア包囲をしてきた。特にミサイル基地の建設は、1962年、くしくもこの度の映画「しないなる同志たちへ」の舞台に重なる「キューバ危機」と同じ構図。当時はケネディが鼻先に向けられたミサイル基地建設に怒ったが、この度はプーチンが我慢が限界を超えたと憤慨した。
 第一はソ連の崩壊でウクライナが独立した時点からの大問題だ。それはウクライナという地を地球支配者が第二のイスラエルにする構想で、ここにナチスの勢力をあつめ、ネオナチの拠点としてきた。
 現在のアゾフ大隊に象徴される。元俳優のゼレンスキーは当初はネオナチ集団による親ロ人民への殺戮をやめさせようとして当選したが、ウクライナの軍隊を含む武装組織集団は、その時点でネオナチ化が完了していて、大統領の指示を拒否した。これ以来ゼレンスキーはネオナチの手下になり下がった。
 ネオナチは親ロ人民を無差別に殺害している。武装集団の武器試射の標的として、無制限に惨殺することをウクライナ政府が許可してきた。
 イスラエルがパレスチナ人に同じことをしているが、それが欧米日で非難されることがないのと同じ構図で、ウクライナの親ロ人民を惨殺している。
 欧米日は地球支配者の直接命令下にある。マスメディアは、露骨にイスラエルやウクライナ側につき、一方的にロシアとプーチンを非難している。
 ロシアとプーチンを貶めるためなら何でもする。CNNを始めとする欧米日のマスメディアは、開戦以来フェイクニュースを、連日これでもかと流している。ちょうど先の戦争で日本帝国軍隊が大本営発表をしたのと同じだ。
 欧米日のメディアに毒されている人びとは、反ロシア、反プーチンを語るのをさも、それが「反戦を訴える誇らしい」姿勢であるかのように思っている。
 大政翼賛会で、一億総「国民」が鬼畜米英をとなえたのと同じだ。
 当の裏切り者のゼレンスキーを連日登場させている。そればかりか、ネオナチのアゾフ大隊の幹部を、堂々と顔出しで登場させ、白を黒に、黒を白にして話す。
 欧米日のメディアで、すでに2か月もこうしたプロパガンダ映像を流せば、あわよくばプーチンをロシアのトップの座から引き下ろせる、ロシアを再び崩壊させ、欧米日の勢力下に編成できるともくろむ。
 映画「親愛なる同志たちへ」は、こうした世界の反ロシア、反プーチンの一大プロパガンダに加勢する。この映画を制作した監督は先に「インナー・サークル~映画技師は見ていた」を作った。
 視聴したものに「考えさせる」という。だが、要旨はあきらかに「ロシア革命は悲惨を生んだだけの間違いだった」「共産主義は信じるものではない」というものだ。
 これが、ウクライナに一方的に、領土拡大主義、武力で独立国に侵略、許しがたい暴挙として、反ソ・反プーチンを口にする声を後押しする。

◆「キューバ危機」フルシチョフ時代、終盤ソ連の一幕が示したもの

 映画は何を事実として描いているか。
 「キューバ危機」が発生した、まさにフルシチョフ政権のソ連が終盤を迎えていた時期。1962年、ウクライナに近いノボチェルカッスクで、実際に起きた機関車工場でのストライキ事件を題材とした。
 物価の値上がりで日常品の入手にきゅうきゅうする人々。労働者の給与が三分の一に変額されるという追い打ち。だが、主人公のリューダは熱心な共産党員で、市政委員でもあり、その特権で食料は裏口から手に入れられる。
 労働組合はついに工場閉閉鎖、ストライキを決議し、共産党と政治組織に交渉を要求するに至る。
 リューダの18歳の娘スヴェッカは労働者に共感するが、リューダはその気持ちが理解できない。ストで訴える労働者は軍が力で押えるべきだと考える。反政府で扇動するテロリストのやからだ。一部の反人民勢力だから、弾圧の対象者だというわけだ。
 中央から軍やKGB幹部がやってくる。地域の軍は「同胞に武器は向けられない」とするが、上部は「銃での弾圧」を指令する。
 デモ隊が幹部のいる庁舎に迫る。口では強気の幹部は逃げまどう。デモ隊に軍や機動隊は激しい発砲をして、大混乱が発生する。そのなかで、娘が行方不明になる。必死で探す母。
 幹部たちは、労働者との協議は拒否するばかりか、流血の混乱した事態そのものの発生を「隠ぺいする」手にでる。犠牲者の実態する公表しない。
 主人公はその事態を当事者として「理解」できない。「共産主義の他に何を信じればいいのか…」と嘆くばかりだ。
 映画で象徴的なのは、幹部は自分の特権的な地位を守ることしか目がないことである。目前に起こっている「物価の乱高」「給与三分の一切り下げ」についての、原因分析、対策については何も語られない。
 その事態が生まれたことについて、真摯な追及を誰もしないということだ。それは、幹部ばかりでない。人民国家において、労働者自身にも社会の主人公としての責任がある。
 双方が相手の一方的な責任だと考え、自分を犠牲者だと考える。これは、そのままブルジョア社会=資本主義社会の姿だ。だが、資本主義の社会でも社会的に発生した現実の「責任」はきびしく追及されることを思えば、これにも劣る状態だといってよい。
 この映画は「親愛なる同志たち」、つまり、オールド・ボリシェビキ、旧左翼の人たちに訴えている。
 だが、世界中でこの映画の訴えを、戸惑い、混迷で、上っ面でしか受け止めていない。つまり、映画の主人公と同じで、真正面から受け止める声がない。
 ここに現代の悲劇がある。

◆人民こそが社会の主人公、人民権力思想以外に克服の道はない

 ソ連の終盤の悲劇の本質は何だったのか。
 結論は、ソ連の共産党、指導部と人民国家の主人公であるソ連人民が、もっとも大事で基本的なものを忘れたことである。
 それは人民の足元に構築されていたソビエト=協議会=コミュニティ=人民権力のことである。最下層の労働者、人民の主体性、意思こそが最高の力という思想である。
 上位、下部と簡単に表示してしまうが、本当の上部と権力は下部のソビエトにある。上部と呼ぶ組織は下部ソビエトの統合、調整の機関である。
 ところが、歴史上初めての人民国家として生まれたソビエト政権は、地球支配者による間断ない戦争の攻撃にさらされた。もともと欧州の遅れた貧乏な農業国だった。
 それでも、人民の祖国を守り抜く必要があるという姿勢で、工業化、電化、軍事力を整え、干渉戦争をはねのけ、第二次世界大戦を戦い抜いた。
 ヒトラーという地球支配者が放った過激なナチスを、スターリンは巧みな戦術で敗北に追い込んだ。地球支配者の同じく手下である反ソ連の欧米は、戦勝者にはなったが、一方でソ連を敗北させれなかった。
 偉大なソ連人民は米国に並ぶ大国にまで、発展させた。
 そのために続けて「冷戦」をたくらんだ。執拗な反ソ制裁網を強化した。つまり、この常時戦争のような非常時には、命令一下で下部や組織が動くということが不可欠になる。
 理屈や目的を思想的に生身で理解するという、平時の在り方は軽視されていく。最下部でのソビエトは機能マヒになり、存在意義が薄れる。結果、上部からの命令の執行組織になり下がる。
 命令一下で下が動くというのは、組織を動かすもっとも手っ取り早い手段として、平時でも定着する。ソ連はこうして内部から瓦解する。
 その責任は、幹部が革命的な後継者を育成できなかったことと、社会の主人公である人民自身が、革命の原則的な思想を自ら忘れてしまったことにある。
 ブルジョア社会の奴隷根性と同じで、無責任、他社に責任を押し付け、上部への依存心だけ大きくなる姿だ。スターリンが死んだあと、急激にその傾向を強めた。
 地球支配者はソ連が瓦解しても、なお手を緩めない。ロシアになってプーチンが地球支配者の手先になることを拒否して以来、いっそう目障りになっているのが現在のロシアだ。
 人民の権利については、米国の独立宣言に「人間は生まれながらにして平等であり、生命・自由・幸福を追求する権利を持ち、その権利をはく奪する政府・国家を否定する権利を持つ」とあるが、これが分かりやすい。
 この思想を常に根底において活動するのがソビエトだ。
 ソ連の瓦解が世界人民に残した教訓も、ここにある。