第16話「音もなく車が来た」
こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんな人たちと出会います。犬にとっては、びっくりすることもあるけれど。
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あ、あぶない!おいら、静かな住宅街の路地を歩いていてびっくりしたよ。向こうから車が来たのに、その目の前を横断しようとした人がいたんだよ。
近づいてみたら、白い杖をついています。おいら知ってるよ、この杖をついているのは目がよく見えない人なんだって。だから車が来たのがわからなかったのだね。おいらはちょっと心配しながら、その女の人の横を通り過ぎようとしました。そしたら
「あら、犬かな?」ていうからびっくり! どうしておいらが通ったのがわかったのかな? その人はそうっと手を出してきたから、おいらはその手をペロリとなめました。そしたらにっこりしてくれたよ。
「お前さん、どうして目の見えない私が「犬がきた」ってわかったのか不思議なんでしょ? 音とにおいよ。アスファルトを蹴るかすかな爪の音が近づいてきたのがわかったよ。それにお前さん、お風呂ぎらいでしょ? 風に乗って、犬のにおいもしたわよ。」
目が見えなくても音やにおいでいろいろわかるなんて、犬とちょっと似ているね。だけど、さっき車にぶつかりそうになっていたのはどうしてかな?
「あの静かな車は未だに慣れないんだよなあ。こういう狭い道だとスピードを落とすから、余計にわからないんだよね。騒音が減るのはいいことかもしれないれど、気配がないくらい静か、というのはこわいよ。こういう場所ではいっそ、小さい音でも流してくれるといいんだけれど。」
そんなお話の最中に、すごい大きな音の音楽が近づいてきたので、女の人はすぐ端に寄りました。音楽で車が近づいてくるのがわかるのはいいけれど、これはちょっとうるさいなあ。
交差点の赤信号でその車が止まったら、女の人は車のそばによって運転手に話しかけました。運転していたのは、ちょっぴりおっかない顔のお兄ちゃんです。
「ねえあなた、私は目が悪いから、車が来たのがすぐわかって助かるけれどさ、ちょっとうるさいんじゃないかな。」
お兄ちゃんはハッとしてすぐに音を小さくしました。そして
「すみません。実は僕のおばあちゃん、耳が遠いんですけど、最近多くなった「環境に優しい静かな車」にぶつけられて足を骨折してしまったんです。だから僕は、少しでも歩いている人にわかるようにしたいと思って音楽をかけるんだけど、ついつい心配性で、『歩いている人が車に気づかなかったらどうしよう』って思って、音量を上げてしまうんです。」
と言いました。それから何気なくおいらの方を見たと思ったら、
「わっ! 後ろに犬がいますよ、大丈夫ですか?」
「ああ、この犬は大丈夫、わかってます。犬好きだからわかるわ。」
「はあ、それならいいんですけど、僕、犬ってすぐ吠えるものだと思ってるもんで、いるのに気づかなかった。」
えー? おいらはめったに吠えないよ。吠えないおいらも「静かすぎる車」みたいに人を驚かせてしまうのかなあ?
わんわん。おんおん。またね。
(2006.3月掲載) |