あこがれの信州暮らし 2003年  

 いなずみ なおこ
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   あこがれの信州暮らし その11(2003年11・12月)

     食欲を優先するか、慈愛を優先するか        

 干した地大根(40kg)を沢庵漬けにして、青首大根(70本)と人参(数えきれず)を土の中に埋めて、野沢菜(50kg)を冷たい沢の水で洗って漬けて、白菜51個を収穫して大家さんの納屋に入れさせてもらって、太ネギを引っこ抜いて干して・・・、いやぁ11月は冬支度に大忙し。でもこれでもう、いつ雪が積もっても大丈夫。さて、今年は上級者向け(?)干し柿づくりにも挑戦。今まではただ剥いて干して甘くなったら食べるだけだったのだけれど、毎年近所の方から頂く干し柿が最高級和菓子みたいにおいしいので、今年はその干し柿名人に弟子入りしました。ただ干すだけじゃあないんですね、これが。5〜7日おきに4〜5回やさしくひとつひとつ手で揉むなんて!!今年は雨が多かったので青カビが出たところも多いそうですが、うちの干し柿は無事。昨日箱の中に並べました。これで、うまく白い粉がふけば出来上がり。おいしいものにはズク(手間をいとわない熱意と根気のこと、信州弁)がいるよねぇ。

 うちで飼っているニワトリも4年目に突入し、最近はとんと卵を産まなくなりました。つい半年ほど前まで私と敵対関係にあったオンドリも、めっきり足腰が弱ってきた様子。小屋の戸を開け放したら、メンドリの中にはテテテテッと飛び出してくる元気なのがいますが、オンドリはその後をヨタヨタと出てきます。私がメスたちに白菜の外葉などをやっても、彼はどこか遠くの方を見て気づかないフリをしていたりして・・。そう、最近はオンドリの方が私とは視線を合わさなくなってきています。ここにきて、ついに私の勝利。でも、敵がこんなにおとなしくなるのも調子が狂う。この秋、メンドリの中にエサをあまり食べなくなり座り込んでうつらうつらするようになってきたのがいて、こっちはハラハラして見てるのに仲間のメンドリたちは知らん顔。あんたたちの仲間意識って所詮その程度なわけ?!先日ついに動かなくなって冷たくなったメンドリを柿の木の根元に埋めました。産卵が期待薄になったら肉として利用するのが家畜としてはまっとうな扱いなのでしょうが、これだけ家族全員と関わりをもったニワトリを「食べる」のはけっこう難しい。4年近く前に独力で鶏小屋を作って専従で世話をした高3生はもちろん、夏休みに何日もべたーっとニワトリについて回って全ての行動記録をとり、ニワトリの社会性について自由研究をした中3生もカシワにするのを認めません。彼は個体識別をして観察していたので「産卵をサボってるのはどれ?」と私が聞いても、教えると私が「絞める」に違いないと思うのか決して口を割りませんでした。中3生によると、ニワトリにも個性があるそうで、順位の低いニワトリも強いやつが落としたえさをすかさず拾うなどの生き延びるための工夫があるそうな。オンドリはオンドリでメスを守ることを第一義としてるし、見つけたエサもまずメスに分け与えるところなんざ、ヤツもなかなかたいしたもんだわ。

 家畜としての行く末にきちんと責任を持って、クリスマスにローストチキンを食べるべきか、子どもたちの情緒に配慮すべきか、正直悩む師走です。


  あこがれの信州暮らし その10(2003年10月)

    頭の黒いネズミも害虫も、完全防除は難しい      

 なかなか思いどおりにコトは運びません。うちの17才は、試験の前に「どう?」と尋ねると「余裕」とほざき、試験当日には「楽勝」と豪語し、答案が返ってくるとすました顔で「予想外」と答えます。これが14才の中3生になると試験の前には「いい感じ」、試験直後には「まあまあってとこ」、答案が返ってくると「だいぶヤバイ」となりますから、どっちにしてもそう簡単には何事もいかないってことです。

 今年「山の小僧」がひとりで取り組んでいた畑の野菜ですが、ジャガイモはニジュウヤホシテントウムシの集中砲火を浴び、例年の3割程度の出来。それこそ毎年「楽勝」の太ネギは、今年はどういうわけかアブラムシが異常発生して、驚いたことに次第に縮んでいく始末(私もあーゆーの初めて見ました)。あわてて「自然農薬で防ぐ病気と害虫」(古賀綱行著 農文協)などの本を手に牛乳の原液を散布していましたが、遅きに失したという感じ。おやおやさんに出荷してこづかいにするという中3生のもくろみは、はかなく消えたのでした。

 毎年せっせと栗拾いに励むわが家の栗も、今年は極端に収量減。おまけに、そのほとんどが虫に喰われています。昨年あれだけ作った渋皮煮も(きれいな栗が少なくて)今年はようやく2kgほど作っただけです。昨年「少し切れ目を入れてから数分ゆがけば鬼皮が楽に手で剥ける」ことを教わり「ふっふっふっ、これから渋皮煮は『余裕』だぜ〜」とほくそ笑んでいたのに・・・。

 いやぁ、難しいものですね。モチロン来年に向けての改善事項はあります。たとえば太ネギはできるだけ風通しよく植えるとか、アブラムシが発生し始めたら早めに牛乳を散布するとかね。「山の小僧」もメゲズに「来年も太ネギやる」と言ってます。・・・でもね。私はこのところ、作物が無事に育ちますようにと祈った昔の人の気持ちがよくわかる。「子どもが頑張ってる」なんておかまいなしに低温の夏があったり、秋口の高温が続いたり、その挙げ句に害虫が大発生したりするんだもの。こうなったら「祈る」しかない。あ〜んなことにお金をかけるなんて!とずっと無視してきた「お宮参り」や「お節句」や「七五三」だって、もともとは乳幼児の生存率が低かった時代に切実な「祈り」として始まったハズ。現在のような「商売」に乗っかった形のものは抵抗あるけれど、「祈願」本来の意味には理解を寄せる気持ちになってきました。

 6月下旬に仕込んだ南高梅の梅干しがとってもおいしく漬かりました(塩分15%と20%とそれぞれ5kgずつ)。赤紫蘇20束分をせっせと揉んでアク出しをした中3生もご満悦です(漬けた赤紫蘇を天日乾燥させてから粉にした香り豊かなゆかりもできました)。ようやく晴天が続いた8月下旬、天日干しのために梅をざるに広げながら私が梅の個数を数えていたら、「梅干し小僧」(中3生)が「何してるん?」と尋ねます。「梅10kgで362個や。こうやって数えておくのを『抑止力』と言う」と答えると、梅干し小僧は「ケケケッ」と笑っておりました。

 彼が廊下の雑巾かけをした後は、ちょいちょい梅干しの匂いがぷ〜んとしています!!


   あこがれの信州暮らし その9(2003年9月)

一人ひとりの顔が見えてくる学校行事

やれやれ、運動会が終わりました。これで子育てに伴う大きな「おつとめ」がひとつ終了した気分。3年おきに3人の子どもがいるので、一度も途切れることなく連続12年間小学校の運動会におつきあいしました。初めの3年間は、以前住んでいたところで秋の運動会に加えて春の小運動会まであったので、合計15回の運動会見物をしたことになります。大きな声では言えませんが、小学校の運動会は最初の3〜4回で飽きてしまい、「残るは末の娘だけ」になったここ3年ほどは親ふたりでこっそり「あと○回」と指折り数えていたりして・・・。

それでも、いざ当日になるとそわそわしてしまうのはなぜなのでしょう。そして(私はよその子の顔を覚えるのが得意で、普段から何かとしゃべりかけてしまうので)わが子の学年以外にも顔見知りの子どもを次から次に見つけては「いいぞ、いいぞ、いけいけー!」なんて叫んでしまいます。うちの子どもたちからは「あれ、母さん。競争なんてどうでもいいのにっていっつも言ってるんじゃなかったっけ?」と茶化されるのですが、それとこれとは別。だいたい、あのスピーカーから流れてくる例の運動会マーチ(?)が聞こえてくると、血が騒ぎ出すんだもの。昔は陸上の県大会なんぞにも出ていたパートナーの方は、かけっこだろうとリレーだろうと静かな観戦。この違いはひとえにお祭り好きかどうかってことかしらん?

運動会で何がおもしろいって、いろんな子どもの表情にまさるものはありません。かけっこやリレーの直前のイッチョマエに緊張した顔や、走り終えたあとのいかにも誇らしげな顔。悔しさを押し殺して、何でもないなんて顔してる子もいます。たまに、砂をわしづかみにして投げ捨てる男の子なんていると「かわいいーっ!まだこんな子どもがいたのね」。

以前住んでいたところでは圧倒的に表現種目が多かったので、これを見せるためにこの子たちはどれだけ怒鳴られたのだろうとつい同情したものです。こちらに来たら、棒倒し・騎馬戦・大玉送り・綱引きなどの伝統種目が多く、なつかしかった。それでも、近年は危険その他の理由で棒倒しや騎馬戦は廃止される傾向にあるとか。確かに、今年の運動会で騎馬戦の女の大将になったうちの娘もひっかきキズでさんざんでした。運動会の教育上の目的が何なのかはよく知りませんが、「明日は運動会」とドキドキする気分だけはどの子にも思い出になるのかもね。

中学校の文化祭ももうすぐです。うちの中3生もその準備で連日遅いご帰還。音楽会あり、意見文発表あり、展示あり、劇あり、・・・。都会の多くの学校では、とっくに省略されたり簡略化されたりしている行事だけれど、こういった取り組みを通じて、得難い体験をしているのかも?文化祭の間ずっとスポットライトの担当をする子が自分の役割りを誇らしげに語る文章が「学年便り」に載っていました。見えてくるのがテストの成績だけではない、いろんな場面が学校の中にあるってことは、けっこう大切なことなのかのかもしれません。信州の大人たちがいろんな独自の企画を立ち上げ運営するバイタリティーは、そんな教育の成果なのかもね。


   あこがれの信州暮らし その8(2003年8月)

サルと11才の知恵比べ 

冷夏だの猛烈な残暑だのと大騒ぎしていたのに、あっという間に8月も終わり。トンボが群れをなして飛び、コオロギが鳴き・・、自然の歩みに背中を押されるようにして、急いで秋野菜の種を蒔きました。ここ数日雨が降り続いたので水やりの必要もなく芽が出てきて、ちょっと得した気分。畑の準備から種蒔きまで忙しかったけれど、やれやれこれで一安心。あとは、できるだけ虫がつかないことを祈るような気持ち。

3年前、大家さんに何もかも指南してもらいながら初めて畑仕事をした時にはどれも順調に育ちました。ところが、一昨年は8月26日に蒔いた白菜や大根が順調に芽が出て喜んだのもつかの間、大量のハムシが取り付いて、ボコボコにやられて全滅。大家さんにもらった苗を植え直したものです。私たちはほんの少しの蒔き時のズレで虫のつき方が大きく違うと学びました。 昨年は少し早めに8月17日に蒔きました。ところが今度は順調に育ちすぎて、野沢菜や地大根を漬け物にする時期には巨大化してしまいました。信州弁で言うところの「こわい」(堅くて筋っぽい)野沢菜漬けを噛みしめながら、農業もなかなか手強いもんやと実感したものです。だから今年こそ、なのですが自信はありません。何せ予測もつかないことがイロイロあるので・・・。

昨年の夏の終わり頃に、初めてトウモロコシがサルの被害にあいました。東の端の一番見晴らしのいい場所のトウモロコシ畑に夜の間に出現するようで、ちゃんと皮を剥いてきれいに食べてポイと捨ててありました。まるで、景色を眺めながら晩餐会でもしたみたいに、5〜6本まとめて捨ててある日もありました。今年は道にも家にも一番近いところにトウモロコシをつくりました。おそらく採りにくるのは明け方でしょうから、道から見えるところなら人の気配を感じるのでは?と考えたからです。ところがやはり、今年もサルが来てるようです。爆竹を投げておどかそうという案が出ましたが、問題は誰が朝早く起きるか・・です。日の出小僧に「受験勉強なんてどうでもいいから、早朝の見張り役にならへん?」と言ってみたのですが、鼻であしらわれました。カッコウは7月中旬に里に下りていき、私は朝の眠りを取り戻したばかりです。肝心の時に誰も役にたたないものです。そうこうしていたら、半分近く食べたあとポイと捨てられるものが目立つようになりました。「日の出が少しずつ遅くなってきたから、ちょうど食べてる最中に新聞配達の人のバイクの音が聞こえてきて、慌てて逃げていったんやな」とパートナーが確信に満ちた声で言うと、息子たちが「またまたぁ。父さんたら見てきたみたいによく言うわ」と茶化します。あーだこーだ言い合っている最中に、小6の娘がぽつりと一言。「ねぇ、なんでサルはトウモロコシを持って帰って、山でゆっくり食べへんの?」・・・確かに。

この娘、ついこの間も(テレビがないので)ラジオのニュースを聞いていてこう言いました。「ねぇ、民主党が自由党と合併したら、もうひとつ自民党ができるん?」「へ?」「だって、自民党の正式な名前って自由民主党なんやろ?」・・・・あんた、サルよりかしこいわ!!


  あこがれの信州暮らし その7(2003年7月)

ヒマワリはなぜ東を向くか                                    

 4月に種を蒔いたヒマワリがぐんぐん育ち、大輪を咲かせています。ヒマワリを庭に植えるなんて実をいうと小学生以来のこと。当時は見上げていたヒマワリが今では私と同じくらいの背の高さなのですが、それでも、いやぁほんとにデカイ花やなぁと改めて思います。

庭は家の東側と南側にあるのですが、わが家の自慢は美ヶ原と向かい合って眼下に安曇平が広がる東側の風景。・・・で、当たり前のように東側にヒマワリの種を蒔きました。真夏のギラギラ照りつける太陽の下、豊かな実りの季節を前に青々と広がる田。その清々しい青をバックにヒマワリが大輪の花を咲かせる。う〜ん、心が充ちてくる素晴らしい眺めではありませんか!

ところが今年はまだ梅雨は明けていないから太陽のお姿も遠慮がち。もちろんギラギラなんてまだまだで、気温の上昇も控えめ。私はまだ長袖のパジャマを着て、肌布団を朝までしっかと握りしめています。それでもけなげに開いたヒマワリの大輪が全部で15個。それがなんということでしょう!!全員があっち(東側)を向いて咲いています。そう、つまり私に背を向けて咲いてるってわけです。

そういえば、うちに瀧本敦著「ヒマワリはなぜ東を向くか」(中公新書1986)という本があります。家の軒下とか日陰ができる場所のヒマワリは東西南北とは無関係に明るい方に向かって花を開くけれど、何も障害物のないところではヒマワリは東に向かって咲くのはなぜか?ということを書いた本です。ヒマワリの花は太陽の動きを追って回るって思ってた方も多いと思います。でも、あれは花が開いていない若いヒマワリのこと。「つぼみの中に黄色い花弁がちらほらと見え出すころから、西方向への首振り角度は日に日に小さくなり、完全に開いた頃には、花は東を向いたまま首振り運動をやめてしまう」のだそうです。ただし、東を向くのは、茎の先端に一つだけ花をつけるタイプ。一本にたくさんの花をつけるヒマワリは四方八方を向くのだとか。(なぜヒマワリが東を向くかについては瀧本さんの本をどうぞ)

一日中障害物がなく太陽の光が当たるなんて、今の時代ではもう希少価値かもしれないわが家のヒマワリ。それが揃いも揃ってあっちを向いているというのは、西側から見る私としては、やっぱりちょっと淋しい。親に背を向けて歩き始めたわが家の思春期を見ているみたいで・・・。

きっぱりと東を向いて咲くヒマワリ自身は、きっと自分の力で大きくなって自分の未来は永遠だと信じているんでしょう。私だってあの頃はそうでした。自分の背後でじっと見守る人の存在なんて感じていませんでしたし、ふと感じる一瞬があってもそれを振り払うようにして自分の夢に突っ走っていたものです。遠く美ヶ原に向かって堂々と顔を向けているヒマワリ。山麓線からわが家に向かって坂を登ってくると、輝くヒマワリの顔が見えてきます。こちらが見る方向を変えれば見えるんですよね。

長崎の12才の子はどちらを向いて花を咲かそうとしていたのだろう?とふと思います。


あこがれの信州暮らし その6(2003年6月)
              ♪カッコウ♪との葛藤            
                             
 恐怖の6月が過ぎようとしています。ホッ!
 何が恐怖って、日の出が早いってことです。うちは、私の目の高さで太陽が出てくる感じのところに住んでます。ひょっとしたら安曇平で日の出が最も早い家のひとつかも?この朝の光が明るすぎるものですから、おちおち寝ていられないのが6月のさだめ・・・。
 うちには昔から「日の出小僧」がおりまして、日の出と共にごそごそ動きだし家族に疎んじがられておりました。当然日の出が早くなる夏至の頃がピーク。この小僧、赤ん坊の頃からそうでして、もう一度寝かそうとあれやこれや工夫してもどうしてもダメ。こっそり寝床を抜け出すようになった4才位からは、朝の5時前からセミ捕りに熱中しておりました。当時住んでいた四国の朝早く、突然耳元でシャーシャーシャーシャー大音量が鳴り響き、何事かと飛び起きれば、この小僧が捕獲して持ち帰った5cmもあろうかと思われるクマゼミが彼の指につままれて、寝ぼけ眼の私の顔の前でバタバタやっていたりしたものです。この「日の出小僧」は中学生になっても早起きで、信州に越してきてニワトリを飼うようになってからは登校前にひとしきりニワトリの世話と相手をしておりました。何せ時間がたっぷりありますから、何と「ニワトリがあくびする」(!!)ところまで観察する始末。そんなぁ!ニワトリがあくびする?っと私は驚いたのですが、今までそういう話を聞いたことがなかったのも、「ニワトリがあくびする」のまで見ていられるようなヒマな人はいなかったせいですよね、きっと。
 そんな「日の出小僧」が今年は高3生。イッチョマエに受験生とかで、さすがに4時や5時台には起きなくなりました。「受験生」になって歓迎すべきはこの点だけ・・と思っていたら、今年は思わぬ伏兵にやられています・・・・カッコウです。カッコウ!
 3年前、家の前の電線でカッコウが鳴くのを初めて見た時は、家族中みんな興奮しました。だって、カッコウですもの。カラスじゃぁありません。カーテンの陰から頭だけを出して、5人が押し合いへし合い見たものです。目の前でカッコウが鳴く!凄いことですよ、これは。
 そのカッコウが年を経るにつれて、私たちの生活圏にいるのは当たり前になり、珍しくなくなってきました。・・・そして今年の6月上旬。なんと!私の枕元で(正確に言うと、私の寝ている部屋の窓のすぐ外で)朝の4時40分から大きな声で鳴くのです。♪カッコウ、カッコウ♪って! 何も人の枕元で鳴くこたぁないでしょうに!
 この近くにモズの巣でもあって托卵する場所を探しているのでしょうか?私は枕をかきむしり、♪カッコウ♪を無視してもう一度寝ようとします。中3生が部活の朝練で6時半に家を出ますので、けなげな母は5時半に起きなければなりません。あと50分程、貴重な睡眠時間なんですからね! ああ、それなのに・・・♪カッコウ、カッコウ♪ ♪カッコウ、カッコウ♪・・・
 私は朦朧としながら「石投げたい」とつぶやき、自然派のパートナーにたしなめられています。

 


 その5(2003年5月)  

   共生するのって難しい

信州での信州での暮らしに慣れるにつれて、朝目覚めた時の光の強さでその日のだいたいの天気がわかるようになってきました。朝一番から快晴!っていう感じの日、朝は霧がかかっていてもあとから晴れてくる日、一日中どんより曇って肌寒い日、冷たい雨が降る日・・・。5月は特にその差が激しくて、半袖のTシャツを着たり長袖のカーディガンを引っ張りだしたりと忙しい。信州は季節の変わり目も、日々の移ろいも、メリハリがきいています。

そういう気候のせいか、生き物たちの突然の大量出現に驚かされることもしばしばです。今うちの庭では、背が高い方のドウダンツツジの淡いピンクの花に、何十匹ものハナバチが出たり入ったりお忙しくしておられます。いつのまにか増えたマーガレットの花という花ほとんどすべてにハナムグリが止まっていたり、ジシバリの花から花へと渡り歩くシジミチョウが乱舞しているような日はかなり好天の日です。4月中旬に種まきした小松菜やチンゲン菜に何やらちぃ〜さな穴が大量にあき、ルーペを手によ〜く目を凝らしてみれば、無数のトビムシが葉の表面にびっしり!そんじょそこらでは見たこともないようなその数にさすがの私も背中がぞ〜〜っとして、両手で葉の表面を手荒く払ったら、無数の!トビムシが無数に!周りに飛び散ったけれど、所詮また舞い戻るだけ。それでも野菜自身の力を信じて見守っていたら、野菜の生長につれて駆逐されたみたい。ホッ。 

そのままでは潮解していて(べたついていて)使いにくいからと、「天塩」(自然塩)を好天の日に庭で干せば、いつの間にか虫たちのオシッコであちらこちらが薄い橙色。どうも白いものがお日様に反射してキラキラ光るのが原因らしい。白いカッターシャツや白いシーツを日差しの強い日に外に干すと、ハチが必ず寄ってきます。そして決まって糞(しかも下痢・・・当たり前か)をするのはどういうわけでしょう?「塩といい、シーツといい、何とかならへんの?」とうちの昆虫学者に詰め寄ると、彼は涼しい顔して「糞なんて、気にしなくていいよ」。まぁねぇ、私だってそう思って橙色の塩も料理に使っておりますわよ。私の舌を信用する限り、味に差が出るわけじゃぁなさそうです。それでもねぇ・・あんまり大っぴらに人には言えません。「隠し味は虫のオシッコです」なんてねぇ。

キセキレイが車庫の奥の方に巣をつくった時も、初めはうれしかったものです。以前住んでいた街中ではそうはお目にかかれなかった鳥ですから。チチン、チチッと朝っぱらからうるさいのも我慢しましたとも。でも、車、しかもバックミラーの周辺に集中的に糞をするのはどういうわけ?とパートナーが観察しましたら、分かりました!キセキレイ君たら、バックミラーに映る自分の姿を敵と勘違いして盛んに攻撃してるみたい。その武器として糞をかける?!そのことに気づいてからは、ええい!面倒ですが、バックミラーを必ずたたむようにしています。ついうっかり忘れたら・・・・!!!  生き物との共生も大変なことですわ、マッタク。


 その4(2003年4月)
  売り切れになるくらい評判よかったらどうしよう?

あ〜ッ、大変大変。畑の作付けの時期ってアレもコレもやらなくちゃならないことが次々にあるんだもの。「来季は早め早めに計画的にやるぞ〜」って毎回思うのに、農閑期は瞬く間に過ぎてしまう。それにしても、畑の作付け計画を立てるのって頭使うよね。太ネギは2年、トマトは4年、キュウリは3〜4年、ゴボウは4〜5年という具合に連作できない期間があるし、(私たち素人がやるにしては広大すぎる程の畑を使わせてもらってるのに)それでも前年や前々年の作付け図を睨みながらウ〜ンどこに植えようかと迷ってしまう。あこがれの農的生活は相当頭がよくないとやれないみたい。・・・って、こんな風に書くと自分たちが農家の端くれみたいでちょっとうれしい。でも実際、大家さんから500坪以上の畑を好きに使わせてもらってるわけだから結構大変なのです。収入はないけど、ちょっとした兼業農家の気分。田畑をどうしてもやらなければならない跡取りの息子というわけではなく借家人なわけだから精神的には気楽なハズなのだけれど、大家さんの土地に対する愛着や、無駄に土地を遊ばせたくないという気持ちが痛いほどわかるのと、収穫して食べる時はうれしいからとアレもコレもとついつい欲が働くものだから、結局毎年無理して目一杯植えてしまうというわけ。

 この春はなかなか暖かくならないのをいいことにちょっとのんびりしていたものですから、いっぺんに忙しい週末になりました。いえ、私は重症の花粉症患者ですから、実際に働くのはパートナーと中3の息子と小6の娘。私は家の中からあれこれ指図をしているだけなのでちょっと肩身が狭い。高3の息子はというと「今年は受験生なんや」といばっています。「だ〜れも受験してくれなんて頼んでない!」と怒鳴ってもちっとも動じません。オンドリと同様、こちらの意のままにはならず腹の立つことよ!「せめて感謝の気持ちを持てよ」と迫りながら、気持ちを強要してもうまくいかないのはわかっているのに・・と悩み多き日々。

 今年は新しい試みをしています。2番目の息子もこの春から中3生。いつまでも親の手伝いを「させられている」のではおもしろくないだろうと、自分がやりたいものを責任もって植え、責任もって育てて収穫まで一人でやるということにしました。部活が中信大会まで勝ち進むと仮定して6月一杯まで忙しいとか、それが終わっても2学期末まで生徒会もあるし毎日収穫するのは大変や、とかいろいろ考えて彼が選んだのは太ネギとジャガイモ。太ネギは何度か土寄せをすればいいし、ジャガイモは芽かきをしておけばいいわけで、それぞれ一度に収穫できる。何度か手作業で除草しなくちゃならないけど「シャロムのおじちゃん(自然農法を実践している穂高の臼井さん)みたいに雑草とも共生しなくっちゃね!」と声高に言っていました。

 修学旅行から戻った後の計画休業の日。急に夏日になった強い日差しの中、太ネギの苗4kgとジャガイモの種芋4kg分を黙々と植えつけていました。おやおやさんの伝言板に「無農薬有機栽培の太ネギ。生産者『堀金村 山の小僧』」って出るのを期待できるかもね。


         

その3(2003年3月)
    議論を深めたい   
  花粉症さえなければ待望の春。机の前の窓をふと見上げると裏の杉林から一斉に花粉が「噴火」してまっすぐこちらに向かってきます。今晩、夢に見てうなされそう・・・。でも、フキノトウは採りきれないくらいそこここにあるし、山ウド、タラの芽、コゴミ・・・さまざまな幸が食卓を賑わしてくれるうれしい季節がもう、ほらすぐそこにきています。

こんな穏やかな心豊かな暮らしがある一方で、死に直面して恐怖で心身共に硬直しているであろうイラクの子どもたち。想像するだけで胸が張り裂けそうになります。そして、私に何ができるのだろうと自問します。

先日の朝日新聞の声の欄に掲載された「『反戦』支える議論深めたい」という高校生の意見(3月18日付)に目が吸い寄せられました。飯田市の小木曽裕太さん(17才)はこう言います。「一斉行動には賛成だが、行動だけでは足りない」「反戦にはその根底にある議論を絶やさないことが重要」「行動や呼びかけはあくまでその手段にすぎない」「一人ひとりの心の中にある思いをもっと成熟させていくべきではなかろうか」と。

何かを変えていくって難しい。どんなに理屈では負けちゃあいないと思えることでも、世の中そう簡単に変わりません。市民運動に没入していた頃は、それが悔しくて歯ぎしりし、おかげで今でも奥歯が痛いです。

あこがれ!の信州に住むようになって、ずっと関心を抱いていた「学校教育」の面では管理のきつい西日本よりはずっとマシに感じています。それでも、気になることは多々あります。たとえば、小学校の卒業式に多くの子が中学の制服を着ること。「一斉に衣替え」などという記事が何の躊躇もなく地元紙に掲載されること。「向山方式」の授業が流行りつつあること・・・。 

以前の私なら、すぐに声を挙げましたし、投書もしました。おかしいことはおかしいと言い続けることが社会を変えると信じていました。今でもそれはそうだと思います。しかし、それだけでは足りない。高校生の小木曽裕太さんが言うように、意見交換や議論をするからこそ、私たちは考えを深めることができます。違いを認識し、摺り合わせながら妥協点を探ることもできます。その議論は一人ひとりと向き合うことから始まるハズ。・・・今、その議論を一番望んでいるのは子どもたちではないでしょうか。「なぜ、戦争がいけないのか」「戦争でなければどんな方法があるのか」・・・それは彼らにとって「なぜテレビやゲームを制限されるのか」「なぜもらったお年玉の一部しかもらえないのか」と議論することと同じくらいに真剣に問いたいことかもしれません。

2年前、正月明けの子供会活動で三九郎のためのしめ縄集めをした時「なぜうちはしめ縄をしないか」ということを下の息子(当時小6)相手に延々と本気で語り続けた近所の方(60代)がいました。子ども相手でも真摯に議論する、そんな信州の大人に学ぶところ大です。


その2(2003年2月)

    オンドリとのつきあい方

 私の田舎暮らしのイメージの中には、ご主人様(私のことです)の後をコッココッコとついて歩くニワトリがいます。なんて牧歌的!な風景でしょう。2年半ほど前に実際に飼い始めた頃、てっきりそうなるものと思っていました。オンドリ(1羽)が「コッケコー」と時を刻むようになり、メンドリ(5羽)が卵を産むようになってきた頃(生後5ヶ月くらい)から、オンドリは私たちに攻撃的になってきました。餌やりの時、採卵の時、私たちが不用意にメスに近づこうものなら、彼は憤然と飛びかかってきます。それに、どうもメンドリたちが人間の周りに駆け寄っていくのが気に入らないらしい。彼は彼なりに地面を掻いてミミズなどを見つけてはククククッとメンドリに合図して呼び戻そうとするのですが、そこをまた餌を持った人間(私)が無造作に横切ってメンドリが私の後を追おうものなら「もーっ許さん!」って感じ。首の回りの毛をぐるりと逆立て、カッと目を見開き(見開いたように見える)、しっかと睨んで(あれは確かに睨む目つきです)ガッと飛びかかってくるのです。振り払っても振り払ってもダメ。走って逃げても飛んで追ってくるのです(うちのニワトリは助走してテェーッと飛びます)。庭に放し飼いにしている時に雨が降ってきて、鶏小屋に戻そうとアセって棒を使ってメンドリを追いたてようものなら、ものすごい勢いで突進してきます。断っておきますが、私は決してメンドリを棒で叩いたりしてませんからね。地面を棒で叩いて急がせただけです。
 落ち着いて考えれば、ニワトリは雨に濡れるからってたいして気にしちゃあいません。私の小さな親切は大きなお世話にすぎなかったのです。でもねぇ、無農薬で育てた白菜やキャベツの外葉、車で15分の新鮮市場から買ってきてさばいてわざわざ炊いてやってる魚のアラなど、いいものを食べさせてやってるというのに、何という恩知らず!!・・とうっかり目を合わせたらまた襲ってきますから、オンドリとは視線を合わさないことにしています。
 ところが、上の息子は涼しい顔で毎朝世話をします。オンドリと何のトラブルも起こしません。「ご主人様」を一人だけしか覚えられないって言うの?ほんっとにもう!・・と私はオンドリから離れたところから長いこと悪態をついてきました。でも、どうもそれだけではなさそう。息子の動きを注意深く見ていたら、あることに気づきました。オンドリの動きとか感情(?)に逆らわないのです。「餌をやるからな、ついてこい」という雰囲気を出さない。「無理に何かをさせる」ということもしない。餌やりも採卵もさりげなくやる。そう、ニワトリが主人公の生活がまずあって、息子は「黒子役」に徹しているという感じ・・・・。
 そうかぁ。ピヨピヨピヨの雛の時代ならともかく、プライドある思春期以降のニワトリとうまくつきあうって、そういうことかぁ。
 コレって、ヒトの場合にも通じることなのかもね。


その1(2003年1月)

                

 パートナーが松本に転勤になったため2000年1月から安曇平を一望する贅沢な借家に住むようになり、ちょうど3年がたちました。
 越してきた時、「(引っ越しが)今年でよかっただいね。昨年は100年に1度の大雪で、こ〜んなに積もっただよ」と何人もの人から言われました。
 私は九州佐賀、パートナーは三重の出身。学生時代を京都で過ごした後15年近くも四国で暮らし、3人の子ども(現在高2、中2、小5)を産みました。ほんの数回ちらちらと雪が舞うのしか見たことのない私たちです。「100年に1度の」大雪、遭遇してみたかったと残念がったものです。
 ところが、2001年も、そして今年の冬もなぜか「100年に1度の」大雪の年みたい。いやぁ〜、「100年に1度の」大雪だろうと週末なら構わないんです。週末ならば、わが家にはエネルギーのありあまった中高生の息子2人がおり、彼らが毎回うれしそうに雪かきしますし、「わたしも。わたしもやりた〜い!」と叫ぶ末っ子の娘もいます。彼らにまかせておけば、わが家の車庫や玄関の前はもちろん、庭のコンポストまでの道のりも、飼っているニワトリ(♂1、♀5)が出歩くための遊歩道も(ニワトリはちゃんとその道に沿って庭を歩き回り、コンポストの周りの雪を掻こうとします)、庭の主要箇所はみ〜んなかいてくれます。彼らの目的は「かまくらづくり」。なにせ、今では170センチを越えた中高生2人が中心になってつくるかまくらです。中に椅子まで持ち込んで、「読書するんや」「囲碁しようぜ」などと言うくらい大きなものを作ります(数日後急激に気温が上がるとかまくらの屋根が潰れて椅子が中に埋まります)。近くに住む一人暮らしの大家さんちの雪かきも彼らが出動します。私たち大人がふ〜ふ〜言う雪かきも彼らにとっては「ひとっきりやってくる」という信州弁そのもの。そんな様子を見るにつけても、平日にこういう少年たちが学校で勉強なんぞをやってるのは「もったいない」気がします、ホント。
 そう、問題は平日の大雪です。1月23日(木)の大雪の日にも日中の雪かきは私ひとり。「どうだい、大丈夫かい」「そちらこそ大丈夫ですか?」と大家さんと電話でやりとりしながら、私は「三ちゃん農業ってこういう感じなんだろな」と思いました。その日、小学校まで行かなければならない用事もあって、結局歩いて行きました。行きは40分、帰りは登りですから小一時間です。何回も滑り、しりもちをついて、一度はしこたま腰を打ちました。末っ子の娘が言います。「だからコツはね。最初から歩こうと思わずに滑っていけばいいんだよ。下りはお尻で滑っていく方が速いよ」・・・・なるほどね。 
 これから、あこがれの信州暮らしのあれこれをお伝えしたいと思います。どうぞ、しばらくおつきあい下さい。

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