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 第56話 「ありのままの自分を大切に」

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんなお話が聞こえてきます。犬にとっては、ふやけそうなこともあるけれど。
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 昨日、川ぺり町の市民ホールで講演会がありました。『ありのままの自分はトランポリンだ!』ていうのです。おいら、トランポリンて知ってるよ。その上に乗ると、体がポイーンとはずむのです。どんなお話なのかな? こっそり入ってみました。

「皆さんは『ありのままの自分を大切に生きたい』とお考えでしょう?」
 会場に集まった人々は、深くうなずいています。
「膨大な情報に囲まれている現代、ありのままの自分に気づくことはとても大切です。『自分は本当はこういう人間なのだ、こうしたいのだ』と振り返り、リラックスするのは必要だと思います。
 でも、ここからが肝心。ありのままの自分に気づく、という作業を拡大解釈してはいけませんよ。ありのままイコール『ずうーっとそのままでいいんだよ』という意味だと思っている方、多いのでは? 優しい言葉、穏やかな笑顔でそういうことを勧める有名カウンセラーが多いですからね・・。
 ありのままの自分というのは、たとえて言うならトランポリンです。自分がよりよい方向に飛躍していくために勢いをつけるトランポリンなのです。ありのまま自体を目的に生きてはいけません。ありのままの自分というトランポリンにとどまっているのは健やかではありません。長い人生、トランポリンの力で常に新しい方向を目指して飛んで欲しい。それが結局、自分を大切にすることと言えるのです。」
 人間は「ありのままの自分」を持つのが好きらしいよ。だけど、そればっかり大切にしてはいけないそうです。

 お話が終わると、会場の出口では本が売られていました。タイトルは講演と同じ『ありのままの自分はトランポリンだ!』です。だけど、あまり売れていないみたい。
 帰って行く人たちのお話が聞こえてきました。
「ありのまま、ってタイトルにつられて来たけれど、なんだかこの先生はきついこと言うわね。○○先生とはずいぶん違うみたい。」
「そうよねー。ああいうことを言える人は、強い人だよね。私たちにはついてゆけないわ。」

 ・・今日、おいらはとなり町まで足を伸ばしてみました。そうしたら、ここの公民館でも講演会があるみたい。『ありのままの自分でいいよ ゆったりと生きる』というのです。ここも「ありのまま」なのだね。ちょっと覗いてみました。

「ありのままの自分を大切にしたい。皆さん、そう願っていますね?」
 会場に集まった人々は、深くうなずいています。
「現代社会はとにかく忙しいです。でも、外界の刺激から抜け出して、ありのままの自分を大切にしませんか?
 ありのままの自分を大切にするということは、たとえて言うなら、温泉にゆったりと身を沈めることに似ています。ゆっくり、いくら時間がかかっても構わない。リラックスして、頑張っている自分を褒めてあげてください。
 その方法がつかめない方はいつでも私に相談して下さいね。私の著書にも、ありのままの自分に辿りつくヒントが書いてあります。いつでもあなたのそばにいますよ。」
 昨日の講演とは雰囲気がずいぶん違うようです。涙を流している人もいます。拍手がやみません。どうやらこの人が、昨日のお客さんが話していた○○先生らしいんだ。

 この会場でも本が売られています。『ありのままの自分でいいよ ゆったりと生きる』というタイトルです。トランポリン説と違って、こちらは飛ぶように売れています。売り場の後ろの段ボール箱から次々と本が取り出されて、どんどんお札に変わってゆきます。本だけではないよ、いい香りのするハンカチとかお守りとか、そんなものも売れています。

 トランポリン説の先生が言っていた、「ありのままの自分」そのものを目的に生きている人たちって、この人たちのことなのだね。本の売れ行きからすると、こっちの説がみんなには都合がいいようだなぁ。それはそうだよね、「温泉にゆっくり入っていていいよ」なんて言われたら、その方が楽に決まっているもの。
 まあ、「ありのまま温泉」に入りっぱなしでふやけてしまわないことを祈っているよ。
わんわん。またね。

(2007.12月掲載)