「沖縄・球美(くみ)の里」への支援ありがとうございました(2012年8月)
おやおや店主 村井毅
 1ヶ月余りの間お願いしてきました「球美の里募金」はとりあえず7月末をもって終了しました。10人の方から合計32,300円が寄せられ、これに「おやおや」から20,000円を足して送金しました。ご協力本当にありがとうございました。当初、個人的に支援しようとも思いましたが、この活動を皆さんにも知って欲しくて、この伝言板に載せる事にしました。お客さんの中にはもう既に御存じで、直接募金を済ませた方もいらっしゃいました。
 「球美の里」は7月5日に無事オープンしました。その後の様子を「デイズジャパン」のホームページから転載します。
■沖縄の久米島に福島の子どもの保養センター「沖縄・球美(くみ)の里」が7月5日にオープンした。繰り返し述べてきたが、通年にわたって子どもたちを受け入れる施設としては、日本で最初のものとなる。島の空港にタラップから子どもたちが下りてくるのを見て、胸が熱くなった。そして子どもたちを迎える久米島の人々が中学生からお年寄りまで約50人、歓迎の横断幕を掲げて出迎えた。これは私も聞かされていなかったことで、驚いた。
 今回迎えた第一次グループは2週間滞在する未就学児30人と母親20人。第2次は7月26日から2週間、3次は8月20日からというふうに、次々と子どもたちが来ては、交代で保養する。チェルノブイリ被災地の子どもたちを受け入れてきた保養センター「希望21」で見てきた光景が、この島で繰り広げられる。
 しかし工事はまだ残っているし、一番問題なのは人材難で、そのため私は今ここで宿直要員となっている。そして毎晩次々起こる夜泣きに起こされた。母親たちに周りの人に気配りをしなくていいような防音の部屋を用意できないのは申し訳ないが、毎朝日が昇ると私はぼろぼろになっている。
 2日目の朝、子どもたちと母親は(株)アウレオから提供されたマリンブルーのミニバス(宮崎駿さんが作ってくださったシンボルマーク付)に乗って、人気のない静かな浜辺へ向かった。私は頭がぼおっとしたまま、東京のDAYS編集部からの、原稿校正のメールや電話にうつろな返答をしている。保養センター運営は、相当な覚悟が必要な仕事である。しかし本当に幸運なことに、「沖縄・球美の里」では、久米島の女性たち3人が、調理などの協力をしてくれている。7月8日には設立記念の催しに石井竜也さんが駆けつけてくださった。久米島の子どもたちの三線の演奏や踊り、中高生の吹奏楽も加わり、数百席の会場は満員になった。 (7月24日 広河隆一) 
■「球美の里」という素晴らしい施設を建設していただき、心より感謝いたします。7月5日に、バスと飛行機を乗り継ぎやってきました。久米島の町長さんをはじめ、島民のみなさんの暖かな歓迎を受け、本当に来てよかったと、心より思いました。福島の事故はまだ収束していません。震災後、私たちの生活は一変してしまいました。子どもと喜びを感じながら過ごしていた日々が、風に怯え、木の葉を避け、雨や砂を避ける生活に変わってしまいました。今しかできないことをさせてあげられない親としての苛立ち、そういう思いを抱え、久米島へやってきました。こちらに来て余震に怯えることもなく、揺れるのは子どもたちが元気に飛び跳ねる時だけで、外に思いっきり洗濯物を干せる、葉っぱを触っても注意せずに見ていられる。海で遊び、外で子どもたちが駆け回る。そんな普通の生活が送れる喜びをこの久米島で感じられる。それが福島にいる母親の心の支えです。本当にありがとうございました。  (保養に参加したお母さんの声)

被災児童支援募金のお願い
おやおや店主 村井毅
 月刊「デイズジャパン」という写真雑誌を発行している、報道写真家広河隆一さんたちの献身的な働きで、沖縄・久米島に福島の子供たちの保養施設を作っています。この7月にも第一陣が向かう予定です。これを維持、発展させてしていくには、たくさんの資金が必要です。「おやおや」でも少しでも力になればと募金をお願いする次第です。1ヶ月ほどを目途にまとめて送金したいと思っています。
― 以下、広河さんの呼び掛けからの抜粋です ―
 2011年3月11日、東日本大震災に続く、福島第一原発の大事故による最大の被害者は子どもたちです。最も大切な成長期を放射能とともに過ごすことになる影響は、計り知れません。子どもたちのこれ以上の体内被曝の進行を遅らせるために、対策が早急に求められます。私が1991年に設立した「チェルノブイリ子ども基金」は、これまでに2つの中心的な活動をしてきました。その一つは小児甲状腺がんの子どもたちの救援であり、もう一つは避難民の子ども及び高濃度汚染地に住む子どもたちの保養です。後者のために私たちは、ベラルーシとウクライナでの保養施設の建設と運営支援を続けてきました。ベラルーシに建設したのは「希望(ナデジダ)21」という保養施設で、常時200人を宿泊させることができ、ここには汚染地に住む子どもたちが学校のクラスごとに1か月弱交替で滞在しています。
 被曝の後、抵抗力を失い、その結果病気を発症してしまうことを防ぐ最もいい方法の一つが保養であることを、私たちは長年の経験から学んでいます。私たちは、沖縄で福島の子どもたちの保養センターの建設を目指していましたが、このほど多くの候補地の中から久米島に場所が決定しました。建物と土地を手に入れましたが、改修と設備導入を行い、宿泊施設、食堂、厨房、風呂、ラウンジ、健康管理施設、食品放射能測定施設、学習・ワークショップ施設などを建設しなければなりません。小学生や中学生がクラス単位で訪れることができるようになったら、島の学校の校舎を使わせていただき、体育や音楽や図工は島の子どもたちと共に学習できるように久米島町にお願いするつもりです。
 この久米島の保養施設は、事故で被災した子どもたちにとって日本で初めての本格的な施設になるでしょう。この施設を守り育て、一人でも多くの子どもたちに、「健康」をプレゼントすることができるようになれば、他の土地でも、第2第3の施設が誕生していくと信じています。
 あらゆることに先んじて、今は子どもを助けることが必要です。たとえ1か月弱でも美しい空気と光に包まれて、安全な食べ物を食べ、思い切り毎日を楽しんで、ストレスから解放され、免疫力を高める生活が、子どもたちに一番必要とされることなのです。
(2012年3月26日 DAYS JAPAN編集長、DAYS被災児童支援募金代表 広河隆一)
「沖縄・(くみ)の里」の進捗状況について
 7月5日に第一陣の子どもたち受け入れるために、職員の募集や関係者の事務手続き、沖縄・球美の里の建物の改修計画を進めてきました。それと同時に賛同していただく方も増え、久米島町、久米島町議会、久米島観光協会、久米島商工会、FM久米島(株)、久米島町教育委員会、久米島PTA連合会にも賛同に名前を連ねていただけることになりました。
 事務局は、沖縄の久米島事務局、福島のいわき放射能市民測定室たらちね気付いわき事務局、そしてDAYS被災児童支援募金気付事務局の3か所に置かれます。
 沖縄・球美の里には、すでにたくさんの方の募金や、様々な形での協力をいただいております。5月16日に久米島で「沖縄・球美の里」の設立総会を開催し、関係者が沖縄、福島、東京から集まりました。
 皆様からいただいた募金で、5月1日から建物の改修工事もスタートすることができました。工事を始めてみると、屋根に関しては、修理ではなく葺き替えが必要になる場所も見つかりました。工事は、子どもたちの生活する部屋や、厨房へと進んでいきます。
 改修工事とあわせて必要になってくるのが、子どもたちのベッドや、厨房機器です。なんとか費用をかけないために、提供してくださる方や、中古のものを探しています。2段ベッドとマットレス70人分を提供してくださる方が見つかり、関係者の間で歓声が上がりました。カーテンの提供者も見つかりました。しかし今は島へ安価に運送する方法を探しているところです。シーツや厨房器具、まだまだ課題は山積みです。
 そして、肝心の子どもの保養を希望される方の募集です。募集はいわき事務局で行っています。5月10日頃案内直後に、第一陣の50名の枠のうち30名が埋まってしまい、他の地区も考慮していわき市の募集を一旦締め切りました。二本松市や伊達市、福島市の汚染の強い地域からも応募が相次ぎ、市の機関からも初めて問い合わせがありました。その後数日の間に、第一陣の50名の枠は埋まってしまいました。
 第一陣の子どもたちは7月5日〜7月20日までの期間、沖縄・球美の里で保養をして、福島に帰ってくる予定です。今回は、付添の保護者と、未就学児童合わせて50人が保養します。8月は学校が夏季休暇にはいる小中学生が保養をする予定ですが、この時期は応募者が多く選考が難しくなりそうです。福島原発事故で被曝した子や今も汚染のある地で生活をしている子どもを中心に、保護者のアンケートや面談、健康診断を行い、保養する子どもを決定します。皆様のご支援があって、沖縄・球美の里プロジェクトをここまで進めてくることができましたことを、心より感謝申し上げます。
 今後とも、沖縄・球美の里へのご支援をお願い申し上げます。  
(2012年5月18日版)

ホーム