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 第26話 「それは登山競走というものです」

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんな人たちと出会います。犬にとっては、ヘトヘトになることもあるけれど。
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  おいら、富士山に登ったよ! 昨日の夕方、いつも川ぺりでジョギングしているお兄さんが車で通りかかって「お前も富士山まで行くか!車中泊の強行軍だけど。」と声をかけてきたのです。お兄さんがニッコニコ楽しそうだから、おいら行くことにしました。山登りは初めてです。

  まだ真夜中、着いた所には、たくさん車が停まっていました。夜が明けると、今まで見たうちで一番大きな富士山が見えてびっくり! 本当にあそこに登れるのかなあ?と思っていると、人が徐々に増えてきました。軽く運動をしたり、何か食べたり。おいらのお兄さんは、友達を見つけてお話ししています。いつのまにかシャツに番号をつけています。みんな楽しそうだけれど、なんとなく緊張している様子の人もいます。
もしかして、この人たちと一緒に登るの?

 おいらがぼんやりしていると、お兄さんの友達の女性がおいらを捕まえて、おいらの背中に何かを当てました。ビィィーンという音がして、背中が少し涼しくなったよ。周りで見ている人たちが大笑いしています。「ほら、わんちゃんもゼッケンがついたからエントリー完了! あたしトリマーだから、バリカンはいつも積んでるのよねー。レース前の気晴らしになったし。アッハハ!」
ゼッケンというのは、シャツにつけた番号のことだよね? ていうことは、おいらにも番号がついたってこと? それに、「レース」て何かな?山に登ることを「レース」と言うのかな?

 お兄さんたちについて行くと、おいらなんか踏んづけられそうなくらいの人混みです。「エイエイオー!」とみんなが叫んで、全体が進み始めました。人混みがばらけてくると、みんな走り始めました。えー! 山登りって、走るものなの? これじゃあまるで、川ぺりで冬にやってるマラソン大会みたいです。とにかく、おいらはお兄さんたちに遅れないように、一緒に走ってみました。町を抜けて、少しずつ上り坂になると、森の中に入りました。

 「レース」は男の人が多くて、服装はシャツに短パン、帽子。荷物はみんな、ほとんど持っていません。富士山て、こんな簡単な格好で行くのだね。
  やがて木が少なくなり、ゴツゴツした石ばかりの急坂になりました。お兄さんたちがどこにいるかわからないけれど、てっぺんまで行けば会えるだろうと思って、おいらは途中でもらったバナナを食べながら駆け上りました。歩いている人をどんどん抜かしてね。見物してる人が「がんばれー!」とか「あのわんちゃんも選手?」とか言っています。

  えい、えい、えい、と登りにのぼって、10人くらいの人たちの後について赤い幕の下をくぐったら、周りの人たちがパチパチと拍手をしてくれました。どうやらてっぺんに着いたみたい。さすがにおいらもくたびれました。さて、ゆっくり一休み・・と思ったら、びっくり! さっき一緒に登ってきた人たちが、元の道をものすごい勢いで駆け下って行ってしまったのです。さすがにおいらはもう、ついて行けません。

  「おーい! お前、もうゴールしてたのか!」・・あ!お兄さんが来ました。腕時計をいじりながら「ふう・・、なんとか制限時間で完走できた!やったー!」と顔をクシャクシャにして喜んでいます。おいらもそれを見たらうれしくて、ついつい遠吠えしてしまったよ。やがてお兄さんもあまり休まずに下り始めたので、山登りというのはこういうものらしいとおいらは思い、一緒に駆け下りました。足の裏がカッカと熱くなりました。 

 車の所に戻ると、お兄さんと友達が口々にしゃべって笑いながら、ご飯を食べ始めました。おいらもおなかがペコペコだから、もちろん遠慮せずにたくさんもらいました。ご飯もお水も、普段よりうんとおいしく感じたよ。体中痛いけれどね。そばを通る人が「あ!山頂コースを完走した犬だ!」と言って写真を撮ってゆきます。ちょっと恥ずかしかったよ。

 おいらが今回知ったのは、富士山は走って4時間半以内に登らなくちゃいけないってこと。それから、富士山に登ると、富士山は見えないってこと!・・登るのと見るのと、どっちがいいかって? おいらは一度登ればじゅうぶん。これからは見るだけでいいよ。わんわん、ヘロヘロ。またね。

(2006.8月掲載)