Column
絵のことばかりで無く、感じたこと身の回りのことも記したいと思います


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 [1]   今年で68回の被爆記念日 2013.8.6
被爆して68年 暑い夏がやってきました
参議院選挙の当選者は、どうして あの人がという人ばかり、そんなことだから、被爆者の熱い想いも届かず、 半世紀以上も経ってようやく爆心3.5キロ以内の被爆者、一定の条件で爆心地を通過した人々の救済されるという始末です。以前はそこにいた証明を要求されましたが、あの阿鼻叫喚の地獄の中で無理というもの、地元の人なら何とかなっても旅行者の様な行きずりの人どうするの
今日の原発被災も、原爆体験からすれば、今後何が起きても不思議ではないことが明らかなのにまだ懲りずに推進しようとしています。
 広島、長崎の被爆者も10数年後に発病したケースが沢山あります。こんな状況で 放射能の影響が想定され安全性も確立出来ないのに原発をどうして推進するのか理解できません。意識的に起こした原爆と突発事故で起きた原発も人を苦しめることは全く同じ。
68回目の記念日を迎え、いい加減に目を覚ましてもらいたいものです。
被爆が原因で還暦過ぎて癌発病し何回も手術された方の話が出ていました 。まさか何十年後に被ばく原因の病にかかるとは思われなかったと思います。今後原発放射能の影響があった方は同じような事態に合われる恐れがあるわけです
また、広島市長の平和宣言にもあった辛く厳しい境遇の中でいきのびてきた人々がおります。
生後八ヶ月で被爆、結婚は出来たものの被爆手帳所持が判明した途端離婚させられた女性に触れた記事がありました。確かに放射能によるいわれのない風評は戦後かなりの時期まで、多くの被爆者を苦しめてきました。私も影響下にあって半ば結構を諦めた被爆者のひとりです。幸い、かなり反対や葛藤を受けながら結婚してくれた女性に出会い、結婚出来ました。心配していた子供にも影響ありませんでした。娘はその女性に比べれば天と地の差と言います。早逝しましたがそんな妻のお陰で今幸せを享受しています。
 
13歳往時の体験には、記憶がかなり欠落している部分があります。東京大空襲、被ばく、父の死、帰京までの間、まったく思い出せないことがあります。たとえば修道中学で何組だったのか、担任の名前とか、疎開者で友がいないのを仲良くしてくれた級友とか。修道中学同期の被爆生き残りの大半がサッカー選手として活躍、全日本代表監督になった人もいます。同期生に再会したのは、国体の広島代表として 上京してきた折宿舎をたずねたのが最後です。
68年ずいぶん昔のことになりますが、原爆症には悩まされ続けるのでは。前述の何回も手術された方と比べれば娘のいうように天と地の差がありますが、
90まで生きてもあと8年、頑張ってみましょう

 [2]   スケッチシーズン 121014再
10月に入ると、あちらこちらの絵仲間からスケッチ旅行の話題が届けられます。残念ながら体調不安定な私は楽しげな会話の輪に入れず打ちひしがれています。写真からだって素敵な絵を描けると強がっていますが、外で風を、光を、自然を感じながら描く楽しみには敵いません。それでもなんとか努力の甲斐あって現地で描いた様な作品を描けるようになりました。描くことでは努力が解決してくれましたが、楽しげな会話はさせてもらえません。これは6758人分の1人(2012年3月末東京在住被爆者)に席を置くお陰、平均年令もあがって高齢化し77歳、年間200人余が亡くなられています。不本意な事情で病と戦いながらも傘寿まで生きられたことには良しとしなければ、40代で早逝した妻に申し訳ないと思いつつも、俗人健康ならばと悟り切れません。
愚痴りましたが、要は絵を描くことの効果をいいたかったのです

 [3]   孫もやるね
2013年2月に開催された東京都公立学校美術展(上野東京都美術館)に世田谷区代表のひとりとして選ばれました。作品はメタリックサインボードという私も初めての金属工芸です。上の孫も大学は工業デザインを学んでいますし、そんな血筋なのでしょうか。

 [4]   相聞歌   121125
11月25日付け東京新聞記事が、中学生の国語授業にふれている。相聞歌をテーマに中学生の異性に対するほほえましい心情を紹介している。私の記憶では高校になって古文の授業で百人一首や古今集の例として相聞歌を少し習ったような気がします。
記事のなかであげられた作品2首は、とてもほほえましい若者の恋心を表現していて、自分の若き頃に思いいたしても宜なるかなと合点しました。
{君をただ見ているだけでなんとなく幸せ感じまた振り返る}
{「君が好き」思い始めた頃からか僕の心に春の風吹く}・・中3男子
年甲斐もなくといわれながらも、80台のやもめ爺さんになっても全く同じような気持があるのだなと認識させられ、ときめく心は若さを保つといわれていますが、その通りと思いました。
老残の日々を過ごす今、勝手にマドンナを作って爽やかな暖かな幸せに浸っています。
投稿された素敵な情感をお持ちの国語の先生に習う生徒さん幸せですね
 

 [5]   私のモチーフ選択のこだわり 120827
9月26日の東京新聞記事に、銀座三原橋地下街の閉鎖と日暮里の富士見坂の眺望消滅危機が在りました。
老齢になったせいか古いもの、在ったものの消滅がとても気になります。風景も文明のスピードが速まって年単位で同じからずなのですね。
先日、前から描きたかった元町の洒落たお店が気になってロケハンに行きましたら、移転してなくなっていました。幸い写真を残していたので、参考にして描いています。このように街の風景も思い立った時にスケッチしておくことが必要なのですね。
 
 
絵を始めてから感じていた風情を残したいという気持で風景の変化が気になっています。近年私は教室のお手本用を除いては、ほとんど自分の趣味のためにだけ描くようになって、人様にお見せしようとかという気持ちは希薄になりました。
都会文化の発展や建造物老朽化によって古いものがいつの間にかなくなっていることがあります。町の商店街を歩いても風情のあるお店がなくなっていたり、全国的にそのような状態になっていると思います。
健康上の制約がある私は旅して描くことが難しく写真を有効に使っています。
閑があればネットで探して「描きたい」というファイルに保存してモチーフにしています。写真だけでなく旅行記などからも知識を得ています。現場で描くのにこしたことはありません。風景は現場でというのは健康人のせりふ、そんなことで私は散歩でもカメラを持ち歩きます。自分のためのモチーフ探しのために。描くときは出来る限り雰囲気を残すよう努めています。
ホームページは、絵を描くことがいかに楽しいかということだけをお伝えしたくて続けてます
 




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