多摩区のパン、食パン

ここから下はポエム

土曜日、食パンとマーガリンをぶら下げて、
岡本太郎美術館へ立ち寄った。
入り口から売店の方へ直接行くと、その途中でなにか、
そういえばパンのにおいがする、と気づいたのは、
食パンのまん中をちぎってエンエンと放り投げたり
並べたりしている異様な人達を見つけたからだった。

次回展示の、岡本太郎美術賞やらの展示準備だとの表示があって、
専門のカメラマンがその光景を撮ろうと思案しているから、
横っちょから私が撮ろうとすればきっとナニカ言われると思い、
それはムカつくのでやめた。
だいいち、撮る必要がある光景であろうか、と、
ふと我にかえる。

黒いコスチュームを着た忍者ふうが数人、
食パンをくりぬいて放り投げるサ業を続けていて、
そこへおいしそうな食パンを4斤分くらい抱えてやってくる
補助者も数人いる。
始めは、
くりぬいてパンの耳枠を並べることが目的なのかしらと思ったのだけれど、
わざわざ黒コスチューム着ているし、
やや憑依された様子を見せてパンを放り投げるし、
このパフォーマンスもコミコミなのかなと思う。
準備なのに。

私は食パンが大好きなので、
「もったいないなあ」と思う。
放り投げられた耳かまん中か、
拾ってかじっちゃおうかとチラリと考えたが、
こうゆう人たちは自分はあんなことしてるくせに、
あかの他人が似たようなことを横っちょで平気でやろうとすると
きっと文句を言うのである。
「あのー、これは展示物なので触らないでいただけますか」
とか、まっとうなことを、岡本太郎美術館の中で。

でも、そこで
「ひとつくらい良いではないですか」と言いながら
すかさずかじって飲み込んでしまえば、
きっとそれ以上は何も言わないだろう。
変人は恐ろしいから警備員くらい呼ぶかしら、
アーティストさん。

「この作品専用に焼いたパンで、食用ではありません。」
という可能性もあるが、
たぶんないね。
「エクセルブランばかり」ということも
たぶんない。
安い食パンだろう。
もしかすると、あちこちのパン屋やパン工場を回って、
期限切れを集めてきたとか?
それはあるかなあ・・。
でも、やわらかそうに見えたよなあ。

「作者」は、食パンすきなのだろうか?
すきなら「どうして食べないの」と聞きたくなるし、
きらい、あるいはふつうだというなら
「どうして食パンなの」と問いたい。
何日かすれば、美術賞の案内板にて
この「作品」の意図やらも表明されるのだろう。

ところで私が買ったばかりの食パンは、
仲間たちがあんな悲惨な目に遭うのを見て
何と思ったことだろう。
じぶんは食パン大好きの人に買われて
おいしく食べてもらえるのだと
じぶんの幸せをかみしめたか。
少なくとも、
床に放られた食パンたちは、
私がぶら下げている食パンをうらやんだことだろう。

結局、目的だった村上善男さんのエッセイ本は
すでに売店には売っていなかった。

ここまではポエム

この食パンの「作品」の作者については、後からネット上でいくつかの
記述を見つけました。
非難ゴウゴウの方もいるし、美術作品として評価されている方もいるし。
この詩は私にしては長すぎるのですけれど、しっくりくるのでそのままで。