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 第57話 「通勤風景の研究」

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんな人たちと出会います。犬にとっては、見慣れていることもあるけれど。
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 おいらは朝、駅で人が行き交うのを見るのがけっこう好きなんだ。朝の駅を通る人たちは忙しそうです。毎日同じ時間、同じ電車に乗るためにセカセカと歩いて行きます。乗り換えのために、陸上選手みたく走って行く人もいるし、売店でパンを買ってかじりながら歩く人もいます。みんな、脇見もせずに歩いて行くから、おいらのことなんて見えてないみたい。

 「・・どうして大人たちは毎朝毎朝、ああやって同じ電車に乗って、同じ会社に通い続けられるんだろう。世間の人が当たり前だと思ってるこの風景が、僕にはやっぱり怖い・・です」
 そんな声がかすかに聞こえてきました。振り向くと、駅前の花壇のふちに腰掛けている人が二人います。おいらこの人たちを知ってるよ。川ぺり近くにある、小さな学校のような不思議な「集まり場所」の先生と生徒です。「先生と生徒」と言っては変かもしれないね、だって、あそこに来る大人は何も教えていないし、通ってくる子どもたちはバラバラに好きなことをして過ごしているもの。「通勤風景が怖い」と話しているのは、高校生くらいのお兄さんです。

 「あの流れを構成する人たちは、僕と種類が違うのだと思う。全員同じ色に見える。僕があの中に入ったら、きっとジロジロ見られると思う。僕はあの人たちと色が違うから・・。あの人たちの色が、どうしても怖くて・・」
 すると、女性の「先生」がニッコリ笑って言いました。
「また君はそういうことを言うんだからなあ・・。でも正直に言うとねえ、私も改めて感心することがあるのよ。『みんなホント偉いなあ。ちゃんと朝起きて、同じ時間に家を出て、毎日毎日ここを歩いてお勤めにいくわけだ!』なあんてね。そんなこと考えてる私自身も、外から見れば偉い大人の一員のくせにね」
 お兄さんは、「へえ?」という顔で先生をチラリと見ました。先生は、自分も毎朝同じ電車に乗って通勤する生活を続けているのに、そんな自分やほかの人たちを改めて観察しておもしろがっているみたい。

 「君は『朝の通勤風景が怖い』とか言うのに、しょっちゅうここに来るよね。なんでだろう? 何か、興味を引かれるものがあるんじゃないかなあ。試しに研究してみるとおもしろいかもよ」
 「え、研究?」
 「そうそう。そこに無料の求人誌が置いてあるでしょ? あれを研究するのよ。毎週毎週読んでごらん。おもしろいよお。例えばね、いっつも人を募集している会社があるわけ。どうしてか? 私が思うに、すぐに辞めちゃう人が多い会社なんじゃないか。ということは、君が『いつも同じ色に見える』と言う朝の通勤風景も、実は人がけっこう入れ替わっているんじゃないか。あの大人たちの中にも、君と同じであの流れに違和感を持つ人がいるのではないか? という結論が導き出されるのであります。どう?」

 推理する探偵みたく顎に指を当てながら、おどけた口調で話す先生の様子に、お兄さんは口の端で「ぷふっ」と笑いました。言われてみればそうだなあ。近所のスーパーでレジを打つおばさんたちも、「人間関係がどうの」と呟いては辞めていく人がたまにいるよ。人間の大人というのも、案外堪え性がないみたいです。

  お兄さんは立ち上がりました。少し恥ずかしそうに微笑み、無料求人誌を珍しそうに手に取ると、先生と一緒にいつもの「集まり場所」へ「登校」して行きました。
 お兄さん、「研究」が進んだら、通勤風景だけじゃなくていろいろなことが違って見えてくるかもしれないね。そうして、お兄さんが怖がるような同じ色の「当たり前」なんて、実はどこにもないということにも気がつくかな?
 わんわん、いってらっしゃい。またね。

(2008.2月掲載)