2017年製作/107分/G/イギリス
原題:The Death of Stalin
配給:ギャガ
監督:アーマンド・イアヌッチ
脚本:アーマンド・イアヌッチ
原作:ファビアン・ニュリ/ティエリ・ロビン
製作総指揮:ジーン・クリストフ・コルソン/
ジル・ダオスト
日本公開:2018年8月3日
◆スターリン・ソ連を最もひどく侮辱した象徴的映画
日本では2018年に公開された映画である。この映画は、地球支配者による、ソビエト政権に対する「最終評価」である。ソビエト政権をレーニンから引き継ぎ、第二次世界大戦の終結まで最高の指導者であったスターリンという象徴を、見る影もなく無残に醜く扱ったものだ。
地球支配者の一元支配する地球に、ロシアで初めてその鎖の輪を断ち切った人民政府を、ヤツらは骨の髄から憎んでいた。その息の根を止めるためなら、何でもありで攻撃を行った。
経済封鎖に始まり、とにかく戦争に次ぐ戦争という、もっとも過酷な攻撃を連続して行った。
ソ連にしてみれば、人民権力の国家を保存し、継続させることが最大の課題となっていった。
連続する戦争は、いわゆる「非常事態」、非日常的な異常事態が連続する状態が、ソ連の人民を苦しめた。
非常時は平常時と異なり、まっとうな社会の構造が機能しなくなる。即時の対応を求められるから、時間をかけた人民の論議よりも、権力上部からの命令と支持が優先される。
長期の命令と指示は人民の感覚を麻痺させる。もっとも人民権力にとって大切な、末端現場での主体的な意思の統一が薄れるのである。
上部には、結果的に「命令と指示」で軍隊のように一斉に民が動くために、手っ取り早いの手法が、平城時でも有効だという錯覚と勘違いが生じる。
単純に下部末端の人民に対する不信である。末端の人民権力が存在して、初めて上部機構があるのだというもっとも重要なことを忘れてしまう。
人民への不信頼は疑心暗鬼という心理を生む。熾烈な戦闘が続く中で、上部への下部からの異論は、敵の思想攻撃、敵の思想への感化、敵の手先に陥落、スパイ行為と、荒っぽい判断に陥る。
当然そのような疑惑には、冷静な調査と証拠と判断が、ルールにもとづいて行われなければならないのだが、やがては無作為な整理という、ベリヤが果たしたような犯罪行為となる。
大戦がスターリンの優れた戦術で、ファシズムを打倒する形で勝利した。ひと時の平和が訪れ、本来はここで緊急時=戦時体制から平常時に全面的にもどるはずだった。だが、ヤツらはすぐに「冷戦体制」なる攻撃に出て、あげくは朝鮮戦争となる。
スターリンは厳しい環境下に置かれた。同時に肉体的な体力も低下してくる。ついに、1953年3月5日に倒れ74歳で死亡する。
スターリンは多忙の中でマルクスやレーニンの思想の総括をする。『十月革命への道』『レーニン主義の基礎』『レーニン主義の諸問題によせて』『弁証法的唯物論と史的唯物論』『ソ同盟の偉大な祖国防衛戦争』、そして『ソヴェート同盟共産党史』は事実上スターリンの指導で作られた。
革命の精神の根幹を人民が理解できるように、並々ならぬ努力をしたことがうかがえる。この時代にレーニンを除けば、革命思想にこれほどの心血をそそいだ偉人は、中国の毛沢東を含めて他にいない。
世界人民にとって、スターリンは偉大な革命家であった。大きな課題を残したままこの世を去ったが、それは残された世界人民が解決するべきテーマである。
スターリンが生存しているときには、地球支配者はスターリンを死ぬほど恐れ、無数に暗殺を企てた。地上で最大、最高の憎しみを彼にあてた。
世界人民はスターリンを敬愛し、導きの星をたたえた。彼の葬儀では数百万の人民が死を惜しんだ。それは歴史的事実である。
地球支配者や各国のカイライは、逆に大喜びした。ついに勝ったと。これで地球はまたオレの手に戻ると。そして、実際にその後もソ連への警戒は続けながら、さまざまな、思想的、政治的、経済的な攻撃の手を緩めず、崩壊に導いた。
映画「スターリンの葬送狂騒曲」は、地球支配者の、スターリンとソ連、人民国家に対するとどめの、最終的な侮辱である。
ソ連と同時代を経験した人民は、ソ連やスターリンにたいし、今も深い期待を抱いている。ロシアの戦勝記念日や革命記念日には、さまざまな催しが展開されている。中には、若い世代の人びとが多数参加しているのが目立つ。ここにスターリンが残した遺産がある。
◆ソ連の人民はどこにも登場しない
映画は見る前からわかるように、どのシーンも唾棄すべきレベルのものだ。真実はどこにもない。すべてが、当時からヤツらが反共という狂った思考で、スターリンに対するデマを流してきたのだが、全編にわたって、その悪いとこ取りのエピソードをまとたものだ。
スターリンの死の経緯は現在でも真実が明らかにされたわけではない。裏切り者のフルシチョフとかの語った小さな破片が、いくつか残されているだけである。それをいじくりまわして、輪をかけて「出来事」にしたものだ。
スターリンの埋葬については、2020年11月に映画「国葬State Funeral」が公開された。葬儀につては未公開映画「偉大なる別れ」のフィルムがあることはわかっていた。それが近年リトアニアで発見された。200人に及ぶカメラマンがとらえた葬儀の映像である。ドキュメンタリーに再編集されて公開された。
群衆の集まりで死人も多数出たが、当時のソ連人民の様子がたんたんと激写されている。スターリンの死を思う人民の顔がわかる。
だが、「スターリンの葬送狂騒曲」には民衆は登場しない。悪意に満ちた上層部の連中が登場するだけである。一人もなともな幹部はいない。全員が狂気そのものだ。「自分だけ、今だけ」の利己心にとらわれた人物だけの、おおげさな振る舞いを、これでもかと表現されている。
もちろん、スターリンやソ連の歴史に、つまり、人民の利益のために働いた功績には欠片も触れない。上層部は気違い集団だと断じている。このようなでたらめな幹部だけの国など、自裁には存在しない。できないのだが、そうした閲覧者の気持ちは無視される。
地球支配者や各国カイライの、人民大衆に対する姿勢を露骨に表現したものである。
では、西側権力に腐臭はないのか。言うまでもなく、各国に配置された中央政治の連中は腐敗まみれた。例外はない。
つい最近の例を見たらいい。通信交際交通滞在費として、国会議員には月間百万円を支払うという、典型的なお手盛り法律が、全国会議員の多数で決められている。これを犯罪とは少しも思っていない。
新人議員がたった1日だけでも議員になっていれば、百万円がもらえるのは「何か変ではないのか」と言う声が上がると、民からの大きな批判になった。すると「じゃ、法を少し修正しよう」と全員が合意。あくまで廃止ではない。
さらに、現在もらったものには「寄付すれば」免罪だと。それも、自分の所属する政党支持団体への寄付だというのだから、あきれる。これは、あくまでも、国家財産の収奪という犯罪こうなのだ。それを「法を作って免罪」にしている。合法化している。これが表の政治のカイライの姿だ。
一方では先日「賃金破壊~労働運動を「犯罪」にする国」なる書籍が発売された。これである。労働者の団結権、ストライキ権などは労働法の基本原則であり、保証されたあたりまえの権利である。
ところが、昨今の労働運動、賃金推移をみれば一目瞭然であるが、労度運動はヤツらによって今や風前の灯火まですたれ去られた状態だ。日本の労働賃金のレベルは、世界の先進国ではありえない低レベルだ。
労働者の戦いの祭典であるメーデーに、安倍などの為政者の代表が来て、演説する時代だ。不正規労働者の国による増加推奨で、賃金は正社員も含めて低下の一方だ。
新たに労働運動に飛び込むのは、社会の悪への誘導組織たる「ブラック企業」による、犠牲者ぐらいだ。中大企業では、新たに労働組合に参加する労働者はほとんどないばかりか、減少の連続だ。
組合は今や完全な第二組合、企業組合になっており、例えば「原発再起動賛成」など当たり前になっている。地球支配者が行っている歴史的な人類と地球に対する犯罪を擁護するというのだ。このように、労働運動をするということを、さまざまな悪法によって、犯罪とする社会だ。スト権を行使して、運行を止めることを「社会に迷惑をかける」行為と「法」を作って、社会的な犯罪とするのである。
カイライどもは、自分にはお手盛り、収奪の免罪、被支配者たる人民には、基本的な人権を「社会への迷惑行為」として、法律で「犯罪」にする。これが現在のヤツらの真の姿である。
ソ連や中国は他国に覇権主義的に侵略したか。だがヤツらは、ソ連や中国は覇権主義の塊だというレッテルを張って、侵略者に祭り上げたいためのデマを振りまくった。
だが、地球支配者の手先の頭領である米国やイスラエルはどうだ、第一次世界大戦を皮切りに、侵略を絶やしたことがない。地球を一元的な色に染めるために、侵略行為、米軍の駐留行為を絶えず広げていった。そして、その国をぐちゃぐちゃにぶち壊し、無数の人民をアリンコのごとく殺害して来た。これが歴史の真実だ。