「生命のメッセージ展」あべの会場には、大阪第120団関係者も多くの方々が、ご参加、ご奉仕いただきました。
最終日の翌日、大阪開催運営担当の米村様(元大阪第119団BVS隊長)より、お礼のご連絡いただきましたので、
ここに、ご報告(掲示)させていただきます。(2001.11.27)


米村です

皆様のご協力のおかげで無事に阿倍野会場を終えることができました。
本日(11/25最終日)の入場者数:931名
アンケート総数:373名+63(予定)

3日間の総入場者数は、2140名でした。
 1日目:623名
 2日目:586名


撤収時間になり、続々とボランティアさんが集まり始めました。
正直言って驚きました、まだ会場内に人があふれています。

撤収に集まってくれたメンバーは
kink颯爽(よさ来いソーランおどり):箕面
ボーイスカウト大阪120団ベンチャー隊
ボーイスカウト大阪119団ベンチャースカウト、ボーイスカウト有志
阿倍野・帝陵の両ライオンズクラブ
犯罪被害者相談室の運営委員のメンバー
犯罪被害者の会の有志
ASW(アルコール関連問題ケースワーカー協会)
大阪市立工芸高校の生徒
ボーイスカウト阪南地区のリーダー有志。
そして、バンドメンバーを含む亡き米村泰彦の友人たち。
そして、私たち参加家族が協力し合って無事片付けを行ないました。
予想をはるかに上回る方に集合していただきました。
会期中には
 文の里中学校吹奏楽部
 阿倍野吹奏楽団
 大阪コスモスライオンズクラブ
 TAV(交通死被害者の会)
の皆様にもボランティアとしてご協力いただきました。

ボーイ関係者として
119団の団委員長に地区協議会でお知らせいただいたのを始めとして、
ポスター掲示やチラシ配りには、44団、106団のリーダーには門真会場でも協力
をいただき、19団、119団は団会議、団委員会で紹介をいただきました。
119団リーダーには生駒から阿倍野までの資材運搬にもご協力いただきました。

22日の準備には120団ボーイ隊リーダーに駆けつけていただき
23日には148団リーダーが終日お手伝いに来てくださいました。
24日の午前中は、119団のボーイ隊ビラまきを手伝ってくれ、
120団には「森の教室」でのポスター掲示とチラシ配布にご協力いただきました。
25日は、集会を終えた119団ボーイ隊や、120団のスカウトクラブメンバーや
ビーバー隊を始めとして多くのリーダーにご来場いただきました。
その他、プライベートにもたくさんのリーダーの方々にご来場をいただき本当に感謝

すると同時にお礼を申し上げます。

アンケートの63という予定は、午前中に来場した沖縄県西原高校のマーチングバン
ドが予定時間をオーバーしたために、引率の先生が「沖縄に帰ってから必ず郵送しま
す」とお約束していただいた数です。
沖縄西原高校は、兵庫県で行なわれた「吹奏楽のコンクール」に出て、沖縄にかえる
途中に会場に来場されました。
いじめを苦に自殺した「小森香澄」さんの詩をもとにして作られた「窓の外には」と
いう曲をいち早く、演奏曲に取り入れた学校です。
予定がオーバーした理由は、アマチュアグループ「PEDu」(女性ボーカル2、男性ギ
ター)が、彼らのミニコンサートの最後の曲として「窓の外には」を唄い、最後は小
森さんのご両親を含めて、全員が前に立ち手をつないで大合唱になったからです。
演奏後、互いに交流を深め、記念撮影やら握手やらで時間オーバーとなったのです。
PEDuのメンバーは、自分たちの出番まで周辺の駅付近で歌を歌いながチラシ配りをし
てくれました。彼らもまた大きく成長いたしました。
PEDuでギターを担当している大阪芸大生は、この詩が大変気に入り、大学での研究
テーマ(芸術計画)で取り上げまとめたいという意向を小森さんのお母さんにお願い
しています。

PEDuの演奏時間には、篠原幸二さんが「えなちゃん」「おみやげどっさりもってく
ぞ」を唄いました。篠原幸二さん、篠原絵奈(享年2才)のお父さんです。
車が通り抜けることのできない自宅前の道で、2才上の兄のまえで車にはねられた2
歳の絵奈ちゃんのために、幼いお兄ちゃんと父親である自分自身の気持ちを素直に
歌った感動的な歌でした。
彼は、12月2日午後2時より、「千葉県八街」のイベント広場「青空(富山)」
で、「生命のメッセージ展応援ライブ」を行ないます。

午後1番のミニコンサートでは、地元の「阿倍野吹奏楽団」が、「窓の外には」と
「夕刻と時計台」(米村泰彦作詞・作曲)を演奏、会場の皆様に歌詞カードを配りご
一緒に唄っていただくという趣向を凝らしました。

そして、最後のミニコンサートでは、「米村泰彦」の弟である昌倫が演奏とボーカル
を行ないました。
兄と大変よく似た声で唄ったため、友人たちが涙にぬれました。

午前、午後と大変多くの方が来場され、昨日と同様長く会場にとどまられる方がおお
いため、混雑状態が続きました。
「天国への手紙コーナー」(アンケート)が空くまで、椅子に座ってゆったりとお待

になる方もおられ、その間参加家族や、見知らぬ方と親しくお話を弾ませる姿が印象
的でした。
「対話」という「阿倍野会場」のテーマが生きたような気がして、感激でした。
このコーナーでは、「大阪教育大学付属池田校」のPTA実行委員会が行なっている
「国民が安心して子供を学校に預けることができる学校作り」の嘆願書の署名もお願
いしました。
その横では、「DeafRugby」(聴覚障害を持っておられる方のラグビー活
動」の紹介コーナーも作りました。
ハンディに屈することなく、力強く生きている彼らにエールを送りたい、そして来場
してくれた子供たち、ボランティアの少年・少女に伝えたい、世話人であるプロのカ
メラマンの明るい笑顔、楽しいそうな様子が「ボランティア」活動の本質を語ってい
るのでは、そう思って招待しました。

バンドのメンバーも工芸生も、そして吹奏楽部やボーイスカウトの子供たちも、自分
のできることでベストを尽くせば、他の人のお役に立て喜んでいただけるということ
に気づき、喜びを感じてくれたのではないでしょうか。
「いい機会をあたえていただいてありがとうございました」と挨拶をしてくれた子が
いて感激しました。
特にバンドのメンバーにはいい体験と勉強になったのでは、と思います。
彼らの世代に伝えたかった「命の重み、家族の大切さ、そして他人への思いやり」そ
れを、小森香澄ちゃんの「やさしい心が一番大切だよ」という最後のことばにのせて
伝えることができたなら、と期待しています。

地元小学校が「この連休中は宿題はださないから、区民ホールにいって、見たことの
感想を作文にして」と先生からお話されたとかで、小学生の来場も目立ち、彼らもま
た真剣にオブジェに向かってくれました。
2日目に課外授業として来場した東大阪市立縄手南小学校、3日目の沖縄西原高校と
学校の先生が大変積極的に取り組んでくださったことに感謝します。

来場された方が、単に「かわいそう」「痛ましい」という同情的な感想だけでなく、
それぞれの方のお立場での教訓にしていただけるようなお話を多く頂戴し、私たち遺
族が自分の家族のことをなぜ皆さんにお話をさせていただくかの、本当の意味を知っ
ていただき、私たちが発したメッセージが皆さんに通じたという手ごたえを感じまし
た。

本日は、市立工芸高校の生徒たちには「赤い糸コーナー」の仕事も追加してもらいま
した。来場いただいた方と自然に会話がかわせられる機会を提供できたらと考えたか
らでした。
彼らは、3日間のうち最低2〜3時間を3人ずつローテーションを組んで手伝ってく
れるということだったのですが、結局は自分の予定が終わってもそのまま協力しつづ
けてくれ、みんなにこやかに毎日来てくれていました。
毎日、毎日、顔が変わっていき「なにか手伝うことを言ってください」と積極的に協
力し、参加家族と「対話」を交わし、貴重な時間を積み上げてくれました。
泣いたり、笑ったりと忙しい目をさせましたが、毎日変わっていくのがよくわかりま
した。彼らの目が輝いていく様子に私も担当の先生も感動いたしました。
そして、今日も区役所前でのチラシ配りを手伝ってくれました。

最後にみんなが満面の笑顔で「3日間楽しかったね」そういいながら解散できたこと
に大変喜びを感じました。

長文にて失礼いたしました。

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  生命のメッセージ展実行委員会
  大阪開催運営担当
    米村幸純
    公式ホームページ http://www.at8.co.jp/inochi
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