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 第54話 「人は集い、語り、こだわりたい」

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんなお話が聞こえてきます。犬にとっては、こだわれないこともあるけれど。
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 おいらは時々、近くの「カルチャーセンター」をコッソリのぞいてみるんだ。ここには部屋がいくつかあって、みんなで何かを作ったり、先生のお話を聞いたりするところなのです。まるで学校みたいだけれど、大人が集まってくるんだよ。

 ひとつ目の教室は写真教室です。それぞれが撮った写真を壁に貼って、意見を言い合っています。お花や鳥、空の写真、人物写真や風景写真といろいろあります。
「このバラの写真は、平凡だね。もう少し構図の研究をしてみてはどうでしょう。」
「それは自分でも思っているんですよ。それに露出オーバーで、色が美しく出せなかったなあ。」
「色と言えば空ですよ、難しいのは。あの青を出すのは難しいです。レンズもだいぶいろいろ集めていますが・・。」

 写真の構図や露出の上手下手なんておいらにはわからないけれど、バラも空も「きれいだなあ」てわかるよ、黙って見ていればわかるよ。写真教室というのは、バラや空の美しさを、口をぽかんと開けて見るだけでは足りない人たちが集まってくるところみたいです。自分の写真の腕前やこだわりについて語ることが楽しそうです。

 ふたつ目の教室では「路上観察教室」というのをやっています。
「・・皆さんは、今以上に鋭い感覚で日常の中の新鮮な発見をしたい方ばかりですね。ここで、私が見つけたおもしろいものの例をいくつか、スライドでお見せします。次回はみんなで出かけて探しましょう。」
 スライドには、人間の顔のように見える壁の汚れや、ユニークな生え方をしている雑草の写真、工場の煙突ばかり写した写真やいろいろな犬の尻尾のアップの写真など、どうでもいいような写真ばかりが登場します。生徒の人たちはそれらを見て、笑ったり感心したような声をあげたりしながら、熱心にメモを取っています。

 変だなあ。別にこの人たちが観察して発見しなくても、壁は汚れているし、雑草は好き勝手に生えるし、煙突もおいらの尻尾も変わらずにあります。そういうものを「発見」する方法を先生から教わってみんなで一緒に探し歩き、その成果について披露しあうことがこの教室の目的みたいです。みんな目をキラキラさせて楽しそうです。
ほかにも、絵を描く教室や文字を書く教室、ダンスする教室などがあります。人間というのは、一人でもできるようなことを、他の人と集まっておしゃべりしながら見せ合いっこすることが好きみたいだなあ。

最後の教室は、電気はついているけれども話し声が聞こえません。誰もいないのかな?と思いながらそっとのぞいてみたら、ちゃんと10人くらいの人がいます。正面の黒板には「語らないこだわらない見せ合わない教室」と書いてあります。ほかの教室みたいな活気はなくて、発表とか講義とかもありません。それぞれ、自分の調べ物をしたり、文章を書きつづったり、パソコンを使ったりしています。先生らしい人が正面に座っているけれど、その人もみんなをまとめるでもなく、自分のことをしています。

 おかしいなあ。わざわざここに集まらなくても、それぞれのお家で黙々と作業していたらいいだろうに・・。どうやらこの教室の人たちは、本当はお友達が欲しいし、もっと自分の趣味のことを語りたいのに、いざ似た趣味の人たちが集まってきて「もっとこだわりましょう、語りあいましょう」とグイグイそばに寄ってこられると逃げたくなっちゃう、恥ずかしがり屋やひねくれ者のようです。
 おいらは見ていて落ち着かなくて、そそくさと川ぺりへ戻りました。

 川ぺりを歩きながらよくよく考えてみたら、おいらって、この「語らないこだわらない見せ合わない教室」の人たちと似ているんじゃないかなあ? て気がつきました。本当はおいら、たまには人間に甘えたりじゃれたりしたいし、おいらが考えるばかなことをお話ししてみたくなるんだよ。でも、優しそうな人が「うちの犬になる?」「放浪しなくていいんだよ、おいしいご飯をあげるよ」と寄ってくると逃げたくなっちゃうんだ。
 世界にひとつの自分のお家で、一人の飼い主さん、ひとつの家族から、おいら専用の名前を呼ばれて一生を過ごすということが、なんだか恥ずかしくなってしまうのです。

・・あれれ、おいら、変わった人たちを見たら、ずいぶん変なことを考えてしまったなあ。たまには向こうの丘のてっぺんに登って、空の雲でも見てみようかな。
 わんわん。またね。

(2008.6月掲載)