犬にとっては・目次へ戻る

 

 

ののぱりこのホームページ・目次へ戻る

  犬にとってはタイトル
 

 第59話 「すぐ戻るから平気」

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんな人たちと出会います。犬にとっては、軽そうなこともあるけれど。
        * * * * * * * * * * * *

 川ぺりには、自転車に乗っている人がとても多いみたいです。慣れると歩いて移動するよりも楽みたいなんだ。荷物を前のかごにちょいと乗せられるのも便利そうです。

 日が長くなってきた夕方、おいらが商店街をお散歩していると、スーパーの前で自転車を止めたおばさんがいました。おばさんは、自転車の前かごから大きな鞄を二つ取り出して、両肩にかけてお店に入って行きました。ちょっと重たそうです。
 すぐ後に、また自転車の人がやって来て止めました。その人は、ほかのお店で買った物をそのまま前かごに置いてスーパーに入って行きました。
 ふうん。荷物を前かごから全部取り出して持って行く人と、置きっぱなしにする人がいるのだね。

 スーパーから少し歩いたコンビニでも、自転車でやって来たネクタイ姿の男性が、前かごに鞄を置いたままで店に入って行きました。四角くて黒くて、なんだかとっても立派な鞄です。川ぺりで見る人たちがあまり持っていないタイプの鞄だから、おいらはめずらしくてじいっと見ていたのです。
 そしたら、ツカツカとその自転車に近づいてきた人が、サッと鞄をつかんで走って行っちゃったんだ! たいへん、これって泥棒だよね!
 おいらがソワソワしていると、持ち主の男性がコンビニから出てきました。そしてすぐに鞄がないことに気づいてキョロキョロすると「ド、ドロボー!」と大声を上げました。携帯電話を取り出して110番通報するうち、まわりに人が集まってきました。

 すぐに、近くの交番のおまわりさんがやってきて、男性から事情を聞き始めました。
「鞄の中には何が入っていましたか?」
「え、あ、仕事の資料です。子どもたちの通信簿と、連絡先や家族状況が入ったパソコンのメモリーが・・。短い時間だし、今まで大丈夫だったからつい・・うわー!」
 男性は学校の先生みたいです。取り乱し方から見ると、鞄に入っていた物はものすごく重要な物だったようです。それはそうだよね、あんなに立派な鞄だもの、犬のおいらにだって、すごい物が入っていそうだとわかったよ。何かを盗もうと思ってキョロキョロしている人なら、なおさら目についたに違いありません。

 野次馬で集まってきた人たちの中に、スーパーから出てきたおばさんの姿もありました。おばさんは、さっき持っていた二つの鞄のほかに買った食料品もぶら下げて、とても重そうです。だけど口だけは軽々と回り始めました。
「黒いビジネス鞄を自転車に置きっぱなしにしてたって? 大きな声で言っちゃ悪いけど自業自得じゃないかしら。私なんか、厨房仕事で汚れたユニフォームだってそうそう置きっぱなしになんかしないわよ。だって、会社も経費節減ってうるさいでしょ、ユニフォームなくしたからって簡単に新しいのなんかくれないわよ。なくしたらイヤミをネチネチ言われて、辞めさせられかねないもの。」
 おばさんが自転車に置きっぱなしにしないで持ち歩いている荷物は、仕事で使ったユニフォームらしいね。そんな、誰も盗みそうもない汚れた服でも前かごに置きっぱなしにしないのが、責任感というものなのだね。えらいなあ。

 おばさんは、誰へともなく話し続けます。
「あの人、校長先生なのね? 校長先生が持つような立派な鞄なら、短い時間だって置きっぱなしになっていれば、泥棒から見たらまさしく棚からぼた餅ってとこじゃない? 私だってそんなに油断してる人の鞄なら、持って行きたくなるわよ!」
 周りの人は苦笑しています。真面目な顔で調べているおまわりさんも、口のはじで笑っています。被害者である校長先生は、怒っているのか恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしています。自転車の前かごで責任感のなさを計られて、何も言えないようです。

 おいらは泥棒を見ちゃったのがばれたらおまわりさんに連れて行かれるかもしれないので、そうっと川ぺりの方へ戻りました。
 おいらは荷物どころか、家も名前も飼い主も持っていないから気楽でいいや。
わんわん。またね。

(2008.3月掲載)