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 第40話 「選挙権があればね」

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんな人たちと出会います。犬にとっては、不思議な人もいるけれど。
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 桜の花が咲き始めました。この春はお花見とは違う声が町のあちこちから聞こえてきます。どうやら選挙があるみたい。「よろしくおねがいしまーす」の人が、忙しそうです。

 今日、駅前広場に来て演説を始めた候補者の前には、とりわけたくさんの人が集まってきました。「どうぞ、これを読んで私の政策をじっくり検討して下さい。県民の皆様の生活を充実させるため、私は政策重視で真面目に取り組んでゆきます!」と言って、なにかを配っています。「おお、これがマニフェストってやつかあ。」なんて呟きながら、みんな受け取って読んでいます。ただの紙切れにしか見えないけれど、「マニフェスト」ていう難しい名前がついてるのだね。

 そんな中、あるおじさんが「マニフェスト」を無視してすうっと通り過ぎました。でも、少し行ったところで立ち止まり、スタスタと戻ってきてそれを受け取りました。変だね、欲しいなら始めから素直に受け取ればいいのに。

 おじさんは、マニフェストを読むような読まないような、落ち着かない様子です。候補者の顔をチラチラと見たり、演説を聞いている他の人を見回したり。
「・・・そして、わたくしのマニフェストを検討した結果、『こいつに県政を4年間任せてみよう』とお考えになりましたら、ぜひ投票所に足を運んで、信任の一票を投じて下さい!」
 パチパチと手を叩く人、握手をしようとする人、「応援してるよ!」と声をかける人。そのざわめきが収まりかけたいっとき、さっきのおじさんがひとりごとのように言いました。
「おう、選挙権があればな!」

 何とも絶妙なタイミングでおじさんが言ったひとことは、候補者の耳に入ったようです。ほかの人たちには、聞こえても意味がわからない様子なのに、候補者はすごく怖い顔でウッと詰まってしまいました。
 おじさんは怒っているような悲しんでいるような、それでいて口のはじで笑っているような不思議な顔をして続けました。
「今回の候補者も、3人とも、誰も言わないんだなあ、俺たちの参政権のことは。つまんないね。残念、ザンネン!」

 そこへ、人を探している様子のおばさんがやってきました。おじさんを見つけて、候補者がごまかすように笑顔を作って話を再開する様子を見て、おじさんがやらかしたことがすぐにわかったみたい。「まったく、この人は選挙というといつもこうなんだから!」と言いながら、おじさんの手を引っ張って行ってしまいました。

 近所の人なのに、おじさんは投票できないらしいのです。だから最初、マニフェストを素直に受け取らなかったのだね。選挙って、この国に住んでいる大人は全員投票できるのかと思っていたけれど、そうじゃないのかなあ? おいらにはよくわかりません。
 でも、候補者の人はあんなに困った顔をしていたところを見ると、わかっているようだし、なんとかしなくちゃいけないとは思っているのかもね。
 わんわん。またね。

(2007.4月掲載)